light novel > 異伝記録 > 無名箱

「彼女に静かな微睡を」

ver1

帝国歴790年2月20日。少なくとも東フォルストレア地域内の全域を冷害と旱魃が襲った、その三年目。
アンゼロット記念大学エタブリッシェキャンパス理学研究院バークタイン研究室。
芳醇な香りを放つカーニャムのTGFOPが入ったティーカップに、机上に並ぶ研究メモ、膨大な数の報告書。
それらを支配する、この研究室の主であるアンゼロットは、机に向かって研究メモをまとめていた。
彼女はとある研究を進めていて、大体は机に向かっているのだが、部屋の外に人の気配がしたため、顔を上げて入るように声をかける。
「マスター。本年度の食糧生産についての予測、上がってきています」
そんなことを言いながら入ってくるのは、アンゼロットに仕える下級夢魔、ミリティア・アロートである。
「ご苦労様。…例年の4割程度の減少、ですか…。参りましたね」
「はい。連盟内で来冬、飢饉が起こるのは目に見えています。どうします?」
「…問題ないでしょう。これを」
「“農学名鑑”…農学院の連中がまとめていたあれですか。なるほど、これがあれば確かに生産性の向上が図れるでしょう」
「ええ。大学出版の方に言って部数を揃えてきました。…一村につき一つ。農業担当者に回しておいてください」
「わかりました。では…」
「一冊とは言ってませんよ?こっちも」
「“星術用暦・第七版”ですか。こっちの方がむしろ有効かもしれませんね。こっちも回しておきます」
「その必要はありませんよ。形の上ではいつもの改訂版ですから。農業用のアドバイスが載っただけです」
「星術者の人たちがうるさいんじゃないですか?」
「神秘性が薄れるとか言ってましたけどね。まあ、なんとか通しましたよ。こっちは一世帯一つ。これ系の本はよその出版も好意的で助かります」
「了解です」
ミリティアの退出を見届けてから、窓の外の雪模様を眺める。
二年続いた飢饉は三年目の今年も起こることが予想されている。
クラルヴェルンでは農民反乱が発生し、オルアニアでは反乱はついに革命に至ったという話だ。
…今日も連盟は平和ではある。食料生産は確かに減少し、口に入るものは間違いなく減っているのだが。
星術による文化的同一性と、直接民主的な政治は連盟市民の不満が政府に向かうことを和らげる。
あるいは、星術者たちによる暦が普及しているために農業生産力が高めであることも一因かもしれない。
次の日。
「マスター、非常事態です!クラルヴェルンでの農民反乱は、帝都郊外での戦いで帝国軍を打倒。帝都に向かっているとのことです」
「…帝都は、孤立した状態で何日間持ちそう?」
「1ヶ月くらいは、なんとか持つでしょう。…ただし、それ以降は食糧備蓄が底を尽き、士気の致命的な沮喪が予想されます」
「まずいですね。…彼女らしくもないことですけれども。…帝都に向かいますよ。準備を」
「本気ですか?帝都近郊には民衆軍が…」
「確か、疫病にやられにくいジャガイモの備蓄があったはずですね?連盟の輸送力を勘案して、運べるだけの用意を」
農民反乱の只中に大量の食糧を持ち込もうとすれば、何が起こるかは明白。
けれども、それを圧してでもアンゼロットは帝国に支援しようというのである。
厳密に言えば、帝国ではなく、帝都にある夢遊宮、その中枢に座する彼女の下に支援を。
「…わかりました」
そこまでわかっているがゆえに、ミリティアは何も言わない。彼女もまた、夢魔の一人であるのだから。
「あとは、牛乳と牛肉を。雪と一緒に持っていきましょう。…という建前で、冷蔵の星術を。あなたとして個人的に送るものは?」
「ありません。私が個人的に送るものは、私が仕えるマスターの贈り物と同じですから」
「そうですね。では、参りましょう」

ver2

帝国歴790年2月21日。当時、ヨーグ海のとある火山の大噴火から三年が経ったが、その影響は未だ続いて世界的に冷害が発生していた。
ここはアンゼロット記念大学エタブリッシェキャンパス理学研究院バークタイン研究室。
机上に並ぶ研究メモ、膨大な数の報告書、本棚には無数の、ほとんどすべての分野に関する専門書。
それらを支配すべき、この研究室の主であるアンゼロットは、昼食のシチューを食堂で食して戻ってきたところだ。
ティーカップにカーニャムのTGFOPを淹れて、そして椅子に座り、研究の続きに入ろうとする。
すると、扉が開きある人物が部屋に入ってくる。アンゼロットがその人物に一瞥を与える前に、その人物はこう言った。
「マスター、非常事態です!」
「もうマスターではないといっているじゃないですか。それで、どうしたんですか?」
「えー、クラルヴェルンでの農民反乱は、帝都郊外での戦いで帝国軍を圧倒。帝都に向かっているとのことです、アンゼロット様。」
最後の呼びかけはどこか笑いを含んでいたが、アンゼロットは流すことにした。先に聞かなければならないことがある。
「…帝都は、孤立した状態で何日間持ちそう?」
「1ヶ月くらいは、なんとか持つでしょう。…ただし、それ以降は食糧備蓄が底を尽き、士気の致命的な沮喪が予想されます」
「まずいですね。…彼女らしくもないことですけれども。…帝都に向かいますよ。準備を」
「本気ですか?帝都近郊には民衆軍が…」
「確か、疫病にやられにくいジャガイモの備蓄があったはずですね?動かせるだけの輸送力を確保して、運べるだけの用意を」
農民反乱の只中に大量の食糧を持ち込もうとすれば、何が起こるかは明白。
けれども、それを圧してでもアンゼロットは帝国に支援しようというのである。
厳密に言えば、帝国にではなく、帝都の人々、いや夢遊宮の彼女たち、いやその中心で玉座に座する彼女に。
「…わかりました」
そこまでわかっているがゆえに、ミリティアは何も言わない。彼女にとっても彼女たちに何の感情もないとはいかない。
「あとは、牛乳と牛肉を。冷蔵の星術は私が掛けましょう。あなたとして個人的に送るものは?」
「ありません。私が個人的に送るものは、私が仕えるマスターの贈り物と同じですから」
「…私はもうマスターではないといっているのですが、まあいいでしょう。参りましょう」

