light novel > 異伝記録 > 無名箱 > 紅茶探訪八十日間世界一周

旅程表

紅茶探訪八十日間世界一周旅程図
序幕(第零話):ジャスリーさまの旅支度(べいろす) 
↓(ジャスリーさま、単身鉄道でせらふぃーへ) 
第一話:せらふぃーで集合、アイスクリームでも食べて出発(すたーげいざー) 
↓(マーテル河下り) 
第二話:くらるべるんで昼食にパスタでも(べいろす) 
↓(鉄道、たぶんクロノクリア急行) 
第三話:ぐりゅっくで夕食は高級レストラン、旧アレスレーヴァを見に行くもよし(すたーげいざー) 
↓(地中海を船で東へ) 
第四話:ロスマリン(フォールン領)でお茶(べいろす) 
↓(地中海東岸を飛行船で南下) 
第五話:合衆国上空で飛行船と東方入り、二人の旅はこれからだ!(すたーげいざー) 
↓(大陸横断鉄道で東へ) 
第六話:スターテンでお買い物(べいろす) 
↓(ヨーグ海南下) 
第七話前編:塔王国、ガトーに到着。ケトルポリット塔でアンゼの本さがし(すたーげいざー)
第七話中編:茶塔を訪れ茶畑見学、百茶で紅茶ついでに緑茶とかも楽しむ(べいろす)
第七話後編:ツトラウスト塔でお茶片手に天体観測(すたーげいざー)
↓(ヨーグ海を東へ) 
第八話:ロフィルナでたまにはSushiもいいよね!…食あたりすると悪いからNG?(べいろす) 
↓(ヨーグ海を東へ) 
第九話:極東島でプランテーションティー(すたーげいざー) 
↓(ナアド海をひたすら東へ) 
第十話:イーゼンで結婚を祝う(べいろす) 
↓(夢の中へ)
番外編:アン・ディー・フロイデの悲劇(すたーげいざー)
↓(夢から覚めて)
第十一話:リムジアで服をとっかえひっかえ(べいろす)
↓(北極海を東へ)
第十ニ話:エラキスで柑橘類を食す(すたーげいざー)
↓(アンゼの操る飛行艇で大空を翔る) 
第十三話:レッチェルドルフで切手購入(べいろす) 
↓(飛行) 
第十四話:くらるべるんに帰還、実は一日余裕があることに気付く(すたーげいざー) 
↓(飛行) 
第十五話:せらふぃーで天体観測でもして終了(べいろす) 
↓(たぶんクロノクリア急行) 
終幕(第十六話):じゃすりーさまの厄災封じ行事(ここから先はべろたんのご随意に)

第零話・プロローグ(ジャスリーさま視点)

 クラルヴェルン帝国の皇帝ジャスリー・クラルヴェルンは不老にして不死の王であり、夢魔と帝国二億五千万の民を統括する、惑星ルヴァース有数の重要人物である。 
しかしながら彼女は全知でも全能でも無かったし、ロボットでも聖人君子でも無かったから、海外旅行に行きたいという欲求は常に持っていた。 
彼女のゆるやかな統治の下で、帝国の人間たちは知識と資本を蓄積し、産業革命を引き起こした。それによる蒸気船の出現や鉄道の発達は、世界一周旅行の現実味を徐々に増していった。

 

 ティー・ロード条約の成立後、彼女はひとつのプランを友人に持ちかけた。地中海からティー・ロードを通り、各国のお茶を楽しみながら極東島やクルドンを経由して帰還するという世界一周旅行。 
初めは渋っていた友人も、ジャスリーさまの再三の「お願い」により最後には了承した。とはいえ、ジャスリーさまとその友人との関係はいつもそういったもので、半ば様式美となりつつある。

 

 ともかく夢遊宮にて世界旅行の準備が進められた。ジャスリーさまは護衛を引き連れて旅行することを好まなかったし、秘境探検しにいくわけでもなかったから、トランク一杯に着替えを用意して、ティー・ロード共通の小切手帳や、最低限の保存食と医薬品のみを持つだけの軽装となった。 
旅券は帝国の一般市民と同じ形式のものをわざわざ用意した。訪れる予定の国々の大使館にはすでに伝えてあるから、予期せぬトラブルの際は助けになるだろう。

 

「留守をよろしくね。ペトロシアン。それにテリブル」 
「お任せ下さい」 
「行ってらっしゃいませ。お気を付けて」 
セラフィナイト行きの電車のホームにて、列車窓から見送りに手を振りながら声を掛けるジャスリーさま。 
宰相ペトロシアンは無表情に、テリブルドリームは心配そうな顔で見送る。テリブルはいつも何かに心配しているような悲観的な子だが、今回ばかりはテリブルを責められまい。仮にジャスリーさまの身に何かあれば帝国の存続にすら関わる。 
だが帝国政府の閣僚たちも夢魔たちも、皇帝の旅行を止めることはしなかった。ジャスリーさまが旅行について語るのは数百年も前からのことだったし、嬉しそうに語る皇帝を前にしては誰も何も言えなかった。

 

 産業革命の恩恵。石炭を燃やし湯を沸かし、その蒸気の力で車輪を回す陸蒸気が警笛を鳴らす。独特の駆動音を伴ってセラフィナイトに向かって走り出した。 
ジャスリーさまはゆったりとした一等車両の席から窓外の風景を眺める。メッサーナ市街を抜けると田園風景が広がっていく。 
これから待ち受ける楽しみと、おそらくは不可避であろう困難を思い浮かべながら、ジャスリーさまは最初の楽しみである友人との再会を思い描き、目を閉じた。 
「待っててね、アンゼロット。今捕まえにいくから」

第一話・プロローグ(アンゼロット視点)&セラフィナイト編前編

本気ですか。 
ある時、旧友―こう呼べる間柄になるまでにも紆余曲折があったがあまりにも長いのでここでは触れない―が手紙の中で世界一周旅行を提案してきたときの率直な感想だった。 
この感想を抱いたアンゼロット記念大学学長の名を、“幻月の学徒”アンゼロット。 
そして、初代クラルヴェルン皇帝にしてそんな旧友の名を、“夢魔姫”ジャスリー・エルツ・クラルヴェルンという。

 

さて、アンゼロットはそんな感想を抱いたので、返事の手紙にはそのままを記して返すことにした。 
なにしろ彼女は2億5千万の上に君臨する大皇帝なのだ。その身に万一のことがあってはたまったものではないだろう。 
もし旅行するとなれば、帝国の宮廷部も旅先の政府も冗談ではなく胃に穴が空くし、当時はコタン戦役の混乱でそんな場合ではなかったのだ。 
しかしながら、彼女は本気だった。 
いつの間にか手紙の内容は行くか行かないかからどこに行きたいかに取って代わられ、具体的な旅程の計画に取って代わられた。 
そして、不思議な事にアンゼロットの書棚にはそのために必要な地図、時刻表などの資料は全て揃っていた。 
…紅茶探訪世界一周。今まで明確に考えたことはなかったが、無意識的な願望にそんなものがあったのかもしれない。 
出発日はルヴァ歴31年7月14日。旧友には10月1日、つまり80日後に行事があるので、予定は80日間のうちに詰め込んでいる。 
平穏な時の続くことの少ないこの世界が、コタン戦役の終わりのあとの微睡に身を委ねている今のうちに。

 

さて、そんなアンゼロットは、今、その直前の朝はアルティチュード郊外の山にある大学付属の観測所でお茶を飲んでいる。ちょっとした研究がお茶請けだ。 
この場所は風が清々しくて気分がよく、たまに来てはお茶を飲む。旅先でいろんな風を浴びる前に、この国の風を感じるのも悪くない。 
ちなみに、旅行に必要な物資などは既に鞄に詰め終えており、着ている白衣は旅先では必要のないもの。 
朝食は近くのベーカリーで買ってきたパンで軽めに済ませることにした。腹持ちがよくないが、むしろそのほうが都合がいい。 
昼食は彼女の国で彼女の薦める料理店で、の予定となっている。東方にはおかわりは皿に少し残した状態で、が礼儀の国があるらしいが、ここは西方だ。 
なにより…彼女の前で彼女の薦める料理を残し次に向かおうということが彼女に何を感じさせるか、と。 
そんなことを考えるアンゼロットの傍らのテーブルではストレートで砂糖のないカーニャムのFTGFOPが馥郁たる香りを添えている。 
いつもは研究の際には頭に糖分を、というわけで紅茶に砂糖を入れることにしているのだが、今は前述の理由で血糖値は抑え目にしておこう。

 

さて、紅茶を飲みながらのんびり研究をしていたのだが、突如後ろから声がかかる。 
「マスター。お客様です」 
アンゼロットはその声に一瞬口にした紅茶を吹き出しかけたが、踏みとどまりこう返す。 
「ここは関係者以外立ち入り禁止のはずですけど」 
「私はこの記念大学の教授ですよ?問題ありません」 
その声に振り返り、声色から想像していた通りの人物と対面する。 
「ミリティアは教育学部ですので理学部のここでは部外者です。そんなことより声真似するならもっと似せてくださいよ」 
「よその事情はよくわからないわ。声は幻術使っていいならいくらでも似せられるけど」 
「幻術と星術で勝負しますか?二度と戦うのはごめんですが。しかし早いというか、早すぎませんか?二時間後にリーゼロッテ港で待ち合わせの予定ですけど」 
「何てったって楽しみでね。そんなことよりアンゼの白衣姿って新鮮ね」 
「…着替えてきますよ。こんなに早く、まさかこっちまで来るとは思いませんでしたからね」

 

