light novel > 異伝記録 > 無名箱 > エラキス干渉戦争の悲劇

第一幕

セラフィナイトサイド

広大な植民地帝国を擁し、その王冠が太陽の下で輝かない時などないと言われるフォルストレアの大国、エラキス。
その北部で共和派が反乱を起こしたとの知らせが入っても、フォルストレアの多くの人々はこう思っていた。
すなわち、内部にほかにも幾つもの不和を抱えていようと、本国と植民地帝国全体の忠誠はあくまで王冠の下にあり、反乱は風前の灯に過ぎない、と。
その共和派の支援要請を受け、エラキスの南で隣接している国家セラフィナイトがこの内乱に介入するとの知らせも、こう思われるにすぎなかった。
すなわち、いくら産業革命を達成し工業力でエラキスを追い越し、優れた軍事技術を持とうと、セラフィナイト軍がはるばる南からやってきて共和派の拠点となっている北部に到達したころには、その共和派は既にこの世に存在しなくなっており、あとはセラフィナイトは巨人に刃を向けた愚か者の末路を辿るだけだろう、と。
しかし…セラフィナイト軍が産業革命により発明された多くの手段を用い、瞬く間に北部の共和派との合流を果たし、共和派が本国内の勢力図を二分するようになった、その時からようやく多くの人々は産業革命の意味を理解しはじめることになったのである。
…しかし、これによりセラフィナイトは産業革命以後フォルストレアに築かれていた均衡を打ち砕き、クラルヴェルンの介入を招くことになった。多くの人々は行き着くところに行きつき、そしてこうなるだろうと思った。
すなわち、今度こそセラフィナイトと共和派の命運が尽きたときであろう、と。
そうではなかった。そう話は単純にはいかなかった。いや、いくはずがなかった。
産業革命を達成した国と達成していない国の差を理解しただけでは、産業革命がもたらしたもののすべてを理解したことにはならない。
産業革命を達成した国同士が衝突し、その工業力が真価を発揮したとき、いったいどれほどの悲劇が生まれるか。
産業革命により近代が幕を開けてはや五十年。ようやく、その時が近づきつつあった。
 
【エラキス干渉戦争の悲劇 第一幕 この戦争が終わったら、またお茶会を】
 
ルヴァ歴-27年、6月13日。エラキス国内で共和派が最初の反乱を起こし、歴史学上ではこれを以て第一次エラキス内戦の開始となる。
7月30日。セラフィナイトはエラキス内戦に際しエラキス共和派に立って介入することを表明、参戦。
9月22日。クラルヴェルンはエラキス国王派に立って介入することを表明、参戦。
9月23日。クラルヴェルン軍はエラキス東部の国境からエラキス領内へ進入、これより本格的な戦争が開始される。
「マスター、とうとうクラルヴェルンと戦争になるのですね。…これで本当にいいのですか?今ならまだ、容易に引き返せますが…」
「そうですが、しかたないですね。…この世界は、近代戦をまだ知らないのです。そして、もしも今この戦争から手を引けば、私の手に余るようになったその瞬間に再び戦火が灯る。…状況が制御できるうちに、できるだけの手を打って、厭戦感情を高め、それを戦後にクラルヴェルンとの友好ムードに転換する。…それがこの二つの工業国を激突させずに済ませる、一番無難な方法です。…少なくとも、今までに思いつけた中では」
そう言って嘆息するアンゼロットに、本を片手に調べ物をしながら耳を傾けていたミュリエルが口を挟む。
「この戦争を回避しつつクラルヴェルンとの友好を維持すること。…不可能なのですか?」
「可能です、が…。その場合、早晩工業化を達成するであろうルヴィド=エド、ヴォールグリュック、そしてエラキス。これら諸国が工業化を達成した後でも誰も近代戦を経験しないままだと、私はおろか彼女にも制御不可能な情勢になります。何より、それを実行に移すには、少々目立つ方策を取らなければなりません。…私は、最低でもあと三千年は一国を仕切る立場から離れていたいのですよ」
「…アンゼ」
「言いたいことはわかります、ミュリエル。確かにこの制御された戦争、いかに制御されているとはいえ、クラルヴェルンの騎士、エラキスの住民、セラフィナイトの軍人、彼らの中から死者を出すことになるでしょう。…しかし、あなたも知っているでしょう、あのいくつもの種族が相互に憎しみ対立しあう世界を。何より、そもそも本来この戦争は起こるべくして起こる戦争なのですから」
「確かにあの世界は悲劇でした。ですが、大きな悲劇を防ぐために小さな悲劇を、というのは…」
「大きな悲劇ではありません。そこにあるのは惨劇で、そして惨劇の代わりに今起きようとしているのは、小さな悲劇などではなく紛れもなく大きな悲劇です。…もちろん、制御不可能なゆえの奇跡に期待をかけて待つのもまた一つの手であることは間違っていませんが。ミリティー、戦況の予想の結論は?」
「既に防御陣は完成していますし、帝国軍の動員状況を見る限りでは、向こうは騎兵隊による突撃で来るでしょう。であるからして、緒戦においては連盟は安定して防御を続けるでしょう」
「そして、塹壕戦の概念を帝国軍が取り入れ、戦いが長期化の様相を呈し始めた後は、工業力で優れるクラルヴェルンが緩やかに戦線を前進させていく、ですか」
「ですね。しかし戦線が下がり山岳地帯に差し掛かれば、そこから先は再びセラフィナイトの独擅場。こうなれば、もうどちらもそこから戦線を押すことはできず、引きも進みもできなくなる。そして厭戦感情が限界に達し、エラキスの勢力が折れて介入の意義がうしなわれるなり介入の支持者がいなくなるなりして、戦争は終わる。…変わりませんね」
「戦線が山岳地帯に差し掛かって消耗戦に至る前に、参戦者すべての厭戦感情を十分に上げて、できるだけ少ない損害でこの戦争を終わらせること。…結局、これよりいいアイデアは出ませんでしたか。…とにかく、早く終わらせることですね」
「しかし、それも結構難しい話じゃないですか?渡りかけた橋を引き返せというようなものですよ」
「引き時が読めない人間をのさばらせているようでは、世界最強の彼女の称号を預けてはおけませんけどね?」
語尾を疑問形にしているが、これは実質的な反語だろう。話は終わった、とばかりにティーカップを手にとって、あとは静かなお茶会である。