結局紅茶片手にのんびりするこのひと時が一番幸せ

「やっぱり、…夢魔の幸せというのは私にはよくわかりませんね」
ヌワエリヤのFOPを片手に呟く少女。…いや、実のところは少女といえる歳ではないのだが。
「では、マスターも夢魔化を受け入れてくださいませ」
「それ、何年前の言葉でしたっけ?四桁なのはわかるんですけれども」
「で、どうなさいますか?」
「どう、とは何が?何か問題がありましたか?」
「…例の夢魔と王弟の逃亡劇。セラフィナイトを経由したということは誰もが知っています。なら、セラフィナイトが逃亡を助けたといえるのではないですか?少なくとも帝国国内に、そう考える者がいてもおかしくはありません」
机の上にあるクッキーは原材料に純連盟産の牛乳と砂糖のみを使っており、素朴な味わいだが飽きない。それをかじりながら聞いていた少女が返答する。
「まさか。もし外務省が知っていても、私は知りませんよ。チャンネルがないですからね」
「では、先ほどの発言の真意は?」
「先ほどの発言、とは?」
「夢魔の幸せ、の一件です」
微苦笑を浮かべる少女、アンゼロットは一枚の書類を示す。
「やれやれ。これがSSVDが連盟議会に提出したこの一件に関する最終報告書です」
「よくできていますね。どうやって作成したんです?」
「さあ…情報収集なんていうのは専門外ですからね」
「むしろ、マスターに専門外なんていうのがあるとは知りませんでした」
「専門外だらけですよ。経営学、工学、経済学、あと何でしたっけ?確か理学のどれかだったと記憶していますが。私はこの4つしか博士号を持っていません」
「流石に学問の門だけのことはありますね」
「…しかし午後のティータイムにしてはあまりにも趣のない話ですね」
「そうですか?では、夢魔の幸せについてすこし話してみますか?」
「うーん…結局、夢魔ってのは何を目的に生きているんです?悪趣味なゲームをすること?盟約者の絶望を見ること?」
「私は自らの知と力を増すために生きていますが、そういった在り方をする夢魔はほかに見当たりませんね。少なくとも、マスターの言うそれらは彼女たちがやりたくてやっているのではないらしいのですが…何なんでしょうね?」
「話を振っておいてそれですか?」
「案外、夢魔たち自身も解っていないのかもしれませんね」
「それはありえそうなことです。まあ、今回、お姫様は一時の幸せを得たかもしれないのですが、王子様はどうなんでしょうか?」
「あの年若さで自らその道を選ぶというのも、なかなか見かけないものです。ちょっと楽しみですね」
「あのお姫様に羨望の念はないんですか?」
「私の望みの第一はマスターの下でのこの時間で、第二は自らの知と力を増すことです。そして第三以下はありません。マスターはどうなんです?」
「私ですか?私は、ちょっと羨ましいですね。…恋慕される姫君ではなく、無謀で年若い王子が。年寄りの研究者なんてだいたい役に立たないものです」
「心の若さなんていうのは、体の若さと違って自分で手に入れられるものではないのですか?」
「そうかもしれませんね。…王子様に平穏を。そして、ハミールに平安あれ」

紅茶探訪八十日間世界一周

本編

容量オーバーなのでこっちに移動

おまけ1

さて、クロノクリア寝台特急でメッサーナに戻っていったジャスリーさまを見送ったあと、アンゼロットは自分の研究室に戻った。
「あら、お帰りなさいアンゼロット。ミリティーからは明日には着きそうって電報が来ていますよ」
出迎えたのはミュリエル。不在の間の研究室の管理を任せていたので、いても不思議ではない。
入った時には本棚に向かって難しい顔をしていて、ケトルポリットで買った本が本棚に入っているところから見ると、本の整理をしているうちに何か気になる本があったというところだろう。
「何を読んでるのですか?」
「え、ああ、これ?ほら」
本を上げると、その表題は“アドミン族にまつわる謎”。
なるほど、と納得する。アンゼロットがとある研究をしているように、彼女はとある人物を探している。
そのとある人物がこの世界にいるという保証はないのだが、ミュリエルはディスコードによってこの世界に呼び出されたのは、その人物がこの世界にいるからだ、と考えているらしい。いずれにしてもアンゼロットにとっては違う世界なので、首を突っ込みはしないが。
「この本、貸してね。あ、そうそう、頼まれていた星の補正データ、そこにおいておいたから」
そんなことを言うと彼女は扉から退出していく。別に窓から滑空することもできるだろうが、まあ目立って困るのは確かだ。
さて、と。まず、補正データと現在の理論値を照らし合わせるところから始めますか、とアンゼロットは研究に戻った。