「さて。まずは世界一周の出発点にして経線の基準点、セラフィナイトです。朝食は…あれ、まだですか?」 
「船内で食べてきたけど、朝早かったから間食も悪くないわ」 
「間食ですか。何かセラフィナイトといえばアイス、という印象があるんですよねえ。まあとにかく紅茶とアイスの用意があります。ミリティー、用意を」 
最後の呼びかけはどう考えてもここにいない人物へのものだったが、後ろからそのミリティアがティーセットを持って現れる。 
「なるほど…こういう仕掛けで声真似がばれたわけね」 
「あの声だと最初からわかりますよ。さて、今日の間食はアイスです。世間ではフロスティヴンのものが有名ですが、まあこれも味は保障します」 
こっそりアンゼロットの皿のアイスが少な目なのは内緒だ。これはミリティアの気配り。 
「お茶請けに純連盟産の小麦粉と牛乳と砂糖だけを使っているクッキーが良いって聞きましたけど」 
「あれは保存が利くので帰ってきたときにお土産として渡しますよ。あとリーゼロッテの知り合いの職人が天文腕時計作成最短記録に挑むとか言ってましたから戻ってきたときにできていればそれもお土産です」

 

「さて、今日の旅程はどうなっているの?」 
「まずはクラルヴェルンへ参りましょう。昼食はそこでパスタでしょう?あなたがどれほどのものを出してくるか、期待していますよ?」

第二話・クラルヴェルン編前編

 旅行者二人を乗せた小型船が、昨年完成したばかりのマーテル運河を下る。この運河は内陸国たるセラフィナイトとの交易の促進と、レッチェルドルフとの接続のために建設されたものだ。 
帝国の大地を貫く運河には、平和な田園風景と緑の木々が並ぶ。牛や馬が水を飲み、小鳥が歌い、日陰では釣り人が糸を垂らしている。はるか遠くのアディリクでは鋼鉄の機械が人間を挽きつぶし、人々は狂気と絶望の中を彷徨っているというのに。 
「貴方の統治は悪くはありませんよ」 
アンゼロットは自分の膝を枕にして微睡むジャスリーの髪を撫でながらそういう。 
「そう? ……ウィルバーの時と一緒よ。私はただそこにいて、微笑むだけ」 
夢魔姫が幻月の学徒の指を絡める。 
「そういえば、アンゼの研究は進んでいるの?」 
「ええ、少しずつ。ミュリエルもいますし。そういえば彼女とは面識がありませんでしたね」 
「星の天使でしょう? 嫉妬しちゃうわ」 
「大丈夫ですよ。貴方が心配することはありません」 
「こんな風に膝枕したりしない?」 
「しません。そもそもしたいと言うのは貴方くらいのものです」 
「そう、安心したわ」 
ふふふ。と夢魔姫が笑う。 
「何が可笑しいのです?」 
「あの千年は幸せだったと思って」 
「今は?」 
「もっと幸せ」

 

 クラルヴェルン帝国、とりわけ地中海沿岸のボロネーゼ人の気質は、食べて寝て歌って恋すること。 
陽気で美味しいものを食べ、長い昼食の後に昼寝をしてほどほどに働き、人生を楽しむこと。 
「貴方みたいですね」と苦笑するアンゼロットに、ジャスリーは「ええ」とにこやかに返す。 
港湾都市フェーティムのレストラン「アルゾーニ・クラルヴェルン」は、そんなボロネーゼの魂をよく理解していると夢魔姫はいう。 
店内は二層になっており、上層ではガラス越しに地中海の風景を見ながら料理を楽しむことができ、下層では専用の竈でピッツァが焼かれるのをみることができる。 
上層席に案内された二人が注文したコースは、地中海のパルシェン貝を使ったヴォンゴレスパゲッティと、熱々のコーンポタージュ。そして八分の一に切られ、様々な魚介類の載ったラウンドピッツァ。 
アンゼロットの抱いていたささやかな心配は最初の数口で取り除かれた。 
「ふむ。悪くないですね。……大変よろしい」 
「良かった。心配だったの。厳しいアンゼのお眼鏡に叶うかなって」 
「美食評論家ではないのですから、そんなに厳しくありませんよ」 
ただこう、貴方のパスタへの偏愛はちょっと理解しかねますけど。とは言わないでおいた。

第三話・ヴォールグリュック編

ヴォールグリュック南部、ナウムヴァルデ侯爵領。そこは、世界有数の食文化地域である。 
ある作家に「神に愛された」とまで言わしめたこの地域は、農産物・畜産物・水産物の全てが揃う、東フォルストレアの美食の聖地といっても過言ではない地域だろう。 
さて、料理というのは旅の楽しみ中でも最も重要なものの一つ。 
世界一周の旅の計画を立てる際、最初の午餐をヴォールグリュックでということは最初から決まっていた。最初のうちからそうそう重いものを食するのもどうかとはいえるが、ヴォールグリュックから次の目的地フォールン・エンパイア領ロスマリンまでは船で二日かかる。その間の食事はそれほど重いものにならないだろうから、問題はないだろう。

 

【紅茶探訪八十日間世界一周 Third Country ヴォールグリュック編】

 

そんなわけで、クラルヴェルンからヴォールグリュックまでを列車に揺られてきた二人の少女はハイゼルベッカー湖畔駅に降り立つ。 
この駅は暴食王の私城と呼ばれるヴォールグリュック有数のレストランの最寄駅で、検討を重ねた結果ここが初日の午餐とするに相応しいだろうということになった。

 

「ようこそいらっしゃいました。ご予約のジャスリー・クラルヴェルン様、それにアンゼロット様ですね、お待ちしておりました。お席は最上階の展望席にご用意してございます」 
一般客として予約は入れているため、入って名前を告げるとこう迎えられる。 
しかしながら、ジャスリーさまは「ジャスリーさまを目にした者は、視界から出てから数時間経つまで、彼女がクラルヴェルン皇帝だと気付けない」という幻術を使っているため、周囲の客がざわついたりすることはない。 
ちなみに、この幻術は別に暗殺の危機を回避するためなどといった政治的な理由ではなく、二人水入らずなのを邪魔されたくないという実に私的な理由のためなのだが、アンゼロットは幻術がかかっていることは気付いていてもその本当の理由には気づいていない。 
…さらにちなみにを付け加えるならば、実のところ、クラルヴェルン帝国宮廷部は事前に店に「うちの皇帝がばればれな恰好で行くけど、気付かないふりをしておいてください」と連絡しているので、店員はみんな最初から気付いている。まあ、結局宮廷部の取り越し苦労で、必要のないことだったのだが。

 

そんな裏話はともかく席に着く。 
さて、最初の料理はパン。最初の、というのは配膳の順番上の話で、料理と一緒に食するものだが、まずは味見である。 
「平凡ですね」 
「自信があるか、あるいは食文化の根本はパンにある、という宣言かしら」 
「そうかもしれませんね。焼き立て、基本ですが確かにおいしいです」 
前菜はマスの燻製。 
「マスなら、セラフィナイトでも獲れるんじゃない?」 
「確かにリーゼロッテあたりの店では燻製売ってますけど、やっぱり正直に言ってグリュック人のほうが魚の使い方は手馴れてますね」 
次にツヴィーベルズッペ。 
「オニオンスープ、ですね。セラフィナイトではチーズがかかっていることが多いんですが、私はない方が好きです」 
「セラフィナイトではチーズがかかっているの?食べたことないわ」 
「あれ、200年ほど前に作りに行きませんでしたっけ?」 
「今でもメニューは覚えているけど、なかった気がするわね」 
「じゃあ、帰りのセラフィナイトの晩餐にしましょう」 
副菜、スズキの香味焼き。 
「そもそも香味焼きって何なの?」 
「え、…風味際立つように焼いたら香味焼きじゃないんですか?」 
ちなみに、香味野菜を使って料理に香りとまろやかさを出すと香味焼きという話もあるが、香味野菜入れても香味焼きとは言わないこともある気がする。何なんだろう。わけがわからないよ。 
主菜、ナウムヴァルデ・ツェンデンオクセ(牛ステーキ ナウムヴァルデ風の白いソースを添えて)。 
ちなみに、焼き方はアンゼロットはレア、ジャスリーさまはウェルダンを指定した。 
「きましたね、看板料理。…アンゼ、断面を見てどうしたんです?」 
「いえ。…中央部が生でありながら火は通っている。…結構なことです」 
「アンゼは美食評論家じゃないんじゃなかったの?」 
「いえ、まあそうなんですけどね」 
冷菓、イチゴ・ヨハニスベーレン(季節のシャーベット)。 
「季節的には、確かにそろそろ冷たいものが食べたくなってくる時季ですね」 
「アンゼが汗をかいている姿なんてみたことないけど」 
「冷涼な国出身の人間のほうが、低温でも汗をかくっていいますけどね」 
副菜その二、鴨のフォレストル風蒸し焼き。 
さらに、貴腐ワイン「暴食王の遺産」も出てくる。相当甘い。 
「…かなり甘いですね、このワイン」 
「200年前の時にアンゼが持ってきたワインもこれぐらい甘くなかった?」 
「ああ、アイスヴァインですね。糖度はともかく、貴腐香はあれにはありませんよ?」 
「ところでフォレストル風って何なんでしょう…?」 
「でも、東方にはちょっと似合わないわ」 
ちなみに、二人ともフォレストルをフォルストレアのことだと思っているらしいが、実のところヴォールグリュック南部諸邦の一地域である。 
そんなことより最後に、サラダ、イチゴ・ベリー類の盛り合わせ、そして食後のコーヒー。 
「これで締めのようですね。まあ、山海の幸が混ざった…こういうのはヴォールグリュックに特有ですよね。良いものです。今回の旅、コーヒーを飲むのはたぶんこれで最初で最後。少しくらい、いいものです」 
「エスレーヴァでももう一杯ぐらいいいんじゃない?ドミニオ・ノーヴァスはコーヒー派って聞いたわ」 
「あなたが望むなら、別にいいんですけどね」