クラルヴェルンサイド

「やっぱりセラフィナイトとの戦争は避けられないのかしら。……気が進まないわ」
 ジャスリー皇帝は憂鬱な声で周囲の重臣たちを困惑させる。
「恐れながら、かの国のエラキス進出はフォルストレアにとっても帝国にとっても脅威となりましょう。今しばらくは天秤状態を維持するべきかと」
 時の宰相が恐る恐る奏上する。皇帝の意思は常に宰相らと帝国臣民と共にあった。しかし帝国民の望みと、皇帝の望みが食い違ったとき、帝国はどちらに進めばよいのだろうか?
「帝国内ではエラキスを救援すべしとの声が日増しに高まっております。エラキス王族派からも正式に救援要請が発せられました。どうか、ご裁可を」
 普段は和やかに進むはずの会議の空気が、今日はどんよりとした憂鬱な空気となっている。
 沈黙がしばらく続いた後、ジャスリーさまは沈痛な面持ちで声を出した。
「裁可はするわ。将軍には帝国軍をお任せします。勝てるのでしょうね?」
「必要十分な戦力を投入し、入念な戦争計画により三週間で敵戦力を駆逐します」
 将軍は威風堂々と、絶対の自信を持って答える。
「夢魔顕現祭までには凱旋できるでしょう」
「そう。将軍の言うことだから信頼しています。でも……、クルーエル」
「クルーエルドリーム、此所に」
「あの子はなんと?」
「申し上げます。『この度の戦いはセラフィナイト市民の決断である。私は彼らの決定を尊重する』以上です」
「そう……。では伝えて。『帝国の介入は帝国民自身の決断。私は彼らの決定を尊重すると』」
「畏まりました」
 
 
【エラキス干渉戦争の悲劇 クラルヴェルンside-1 黒騎士の降臨】
 
 
「陛下」
「あらピースフル。どうしたの?」
「ご機嫌ですね。御前会議の時は不機嫌だったのに」
「ええ。庭で、観光客からお花を貰ったの」
「ムラサキツユノクサですか。確かセラフィナイトの名物」
「あの国にも反戦派はいるのですって。だから話し合いで解決っていうのは、まだ捨てた物じゃないのかなって」
「…陛下」
「ほんの僅かだけど希望が持てたの。それが、なんだかとても嬉しいの」
 花束から一本の花を抜き取り、ピースフルの胸ポケットに挿すジャスリーさま。
 ピースフルの目には、普段圧倒的なカリスマを放つ夢魔姫が、たとえて言うなら寂しげな母親の様にも見えた。
 
 
 ……。
 
 
 赤の回廊を歩きながら、ピースフルは考える。
(確かに変わられたわ。あんなぬるい発言を堂々となさるなんて)
(悪魔の王が人間に情を入れるなど、何の誉れになるでしょうね……)
(これではアンゼロットはおろか、他の悪魔たちにも足下を救われかねないかも……)
(開戦の日まであと僅か。彼女の背後には何かがいる。月と星の天使? 解らない。でも天使だからって私達の安眠を妨げて良いはずがないわ。ええ、これは"高貴なる抵抗"。エステル魂を見せてあげる)
 意を決したピースフルは自室に転がり込むと、正装して部屋を出る。夢魔としての正装であり、エステルプラッテの姫王としての正装。
 夢遊宮の一角、誰にも使われていない「召喚の間」の扉を硬く閉ざし、チョークで床に複雑な魔方陣を書き始める。四角形を組み合わせた八芒星は正統な開門魔術の業だ。
 あらかた魔方陣を引き終わると、ピースフルは歌うように詠唱する。
「平安の夢にして、プリンセス・オブ・エステルプラッテ・エレオノーラは、いにしえの盟約に基づいてかのごとく要請する。地獄の傭兵団の地上への顕現を! エステルの民に、兵に、降臨せよ黒騎士たち! エステルの乙女を護り賜え! 約束の地ヴァルダムは汝らのもの! 来たれ、傭兵将ベロース!」
 そして争乱の門は開門され、この戦役の影の主役がこの世界に顕現した。

幕間1 遠い星の光では、氷を融かすことはできないかもしれないけど

「戦争、ですか…」
「付き合わせて悪いですね、ミュリエル。何ならしばらくここには来ずに静かにしていてもいいんですよ」
「いいんです、アンゼロット。…私にもそれ以外の解を見つけられなかったから」
「…それなら、一つ頼まれてくれませんか?」
「話によりますね」
「そういうと思いました。簡単な話です。えーと…」
 
【エラキス干渉戦争の悲劇 Seraphinite side-Interlude1 遠い星の光では、氷を融かすことはできないかもしれないけど】
 
ルヴァ歴-27年9月19日、リーゼロッテ港。
当時はクロノクリア急行鉄道はまだ影も形もなく、そもそもその原型となったエスレーヴァ横断鉄道すらも通じておらず、セラフィナイトとクラルヴェルンを結ぶ山岳鉄道はあったが、当時はまだそれほど速いものではなかった。
…今日もマーテル河の静かな流れは変わらず、緊張状態にあるとはいえセラフィナイト国民がクラルヴェルンに入国することに支障はない。
結局この戦争において最後まで両国はエラキスでそれぞれ違う勢力を正統政府としてその主権を承認し、反対側の勢力による反乱の鎮圧を支援するという形式をとり、両国間で交戦状態にはならなかったため、セラフィナイトとクラルヴェルンの国境自体では緊張が続けど両軍ともにらみ合うだけだったのだが、そもそもこの時点では両国は軍事力をぶつけてすらいない。
セラフィナイトのパスポートを提示すれば、何の問題もなくクラルヴェルン行きの船に乗ることができた。
(なるほど、悪魔の魔力を悪魔の前から隠し通すことは無理でも、天使の力ならば人間にごまかせないこともない、と…)
(どうしました、私のサポートが心配ですか?)
頭の中の声に割り込む声。今の状態を考えれば当然といえば当然といえるかもしれない。
(いえ、そんなことはありませんが…。…しかし、本当に隠しきれるでしょうか?)
(仮に隠し切れなければ、その時は天使として接すればいいんですよ。まあ、あなたが頑張ることはありません。力を入れず、気楽に接してあげてください)
(ええ、大丈夫です)
 