【紅茶探訪八十日間世界一周おまけ After story 本日も平和なセラフィナイトからお送りしています】

翌日。
リーゼロッテ市に出向き、天文時計を出発前に頼んでおいた時計職人の店を訪れる。
「おやアンゼロット卿。例の品ですかな?なんとか昨日仕上げたところですよ。最後はほかのお客様をお断わりすることになっちゃいましたがな。どうぞ持っていきなさいな」
そう、この天文時計は旧友に世界一周終了の記念品として贈るつもりで八十日間の期限で用意させたものだ。例の落ちのために、本人に直接渡すことはできなかったのである。
近くのシュペトレーゼ上級信書郵便の郵便局で送る手続きをしたあと、リーゼロッテ駅に向かう。この時期にはクロノクリア急行とフォルストレア横断鉄道の相互乗り入れ計画はまだクロノクリア急行鉄道社内での計画でしかなかったから、エラキスからセラフィナイトへ向かう速い鉄道は基本的にリーゼロッテまでになっているのが普通だ。アザン州の山岳地帯を越えてエタブリッシェに向かうルートは規格が低く、鈍行列車しか存在しないのである。ちなみに、これは相互乗り入れ計画で高規格化が図られる予定だ。
つまりはミリティーはリーゼロッテを通過駅とするはずだということである。時間が一致するのかという疑問があるかもしれないが、彼女たちにとっては割とどうにかなるらしい。どうしているのかはわからないが。
さて、エタブリッシェまでの切符を買って駅構内に入ってミリティーを待つと、すぐ到着した列車からミリティーが降りてくる。偶然にもほどがある。ちなみに、無駄に大量の荷物があるが、これは塔王国で買ってきた紅茶の残りを分けた際に、ジャスリーさまの分だけを飛行機に積んで、アンゼロットの分をミリティーに託したからだ。重いものを乗せて運行するのはどんな交通機関でもよくないことです。
「おやマスター。てっきりエタブリッシェで待っているものかと思いましたが、こっちまで来たんですか?」
「ええ。ちょっと知り合いの時計職人に用があってね。そっちの紅茶は持つわ」
そうして二人はエタブリッシェ行きの電車に乗り込む。コンパートメントに入ると、ミリティーはどこからか取り出したティーセットでお茶の用意を始めた。ところでそんなことしていて大丈夫なんだろうか。
「どれから参りましょう?どれも良い紅茶ですが」
「そうね、じゃあヌワエリヤ」
「はい、マスター」
久しぶりのミリティーの給仕だ。さて、腕を上げただろうか、それともそうすぐには変わらないだろうか。

おまけ2

「なるほど。あの一文はあなたが書き加えたものだったんですか」
真夏の深夜、ケトルポリット塔王国、ツトラウスト塔でのこと。星空を背景にお茶会をする二人の旅行者。
「ええ。戦時法規憲章も原案だけ出してまかせっきりにしておいたけど、ラジオを聴く限りは既に各国の承認を受けているらしいわね」
「ふむ…あなたらしい。よいことです。人の心を司る悪魔、伊達ではありませんね?うちでは戦時法規憲章は防衛に関わる重要事項ってことで国民投票中らしいですが、大勢は承認する方向にあるようですね」
「学問の守護者としてはどうなの?」
「私ですか?そうですね…」

【紅茶探訪八十日間世界一周外伝3 7th Country(3rd part-extra) 真夏の夜のお茶会】

そんな話をしていると、この冒頭の前の時点で次のお茶を沸かしに立ち去っていたフィリオリが戻ってくる。
「学問の門は本質的に価値中立。知識を破壊するものでない限り、如何なる悲劇にも惨劇にも、喜劇にも動じることはありません。アンゼロットさまを見ているとそう思います」
「フィリオリ。…ですが、確かにフィリオリの言うとおり、私はあまりにも多くの劇を見すぎて、少々淡白になりすぎているのかもしれません」
「そうなんでしょうか?私が生まれてからこのかた、アンゼロットさまはずっとそんな表情でしたが」
「そう、アンゼは昔からこうだったとは思うわ。でも、別に完全に感情が欠落している人間というわけでもないの」
「二人してなんですか、まったく。…まあ、やっぱりあなたが羨ましくなりますね。私はやっぱり、セラフィナイトの国民や議会が開戦を決めれば、淡々と間接的に戦争を支援することになるでしょうからねえ。昔の介入戦争でもそうでしたし」
「ふふ。その淡々とした変わらない表情の裏側で何を感じているか…ね?やっぱりアンゼも、正常な感覚の持ち主ね」
「…まさか。私が正常な感覚の持ち主だとするならば、この世界はさらにもっと冷たいものになっていたと思いますけどね」
「さて、アンゼロットさまが淡白なのはそうですが、その冷たさを理解するには、それ自体が温かくなければ難しいですけどね?」
それを聞いたアンゼロットは、ほかの二人にとっては見慣れた曖昧な微苦笑を浮かべ、そもそも温度という概念自体が考え出すと結構ややこしい代物ですけどね、と呟いた。