第四話・ロスマリン編

 ロスマリン。 
地中海西部に浮かぶ大小五つの島で構成される島々。 
地中海の交易の要所に存在するこの島々は、長い歴史の中で主を転々と変え、サーペイディアの手に渡り、今は魔王国の直轄領として栄えている。 
ヴォールグリュックのツァオバーヴート港から、蒸気客船に乗って数日の海路。 
入港した蒸気船にタラップがかかり、乗客がぞろぞろと降りてゆく。旅行者二人は他の乗客が降りきったあとに悠々と歩き、今まさにロスマリンの地に足を踏み入れた。

 

【紅茶探訪八十日間世界一周 4th Country ロスマリン編】

 

「ここはもうエスレーヴァですよ」 
「ええ、そうね……」 
ジャスリーさまは感慨深く青い海と青い空、眩しい太陽、そしてロスマリン・ネレイドの建築物を見やる。 
「異国に来たのね」 
「ええ」 
人間に混じって当然のように街を闊歩するオークやオーガーなどの亜人たち、そして海人類たち。 
帝国では考えられない光景を前にして、ジャスリーさまは自分自身が夢魔という亜人であることを棚に上げながら、これでよく秩序が保てるわねと関心する。 
「彼らにとってはこれが普通なのでしょう。もともと人類が外見で判断しすぎるのかもしれません。ケトルポリットはさらに凄いですよ」 
「私ね、サーペイディアには少し責任を感じているの」 
「魔王ドロレスですか?」 
「ええ、フォールンが彼を目覚めさせなければ、この国は別の歴史を歩んできたと思うの。あの子はちょっと羽目を外しすぎるところがあるし」 
「気にすることはありません。サーペイディアは他種族・他国家が乱立する紛争の絶えない地域でした。彼がいなければ統一もされず、豊かな国にもなれなかったでしょう」 
「そうね……」 
ジャスリーさまは魔王について悪感情を抱いてはおらず、むしろ好感を持っていたし、舞踏会では踊りを楽しんだりもした。 
ただ、この国で行われている美女狩りという闇については、同じ女として複雑な気分にならざるを得なかった。

 

 心地よい潮風にあたりながら、二人はガイドブックを片手に海底都市へと向かう。 
海底にドーム状の巨大な泡が存在し、その中に地上の生物が生存できる環境と、都市が存在する。泡は水圧に押しつぶされることもなく、海人類の遙か昔よりの技術によって維持されている。 
空の変わりに海が、雲の代わりに魚の群れが存在するというその光景にジャスリーさまはしきりに感嘆しながら、目的のホテルを探して都市を散策した。 
かつてのロスマリン王侯の宮殿を改装したこのホテルは、美術館も付属しており、それ自体が観光名所を兼ねている。オーナーはペルスネージュ辺境伯。 
少女達はホテルに迎えられると、白亜の壁に赤絨毯、クリスタルのシャンデリアの通路を経て、豪奢な客室に案内された。 
「いい部屋ね。ありがとう。すこし歩いて疲れたから、ロスマリンのお茶を入れてきてくださらない? お茶請けは適当でいいわ」 
「畏まりました。ご主人様」 
夢魔姫はスウィートロリータのメイド服に身を包んだエステルメイドにルームサービスを指示する。メイドが小悪魔のように可愛らしく一礼して退出した後、苦笑してこう評した。 
「うーん。あれはもう、別物ね」 
「確かに。リリスに無理矢理メイド服を着せるとああなりそうです」

 

 本場で飲むロスマリンティーは、帝国で手に入るものよりも透明で、香り高いものだった。 
「……ふむ。香りも風味も甘いですね。私は滅多に飲みませんが」 
「そうなの? 夢遊宮では"砂糖要らず"といってよく飲んでいるけど」 
「夢魔は甘党ですからね。まあ糖分の取りすぎは良くないですから、シュガーレスとしては最適かもしれません」 
そういいながら、アンゼはお茶請けに出された小さなケーキを、これまた小さなフォークで切って口に運ぶ。 
「今日はここで一泊するとして、明日はどうしたのかしら」 
「海底の次は空の上です。この季節では南西からの風を利用しての飛行船が、船よりも一日早く合衆国にいけますから」

第五話・ドミニオ・ノーヴァス編

アンゼロット記念大学の附置研究所には、航空科学研究センターというものがある。 
そこではまだようやく実用化したばかりの飛行機、飛行船に関する科学技術が研究されている。 
さて、その記念大学の長として幻月の学徒アンゼロットは旅路のどこかで飛行船に乗ろうと考えていた。 
セラフィナイト、クラルヴェルン、ヴォールグリュック、フォールン・エンパイア。 
これら諸国は、どれも列強に名を連ねる工業国で、そしてどれも近接している。そのためにどの国を結ぶルートでも飛行船の利用はできる。 
しかし、問題は、どれにしても運賃が高く、その飛行船の給仕の月収の数十倍という、とんでもないことになっているということだ。 
故に、卓越風に乗って時間を短縮でき、乗っている時間の分だけ値段も安いフォールン→合衆国便を利用するのが一番手頃というわけだ。

 

【紅茶探訪八十日間世界一周 Fifth Country ドミニオ・ノーヴァス編】

 

飛行船での旅というのはあまり揺れることもなく、グランドピアノまである充実した設備と、至れり尽くせりだ。 
…まあ、それでも運賃を考えると、これぐらいあっても当然、といえなくもない。 
載せられる人数が少ないのと、まだまだ飛行技術が未発達なために超富裕層相手の商売でしか成り立たないのだろう。 
そんな状態なので乗客は皆正装で着飾った者ばかりだが、彼女たち旅行者二人はその中でも遜色がない。 
まあ、この二人が超大国の皇帝と世界トップクラスの大学の長であると気付けるような、魔法抵抗の高い者はそういないのだが。

 

果てしない雲海を切り裂いて、飛行船は緩やかに高度を落とす。 
雲海を構成する層積雲の隙間からは薄明光線…いわゆる天使の梯子が降り立っている。 
そんな幾重の層をなす雲を潜り抜けたその先に、高高度からではわからなかった新天地の景色がはっきりしてくる。 
「このあたりの地域は世界有数のフィードロット式の大牧場地帯らしいですね。壮観です」 
「ロスマリンとは違ってやっぱり乾燥しているのね」 
「連盟の牧畜業は酪農主体ですから、こうはいきませんね。バーベキューでもします?」 
「大陸横断鉄道の車内弁当にステーキ弁当があるって聞いたわ」 
「ステーキ弁当ですか。まあ、確かにここでの食事は正確な予定を決めていませんでしたから、それも悪くないですね」 
地上がさらに近づく。まもなく着陸だ。ここから先は夢魔文化圏の外。 
…たぶん、多くの苦労と、それを超えるだけの発見があることだろう。 
「ここから先はいわゆる東方。何が待っているのか楽しみですね」 
「いろんなものが待っているとは思うけど、その中でどれだけのものがアンゼの表情を変えることになるかも楽しみだわ」

外伝・セラフィナイトの平凡な日常 または私は如何にして夢魔であることをやめてまで彼女の傍らの日々を望むようになったか

 主の留守中。夢魔ピースフルドリームとミリティア・アロートのお茶会での会話。 
「夢魔の幸せ? どうしたのよ藪から急に」 
「うーん。ちょっと。気になりましたので」 
「人間の幸せはいろいろ、生きる目的もいろいろ。それは夢魔であろうと天使であろうと変わらないと思うわ」 
「それでも、貴方たちを見ているとなんらかの傾向があるとは思えます」 
「そうね…。愛することと、愛されることかしら。愛は、絶望の中を彷徨う私達夢魔にとって、その暗闇を照らす唯一の希望の光。それは、ジャスリーさまを見ればわかるでしょう」 
「でもマスターはもう千年以上に渡ってそれに答えていません。永遠に片思いのような気がします。それでも夢魔姫は幸せなのですか?」 
「ええ、片思いでもいいの。二人分愛するから」 
「では私は、夢魔失格でしょうか」 
「いいえ。気づいていないの? あなたもアンゼロットを愛しているのよ」

第六話・スターテン・ヘネラール編

「せーんろはつづくよー どーこまーでーもー」 
「のーをこえやまこーえー たーにーこえてー」 
ジャスリーさまが調子外れに歌を口ずさむ。アンゼロットや相席した交易商たちは最初苦笑しつつ聞いていたが、曲目が変わると次第に夢魔の心地よい美声に恍惚と酔いしれた。 
大陸横断鉄道は広大なエスレーヴァ大陸の大平原と大山脈と、幾多の峡谷を乗り越えて、無人の野に敷かれた鋼鉄のレールの上を走ってゆく。 
地平線の彼方まで伸びる線路と、どこまでも続く大自然。 
途中、バッファローの大きな群れが運行を阻害し一時ストップしてしまったが、少女達の乗った寝台列車「東方を征服せよ号」は数日の遅れがでたものの、無事にスターテン・ヘラネール領にまで到達した。

 

【紅茶探訪八十日間世界一周 6th Country スターテン・ヘラネール編】

 