「マスター。本当に大丈夫なんですかね?確かに天使は精神生命体、それを擬することは擬天使を人間に擬するよりもたやすいですが、何なら私の学生の中でも優秀なのを持ってきますが」
「いや、ミュリエルに行ってもらうのが一番いいんですよ。この研究については、少なくともその検証がすむまではミュリエルには見せない方が、ね」
「…もしかして、例のあれですか?」
「ええ。“ヴァレフォール再生に関する簡潔な報告”」
「“ソレイユ、リュンヌ、ミュリエルの三天使の力を結集すれば、全球凍結状態からの惑星環境回復は可能”、でしたっけ」
「そう。“どこかにいる神を探して連れ戻すことに成功する前に、世界が全て死に絶える確率は99.32%。それに比して即座にこの回復活動を実行に移した場合の成功率は72%である。神を探すより自力での再生に賭けた方がよい”」
「“具体的な方策を示す。地表環境から推定して、まずはこれらの火山の活動を最大レベルにすること。次に…”」
「“…以上により、惑星環境は回復し、日射は低いものの文明活動は可能となる。”やっぱり、彼女に早く見せてあげたほうがいいんじゃないですか?」
「そうはいかないですね。“この方策を実行した場合の損害は、現在の人口の89%、人類の現財産の99.4%にのぼるだろう。その他、以下の損害が…”ミュリエルがこれをどう思うか、さて…」
「とりあえず、検証作業を始めましょうか。ミュリエルが言っていた状況の確認からでしたっけ?」
「そうですね」
 
クラルヴェルン領内、シャトラト山脈の麓のマーテル河沿いの小さな町で一泊。
そこから鉄道に揺られること数時間、クラルヴェルン帝国の帝都メッサーナの駅に到着。
さらに乗り換え、十数分揺られ、ようやく目的地、クラルヴェルン帝国の宮殿たる夢遊宮にたどりつく。
アンゼロットには「せっかくだから観光も兼ねるといいんじゃないですか、あそこの芸術作品は一度見る価値はあります」と聞いていたので、駅で買ったガイドブック片手に適当に歩き回り、その夢魔に支えられた文化を再確認して、落ち着くと一つ考える。
(さて…ここから先が問題ですね。どうしたものか)
と、あたりを見渡せば…あっさり、目的の人物、アンゼロット曰く「世界最強の彼女」であるジャスリー・クラルヴェルン皇帝の姿を見かける。
皇帝にそうそう近づけるものではないはずだが…これこそがアンゼロットの言っていたサポートというわけだ。
しかしそんなことはどうでもよく、とにかくミュリエルはその姿を目にしたとき、戦いを好まない天使として、何を話すべきかを一瞬のうちに思いついた。
…そこで何が話されたかは、ジャスリーさまとミュリエル以外は誰も知らないことである。

第二幕

クラルヴェルンサイド

 気がつくとアンゼロットは記念大学のフロアに立ちすくんでいた。
(……ここは? 夢の世界、ですか)
「その通りだ」
 男の声に振り返ると、そこには全身を黒い甲冑に身を包んだ騎士が腕を組んで立っている。
「貴方は……"戦車"ベロース……ですか」
「フッ、"輝月"アンゼロットよ。今は幻月の学徒と名乗っていたか? 最後に諸侯会議が開かれたのは千年以上前だな。久しいものだ」
「傭兵将の貴方がここにいると言うことは、あの人か誰かに喚ばれたということでしょうか?」
「そういうことだ。この度の戦役は俺がお相手しよう。その前に挨拶をしようと思ってな」
「私は貴方と戦うつもりはありませんよ。それにこの惑星では世界律により魔法の行使は禁じられています。今回の戦いは人間同士の戦いです」
「知っている。だがセラフィナイト軍に智恵を授けたものがいるように、クラルヴェルン軍にも智恵を授ける者がいなくては不公平であろう?」
「ふむ、困りましたね……」
 
 
【エラキス干渉戦争の悲劇 クラルヴェルンside-2 黒騎士の来訪】
 
 
「アンゼロット。お前の目的とは何だ?」
「目的とは?」
「召喚を受け、情勢を確認した時、俺は違和感を感じた。お前の意図が見えないのだ」
「セラフィナイトのエラキス内戦への介入。なるほど、人間の視点ではもっともらしい理由付けがある。何も知らない民達を納得させるようには"できあがっている"。」
「私が戦争をするように仕向けたわけではありません、エラキスへの干渉はセラフィナイトの投票によるもの」
「誤魔化すな、真実の守護者よ。理知的なセラフィナイト人は戦争を望まない。良くて無傷で帰ってこれるだけの、悪くて毒ガスにより苦しみ悶えながら戦死するような戦場に、誰が好きこのんで行くものか」
「戦争を望む者がいたのだよ。その者の影響により世論では主戦論が勃興し、自分たちは攻撃されている、生き残るには行動しかないと繰り返し主張された。そして反対するものは愛国心が足りないと糾弾されるのだ」
 
「セラフィナイトの覇権の確立? 帝国との全面戦争を望んでいない様に思える。違う」
「夢魔帝国に取って変わる存在になろうと試みたのか? そのような気負いは感じられない。違う」
「天使と組んで敵対種族を駆逐する? エラキスに守護悪魔の存在は感じなかった。これも違う」
「夢魔どもに絶望を提供しようとしたのか? 夢魔姫の様子からしてそれも違う」
「お前の研究とやらの為か? お前の研究は天使に関するものであったはず。これも違う」
「俺が思いつく限りでは、お前と夢魔姫が争う理由がない」
 