とある鉄道員の調査

見渡す限り雪の積もった牧場。セラフィナイト南部、レナス州の景観にも似ているが、それよりもここは低地だ。
ルヴァ歴32年1月21日、ハミール王国バウムクーヘン地方にある地方都市トバーリェの郊外。
銀世界と化した牧場の合間を縫うように走る単線の線路。
その線路のすぐ横に、防寒着を着込んで佇む老人が一人。
彼は、クロノクリア急行鉄道社の調査員である。

(ふむ…。規格も低いし単線。ま、用地に余裕はありそうだから十分じゃな)
ハミール王国の鉄道事情。割と単純な話なのだが、東フォルストレアのほかの国よりは複雑だろう。
…“かつて、現在のクラルヴェルン帝国の地域はロードレスランドと呼ばれた。今、ロードレスランドと呼ぶべき地域は東フォルストレアに広がっている”とは誰が言ったか、そう揶揄されるように、東フォルストレア地域ではなぜか鉄道線路が重視され道路の整備はあまり進んでいない。
しかし例外の一つ。それがここハミール王国である。
ここでは自動車製造業が盛んで、そして線路より先に道路が整備されてきた―経緯はよくわからないが。
しかし、一つ思い出さなければならないのは、ハミール王国は列強に名を連ねているわけでもなく、工業力も世界的な工業国の水準に及んでいるものではないということ。
道路整備に国力を注いだとしても、その国力がそれほど大きくないとしたら、果たしてその道路事情は立派なものになるのだろうか?
道路交通は東フォルストレアの平均を少し超える程度、鉄道整備は遅々として進まず。
不十分な交通機関は、そして工業化の進展を遅らせ、国力の発展を抑える。
それが、この百年、世界で工業化が進む中での、ハミールという国の状況なのだった。

しかしながら、このハミールという地は、親夢魔圏では重要な位置にある。以南はオルアニア、そして以西は西フォルストレア。
AEDという同盟を結んだ東フォルストレアの列強たち―特にクラルヴェルンとセラフィナイト―にとって、この国の工業化の遅れは、周辺地域の情勢を勘案すると、目を向けずにはいられない地域なのだ。
どれほどの関心を向けているか知りたければ、端的に表すエピソードがある。あるときセラフィナイトで起きた災害に、ハミールは義援金を送った。…そしてセラフィナイト政府は、ハミールでの鉄道整備がセラフィナイトの利益につながるとか言って、その義援金のほとんどを送り返した。それほどの関心であった。
さて、それほどの関心を向ける彼らは、東フォルストレアの国際鉄道を担う鉄道会社、クロノクリア急行鉄道社に目を付けた。
クロノクリア経営陣が前々から興味を示していた超特急列車開発プラン、いわゆる弾丸列車計画(ちなみに、実現させちゃうと世界観に合わないと思うので誰かが似たようなのをやらない限りゲーム上には出しませんよー)。
ドスポラストンネルを超えるかもしれない…そしてある技術者によると半世紀は早すぎるといわれるほどの技術的困難が立ちはだかる、そして経済的・政治的な面からも無数の無理を含む、しかし社名が示す通りの時間への執念を持つ創業者の遺志として現経営陣も多くが強い関心を寄せる、その計画。
この老人にしてみれば、半世紀どころか一世紀は先の話だろうと思っているのだが、とにかく超特急開発計画への二国の有形無形の便宜と引き換えに、セラフィナイト首都エタブリッシェとハミール首都フォリブルデーンを結ぶ、そして現在はエラキスへの乗り入れも議論されている新線・本初子午線の開発が決定したのだ。
しかし社員の多くはドスポラス開通によるエスレーヴァへの乗り入れ―発足の経緯から、時間への執念の他にもエスレーヴァへの乗り入れにも執念を向けており、さらには塔王国まで直結したいとか考えている馬鹿もいるらしいがそれは別の話―と、超特急開発計画に目を向けており、本初子午線というネーミングセンス以前に名付けることを放棄したような路線計画に携わることを望むものは、そう多くはなかった。
結局、最新技術についていけなくなり、会社にもてあまされ気味の定年間近なこんな老人も調査員の一人に命じられたわけだ。
…これが最後の仕事じゃな。どうせなら、終の棲家はレナス州のこの線の見える場所がよかったかもしれん。
ラルド州のクロノクリア本線が通っている切通しのすぐ横、崖の上という無茶な立地(ただしセラフィナイトやクラルヴェルンでの定義では、紅茶があれば無茶ではない。一応数百年前にできた切通しなので安全上は問題ない)に老後の居を既に購入してしまっている老人は、そんなことを言いつつ、適当に機械をいじりながら必要なデータを集めることにしたのだった。