 摩天楼。 
少女たちが辿り着いたリッテルダムを一言で表すとすれば、まさにその一語に尽きる。 
数十階建てのビルが林立し、ビルの下にはアスファルトで覆われた道路に自動車が往来する。 
交差点には赤黄青の電気式の信号機が、自動車の流れる時間と人の流れる時間を管理している。馬車などという前時代の乗り物はどこにもいない。 
ラジオで漏れ聞いたコタン会議問題などを話しながら、旅行者二人は近代都市を散策する。 
「うーん。やっぱり帝国は、十年くらい遅れているかも」 
「メッサーナでは高層建築は制限されていると聞きましたが」 
「ええ。私の我が儘だけど、昔からの景観を大切にしたいの。メッサーナには歴史的な建築物が一杯あるし。フェーティムやベリザンドでも同じような制限がかかっているわ」 
「蒸気機関の排煙はいいのですか? フェーティムは煙の都などといわれていますが」 
「うん。あれはいいの」 
わけがわからないよ。

 

 休日の女学生たちに混じってクレープを食べ歩きながら、名物である高級百貨店"ヴァン・サインコルフ"に足を運ぶ。 
一階。贈答品と東西の菓子のフロア。 
「うさぎ饅頭。苺大福。草餅。ミラーミディアでしたっけ」 
「住民投票の結果、鎖国したそうだけど、スターテンとは貿易してるのかしらね?」 
「この国のことですから、掴んだ利権は絶対離さないでしょうね」 
「帝国も見習いたいわ」 
「それで、その饅頭買うんですか?」 
「ええ。」 
二階。高級衣服・ブティックのフロア。 
「…どう?」 
「似合っていますよ。良いところのお嬢様という感じで。まあ、あなたは何を着ても似合ってしまいますけどね。スターテン・ヘラネールのファッションは機能性重視というイメージがありますね」 
「ふりふりは夢魔圏の特権なのかしら?」 
「ああいう少女趣味は帝国と魔王国だけという気もしますね」 
「そうね、ふりふりは着るのに時間が掛かるし、洗濯も大変だから」 
「それで、その服買うんですか? 」 
「ええ。」 
三階。化粧品のフロア。 
「化粧品なんて夢遊宮には一杯あるでしょうに」 
「ブランドによって微妙に違うのよ。場や服装によっても変える必要があるの。私は行事とか会議に出席しないといけないし、これは必要なものなの」 
「それで、その化粧品セット買うんですか? 」 
「ええ。」 
四階。ファッション雑貨と宝石装飾品のフロア。 
「コタンのハンドバッグも必要なんですか?」 
「ええ。」 
五階。インテリアと趣味小物のフロア。 
「高級羽毛枕の必要性は聞くまでもなさそうですね」 
「ええ。」 
九階。レストラン街。 
「帝国に送る手続きをしておきました」 
「有難うアンゼ。あんな分量になるなんて思わなくて」 
「私はなんとなくそんな予感がしていましたよ」 
そんな会話をしていると、煮込み茹でソーセージ、ブロッコリーやにんじんなどの茹で野菜、そしてチーズグラタンが運ばれてくる。 
スターテン料理はバリエーションが少ないことで有名で、ウェイターにもクラルヴェルン料理を勧められたほど。しかし夢魔姫はにこやかに「貴方の国の一番美味しい料理をください」と注文した。 
摩天楼の夜景を見ながら、少女達は日程の確認と塔王国への船の選定を話し合う。 
二人の旅はつつがなく進む。距離にして三分の一に達しただろうか。

外伝2・43は線路―only our railway.

飛行船を降り大陸横断鉄道、はるかスターテン・ヘネラール行きの列車「東方を征服せよ号」に乗って進んでいたある日のこと。
車内販売のステーキ弁当を食べ終え、飲み物片手に車窓の外を眺める。
珍しく二人が飲んでいるのは缶コーヒーである。
「ここから先は国番号43、合衆国領でもスターテン・ヘネラールでもありませんね」
「実質、スターテンが管轄しているんじゃなかったの?」
「確かにそうですが、スターテンは鉄道の管理はしても領有はしていません。駅を降りれば無政府地帯ですよ」
「治安は悪いの?」
「そういうわけではありません。というより、人口希薄地帯ということなんでしょうね」


【紅茶探訪八十日間世界一周・外伝 Pre-6th Country 「43は線路」】


「…夢魔の幸せ、ねえ」
「ええ。こうやって缶入りの飲料を飲んでいると、いつも給仕をしているミリティアを思い出しましてね。彼女とそんな話をした覚えがあるんですよ」
「うーん…ミリティアはあなたのそばにいるだけで満足しているなら、それでいいんじゃない?」
「そうなんでしょうか?ミリティアは私に今でも仕えてくれていますが、彼女の目的は昇格だったはず。私に仕えてくれてももう応えることはできません」
「面倒を見てあげるといいんじゃない?昔もそういった気がするわ」
「そうでしたね…ですが、もう彼女はれっきとしたビショップです。これ以上上げることは…」
「何なら悪魔化してみる?アンゼも世代的には悪魔化の力があるはずだけど」
「ええ。ですが、それを彼女は望んでいないようですが」
「そうでしょうね。…しっかりと面倒をみてあげるといいわ」
ふと、ジャスリーさまはアンゼロットが黙考に入りかかっていることに気付く。旅先での気分ではない。気分を転換しよう。そう思い、ちょっと調子を外し気味に、列車の中で歌うにふさわしいとある歌を口ずさみはじめる。

第七話前編・ケトルポリット、ガトー・ケトルポリット塔

さて、今回の旅の一番の目的はタイトル通り紅茶探訪である。そのため、この国を外すことはありえないことだ。
ケトルポリット塔王国。なぜか某堕帝にはケトルポッドとか呼ばれているが。だいたいあってる。
さて、そんな塔王国は世界の茶園とでも言うべきお茶の産地であり、生産量でフォールン領極東島に迫られつつあるものの、品質においては他国の追随を許していない。
エスレーヴァ南東端に存在する、ティーロードの始点であり、ティーロード条約の提唱国でもある。
ちなみに、その軍事演習の異常なほどの活発さも国情としては特筆に値するが、それは今回はどうでもいいことだ。
 
 
【紅茶探訪八十日間世界一周 7th Country(1st Part) ケトルポリット編前編、ガトー・ケトルポリット塔】
 
 
さて、旅行者二人を乗せたスターテン発ケトルポリット行の船はガトーと呼ばれるギガ・フロートにたどり着く。
「前にも一度来たことはありますけど、こんなギガ・フロートはありませんでしたね」
「前に来たときはどんなだったの?」
「前は…確か、あの塔は高さがまだ32mで、あっちの塔はありませんでしたね」
目測なのにごく普通に正確な数字で高さを表現しているが、星術者ではよくあることらしい。まあ異伝の中はファンタジーなので、奇跡も魔法もあるわけだから仕方がない。ついでに言うと魔法の中にも星術とか幻術とか夢術とかの区分があるが、どう違うのかはわけのわからないことだ。
まあそもそも、この国は様々な亜人が多数存在している、というよりむしろ人類“も”いるというべきレベルの種族のサラダボウル(昔はるつぼって表現が多用されていたが)であるため、魔法がなかろうと十分ファンタジーだという気はするが。
「どの塔が今から行く塔なの?」
「さっき高さが32mといったあの塔ですよ。ちょっと探している本がありましてね」
ケトルポリット塔は現在では300m近くある。いったい何年前に訪れたんだろうといいたいところだが、年齢四桁の彼女たちにとってはよくあることなので、ジャスリーさまも気にしている様子はない。
 
書店に向かい、本を探す。この国には商書法という法律があるため、よその国では持っているだけで捕まるような本も手に入る。別に今日はそんな本に用事はないが。
手に抱える積み重なった本の山の単位からセンチが抜けようかという頃、アンゼロットはこれだけあれば十分でしょうと言い、書霊族らしい店員に読書の邪魔して申し訳ないとか言って勘定を済ませる。
「すごい量ね。どうするの?」
「こっちに来ている星術者たちに任せますよ。一応、塔の出口まで取りに来る予定になっています。まだちょっと早すぎますが…」
「お待たせしてしまったようですね、評議長。この国の職人が作った車で迎えに上がりました」
「…フィリオリならこうなりますよね。ああ、あなたは初めてでしたか。こっちは擬天使の一人のフィリオリです」
「夢魔姫、ジャスリー・クラルヴェルン陛下ですね。初めまして。評議長がいつもお世話になっているそうで」
「初めまして。擬天使を見たのは初めてですね。…研究は進んでいるようですね」
「フィリオリ。私が評議長だったのはもうかれこれ二千年は前のことですが」
「ええ、初めまして。研究は進んでいますが、やはり先は長そうですね。それと、確かに評議長だったのは二千年前のことですが、しかしアンゼと呼ぶのはそっちの彼女だけでいいでしょう。アンゼロットさま、そっちの荷物をお預かりします。本を回収するついでに送っていきますよ。どちらまで?」
「茶塔まで、ですね」
そうして三人を乗せた自動車は走り出す。ケトルポリットの自動車は単品生産で高コストだが、無茶な改装も受け付けてくれるのが魅力だ。乗り心地は上々で、とても乗りやすい。どういう発注をしたのかは知らないが、これならうちにも一台ほしいところだ。まあ、そもそも東フォルストレアでは道路より線路が先に整備されるので、買うことはたぶんないだろうが。