「アンゼロットよ、お前の望む世界とは?」
「……いいでしょう。制御された破壊と、世界への近代戦の教育。それによる厭戦感情の醸成。大破壊の回避。これだけ言えば理解して頂けますか?」
「……」
「ふむ、これは、何という……」
「戦争とは野火の様なもの。制御などできぬよ。そもそも無能な為政者は制御できると確信して戦争を起こすものだ。小破壊のつもりが、大破壊の呼び水になることも起こりえる」
「貴方の仰ることは解ります。それでも、私の予測ではその確率は低いものと算出しました。これは世界にとって必要なこと。あの人は優しすぎる。大破壊には耐えられないでしょう。だから、今回はあの人には泣いて貰います」
「ククク……なるほどなるほど。解った。理解したぞ。合点がいった」
「そうですか、それはありがとうございます」
「フッ、まあそう腐るな。互いに最善を尽くそうではないか。夢魔姫と、永遠ならざる平和のために」

セラフィナイトサイド

花畑に机と椅子を並べてお茶会…などというのは、そうそう見かけない風景であるが、彼女たちにとっては日常のことだ。
アーバスノット天文台で、のんびりとお茶を楽しむ三人。牧歌的な風景で、ある意味ではこれがセラフィナイトの縮図といえるだろう。
マリー・テレーズ、フィリオリ、アーナルダ。擬天使という魔法的種族の一種に属する彼女たちは、その長たるアンゼロットの下で、クラルヴェルンの夢魔と同じように千年セラフィナイトの守護者として行動してきた。
「ふむ。どうも厄介な介入が入ってきたようだな」
「アンゼロットさまが言っていた“ポーンに紛れてキングが混じっている”っていうことですか?わたしにはどうもよくわかりませんが」
「フィリオリ。いくらなんでもその弁は世間離れが過ぎるだろう」
「そういわれてもね、テレーズ。今回の戦争におけるわたしたちの役割はこれ以上ないし」
「何を言う、フィリオリ。今回の戦争はアンゼロット様の言うように割れかけたガラス盤の上で行われるもの。如何に我らが主にして師たるアンゼロット様であれ、一人では気が疲れる。手伝えることはいくらでもあるだろう」
そういってアーナルダは机の上に描かれた国章たる星図に手をかざす。学問の門が開かれ、魔力は机に組み込まれたシステムに流し込まれる。
セラフィナイトの国章となっているこの星図には少なくとも三桁の魔法陣が重畳されている。そしてこの机は天体の運行を空中に投影する魔法装置。この世界の法則は魔法と相容れないので、あまり役に立っていないが。
とにかく魔法装置は起動し、そして紅茶の湯気を溶かし込みながら、結像が完了し、空中に映像が投影される。
 
【エラキス干渉戦争の悲劇 第二幕、星と月の側より 状況を再確認する簡単なお仕事】
 
「…チェス盤ですか?黒がもう次で詰みますけど」
「すまない、指定を間違えた。それは昨日ミリティアさまと指したときのものだ。正しい映像は…」
「え、どっちがどっちですか?」
「聞くまでもないでしょう、フィリオリ」
「それ以上言うな…。あー、これだ」
チェス盤の代わりに投影されたのは、エラキス内戦の戦況。防衛網を構築中のセラフィナイト軍とエラキス共和派、西部で体制立て直しを図るエラキス国王派、東のエラキス国境を越えてエラキス領内に進入しつつあるクラルヴェルン軍。
その南に目を向ければ、セラフィナイトとクラルヴェルンの国境線上で互いを警戒する両軍。エラキスに向かっている部隊よりもこちらの部隊の方が多く、そしてここでは両軍が攻撃することなく睨み合うだけ。このまま戦争終結までここに両軍のなるべく多くの部隊を留めて睨み合わせておければ戦禍を抑えられるだろうが、下手をしてここで撃ち合いが始まれば即座に制御不能になるからそう簡単にはいくまい。そういった可能性を最小限にとどめるのが彼女たちの今最も重要な任務で、逆にエラキス国内の戦況については一切干渉しないことにしている。
「アーナルダ、戦力分析でも始めるつもりですか?軍部にその辺は一任するのではありませんでしたっけ」
「それは確かにそうだ。そうではなく、黒騎士がなにをしようとしているのかどうもわからなくてな」
「戦士の魂は天使には理解できない、MVの時に誰かがそんなことを言っていませんでしたか」
「いや、その魂に共感し同情することはできなくとも、その論理基盤を理解することはできるでしょう」
「…フィリオリの言うことにも理はある。しかし我らに課された課題はそれほど多くない。その余裕を向ける価値はあるだろう」
「100%の予防という、少々気疲れする課題ですけどね。まあ私は賛成ですが」
「あれ、いつのまに賛成反対を表明するルールになっているんですか?いや、私も付き合いますけど」

第三幕

クラルヴェルンサイド

 月明かりの下で。
 軍馬に騎乗した二人の男が戦場跡を歩く。
 足下には数百の帝国兵の無残な亡骸。
 栄光を担う帝国騎士の銃剣騎兵団が、セラフィナイトの機関銃陣地に果敢にも突撃し、そして近代戦の洗礼を受けて倒れ伏した結果である。
 両軍の初戦に於いて、帝国軍は完全にセラフィナイト軍に遅れを取った。
 数ヶ月とはいえど、セラフィナイト軍はエラキス軍を相手に戦闘経験を積んでおり、その僅かな差がこれほど一方的な勝敗の明暗を分けたのだ。
「倒れた者を犠牲と思うな。盾と思え。それはお前も同じ事だ」
「は、はい……」
 平然と歩く黒騎士の後ろを、帝国軍の若き兵士が追う。
「写真機の用意を。よく見ておくのだ。そして本国人やセラフィナイト人にも教えてやれ。お前達の言論が結実し、地獄の釜の口が開かれたのだと」
「この光景を公開しろと? それは彼らの名誉に反します」
「名誉には反さない。騎士の時代は終わったが、こいつらは最後の騎士として勇敢に戦った。こいつらの背には傷がない。それを伝えてやれ、ヴィルヘルム・シュタイニッツ」
 