さて、データ取りを進めていき、ふと懐中時計―鉄道員になった時に知り合いのリーゼロッテの時計職人に祝いとしてもらって、それから40年ずっと使い続けてきたものだ―に目をやる。そろそろ何か軽く食事でも、と思う。
そこでトバーリェの町に向かい、適当な喫茶店に入る。今年16歳になる孫娘と同じくらいの年齢に見える店員(労働基準法的に大丈夫か、と思ったが何も言わないでおこう)にウルアニスキ(ハミールのワッフル菓子)と紅茶を注文して待っていることにする。
少々遅かったからか、客は自分以外におらず、店内は静かだ。
「お待たせしました、ウルアニスキとホットティーです」
「ああ、ありがとう」
「…失礼ながら、クロノクリア急行鉄道の社員さんでいらっしゃいますか?」
「え?ああ、そうだが、どうしてわかったのかね?」
「その帽子、クロノクリアの社章でしょう?」
「よく御存じだね。どうしてまた君がそんなことを知っているのかね」
「いえ…婚約者…あ、もう籍は入っているんですけど、結婚式はまだなんです…とにかく、その彼がクロノクリアで働いていまして」
うちの孫娘は結婚なんぞ早くても5年は先の話だといわれるがな、と思うが、ハミールの結婚は早いのだろう。
「ふむ。で、そのクロノクリア社員の私に何か用かね?彼に何か手渡せというなら、まあできないことはないがね」
「いや、そういうのじゃないんです。すみません、ごゆっくりどうぞ」
そういって無垢に微笑みながら立ち去る彼女の表情を見るうちに、老人はどうもこの新線はうまくいきそうにないかな、と思った。

アドリアン・モーリス先生の圧倒的存在感

ルーシェベルギアス北岸に位置する港湾都市、レイズフィリーク。
フィヨルドが入り組み、複雑だが十分な水深を持った海岸に面する、ルーシェベルギアス…いや、アレスレーヴァ半島屈指の良港。
そしてルーシェベルギアス北部地域の首座都市としての経済力も擁する、重要な商工業都市でもある。
そのレイズフィリークにはセラフィナイト星術者協会の支援によって建てられたレイズフィリーク科学館という施設があり、その付属施設の一つが後背の山地に位置するレイズフィリーク天文台。
そして、レイズフィリーク天文台には、なぜか無駄に整った厨房があるのだが…。
「今日はいいウィスキーが手に入ったからのう、これなら…」
「モーリス館長、市長が至急来てほしいと」
「何じゃ…今ピックル液を作り始めたところじゃから三十分待ってくれ」
「…全く…」

そう、科学館の館長はアドリアン・モーリス。無類の料理好き(作るのも食べるのも)であり、天体観測と食事のために生きている、らしい。それでも星術者としての研究成果は良く、部下としてはいろいろたまったものではないだろう。…そんな愚痴をこぼせばにこやかに食事を振る舞ってくれるのだが。
「ふう…モーリスさん。いやはや、呼び出すのではなくこっちから参るのが礼儀ですね。お時間よろしいでしょうか」
「もう少しでピックル液が出来上がるから少し待って下さらんか」
「わかりました」

「で、今日は何の用でございましょうかな?」
「この街は連盟資本からの投資で潤っておりますから、まずはそれへの感謝を」
「またそれですかいな。北極海の海の幸はうまい…それだけで充分でございますがのう」
「いえいえ、うまい魚なら地中海には多種多様な魚がおりましょう。あえて北極海に面した…」
「まったく…わかっておりませんな市長。クラルヴェルンが産業革命を起こしてからこっち、地中海の生き物はまずくなる一方…ノトキア沖の海の幸が今最もよろしいのでございますよ」
「…まあ、この街の市場の上客、それだけでもいいでしょう。漁師にはありがたがられているらしいですな。そんなことより、本題です」
「ふむ…北極海の魚の良さがわからぬのでございますかな…まあ、ナウムヴァルデの連中もあの農産物畜産物の品質が普通だと思っておったようじゃし、そういうものなのでございましょうかのう。しかしやはりその幸せが…」
「あの…本題、なのですが」
「…何かの?」
「はい。ヴォールグリュックと南東部の自治組織アンティオレム白衛軍会議が約定をかわしたことはご存知でしょう?」
「聞いたが、どうでもよいことじゃろうに」
「いえ、ヴォールグリュック軍が北岸からの上陸作戦をかけて近隣の村を制圧していっておりまして、なおかつ私には会談が提案されてきたのです」
「ほう…ヴォールグリュックもようやく北極海の海の幸の素晴らしさに気づいたということでございますかのう」
「…」
「冗談でございますがのう…それで?」
「はい。連盟の方針は如何で?」
「何じゃ、急に連盟が出てくるとは話の流れがつかめないのう」
「…この街の住民は皆連盟への加盟を望んでおります。どうか、ご協力を」
「市長、何か勘違いしていらっしゃらんか」
「は?」
「連盟はヴォールグリュックの同盟国でもあり自由通行協定もある。グリュック領となって何の問題があるのかのう?」
「この街は連盟の資本投下で発展してまいりました。単純に、この街がルーシェベルギアス夢魔信奉者連合以前からずっと自治を続けてきて、連盟が影響力を齎しやすかったからです。…そして、今やこの都市は連盟なしには存続できない。既に半世紀を超える緊密な交流の歴史がありますゆえ」
「…まったく。ややこしい話じゃ。つまらぬよ。もっとこう味覚に強調できぬのか」
「すいません、しかし…」
「…いいじゃろう。私はすこしヴォールグリュックに出かける。…食材確保のためにな」
「感謝します、モーリスさん」
「今私は何か感謝されるようなことを言ったかのう。ん、何かグリュック産の食材でほしいものがあったら買ってきますがのう」
「…では牛肉を」
「しかと承った。じゃ、ちと美食探しに参りましょうかのう」