第七話中編・ケトルポリット、茶塔

 学長と擬天使と夢魔姫を乗せた自動車が、塔の林立する奇妙な国を行く。
 塔といっても、七十メートルを超える超高層建築物であり、中に都市そのものが入っている都市塔だ。その非現実的な光景に最初驚き、次にため息をつき、最後に物思いに耽るジャスリーさまであった。
「どうしたのですか?」
「いえね。こんな高い都市塔をいくつも建てられるなんて、凄い技術だなって思うの」
「嫉妬しているのですか」
「全く感じないといえば嘘になるわ。スターテンを見たとき、もっと頑張らなくちゃとおもったけど、帝国は百年経ってもこんなアーコロジーは作れないなって思うの」
「いいえ、貴方はこの世界で最高の君主です。この国は特殊な環境と経歴からできたもので、帝国が劣っているわけはありません。気にすることはありませんよ」
「そう言って貰えると助かるわ」
 
【紅茶探訪八十日間世界一周 7th Country(2nd Part)ケトルポリット編中編、茶塔】
 
 茶塔と呼ばれるその塔は、他の塔と比べてもさらに風変わりな外見と機能を有している。
 フィリオリに見送られ、ドールワーグの案内人に塔の中に迎えられた二人は、大量の反射鏡と導光線で照らされ、外のように明るい各階層を見学することになった。
 塔の中の空中庭園といった風情の茶農園が、視界に広がる。
 金属と硝子、光と水、緑と土、風と電気が集約された、ケトルポリットの聖域。
「ここが、ティーロードの終着点なのね……」
「正確には極東島がありますが、終着点と行って差し支えないでしょうね」
「素敵なところだわ」
「ええ」
 ドールワーグの案内人が、片言のクラルヴェルン語とともに指し示す。
 指の先にはぽつりと置かれた白い丸テーブルと、座り心地の良さそうな緩やかなカーブを描いた二つの椅子。
「どうぞ」
「ありがとう」
 アンゼが引いた椅子に、ジャスリーさまはちょこんと腰掛ける。
 アンゼはドールワーグが持ってきた茶器と茶筒を受け取ると、陶磁器のポットとカップにお湯を注ぎ、暖め始める。ティーセットは帝国製だった。
「どれから始めましょうか?」
「じゃあ、リーゼ」
「解りました」
 リーゼの茶筒の封が切られ、金のティースプーンを使って茶葉が入れられる。ポットにお湯が入れられ、蓋が閉められた。そのまま茶葉が開き、蒸れるのを待つ至福の数分が過ぎる。
 やがて茶こしで茶がらを取り除きながら、二人分の紅茶がカップに注がれた。
「どうぞ、お姫様」
「ありがとう」
 今日、ここに辿り着くまでの一ヶ月以上の道のり。二人のその労に報い、疲労を癒すように、紅茶は喉に心地よく染み渡っていく。
「うん。美味しい」
「よいことです」
「世界で一番美味しい紅茶って、なんだか知ってる?」
「知っていますよ。好きな人が自分のために入れてくれる紅茶でしょう」
「ええ。だから、次は私が淹れるわ。どれが良いかしら?」
「ルーエンにしましょうか。正統派らしくミルクも入れて」

第七話後編・ケトルポリット、ツトラウスト塔

瞬く星。静かで清冽な空気。静かに闇に染まった遥か眼下の光景。
ケトルポリット塔王国のツトラウストという塔は、ただでさえツトラウスト山の山腹に位置しているにも関わらず塔王国で最も高い400mという高さを誇っている。
その塔の最上部には天文台がある。そこでは現在大型化のための改修が行われているが、その最上部への立ち入りは特に問題がないらしい。
連盟が関与したためか、なぜか屋上にはティーハウスがある。晴れていれば地上の景色も絶景だろうが、夜になっては地上の様子はうかがい知ることはできない。
まあ、それは光害が少ないという、天文台を立てるに相応しい条件ともなるのだが。
 
 
【紅茶探訪八十日間世界一周 7th Country(3rd Part) ケトルポリット編後編、ツトラウスト塔】
 
 
茶塔では紅茶は浴びるほど、あるいは飽きるほど飲んだが、あれは正統なアフタヌーンティーの作法には沿い、ついでにテイスティングも兼ねたもので、疲れをとるには不十分。夜のこの時間、ゆったりとリラックスしてアフターディナーティーとすることにした。まあ、そういう言い訳でお茶が飲みたいだけなのだが。
このティーハウスの経営者はフィリオリで、大体は適当な者に任せているらしいが、今日のこの時間帯は暇なので参加することにしたらしい。
「すぐ下の山で採れたOPにキャラメルで着香したもののミルクティーです。どうぞ。…でもアンゼロットさまとミリティーにはいつも敵わないんですよね」
「…甘ったるいですね。淹れ方の技術は…まあ、亀の甲より年の功、ですよ。あなたも長生きすれば大丈夫です」
「いまのアンゼロットさまのレベルを越えたころには二人とも年齢が五桁になるんじゃないですか?それにその理屈だとどこまでかかっても越えられません」
「まあ、ミリティーの紅茶淹れるのには私も敵わないですけどね。あれは別格です」
「…亀の甲より年の功、かあ」
「どうしました?ああ、あなたが確かにこの中で一番年長ですね」
「…そうね。でも、その分アンゼに対して優れた何かがあるかなって」
「まだダウナーな気分続けてるんですか?心配しなくてもあなたは世界一の君主だと思いますよ」
「でも昔、アンゼの大学に入ろうかって言った際、アンゼは別にそんなことしなくていいって言ってくれたじゃない。内緒で入試受けてみたら、全然わけがわからないし」
「まあなんの準備もせずに大学受験して受かったら天才ですよ。受かりたいなら…あなたが学校を出てからいつなのか、というかどこの学校を出たのか知りませんが、さすがにブランクありすぎですねえ。それに、そんなのはあなたには似合いません」
「その時もそういわれた気がするわ」
「そうでしたっけ」
「ええ」
そんな風にして、甘い香りを片手にケトルポリットの夜は更けていき、ついでに甘い香りとくつろいだ雰囲気が多少疲れを持って行った気がした。
まあ、まだ折り返し地点にたどり着いてもいないので、ここから先も疲れるようなことがたくさんあるはずだが。

第八話・ロフィルナ王国編

 茶王国からロフィルナまでは蒸気船に乗って約十日の旅路。
 その間、ジャスリーさまとアンゼロットは船室の中で大人しくしていなければならない。
 二人にとっては些細なことだった。茶塔の市場で買い求めた大量の茶葉が、船倉の中でため込まれているのである。一銘柄につき、一缶。百を超える銘柄。百を超える茶葉の缶。
 店員に勧められるまま、白茶や緑茶なども購入した。旅行中のお茶の心配は皆無だし、旅行後もしばらくはレパートリー豊富なティータイムが楽しめるだろう。
 
 数日後のことである。
 珍しい光景が船室の中で展開されていた。
 ベッドの上で、アンゼロットがジャスリーさまの膝を枕にして横になっているのである。
「外洋の天気は崩れやすいとはきくけど。地中海とは大違いね」
「…そうですね」
 船が揺れる。船室の調度品も音を立てて。
 船室の外からは、豪雨と雷鳴がひっきりなしに聞こえてくる。
 蒸気船は季節外れの嵐の中にいた。
 ヨーグ海の大海原に浮かぶ小さな蒸気船は、波に翻弄される木の葉のように揺れる。
「まさか船酔いをするなんて思いもしませんでしたよ」
「ふふ。私もアンゼの弱っているところをみるのは久しぶり。可愛いわ」
「あなたの膝枕も久しぶりですね」
「私のお守りをして無理が祟ったのよ。今日は、このままお休みなさい。have a good dream」
 
【紅茶探訪八十日間世界一周 8th Country ロフィルナ王国編】
 
 ロフィルナ王国は魔王国の保護下に入って随分と経過するが、政情は安定しており、独立闘争の機運も目立つほどではない。理想的な属国統治といえるだろうか。
「これは魔王国だけでなく、ロフィルナ側の政治的手腕に拠るところも大きいでしょうね」
「そうね。結局は信頼だもの。支配するものされるもの、お互いに愛がなくてはいけないわ」
「そういえば、貴方は同盟を結婚に例えていましたね。同盟は箱庭の墓場。言い得て妙ですね」
「ふふ。国家というのはね、判断力の欠如によって同盟し、忍耐力の欠如によって同盟破棄し、記憶力の欠如によって再同盟するの」
 そういった政治的批評は置いておいて、旅行者二人はこの鎖国状態にあるロフィルナ王国、港湾都市トルメンタに、魔王国からの特別な計らいで入国を果たした。
 事前に取り寄せていたパンフレットを頼りに、名門寿司屋に足を運ぶ。
 奥の畳の座敷席に案内され、座布団に座り、名物である寿司を注文した。
 彼女たちには注意しなければならないことがあった。ここロフィルナでは食事におけるマナーが大変厳しいのである。
 暴食を忌むために発達したものされるが、いずれも上品さが追及され、食器の持ち方にまで作法が存在し、完食することさえもマナー違反である。
 クラルヴェルンの皇帝が食事中にマナー違反で逮捕、という事態は考えたくはなかった。
「でも、クラルヴェルンの宮廷料理にもマナーはあるのでしょう」
 卵の載った酢飯を、醤油をつけるかつけないか、数秒ほど判断に迷いつつ、結局つけずに食すアンゼロット。
「うーん。あるけれど、凄く寛容なの。ナイフやフォークの使う順番なんて気にしないし、手を使って食べることも許されてるわ」
 ジャスリーさまはサーモンの切り身の載った料理を優雅に口に運ぶ。 
「貴方に合わせて作法が作られたんじゃないですか」
「否定できないわね。でも宮廷料理なのだから、君主に合わせるのは仕方ないわ」
 今度は中トロだ。アンゼロットはマグロ。
「必要があるのなら、完璧にやってみせるけれど」
「そうですね。貴方はそういう人です。フィンガーボウルの水だって飲んでしまう。あの話はAED諸国の道徳の教科書にも載っていますよ」
「覚えてるわ。あのときは、そうしなきゃいけないと思ったの。でも数十年経っても引き合いにだされるとは思わなかったわね」
「マナーはともかく。これは美味しい。ですね」
 アンゼロットが美味しいという。それは海苔で巻かれた酢飯の上に、イクラの卵が置かれた料理であった。
 ジャスリーさまも興味深げにイクラを食す。ぷちぷちと口の中で弾ける食感。弾けた瞬間にコクと旨み、そしてイクラ独特の甘味が広がる。そして熱い緑茶で喉を潤した後、『イクラこそがロフィルナの至宝である』という名言を残した。