 
【エラキス干渉戦争の悲劇 クラルヴェルンside-3 黒騎士の進撃】
 
 
 エステル精鋭騎兵部隊、壊滅。
 クラルヴェルン帝国軍の全軍は動揺し、セラフィナイトの攻撃に対応できないまま被害を拡大。後退に後退を重ねた。
 セラフィナイト軍はこの期を逃さぬと追撃に移った。
 
 しかし、
 
 一人のエステル人将校が、セラフィナイト軍の前に立ち塞がった。
 帝国軍大佐。
 ジャスリー皇帝より煉獄のマージナイトの称号を与えられた、出身背景一切不明の無名の軍人。
 傭兵将。あるいは黒騎士。
 魔斧バシリコスの所持者。
 後にクラルヴェルン軍制改革を行い、国軍をイーゼンステインと互角に戦いうるまでその練度を上げた、近代クラルヴェルン屈指の英雄。
 ベロース・エルツ・ヴァルダムである。
「逃げるな! 等高線に沿って塹壕を掘れ!」
「敵後方を砲撃し、通信を寸断せよ!」
「前へ進め!!」
「敵の進撃を阻み、戦線を構築するのだ!」
 たちまち士気と勇気を取り戻すクラルヴェルン兵。
 常に高所に陣取って冷静な射撃を浴びせるエステルプラッテ兵。
 思わぬ反撃に前進を停止するセラフィナイト兵。
 開戦の僅か二日目にして、戦線は膠着。
 かくして両軍は塹壕を掘って対峙した。
 速戦即決を企画した両軍は、その目論見を違いに潰し合い、凄惨な塹壕戦に移行した。
 
「全砲門開け! 戦場で最も多く敵を殺すのは砲兵なのだ!」
 ベロース・エルツ・ヴァルダム将軍の声が戦場に響く。自信満々な、そして矢継ぎ早に下される的確な指示の数々は、下士官や末端の兵士に圧倒的に支持された。
「全軍突撃!!」
 将軍の号令に、兵士達が命を賭して危険な攻撃に移る。
 塹壕から飛び出した帝国兵に、セラフィナイト陣地から濃密な射線が降り注ぐ。
 戦陣を切るのはエステルプラッテ兵。
 長大な塹壕には、すべての地区にセラフィナイト兵が配置されている訳ではない。
 広範囲に負荷を掛けることで兵力の配置の薄いところ、つまりは脆弱地点が浮き彫りになる。
 多大な損害を受けながらも、エステル兵は塹壕への脆弱点への浸透に成功した。
 エステル兵は守備兵と交戦し、混乱を振りまき、通信線を寸断しつつ、更に塹壕の奥へと進む。
 そして混乱したセラフィナイト陣地に、帝国軍の大部隊が襲いかかるのだ。
 五日目の戦いは、激烈な戦闘の末にセラフィナイトが塹壕陣地を放棄し後退。
 帝国軍は最初の戦術的勝利を得た。
 勝利の報はエラキス、帝国を沸かせたが、同時に敵味方の死傷者数の数に驚愕することになる。
 それは今までの戦争とは比べものにならない数であり、開戦五日目にして戦死者予測の三倍にも達していた。

セラフィナイトサイド

国名にもなっているように、セラフィナイト星術者連盟は星術、つまり天体信仰の国である。月への信仰はほかにもあるが、星への信仰は他に例がない。近代に入り、国家としては多元主義を認めるようになったが、この月と星の信仰はセラフィナイト人の価値観そのものの根底にある。
さて、月と星というのは天上を回るものだ。そのため天体信仰は天に近い場所、すなわち高所へ向かうことをよしとする傾向があり、登山が盛んに行われてきた。
しかし、近代に至り、科学技術の劇的な進歩はただ地表を登るのとは違う、高所へ向かう手段を登場させた。当初は気球、飛行船などのいわゆる軽航空機だったが、更なる技術の進歩は空気より重いものが滞空することを可能とした。
すなわち、飛行機の発明である。前述の価値観からセラフィナイト人はより高い飛行上限高度を求め、技術改良を進めた。それゆえに航空機の商業利用ではフォールン・エンパイアが先を行くなどあったが、今回の話ではそれは重要なことではない。重要なのは、セラフィナイトが飛行技術を有しており、そしてセラフィナイトが戦時に突入したということである。
さて、北部戦線においてこの戦争におけるクラルヴェルン帝国最大の英雄、傭兵将ベロースがその伝説の幕を開けつつあったころ、南部戦線においてはセラフィナイト軍は先だっての戦いで有効性が確認されたとある新兵器を本格的に投入しつつあった。いや、言葉を濁す必要もないし、流れで分かるだろうが、飛行機である。エラキス国王派との戦いにおいて国境戦の際に試験的に投入され、偵察に成果を上げたため、量産が開始されようとしていた。
…北部戦線が大変なことになっているのだから、南部戦線ではなく北部戦線に投入すべきじゃないか、という声が聞こえてきそうだが、単純に航続距離の問題である。エラキス領内でも建設工兵が仮設飛行場の建設を進めてはいたが、この時は国内の飛行場からまだ航続距離の短い飛行機で飛ぶしかなかった。そういうわけでエラキス南東部の高原地帯をのんびり飛んでいるのである。
 
