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トータルフットボールの申し子
73年、1人の名称と1人のカリスマに率いられたクラブは、激しいポジションチェンジと、
フィールド全体をワイドに使った流動的サッカーで3年連続ヨーロッパチャンピオンとなった。
ピッチに立つ選手全員が同じレベルの高い戦術眼と技術、スタミナをあわせ持たなければ成り立たない、
その華麗なサッカーは、今なお最高のフットボールとして称えられている。
当時も、そして今も、トータルフットボールは多くのサッカーファンを魅了し続けている。
皇帝親政
強靭な肉体と比類なき精神力、完璧なテクニックとそれを活かす状況判断の正確さ。
後方からチームを統率をするその姿は、まさに皇帝と呼ぶにふさわしい存在であった。
サッカー選手として完璧なまでの能力を有する彼は、常にピッチ上の支配者として君臨し、
76年には3年連続ヨーロッパチャンピオンに輝き、皇帝の偉大さをヨーロッパ全土に知らしめることに成功する。
皇帝率いる完全無欠の集団は、まさに黄金時代と呼ぶにふさわしい風格を備えていた。
ナポリの王
小柄な体でありながら左足から繰り広げられる数々の奇跡は、ナポリに住む人々を虜にした。
その類稀な才能から「神の子」と称された選手は、やがて「ナポリの王」と呼ばれるようになる。
その「ナポリの王」に、ブラジルからやってきた一人の騎士が従った時、その圧倒的な攻撃力は、
堅い守備を誇るイタリアのみならず、ヨーロッパ全てのクラブの城壁を打ち破る事に成功する。
89年、「ナポリの王」は「ヨーロッパの王」へと生まれ変わった。
汚されたトロフィー
リーグを代表する名門クラブの攻撃と守備が高度に融合したなサッカーは、
国内リーグの連覇を成し遂げるだけにとどまらず、ヨーロッパの舞台で優勝の栄冠を得ること成功する。
だがリーグでの八百長事件の発覚により、優勝の歓喜を味わうことを許してはもらえなかった。
チャンピオンとしての権利を剥奪され、2部へ降格された名門クラブではあるが、
93年、決勝の舞台でみせたそのサッカーは、優勝に値する真実の輝きを放っていた。
エル・ブランコの始まり
アルゼンチン、フランス、ハンガリーを代表する偉大な選手を揃えたクラブは、
国内リーグで数多くの優勝を成し遂げるだけではなく、
56年から60年までの間、ヨーロッパチャンピオン5連覇の偉業を達成する。
優れた選手たちが繰り広げるサッカーは、文字通りヨーロッパナンバー1クラブとなった。
それは20世紀最強のクラブと言われた、エル・ブランコ(白い巨人)の伝説の始まりであった。
悲劇を乗り越えて
飛行機事故で尊敬すべき先輩と多くの仲間を失った彼は悲嘆にくれる。
しかしその飛行機事故から10年後の68年、サッカーの聖地でヨーロッパチャンピオンの座に輝いた。
長髪をなびかせながら華麗なステップで相手を抜きさる後に伝説となるドリブラーと、
「ジャックナイフ」と形容される卓越したヘディング技術を持つストライカーと共に。
しかし彼は祝勝会には出席せず、一人ホテルの自室で亡くなった仲間たちに優勝を報告するのだった。
黄金のカルテット
華麗なテクニックと高い攻撃力が、今なお多くのサッカーファンを魅了するカルテット(4人組)。
優勝と言う結果こそ得られなかったが、このカルテットで構成される中盤は黄金に例えられる程の輝きを放ち、
その美しく攻撃的なサッカーは、多くのサッカーファンの記憶に残るチームとなった。
82年、スペインの地で散ったこのカルテットは、魅力的な攻撃サッカーをしたチームが勝つとは限らないという、
サッカーの持つ残酷な一面を知らしめる存在でもあった。
政治とフットボール
旧ユーゴスラビアを代表するテクニシャンでありファンタジスタ。
観た者に強烈な印象を与える個としての能力は、現代のプレイヤーと比較してもトップクラスの実力を誇る。
しかし、この4人が揃ってプレーした事は1度しかなく、輝きを放つこともなかった。
だが、政治、紛争、あまりにも過酷な状況下でプレーをする彼らは1人の人間として、
フットボールプレイヤーとしても最高の賛辞に値する事をわすれてはならない。
カルチョの10番
背番号10はファンタジスタの番号。様々な芸術をピッチに描き続けた彼らに相応しい番号。
観客から愛される番号。チームメイトから必要とされる番号。チーム、国を象徴する番号。
その中でもとびきりの彼らだからこそ10番がよく似合うのだ。
何故この国からファンタジスタが生まれるのだろうか?それは守備を重んじる国だからこそ、
それを打ち破るための方法としてファンタジーを持った選手が誕生するのではないだろうか。
バッドボーイズ
90年代を代表するブラジル人FWの中でもゴールへの嗅覚はピカイチ。
それに比例して素行の悪さも有名だ。ファンに殴りかかったり、勝手に帰国したりとやりたい放題。