第九話・極東島編

さて、満載の茶葉を消費しつつヨーグ海を東に進む二人は、次なる寄港地に降り立つ。
フォールン・エンパイア領極東島、シャスティナ・トゥール。その名の通り、はるか東にあり、セラフィナイトの裏側に位置する。
ケッペンの気候区分のひとつ(いや無名世界にケッペンはいないだろうけど)、Af…熱帯雨林気候。
これをなんと言い表すのか、私は知らない。Cでa系統なら温暖、CやDのb系統あたりなら冷涼、Dc,DdとかEなら寒冷とか言うのだが。
 
 
【紅茶探訪八十日間世界一周 9th Country 極東島編】
 
 
さて、旅行者たちは極東島シャスティナ・トゥールにたどり着いた。宿にはクラルヴェルン商館を利用することもできるだが、お忍びなので適当なホテルに泊まることにした。
荷物を部屋において、二人はのんびり散策することにする。
「極東島の名物っていったら何でしょうねえ?」
「チョコレートとかバナナとか、あと砂糖とか?」
「砂糖といえば、スイートドリームもこの島で仕入れしているんですか?」
「ええ。さっきクラルヴェルン商館の前を通り過ぎた際に見かけたけど、気付かなかったことにしたわ」
「え、気付いていたのに挨拶もしないでいいんですか?」
「まあ、忙しそうだったから」
そんなことを言い合いつつ、適当な喫茶店に入る。茶園直営とか書いているが、まあ要するに観光客向けのアピールだろう。
二人はシンシャなる白茶、極東紅種の紅茶と極東産カカオ豆・コーヒー豆のチョコ&コーヒークッキーを頼むと、話を続けた。
「スイートドリームは実業家だから。私には商売はよくわからないし」
「あなたが頼めば、たいていの人はなんでも譲ってくれそうですね。しかし白茶、でしたか?結構おいしいですね」
「二日酔いに効くらしいけど、船酔いには効くのかしら?」
「船上で塔王国産の白茶を飲んだ際には別に軽減されなかったような気がしますけどね」
「そうかもね」
いつのまにかチョコクッキーがなくなる前にコーヒークッキーがなくなっていた。どう考えてもコーヒークッキーのほうがおいしいので仕方がない。
「紅茶についてはやっぱり塔王国産のカーニャムが一番好きですね」
「そう?これも悪くないと思うけど。舌の肥えたセラフィ人は違うのかしら?」
「なあに、大体の人はこれはカーニャムのFTGFOPだっていっておけばごまかせますよ。まあ、そんなことをする人がいればSSVDに捕まるでしょうが」

第十話・イーゼンステイン王国編

 世界一周。エスレーヴァからヨーグ海を越え、ナアドを北上して再びフォルストレアに至る。
 ジャスリーさまとアンゼロットは長い船旅を星見とお茶と昔話とともに過ごし、フォルストレア大陸の西端、イーゼンステインに到着した。
 数日前、蒸気船のラジオから、ブリュンヒルデ女王とジークフリート卿の新婚旅行出発のニュースを知ったため、お忍びということもあり、王宮には寄らない予定だった。
 
【紅茶探訪八十日間世界一周 10th Country イーゼンステイン王国編】
 
 予定だったという過去形で記述したのは、二人が今王宮にいるからである。
 王国海軍立港で戦乙女グリムゲルデは二人を"偶然"見つけ、客人を持て成すのは王家の義務である〜と力説したのだ。招かれては断る理由もなく、二人は王宮に。そして荷物を置くと、二人のお茶と戦乙女のイーゼン菓子でお茶会が始まる。女三人と書いて姦しいというものである。
「女の子らしくなりたい……? うーん。戦乙女らしくもないお話ですね」
「そうでしょうか?」
「そういうのにうつつを抜かすのは夢魔のお仕事ね」
「でもジャスリーさま。私だって戦乙女である前に女なのです」
 むくれるグリムゲルデ。微笑むジャスリーさま。それを眺めるアンゼ。
「今の自分に不満があるというなら、イメージチェンジでもするといいかも」
「イメージチェンジ、ですか……」
「そうね、例えば……ちょっと待っていてね」
 ジャスリーさまが席を立つと、アンゼロットに耳打ちする。アンゼロットは怪訝な顔をしつつも自らも立ち上がり、悪戯っぽく笑うジャスリーさまに手を引かれて部屋から出て行く。
 一人残されたグリムゲルデの前に二人が戻ってきたのは十数分後のこと。
「……。凄い。可愛い」
 グリムゲルデはエステルメイドの衣装を着こなしたアンゼロットに息を呑んだ。
「でしょう?」
 得意げに語るジャスリーさま。
「お褒め頂き、光栄の限りです。グリムゲルデ様」
 目を伏せ、優雅に一礼するアンゼ。ふりふりのエプロンドレスに、ヘッドドレスまで着用している。
 少女性、儚さ、清楚さを夢魔によって引き出された、アンゼという名のお人形。
「服装を変えれば印象も変わるものよ。そして内面にすら影響を与えるの」
「はい。ジャスリーさま。とても勉強に……」
 グリムゲルデの瞳に狂気が潜んでいることをジャスリーさまは気がついていたが、あえて何も言わなかった。狂っていない愛など面白くないから。

番外・アン・ディー・フロイデ編

視界が少しだけ明るくなる。
目の前には変わらぬ満月の夜空と、変わらぬ荒原。
そして、…先ほどまではいなかった、月を背にして立つ二人の少女。
その片方が何かを呟くが、意識が遠くなっていき、聞き取ることができなかった。
頭の隅にすこし疑問を感じたが、その疑問が頭を占有する前に、再び視界は闇に閉ざされる。
…こうして、またアン・ディー・フロイデの人口が一人減った。
 
【紅茶探訪八十日間世界一周外伝 An irrational number アン・ディー・フロイデ編】
 
アン・ディー・フロイデ・クロウズ。
全ての始まりにして終わりの地。ディスコードの原点。超古代文明が現代文明を遥かに凌ぐ繁栄を迎えていた地。
無数の伝承が残り、無数の呼称を有するそこは、豊富な資源の埋蔵の可能性もあるため、古来から争いが絶えなかった。
しかし現在では、体のいい演習場として、名だたる文明諸国が軍事演習を繰り返し、繰り返し、だた繰り返している。
そして、その文明国には、二人の少女の国、クラルヴェルンとセラフィナイトも含まれている。
「…これはひどいことです」
近くで多数のひどい悪夢がある。夢魔姫ジャスリー・エルツ・クラルヴェルンがそう感じたのは、イーゼンステインからリムジアへ向かう列車でのことだった。そこで、二人は今回の旅行では禁じていた、夢を介しての移動を行うことにした。
そうしてやってきたのがここ、アン・ディー・フロイデ・クロウズ。
本来なら湖の周辺ではアドミン族と呼ばれる種族が観察活動をしていて、事前に配置を知らなければ気付かれずに近づくのは簡単ではないのだが、“偶然にも”アドミン族の観察者たちからもっとも離れた湖畔にたどりついたのだ。星は運命を司るのである。
もっとも、アドミン族の感知能力はとても高いのだが、これもまた“偶然”だれも気付かない。夢魔は夢を司ることで、現実の認識も司れるのである。
そうはいっても、あまり長居をするわけにはいかないだろう。別に見つかったから何か困るわけでもないし、そうなれば打つ手はいくらでもあるが、まあ気分的な問題だ。
「弔ってあげたいところだけど、私にはどうすることもできないわ」
「私がやりますよ。月光花、学名:Helichrysum bracteatum…通俗名:麦藁菊」
少女の呟きに、満月から一筋の月光が舞い降り、その照射先、先ほどの人物の胸の上に一輪の、まるでドライフラワーのような花が咲く。
この花の原産地は東方の某国であり、アン・ディー・フロイデに咲くことはありえない。
「花言葉、常に記憶せよ。平安あれ」
月光が強くなり、先ほどの人物の姿がかききえ、一輪の花だけが残される。
彼女は花を摘み、湖の方向に投げ入れる。
「…そろそろ参りましょう。次の国はリムジア…、確か一人当たり所得でセラフィナイトと世界一を争っているんでしたっけ、観光には悪くなさそうです。…ここに寄ったせいで、少々時間に無理が来ています。早いうちに戻りましょう。少々先を急がないとあなたの国の行事が始まってしまいます」
そうして再び二人の姿がかききえる。残されたのは湖底の一輪のドライフラワーのような花だけだった。