【エラキス干渉戦争の悲劇 第三幕、星と月の側より 雲海を翔る者】
 
「前方に敵部隊確認、信号弾発射用意。発射!」
「いや少尉、別にいちいち口にしなくていいよ。あと発射よりもてーっとか何とかいうもんじゃないの?」
「ちょ、前を向いて操縦してください機長!」
「おっと、いやごめんごめん」
「だいたい、いまこの時も地上では戦闘が行われ、連盟軍にも死者が出ているんです。真面目にやってください」
「いやー、僕ァ本来飛行機技師だからねー、連盟のためじゃなく、飛行機の普及のためにやっているんだよ。あ、左手のほうに敵影。適当に紙に書いて投下しといて」
「はい、左手に敵影、クラルヴェルン歩兵部隊少数…ってそうじゃなくて、あくまでも今ここでは連盟軍の軍人、真面目に戦うのは義務です」
「ふうむ。義務、ねえ。オブリージュ。あっちの方では貴族社会に絡めて高貴なる義務とか言って、普及した概念らしいね」
「そうです。しかし連盟には貴賤はありません、連盟市民すべてに国家への義務が等しく課せられているんです」
「ふむ…しかしこの戦い、何のために戦っているのだ?この戦いは連盟市民に義務を課すべき戦いなのか?」
「機長が厭戦派なのは知っています。ですが、エラキスは絶対王政。連盟と相容れない体制のもとにあります。エラキス共和派の友人を助けることは必要でしょう」
「それは認める。だが我々が今相手にしているのは誰だ?敵は民を圧するエラキス国王派だけではなかったのか。クラルヴェルンは立憲主義に基づく制限君主制。連盟の敵ではない」
「彼らは連盟の敵ではありませんが、連盟の友人でもありません。農民であれ参加する連盟の政治と、実質的に貴族と資本家が帝権に代わろうとしているだけのクラルヴェルンの政治は本質的に異なります」
「彼らは緩やかに庶民まで参政権を普及させていくだろうとは思うがね…前方に敵影、歩兵及び砲兵。信号弾用意」
「信号弾用意、発射!…彼らが仮に参政権を普及させたところで、主権在君に代わりはないのです。そこは変わりません」
「…確かにな。いずれは…いや、まあいい。燃料から見て、そろそろ引き返す頃合いだ。戻るぞ」
「はい。とにかく、せめて帰りぐらいは真面目にやってくださいよ」
「善処しよう」

幕間2 カシュウ氏によるクラルヴェルンサイド

 一人の兵士を紹介しよう。彼の名は、マリオ・フェルッリ。学生であった。彼は愛国的精神から
祖国クラルヴェルン帝国の戦争に進んで参加した。
 3ヶ月の訓練をうけて、彼は戦争の真っ只中に飛び込んだ。かれは戦争がすぐに終わり、英雄にな
れると思っていた。しかしそれはとんでもない妄想であった。彼が最前線に行く途中の病院では、
兵士のひどい叫び声と、疲労しきった軍医と赤十字の看護婦が兵士を選別し、救えるものを救っていた。
彼は何かとんでもない勘違いをしたことを心の底で感じながら、最前線に配属された。最前線という
ものは、荒廃とした大地であり、塹壕という名のアリの巣のような迷宮が作られていた。この敵弾から
身を守ってくれる要塞は、実はとてつもなく不潔なものであり、敵の攻撃がなければ直ちに飛び出した
い代物だった。マリオは、古参の兵士達とともにこの不潔な塹壕で敵弾と、鼠と、病気にびくびくと
しながら、退屈で、しかも緊張し、神経を磨り減らす塹壕で過ごすことになった。古参の兵士たちは
言った。
「どうしてお前は学生を辞めてこんなゴミ溜めにやってきたんだ?はは、英雄になりに?
とんでもない馬鹿だな。お前は」
 
……
 
 セラフィナイト軍は、彼が最前線に配属されてきてから、攻撃を開始してきた。猛烈な砲撃!
連盟軍は猛烈な砲撃を1ヶ月も続けてきた。強力な塹壕を無力化するつもりなのだ。最初の砲撃は、
マリオをパニックにさせた。だが、彼は古参の兵士に殴られて正気に戻った。逃げてみろ、彼は
銃殺か、最も恐ろしい、戦場の真ん中に置き去りにされる刑に処されるのだ!
 だが、マリオはその刑を味わうことはなかった。2週間も砲撃を続けられると、次第に慣れてく
るのだ。だが不快なことに変わりはないし、緊張するのも変わりなかった。
 彼らの士気は落ちていった。兵士達の食事は「死んだロバ」と呼ばれる牛肉の缶詰(恐ろしくまずい)
が続いた。トイレに行くにも注意深く匍匐前進せねばならない。もし不用意に尻を上げれば、尻に穴
が開くのだ。敵の狙撃兵によって…。その上塹壕の不衛生さから来る病気の蔓延は、士気どころか、
帝国軍部隊を消耗させた。塹壕の中の10人に一人以上は、赤痢に悩まされた。悪臭は兵士達の鼻を麻痺
させた。
 
 
 こうして、帝国軍-マリオの所属する隊はボロボロの状態になりながら、砲撃の終了を迎えた。愈愈
敵の突撃が始まるのだ。マリオたちは、てきの攻撃に備えた。周囲は静かになり、鳥のさえずりが聞こえる。
 そして、敵側からホイッスルが鳴り響き、鬨の声があがる。
ピリリリリリリリー。
続いて
「チャァージ!」
この敵の合図とともに、こちらも射撃命令される。病気と砲撃により、数は減っていたが、機関銃は生きている。
「敵の顔が識別出来たら射撃開始」
なんともわかりやすい命令。何メートルになったら撃て、といわれてもわかるはずがないのだ。そして
連盟軍の兵士達が雄たけびを上げ、発砲しながら突進してくる。彼らは転びながら、叫びながら、ぐんぐんと
近づいてくる。
「撃て!」
将校の命令とともに、機関銃も、小銃も、いっせいに火を噴いた。ボロボロと連盟軍の兵士は倒れていった。
屠殺だった。いや、それは集団自殺だった。連盟軍は何かわめきながら突進してくるのだが、とにかく次々と
射殺されていった。ドミノ倒しの遊びのように、横一列に並んだ兵士達が次々と。だが、勇敢な連盟軍の兵士
たちは陣地に乗り込んでくるのだ。こちらの阻止砲火が足りなかったために。そうなると、白兵戦になる。
殴り合い、銃剣で突き刺し、突き刺され、目をえぐり首をかききり…襲い掛かるもの、わめくものを殺し、
武器を捨てるものを殺し、逃げるものを殺した。この白兵戦の中で、マリオは一人の連盟軍の兵士を殺した。
彼はその手で直接敵を殺した。初めてのことだった。
 やがて、連盟軍の攻撃は失敗に終わった。帝国軍の将兵は信じられないほど勇敢に、死に物狂いで戦った。
敵はボロボロと逃げ出していく。すると今度はこちらが逆襲するばんだ。将校は無謀にも味方の損害も省みず、
部隊の情況も確認せずに突撃を命じる。このチャンスを逃してはならない。
「アッラサルト!!(突撃)」
将校の合図とともに、帝国軍の兵士達がいっせいに塹壕を飛び出した。逃げる連盟軍を射撃しながら追跡する。
追いつくことは出来ない。だが、転んだ連盟軍の兵士などには追いついた。不幸なこの連盟軍の兵士は一瞬
命乞いしたが、すぐに帝国軍の兵士に刺殺された。
 逃げる連盟軍は陣地に帰り着いた。そして反撃が始まる。彼らは突撃してくる帝国軍に一斉射撃を繰り出すのだ。
今度は帝国軍がなぎ倒される番だ。マリオは次々と仲間の兵士が倒れていくのを見た。そして、次の瞬間には、
意識が消えた。
 