しかし問題児としての振る舞いが許されるのはハイレベルなプレーによるゴール量産のたまものだから。
FWの一番重要な役割はゴールを奪うこと。その根底を強引にそして鮮烈に刻み込み続けたが、
故に彼らは記憶と記録に残り、ファンに愛されるスーパーストライカーなのだろう。
東欧の盾と矛
冷静な判断力と恵まれた身体能力で守備陣をまとめる盾と、繊細だが天才的な閃きと
卓越したテクニックでゴールを導く魔法の左足を持つ矛。義兄弟でもあるこの盾と矛は
90年代のルーマニアを象徴する選手として、ナショナルチーム躍進の原動力になっただけではなく、
クラブチームにおいてもコンビを組みトルコの地に王冠を持ち帰る偉業を達成する。
その時、東欧の盾と矛はまさにルーマニアの英雄として並び立つのであった。
KING
フィジカル、テクニック、ファンタジー、フットボールプレイヤーの能力だけでこの称号は得られない。
何よりも必要とされるものはスタジアム全体を包むほどのカリスマ。これに尽きるだろう。
王の定義とは国家、民族の長ということ。長、つまり頂点。全ての選手が認める存在。
フットボールにおいての頂点を極めることは無理に等しい。だがそれを成し遂げるほどの功績と
カリスマを身に纏ったときこそ「KING」の称号を得られるのだ。
閂をつくる者たち
カテナチオという戦術を体現してきた者たち。
国、リーグのアイデンティティを貫いてきた守護者とも云えるだろう。特筆すべきは1人1人が
コンスタントにパフォーマンスを発揮し続けたことと、それに伴うタイトルの数。この記録こそが
偉大なジョカトーレであることの証しとなっている。世界最高の守備戦術を築き上げゴールに鍵をかけた彼らを、
現代においても歴代で最高のゴールキーパー、ディフェンダーに推す声は途絶えることが無い。
将軍の系譜
人から人へのショートパスを回しながら華麗にゴールを陥れるフランス伝統シャンパンサッカーの
中心人物であったこの二人。ゲームメーカーとゴールゲッターの役割をハイクオリティで行い、
まるで予定調和のようなフリーキックを放つ初代将軍。試合の指揮を振るい、
ピッチでボールとワルツを踊りながら必殺のルーレットを仕掛ける2代目将軍。
はたして3代目の将軍、真の後継者は現れるのであろうか?
パーフェクトレフティ
左。誰もが憧れし天性の武器。レフティと才能の化学変化は味方に勝利を呼び込む天使となるとともに、
相手にとっては憎き悪魔となる。プレーのスタイルが異なるこの彼らには1つだけ共通点がある。
フリーキックだ。鋭く曲がり落ちることは勿論のこと、壁の間を抜く。ゴールの隅を狙う。
フリーキックだけでハットトリックを達成したこともある。
幾多の試合を黄金の一振りで幕を下ろしてきた彼らこそ、天才レフティの最高峰である。
ドリームチーム
世界のどんな監督でも、理想はボールを支配し相手チームよりも多くゴールを入れ、美しく魅せるフットボールを
求めるものであろう。90年代のカタルーニャにその理想のサッカーを実現した監督が現れる。
世界でもトップクラスの選手たちを率い、国内リーグの連覇を果たし、ヨーロッパチャンピオンの座にも輝いたのだ。
ただ、勝つだけでは許されない。美しく魅せ、そして勝つ。見る人を心から魅了したそんなチームを、
ファンのみならず人々はドリームチームと呼ぶのであった。
ヴァイキングの血
優秀な選手を輩出し続ける古豪の中でひときわ異彩を放ち、その才能は数々の勝利と栄光を呼び込んだ。
ある者は、手で扱っているようなボールコントロールと軽やかなステップ。
ある者は、尽きる事なきスタミナと上質なスピード。ある者は、無敵の空中戦と足元の繊細なポストプレー。
先人から脈々と受け継がれるヴァイキングの血は未だに途絶えることは無く、
世界一の座を射止める選手が現れるのもそう時間はかからないだろう。
光と影
同時期に才能を煌かせた2人のゲームメイカー。1人は運動量豊富にピッチを走り、
的確に味方へパスを繋ぐ勤勉な芸術家。もう1人は1本のパスで局面を打開し、味方を使いゴールへ襲い掛かる賢人。
しかし晴れの舞台で2人の明暗が分かれる。芸術家には司令塔という栄光が、
そして賢人にはベンチという屈辱が待っていた。優勝という歓喜の裏に隠された2人の明暗。
この差は何が原因だったのだろうか?
コメント
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ファルカンの動画が削除されてます (T-T --
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報告ありがとうございます!差し替えておきました (^Q^ --
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見れなくなっていた動画を更新しました (^^) --
最終更新:2008年11月27日 14:53