誰得教科書異伝シリーズ

『政治経済』 第二章:現代世界の分業体制-1.主要国の概況

エタブリッシェのとある高校の教室。
「…あー、今回からこの第二章、現代世界の分業体制についてやっていくが、これは今まさに過去のものになりつつある。散々この授業でも話のネタにしてきたし、新聞やラジオでもやっている通り、今起きている東方大戦は、既にクラルヴェルンの講和仲介などが行われているが、これがどう展開するにせよ、歯車の噛み合わせは組み替わることになるだろう。しかし、だからといっていまこれを学ぶことは無意味ではないことは、君たちには言うまでもないことだろう。では始めよう」

【誰得参考書的異伝 リーゼロッテ予備校出版刊『政治経済』より 第二章:現代世界の分業体制-1.主要国の概況】

“本章は、これからの時代を担う皆様がより深く現代社会の構造を知り、高い意識を身に着けることを目的としたものです。昨今、科学技術の発展は全ての人々に繁栄の鍵を与えると同時に、一つ間違えば先のコタン戦役のような壮絶な惨禍をもたらすこととなります。そのような科学技術の発展を支え、かつその成果を第一に受ける産業の世界を見ていくことで、これからの世界について考えていきましょう。”

東方諸国・ティーロード諸国がプランテーションで生産した作物は、まずティーロード諸国を通してクラルヴェルン帝国のフェーティム港へ流れ込み、工業国の人々の手にいきわたる。さて、この節では主要国の様子について確認しよう。
クラルヴェルン帝国は何と言っても史上初の工業国である。機械部品工業は現在でもこの国が中核を担い、クラルヴェルン製の部品がなくては工場を立てることすらままならない、とさえ言われる。その他、多くの機械メーカーが現在も最先端を競っている。
ヴォールグリュックは東フォルストレア諸国の中でも近代化の開始が遅かったために、特に素材工業に重点を置き、傾斜生産方式を取った。このため、金属工業、特に製鋼業が盛んとなっていて、急速な工業化に成功した。
セラフィナイトは精密機械・化学薬品など、高付加価値製品を主とする。これはかつてクラルヴェルンとを隔てる山が輸送コストをかさませたゆえのことだが、鉄道網が発達した現在でもその名残で星術者の国という印象も相まって多くの精密機械で連盟が大きなシェアを占めている。ちなみに、精密機械はセラフィナイトでは内需も他国に比べ群を抜いて多いことも特記に値するだろう。
ケトルポリットは主要工業国のうち、もっとも東方に存在する。彼らは特有の文化を持ち、経済性を重視しない。このため、彼らは独特な発明品を生み出すが、時としてそれは新市場を開拓する起爆剤となることがある。逆に、この性質ゆえに経済的に不利な東方でありながら工業国となっているともいえるだろう。無論、東方の知識の集約者である結果ということも、忘れてはならないが。
工業国唯一の例外はルヴィド=エドである。クラルヴェルンとの対立ゆえ、この国は機械部品も含め全ての産業が完全に自給自足ではあるが、特に資源の豊富でありこの国の魔術体系との親和性から、石油化学工業が最も盛んである。そして自給自足ゆえ、ルヴィド=エドのみは工業国でありながら産業界がクラルヴェルンとの対立を恐れない、という状況を作り出している。
フォールン・エンパイアは主要工業国でも群を抜いて安価な労働力のため、労働力集約型の機械組立産業を担う。この国は産業革命には出遅れたが、ティーロードの主導権をスターテンの大陸横断鉄道に奪われて以降の危機感が統一をもたらし、また亜人中心で出生率の高い人口動態も安価な労働力に結びついた結果、組立については高い価格優位性を得た。また、この経緯こそが、この国が世界最大の植民地帝国建設を目指した所以でもあり達成しえた所以でもあるだろう。また、それによる市場の開拓が増大する生産力に応えるだけの需要をもたらし、この産業社会を支えていると言えるだろう。
スターテン・ヘネラールは工業国というよりむしろ農業国・商業国である。旧ドミニオ・ノーヴァスでのコーヒープランテーションは、西方世界唯一の東方的産業といえるかもしれない。彼らが工業化に重点を置かなかったのは、単純にクラルヴェルンからの距離が遠いだけではなく、産業革命によりもたらされた技術を大陸横断鉄道に投入し、それによって得た商業上の優位があまりにも大きすぎたゆえに、工業化を急ぐ必要を感じなかったがゆえでもあろう。

擬天使どもの円卓会議

アンゼロット記念大学のどこかに、星術用の魔法陣を展開するために最適化された部屋があるという。
そんな部屋で、六人の人間…いや、長命種の亜人たちが話をしようとしている。
「…さて」
「ええ」
「では、第49703回、始めましょうか。これももはや様式美になってきましたね」