 マリオ・フェルッリ兵。マニベーニャ戦線で頭部銃創をうけ戦死。彼には16人の特に親密な友人と、
パン屋を営む両親がいた。彼のこの物語は特別なものではなかった。ありふれたひとつのケースに過ぎない。
彼のような若者はみな同じような運命をたどった。事実、彼の特に親密な友人16人のうち、戦争によって
還らぬ人となったのが5人、傷病によって四肢の一部を欠損し、後遺症に苦しむものは6人にも上った。

 

第四幕

セラフィナイトサイド

「鉱山・油田等の資源施設への防衛はもっと強化しろ!敵資源施設の破壊は禁止だ!建設工兵の鉄道整備状況だが…」
「エラキス国王派と西部トレント市で市街戦が開始されました。敵の総数は…」
「中将、エラキス海軍(注:エラキス海軍は大部分が共和派側についた)とレッチェルドルフ艦隊が接触、戦端が開かれました!敵艦十三隻に対しエラキス海軍は…」
「敵暗号解読成功!次の攻勢はアーロン村付近から…」
「バレアス第一次防衛線突破されました!現在第二次防衛戦に後退し、部隊の再編制を…」
「ふむ…クラルヴェルンの工場稼働状況からすると、やはり…」
ルヴァ歴-26年2月14日、エタブリッシェ市にあるセラフィナイト軍総司令部。
外は静かに雪が降り積もってゆくが、司令部は今日も戦況の把握と作戦立案に全力を注いでいた。
 
【エラキス干渉戦争の悲劇 第四幕、星と月の側より 夢魔の提案と司令部の思惑】
 
「一日休戦だと?」
こう言ったのはセラフィナイト軍最高司令官、ゼーゲンホルム・フェルム・ウィッテン総軍元帥。
「はい、北部戦線において夢魔テリブルドリームが、南部戦線において夢魔スィートドリームが、それぞれ前線司令部と交渉して決定されたようです」
こう確認したのは情報局所属、ディートハルト・フラウンホーファー次官。
「北部戦線の司令部、となるとコールドロンか。あいつはいいやつだが、話を聞かないからな。決意が固いのは結構だが…。南部は…またあいつら自主休戦か。むしろいつ戦ってるんだ?クラルヴェルン国境よりも緩んでいるんじゃないのか」
エラキス南東部戦線は、エラキス・クラルヴェルン国境まですべてセラフィナイト軍が制圧しており、クラルヴェルン軍は補給線を絶つために攻撃をかけている…というか、そうクラルヴェルン上層部は指示しているのだが、クラルヴェルン地中海岸出身の兵士はなあなあで、エステルプラッテ人兵士にしてもわざわざセラフィナイト人の得意分野である山地で戦う愚を犯すことはない。そんなわけで両軍の間にいつの間にか勝手な連帯感が生じ、誰もまともに戦わなくなってしまった。せいぜい偵察機が飛び交っているだけで、それもお互いの偵察機が視界に入れば手を振りあっているらしい。北部戦線の兵士がこれを知ったらどう思うだろうか。
「どうしますか」
「クラルヴェルンの軍の通信傍受状況はどうなってる?」
「確かに一時休戦が通達されています。敵の攻勢も中止しているようです」
「ふむ…補給状況は、やはり変わらず、だよな」
「無論です。どうしますか」
「………独断専行を認めるわけにはいかんな」
「では…」
「…コールドロン。この戦争が終わったら、厳しい処分で臨む。そう伝えておけ。それと一日の休戦のうちに南部の物資をできるだけ多く北部と西部に送ってやれ」
セラフィナイトはクラルヴェルンに勝つために戦っているのではなく、エラキス国王派を排除するために戦っているのだ。クラルヴェルンとの休戦に別に問題はないのである。エラキス国王派とは休んでいられないが。
「は」

クラルヴェルンサイド

 アルフォンソ・ルイス・コールドロン…セラフィナイト軍エラキス北部戦線司令官。母語はエラキス語だが特にエラキスへの愛着はない。
 彼の預かる軍隊の正面には、クラルヴェルン帝国の最精鋭たるエステルプラッテ兵団が展開している。キルレート1対4という馬鹿げた数字を叩き出す、セラフィナイト史上最悪の敵である。指揮官はベロース・エルツ・ヴァルダム将軍。
 コールドロンは現在の状況を正確に把握しており、戦線の危機的状況を速くから認識していた。彼は戦力の増強を続け砲撃や奇襲を繰り返すエステル・エラキス軍に対抗しながら、戦力増強を上層部に具申し続けていた。
 相互の塹壕を巡って強攻と逆襲が幾度も繰り返されるが、難地形と堅固な塹壕網、そして両軍の精鋭が拮抗。戦線は膠着したまま凄惨な塹壕持久戦が続いた。
 相互に補給線を脅かし、不十分な補給。急造の塹壕には汚水が溜まり赤痢が次々と発症。劣悪な環境で感染症も頻発し、戦死者に加え病死者も続出。
 本国行きの列車は常に傷病者で満杯となった。
 だがそれでもなお、コールドロンもベロースも一歩も退くことは許されなかった。
 この戦場は危うい均衡点であり、この戦線が崩れれば他の停滞している戦線にも大いに影響しうる。二人の名将は自らの戦線の重要さを理解しており、それが為戦線は動かず、しかし戦争という殺人システムは休み無く稼働し、死傷病者を大量に生産しながら、数ヶ月が経過した。
 