第十一話・リムジア編

 世界一周の旅もそろそろ佳境を迎える。イーゼンステインとリムジア大公国は強固な同盟関係にあり、またAED諸国の重要な一角でもある。
 特に列車網は重要な軍事的連絡手段であるためか、旅の安全と順調さは今までの比ではなかった。
 折良くチケットが手に入った特急列車に乗って、一日でも一時間でも遅れを取り戻そうと、暢気にティータイムに興じていた。
「そういえば、北フォルストレア鉄道の構想を聞いたことがあるわ」
「意外ですね。イーゼンステインからクラルヴェルンまで接続ですか? 途中のカラキジルが了承するとは思えませんが」
「エラキスのブルゴス総統からの手紙があったの。彼がカラキジルと折衝するみたい」
「さらに意外ですね。あの二国は水と油のような関係かと思いましたが」
「そうね。でも皇帝の私よりは、まがりなりにも市民代表の彼が交渉役に相応しいかも。イーゼンステインと帝国が列車を利用するだけでお金が落ちるのだもの。彼も必死だわ」
「なるほど…たしかに。今魔王国が建設中の海峡トンネルの開通も見通してるのかもしれませんね」
 
【紅茶探訪八十日間世界一周 11th Country リムジア大公国編】
 
 リムジア大公国はエスレーヴァやヨーグ海の国々よりも、クラルヴェルンにより近い。
 距離的にもだが、文化的にも。親夢魔国、というくくりに入るかは微妙なところだが、重要産業であるファッションブランドの多くが帝国に進出していることからも注目度が伺える。
「リムジアに来たからには、カリオペとアティマを見ていかないといけないわ」
 リムジアでの観光目的地は、ジャスリーさまの一言で決まった。
 リッテルダムを連想させる近代的な都市の路地に、ガラスのショーウィンドウが並ぶ。
 ウィンドウの奥には様々な衣装で着飾ったマネキンと、装身具、小物、インテリア、あらゆる美の結晶が並ぶ。
 カリオペの直営店を訪問し、年若いコーディネーターの少女店員の勧めに従って、様々な衣装を試すジャスリーさま。
「ふむ。…やっぱり貴方は永遠の女の子ということですね。服をとっかえひっかえなんて、とても数千歳の皇帝とは思えません」
「楽しく生きるためには感情は重要よ。それに私は人間の心を弄ぶ悪魔ですもの。喜怒哀楽や、母子の愛情や、暗い欲望も解らなければならないの」
「でもそれは少し、奇抜すぎないですか」
「そんな事無いわ。いえ、それが良いのかしら。ね、えーっと、メルエリエラさん」
「はい! 奇抜と言われることはカリオペでは褒め言葉です!」
 ジャスリーさまはコーディネーターの少女の手をとってくるくると回る。
 普段は古風なドレスなどのゆったりとした服を着ている夢魔姫だが、ここでは身体の線が強調された現代的に過ぎる衣装を基本に、シルクのドレープや繊細な宝石飾りで着飾った『黒の女王』として存在していた。
「アンゼにも服を紹介してあげて」
「かしこまりました」
「いえ、私はこの間のメイド服で十分ですから」
「ではアティマに参りましょう! メイド服も奥が深いのですよ!」
「……貴方、ここの仕事はどうするのですか」
「よくあることよ。気にしてはいけないわ」

第十二話・エラキス編

内戦で壊滅した地、エラキス。
ブルゴス総統の独裁制の下で、観光業はそれほど推奨されているわけではなく、特別な物産もない。
マイティアの大聖堂を訪れた後、二人の旅行者は早々に宿に戻り、これが最後であろう旅の計画確認をすることにした。
 
 
【紅茶探訪八十日間世界一周 12th Country エラキス編】
 
 
エラキス産のベルガモットによるフレーバーティー…いわゆるアールグレイを片手に最後の計画確認だ。
「…悪いニュースです。私たちは当初の予定通りマーテル河を遡航していくと10月2日にクラルヴェルンにつくことになります」
「災厄封じの儀式に間に合わないわね…鉄道に切り替えればどうなの?」
「エラキスの鉄道はよく乱れますし、工業化の進展の遅さ同様に列車も遅く、本数も少ないです。レッチェルドルフでの観光をあきらめるなら、間に合わないこともないですが…」
「レッチェルドルフの文具がきれいだっていうから、見てみたかったんだけど…」
「覚悟があるなら、一つだけ。レッチェルドルフでの観光をしつつ、災厄封じに間に合わせるための手はあります」
「覚悟?」
「…飛行機ですよ。飛行船よりなお早く目的地にたどり着けます。ただ、墜落のリスクはかなり大きなものです」
「アンゼがいるから、別に怖くないわ」
「…そうですか。では、記念大学の連中から飛行機を呼んでみます」
そういってアンゼロットは電話をかける。
 
数時間後、エラキスのとある海岸。
「私たちが乗る飛行機ってのはどんなものなの?」
「さあ…客が二人乗れて、なるべく早いもの、と指定しましたが、具体的な機のスペックは聞いていませんねえ」
とその目の前に、複座単葉の飛行艇が着水する。そのパイロットはそこから降りるとこういった。
「どうもお待たせしたようですね、マスター。頼まれていた通りの飛行機です」
「頼まれていた通りって…三座を頼んだような気がするんだけど」
「ちょうどいい機がなかったんですよ。それに、航空科学研究センターの連中が言うにはそれが一番いいのだそうです。何より、三座では私が夢魔姫様を乗せて運ぶことになってしまいますが、それでは適任とはいえません。姫様を乗せる馬車の手綱を握るのは騎士の役割と相場が決まっていますので」
「…まあいいわ。でもミリティーはどうやって帰るつもり?」
「この国の列車は乱れることもしばしばと聞きます。どれほどのものか見ながら、のんびり帰りますよ」
「上空をのんびり飛んでいて空軍が撃墜に来る、なんて可能性については?」
「外務省からエラキス、レッチェルドルフ、クラルヴェルン宛に連絡はしています。同盟国の国旗が横に書かれていれば誰も撃墜になんてこないでしょうがね。まあそもそも擬天使と空中戦をして勝てる人間などそうそういませんよ。こっちは最新鋭の機体、あっちは旧型機ならなおさらです。…ジャスリーさまも、一度マスターの飛行機捌きを見ておくといいですよ」
「ええ、そうするわ。楽しみね」
「大した楽しみはありませんよ。どうせ安全のために低空飛行です。後ろに乗ってください、行きますよ」
主が操る飛空艇が空へ向かうのを見届けたあと、ミリティア・アロートは微笑み、そして市街地へ向かった。

第十三話・レッチェルドルフ編

 故郷へ。二人を乗せた飛行機、形式名Tw-II、愛称ソングオブオールは軽快なプロペラ音とともに空を駆ける。
 天気は快晴。眼下に広がるのは帝国式の田園風景と、帝国式の街並み。つい二年前までは帝国の一部であったレッチェルドルフ公爵領だ。言語も通貨も同一。帝国と公国の国民は自由な往来が許されているから、帝国に戻ってきたと言ってもあながち間違いではない。
「アリーセ公爵も、帝国で過ごすことが多いと聞きましたけどね」
「独立は彼らの名誉と、帝国の財政面の都合という面が大きいわね。レッチェルドルフ家の引き受けた帝国の国債は、公国の地価総額を遙かに超えていたし」
「財政赤字にも程があるんじゃないですか」
「ちゃんと経済は回っていて、国民は潤っているから良いのよ」
 
【紅茶探訪八十日間世界一周 13th Country レッチェルドルフ公国編】
 
「紙は人類最大の発明の一つですよ」
「そうね。紙もそうだけど、文字もそう。郵便なんてシステムも」
 ベルゲンシュタインの文房具店に立ち寄った二人。二人ともその仕事柄インクや万年筆には拘りがあったし、その地位に見合うほどの達筆ぶりだ。
「そういえば最近、タイプライターの手紙がきますね。貴方がキーを打つところをちょっと想像できませんが」
 タイプライターの展示品を触りながら、アンゼがふと疑問を口にする。
「口述筆記よ。ソファに寝そべりながらテリブルに打たせるの。あの子は打つの速いし、楽で良いわ」
「これももう少し安くなれば普及するでしょうにね」
「事務用品や計算機の普及は大切よね。援助や投資をしたほうがいいのかしら」
「もう既にアリーセ女公が投資してそうですけどね。最近のレッチェルドルフ印紙社は電話やファクシミリだって作っていると聞きましたよ。計算機も手回し式のものであればセラフィナイトにあります。電気式のものは……実用化はまだまだでしょうね」
「視察で見たことあるわ。パンチカードを吐き出すあの大きい箱でしょう。ニックネームに私の名前を付けられてて驚いたわ」
「あのプロジェクトですか。まあ国家事業ですからね。"戦艦プリンセスジャスリー"よりは遙かにましでしょう。耳を疑いましたよ」
「兵器に夢魔の名前をつかうのやめてって頼むの、結構大変だったんだから」
「よいことです。貴方の名前の船が、他国の街を砲撃するなんて想像したくありませんからね」

第十四話・クラルヴェルン編後編

レッチェルドルフを発ち、二人の旅行者を乗せたTw-IIはプロペラを回し南下する。
皇帝搭乗機である以上、時代が違えば航空管制をにぎわせたかもしれないものだが、時代が時代。
航空管制の制度自体が未発達である以上、その旅路は静かなものだ。
秋の朝早く、上空は涼しいというより寒い。下界は朝霧に覆われ、今日も変わらぬ一日を迎えようとしている。
そしてその先に霞む、八十日ぶりに見る古都にして音楽の都メッサーナの街並み、そして右手にはマーテル河の静かな流れ。
旅の終着点。本来ならセラフィナイトを起点に出発した以上、終点はセラフィナイトのはずだ。
が、時間的にもう間もなく夢魔姫として臨まねばならない儀式が始まるはず。
その儀式の意味は、アンゼロットにとっても重要なものである以上、終着点はクラルヴェルンにせざるを得なかった。
スロットルレバーを少し引く。このままマーテル運河近くのとある飛行場まで軽く一飛び。
長い旅の終わりは、もうすぐだ。
 