【中二病的異伝 何を書いているのか解らないと思うが(ry】

「出席者は…ミリティー」
「はい、マスター」
「マスターじゃないと言ってるんですけどね…マリー・テレーズ」
「全ての書店の守護者にして擬天使の一人、マリー・テレーズ、ここに」
「…この場でそこまでまじめに口上を名乗る必要はありません。フィリオリ」
「はい」
「それが普通ですね。アーナルダ」
「ああ」
「ユーシス」
「うむ」
「オブサーバー、ミュリエル」
「はい」
「…で、いつも通りモーリスはレイズフィリークで料理研究中、と。さて…今回の議題は、知っての通りプレーグロード・ケースクルドンの流行…事案コード13-4についてです」
言って、アンゼロットが手元にある本を端末として部屋そのものとなっている魔法装置を起動し、資料映像を投影する。アーナルダが言う。
「まあ、そうなるだろうな。アンゼロット様は何か知っているのだろうか」
「一応、サンプルは入手して解析してみました。おおよその情報はその資料にあるピースフルドリームの発表文で妥当でしょう」
「なら、今日の定例会はお開きでいいんじゃないですか?」
「ふざけているのか、フィリオリ。我々にとって重要なのは経緯でも解決策でもなく、その背後にある意思への対処だ」
「え、…突然変異によって自らの宿主をも殺すようになってしまった憐れな病原体の話、じゃないんですか」
「名前が全てを物語っている、というところでしょうか。病原性としてはいい線いってますしね。意思の介入を受けているのですから当然ですが」
「…生物兵器ですか?グリュックのフェアデルプ・プランを始めとする主要国の開発計画は充分注意していたはずですが」
「ええ。確かに、この惑星上で行われている全ての生物兵器プランは、今回のコード13-4に直接の影響は与えていません」
「間接的な影響はあるんですか」
「解析班の仕事ぶりがそれにあたりますね」
「…なるほど。さて…ま、名前からわかるようにプレーグロードが関与しているということで確定的、なんでしょう?」
「私とミリティーさまとアンゼロットさまで調べましたが、断定して問題ないでしょう。門のパターンは確度99.3%で堕落。固有値13を明示」
「むしろどうして今まで時間がかかったんですか?疫病の時点で、ほぼプレーグロードだと思うんですけどね」
「私もそう思いますが、フェアデルプのほうではフラトコフの可能性もわずかながらありましたからね。あれも限りなく白に近いグレーでしたが、魔蟲の可能性は徹底的に精査しておきたいですからね」
「なるほど。…それだと、わたしたちはこの惑星での疫病の事案の際にいちいち魔蟲の可能性を精査しなければならないんですか」
「状況が解らないのか?フィリオリ。我々にとっての最大にして唯一のリスクだ」
「…それは…そうですが。でも、彼らにだって…」
「もういいでしょう、フィリオリ。あとは資料通りですね。ミリティーとテレーズは、引き続き調査を。では解散。夜天はあらゆる色の月と星を受け入れる」
「「「「「「夜天はあらゆる色の月と星を受け入れる」」」」」」

エラキス干渉戦争記

やっぱり容量超えたのでこっちに移動

モリエンヌ駐箚連盟大使の憂鬱

「いやあ…ルヴィドの隣国だからある程度危ういとはいえ、平穏な小国だと思ってたけどねえ。いろいろと面倒だな」
「お前外交官だろ。もっと危機意識持って働けよ」
「そりゃそうしてるけど、流石にこういうテロが起きるとはねえ…やっぱりよそからの介入、なのかね」
「頼りねぇ外交官だな」
モリエンヌ上空、セラフィナイト連盟軍北極海方面軍第一航空部隊所属空中空母「トゥレイス」艦内。
北極海方面軍司令を務める中将は、とりあえず最優先任務であった駐モリエンヌ大使館員の保護という任務を果たした。
そして面会してみたのだが…よく見たらリニス工科大学の同期の友人だった。
「しかしこの艦主力だろ?上空に浮かんでいて大丈夫なのか?」
「撃墜の心配をしているなら問題ない。どこかの正規軍と交戦するならともかく、テロリストが飛行機で突っ込んでくるぐらいのことなら僚艦が迎撃するさ。外交上の問題は…それこそお前らの仕事だろ、本部からは問題ないとしか聞いてないぞ」
「モリエンヌからは正式な要請を受けているから大丈夫だ、問題はない。ルヴィドの方もモリエンヌ領空への進入に文句は言わないらしい。とはいえそうそう長居するわけにもいかないし、適当なところで引き揚げる必要はあるな」
「ああ。しかし何だって退避希望者の受け入れとか表明したんだろうな?ルヴィドやクラルヴェルン軍は独力でなんとでもできるし、宙華連邦とは国交がなく、東秋津はルーシェベルギアス問題で友好国とは言い難い。オルアニアはここで逃げては何のための婚姻かわかったものではないしな」
「何を言っているんだ。それらの国ははなから受け入れるつもりはないぞ」
「…どういうことだ?それ以外の国は外交官を派遣していないし、モリエンヌには民間の外国人はほとんどいないぞ。NFIRの路線は今12番地域での工事中で、連盟人もほとんどいないしな」
「簡単なことだ。モリエンヌの民間人の亡命の受け入れだよ」
「介入の口実づくりか」
「そんな大それたものじゃない。いつもの鉄道外交だろう。…といってもNFIRはともかくクロノクリアは話を聞かないが。モリエンヌ人の鉄道員がいれば何かと便利だ」
「…それを介入の口実づくりと言わないならなんていうんだ?」