 
【紅茶探訪八十日間世界一周 14th(or 2nd) Country クラルヴェルン編―それはただ一つ千年続いた君主国】
 
 
「長いようで短い旅だったわね」
「そうですね。また千年ぐらい経ったらもう一度世界一周でもしてみます?」
「千年後には多分八十日どころか一週間とかからずに一周できるようになりそうね」
「百年あれば一週間かからないでしょうが、千年後なら一日で行けるかもしれません。それまでこの文明が崩壊しなければの話ですが」
二人は今回かなり平穏な時間を過ごしてきたが、その間も世界情勢は動き、時に緊張に軋む音を立てている。目下の懸案はやはりレプンコタン会議でのティーロード諸国とルヴィド=エドとの権益争いと、各地に蔓延する無政府主義・社会主義革命政権の誕生の二つだろう。
「しかし結構いろんな国を見てきましたね。政治体制もいろいろです」
「アンゼから見るとどう?いい君主とか見つけた?」
「その調子だともうあなたが最高の君主ですとも言う必要はなさそうですね。まあ私が思うにはあなたが最高の君主ですけど」
「領土の拡大だとフォールン・エンパイアの魔王には敵わないわ」
「二番手探しですか?私はヴォールグリュックのジークリット女王を推しますけどね。産業革命の立役者ですし、後世で教科書に載りそうです。魔王は確かに現状では領土を相当拡大しましたが、先行きが読めませんから。たぶん、ヨーグ海での影響力を今後も拡大し続けるだろうとは思いますが、賭けるには少々ハイリスクだと思いますね」
「リスクっていうならブリュンヒルデ女王とかどう?長く安定した統治をしているようだけど」
「彼女は確かにこれまで安定した統治を続けてきましたが、ニーベルンゲンという保護国を得たのが少々気になるところですね。ロフィルナは近代体制に適応しつつあるようでしたし、調べた限りでは首相が開明的な人物らしいですのでうまくやっていくでしょうが、ニーベルンゲンにそれができるかどうか。あそこには長命の有翼種がいるとか聞きましたが、豊富な経験は時には適応力の喪失に転化することがあります。…豊富な経験はよいことですが、ただの老害にはなりたくないですね。そういう意味では時にあなたが羨ましくなることもありますよ」
「でも北フォルストレアは彼女に任せておいても問題ないんじゃない?あとはレッチェルドルフのアリーセ女公とか」
「メルエリエラ大公を忘れていませんか?リムジアのあの軍事力…運用法次第では後世の評価にはむしろイーゼンステインより可能性があるかもしれません。今の彼女は少々天真爛漫にも程がありますし、現状ではたぶん行政府の官僚が優秀という話なんでしょうけどね。アリーセ女公は確かに金融分野の能力は相当のものですが、全体としての統治能力では少々厳しい評価を付けざるをえないと思いますね。北フォルストレア社会主義共和国というものが誕生した以上、これからのレッチェルドルフには防衛力が必要です。…彼女には、その方面では少々厳しいかもしれません。あとは…ティーロードだとケトルポリットのアーカイブ総塔主とか、スターテンのシフォン総督とかでしょうか?」
「あっちのほうの政治体制はよくわからないわ。ケトルポリットはあのいろいろな亜人たちが、スターテンは商人たちが、それぞれ自主的にまとめているという印象を感じるけど」
「よくわからないというならルヴィド=エドの政治体制のほうがよっぽど謎に包まれていますけどね。あとはコタンも、何があったのか今では検証する手立てはありませんが、あれを後世の歴史家がどう考えるか、どうなんでしょうね」
「じゃあ君主制じゃない国の元首ならだれか有能なのいないかしら?」
「そもそも共和制(注:ここでは君主制ではないという程度の意味)国家で連盟以外にまともなのがあんまりないんですよね。列強以上…いえ、準列強クラスを含めたとしても共和制国家なのはそもそも連盟しかありませんし。クルドンは悪くはないのですが、アディリク合衆国というのは彼らには荷が重すぎるとは思います」
「連盟の元首…えーと、フィールズ議長、だったっけ?確かジークリット女王即位式のときにスピーチしているのを見かけたくらいだけど、優秀なの?」
「んー…まあ選定は私の半分趣味みたいなものですからねえ。悪くはないんですけど、やはりこの世界ではリリスに鍛えられてないからか、今まで出てきた君主たちの中に混じれば霞んでしまいますね。理由についてはあまり認めたくはないですけれども。そうですね、ほかに誰もいないという意味で…いや、クルドンの前大統領あたりも確かに人気はあるのですが、少々先の読めていないあたりを見るとまあ順位付けを入れ替えるには至らないでしょう。そういうわけで、うちの議長が共和制国家最高の元首ですよ。ただほかに誰もいないってだけですけどね」
そんなことを話しているうちに飛行場が近づく。そこに降り立てば、長い旅はようやく終わる。アンゼロットはそう思ったのだが、ジャスリーさまはとんでもないことを言い出した。
「ねえ、アンゼ。このままセラフィナイトまで行って戻ってくることは不可能かしら?」
「むちゃくちゃ言ってくれますね。災厄封じに遅れますよ」
「遅れるのは何時間ほどになりそう?」
「まあ一時間ぐらいですかね。しかし…」
「最初の二時間には結構儀礼的な部分も多いわ。あとに回すことは可能じゃない?」
「…大丈夫なんですか?」
ジャスリーさまはアンゼロットに軽く押されていた操縦桿を引き戻す。それに合わせて機首が上を向き、慌ててアンゼロットは機首を水平に戻す。
「…本当に大丈夫なんでしょうね?」
「ふふ。危ないじゃないですか、とは言わないのね」
どうせ結果は最初から見えていたようなものだ。アンゼロットは何も言わず、操縦桿を回す。その動きにTw-IIが応じ、二人には緩やかに力がかかる。そうして飛行艇Tw-II Song of Allは朝日を背中に浴びながら、西へ、セラフィナイトへと向かっていった。

第十五話・セラフィナイト編後編

 紅茶探訪八十日間世界一周。その長い旅の八十日目にして、ついに二人の乗った飛行機は始発点にして終着点の国家である、セラフィナイト星術者連盟に辿り着く。
 帝国が千年の帝国というのであれば、セラフィナイトは千年の共和国といえる。統一の時期だけを見れば、むしろセラフィナイトの方が古いだろう。
 エタブリッシェの空港管制に連絡を入れ、その誘導のもとでTw-IIは優雅に着陸する。
 最初にセラフィナイトの地を踏んだのはジャスリーさま。そして程なくアンゼロットも操縦席からすとんと飛び降り、埃を払う。
 
【紅茶探訪八十日間世界一周 15th(or 1st) Country セラフィナイト編―それはただ一つ千年続いた共和国】
 
「お疲れ様」
「お疲れ様でした」
「これで、八十日間世界一周達成ね」
 旅券にスタンプされた各国の出入国査証の印をお互いに見せ合い、感慨に耽る二人。
「有り難うアンゼ。この旅券と思い出は、私の宝物」
「お互い様です」
 アンゼロットは腕時計を見やる。予想より悪い数字を見て顔をしかめた。
「ですが、もう時間的余裕がありません。今からとんぼ返りして、メッサーナに戻らなければ」
「アンゼ、ぎゅっとさせて?」
「はい?」
 がしっ。そんな擬音が聞こえるかのようにアンゼを強く抱きしめる。
「……ここに来たいと言ったのはね、一分でも一秒でもアンゼと一緒にいたかったから」
「……」
「隣の国に居るとわかっても、別れるのは辛いわ」
「……」
「アンゼロット。愛しています。愛しているの」
「それは、知っています」
「貴方を虜にして、私だけのものにしたいの」
「貴方の虜になった私など、嫌いでしょう」
「そうかもしれないわ」
「貴方の虜にはなりません」
「そう」
「でも、私は私なりに受け止めてあげます」
 一呼吸置いて、唇を交わす二人。
 愛を囁き続ける夢魔姫。囁きを受け止める幻月の学徒。
 この天使と悪魔の、危うい愛の均衡はもう数千年続いている。
 それは二人にとっては幸福に満ち、もっとも愛しく思える関係だった。
 
 
「……もう完全に、間に合いませんね」
「いいのよ。私が存在を賭して、ディスコードの一つや二つ、なんとかしてみせる」
「貴方だけに危険を犯せられません。私も手伝いますよ。サイレスの杖もありますし」
 
「お帰りなさい。ジャスリーさま。アンゼロット首相」
 完全なタイムオーバーに落胆する二人に、意外な声がかかる。
 それはスーツを着た少女といった姿の夢魔で、ここにはいないはずの存在だった。
「ピースフル、今日は厄災封じの儀式でしょう。どうしてここにいるの?」
「儀式は明日です。本日は9月30日ですから」
「え…?」
「……忘れていました。東回り航路だから」
「日付変更線越えというオチですか? お約束ですね」
 
 こうして、二人の旅は終着した。
 訪問した国と地域は13。
 道のりは蒸気船、鉄道、徒歩、飛行船、飛行機などを乗り継ぎ約4万km。
 所用日数は八十日だった。