数日後、連盟大使館。傍らには連盟産の牛乳とじゃがバター。組み合わせは謎だがどちらも連盟酪農民の魂だ。
「で、どうなんだ?」
「どうって何がだ」
「連中、“漆黒の手の教団”の背後関係だよ。そろそろ調べはついてるんだろう?モリエンヌ政府は魔王国だと言っているが、フォールン代表は言いがかりだと言ってる。どうなんだ?」
「武器はフォールン製だった。民衆が自発的に武装するなら、この辺りだとリムジア製かクラルヴェルン製ってところだろうな。わざわざ遠くからフォールン製を持ってくる理由がない」
「なるほどな…って待て、ルヴィド製の選択肢はないのか」
「ルヴィドは他国との貿易がほとんどないからルヴィド製品を入手するのは難儀だ。質は悪くないが、割に合わん」
「ふむ。で、フォールン製か…となると、やはり魔王がかかわっているのか」
「それは全く分からん。フォールンは一枚岩じゃなく、封建制だからな。モリエンヌ人はよその国は全て中央集権している思っているのかもしれないが」
「ならどうするんだ。誰を非難する?連盟としては自発的な民主化に反対する理由はないがこれはモリエンヌ人の意思ではない」
「今のところ非難するほどの材料がない。…そろそろ引き揚げ時だろう。クラルヴェルンやルヴィド軍は既に引き揚げ、オルアニア軍が到着してきていて、それに亡命希望者の数は既に定員オーバー、帰りの船は少し窮屈だ」
「まあ、確かに上とはそろそろ引き揚げる予定で話が進んでいるが。お前はどうするんだ?」
「ここで大使館を閉鎖してはモリエンヌに今後支援しないという意思表示になるから残れって。ま、それが妥当ですわな。今後も亡命希望者は来るだろうし」
「外交官も大変だな。まあがんばれ。大使館内の警護のために一部うちの部隊も残るらしいしな」
「中で待機するにとどめる予定だけどな。あからさまに警備厳重にしてはな…」
「モリエンヌのマスケティアを信頼していないという意思表示になる、だな。まあ彼らも精鋭ではあるんだが…」
「一応、こっちも残るのは精鋭なんだろ?帰途は気を付けてな」
「そっちこそ」

続・アドリアン・モーリス先生の圧倒的存在感

眼下に広がる北海。バーベキュー用の設備が整った場所で、料理に熱中する老人一人とスーツ姿の中年一人と老人に呆れる若者が一人。
「…ふむ。沖合を大艦隊が通り過ぎていくのを眺めるというのは微妙な感覚ですね。どう思います?モーリス先生」
「いや…ふむ。あとこれぐらいで…よし、この香りじゃな…そう、あとは香草を少し足せば…これで…」
「…って、聞いてないか」
「何じゃ?いまわしは暴虐王の私城で食したスズキの香味焼きの再現で忙しいのじゃ…手が離せん。もうすこし待ってくれ」
「だそうです、市長さん」
「…仕方ないですな。モーリスさんには敵いません」

ルーシェベルギアス北岸に位置する連盟の海外領土、フィヨルズ=シュタット州の主都レイズフィリーク。
夢魔信仰者が圧倒的多数のルーシェベルギアスにおいて、星術者が多く存在し、文化的に異なっている地域である。
三つある連盟艦隊の拠点軍港の一つであり、漁業や造船などが主要産業となっている、通称「北海に浮かぶ月」。
その遥か沖合では、オスティナアート王国とフォールン・エンパイアの艦隊が侵攻作戦や防衛作戦のために通過していっている。

「よし、これで完成じゃ。あとはカベルネ・ソーヴィニヨン産の上物と合せて本日の昼食コースじゃな」
「…だ、そうです。お待たせしましたね。私は次の研究課題がありますので」
「ああ、ありがとうございます、モーリスさん。学生さんはがんばってくださいね」
「礼なんぞいらんよ、市長さん。饗宴で客人をもてなすというのは世界共通。美食に国の境はないのじゃよ。そしてそれに呼ばれた者は、ただ味わって下さればよいのじゃ」
「ですな。今日のはヴォールグリュック風ですかな?」
「そうじゃ。肉はグリュック産のを使用しておる。ま、魚は目の前の海で獲れたものじゃがな」
「いやしかしこれは美味ですね。流石です」
「何じゃ、世辞くさいのう」
「さて…今日訪れた理由なのですが」
「ほう。何かの?」
「…連盟は、あの戦いに対してどうするつもりで?」
「あの戦い?」
「オスティナアート対魔王国軍事制裁です」
「…わしは別に連盟政府のスポークスマンではないからのう。それに市長さんは今や連盟の一州の代表者じゃろうに。政府から話が聞けるのではないかの?」
「確かにそうですが、この件に関しては連盟議会ではあまり話題にあがってきていません。大戦争なはずなんですが…」
「なるほど。それについてはわしにも言えることがあるな。「魔王国の東方進出は支持するが、西方進出は魔王国自らが全ての責任を負うべきで、何の支援もしない」とな」
「…?」
「暗黒教の布教なんぞを助けるためにAED総出でルヴィドと戦争はできんのじゃよ。魔王国に期待する役割はティーロードの守護者。遥か西方にかまけるのは自由じゃがティーロード加盟国をあてにされては困る、とな」
「それがモーリスさんの考えですか」
「わしの考えなのではないよ。わしとしては美食のためならアンディーフロイデだろうとアディリクだろうと怖くないがね。連盟首脳部の共通認識としてはそんなところのようじゃな」
「なるほど…そういうことですか」
「解ったなら急ぐことはないじゃろ。デザートにバウムクーヘンでもいかがかの?グリュックで買ってきたが味は保証できるのう」
「では、いただいていきましょうかね」