 その日は朝から肌寒く、防寒着を必要としていた。
 先日の砲撃戦は火砲の撃ち合いともに歩兵同士の迫撃砲が飛び交い、双方共に数百人単位の損害を出していた。
 その痛みも醒めやらぬ朝。コールドロンは奇妙な報告を受ける。
 それは帝国からの24時間の休戦の申し込みであった。
 
 
【エラキス干渉戦争の悲劇 クラルヴェルンside-4 顕現祭休戦】
 
 
「フィリオリ・テリブルドリーム。夢魔です。以後お見知りおきを」
 帝国からやってきた休戦の軍使は、血と泥に塗れた戦場とは全く縁のなさそうな、上等な衣服を纏った少女だった。唖然とするコールドロンに物怖じせず、少女は完璧な礼をして見せた。
「アルフォンソ・ルイス・コールドロン中将です。当陣地の管理を総司令部より任されている、貴方方の敵です」
「存じております」
 微笑む夢魔。外見はセラフィナイト本国にもいそうな可憐な少女。だが表情や口調、その立ち居振る舞いは確かに千年の齢を感じさせた。
「田舎出で学がないので作法については失礼。休戦提案書は読ませて頂きました。ジャスリー皇帝のサイン入りというのに驚きを禁じ得ませんが」
「はい。本提案はジャスリーさまと、全ての夢魔の意志です」
「提案の受理は私の裁量に任されている。しかし残念ながら、我々にはこれを受理する理由がない。兵士の士気にも関わる問題だ」
「そうでしょうか。貴方方も疲れていると存じます。それに私達は隣国同士。永遠に敵同士ということではありません。今この瞬間にも和平交渉は行われています。……それに」
「それに?」
「コールドロン様。貴方もこの戦いに意義を見出してはおられないのでしょう」
 
 帝国から各戦線に提案された2月14日の休戦は、多分に宗教的な要因だった。
 帝国の宗教行事である夢魔顕現祭。千年前に夢魔姫と百七の夢魔たちがこの世界に顕現したことを祝う祭。夢魔姫の美しさと栄光を称え、親が子に、恋人がその相手に、夢魔が人間に、親愛の念を込めて贈り物を贈る行事。
 この年の夢魔達の贈り物は、砂糖菓子の詰め合わせではなく、兵士達への安息であった。
 
「あれが……夢魔」
 ざわめき。
 二十四時間の休戦が合意されると、テリブルドリームはセラフィナイト陣営の一部の見学を許可された。彼女が見学を希望したのは仮設病院。この世の地獄であった。
 血と死と呻きと苦悶、そして絶望と悲鳴が渦巻く地獄に夢魔が降り立つ。
 夢魔を見上げる亡者たちの群れ。
「軍医様」
 トランクを示しながら、夢魔が美しいエステルプラッテ語で語りかける。
「モルヒネとペニシリンの差し入れを。それと、清潔な包帯も足りないと思ったので持って参りました。どうかお納めください」
 軍医は憮然として頷く。そして何か望みはあるかと問うた。
「一人一人と、お話させてください」
 
 顕現祭休戦は様々な要因が重なって実現した伝説的な出来事である。
 エラキス王国派はクラルヴェルン帝国を非難し、ジャスリー皇帝が釈明に追われたとも言われる。
 二年目からの顕現祭では休戦は行われず、むしろ全戦線に渡って熾烈な攻撃の応酬が交わされた。
 しかしながら、顕現祭休戦とテリブルドリームの名前が、戦後の両国関係に多大な影響を与えたことには異論を挟むものはいなかった。

 第五幕

クラルヴェルンサイド

 

「意外だな。いやそうでもないか」
「なにか御座いましたか、将軍」
「フッ、メッサーナで反戦運動が起こったのは聞いていよう」
「はい。我々の苦労も知らず、勝手な事です」
「戦費調達のためにまた増税が発表されたそうだ。もともと帝国の財政は余裕がなかったしな。起こるべくして起こったものと言えよう」
「戦いが始まってもう一年以上になります。しかし、意外とは?」
「星術者どもの士気が意外に高いということだ。国力からして、戦費による生活困窮は帝国以上であろう。先に反戦運動が起こるのはあちらだと予測していたのだがな」
「彼らが国民軍だからでしょうか?」
「さてどうかな。我々は砲撃と強攻によっていくつかの敵陣地を攻略し、星術者どもに後退を強いたが、これ以上の前進は困難だろう。オレは前線の士気崩壊より先に、内地の士気崩壊が起こり、それで戦争の決着が着くと見ている」
「ですがベロース将軍。従軍記者の受け容れや負傷者の後送を指示したのは将軍では」
「気にするな。それは向こうも同じ事」
 
 
【エラキス干渉戦争の悲劇 クラルヴェルンside-5 黒騎士の策謀】
 
 
 エラキス、クラルヴェルン、セラフィナイト。
 三カ国の泥沼の戦いの最中、一つの奇怪な噂が発生していた。
 一万人以上のエラキス人が列車でいずこかに運ばれ、銃殺されたという噂である。
 互いの陣営の軍関係者は、そのような噂はデマであると一笑に付していたが、噂が途絶える事はなかった。
 そして帝国歴974年。エラキス王国の田舎町マイティアの近郊の森で、"それ"は見つかった。
 一万人以上の銃殺死体である。
 
 発見したクラルヴェルン帝国軍は詳細な調査を行い、戦線近くの農村で生活していたエラキス人の遺体が、七つの穴に幾層にも渡って埋められていることを発見した。
 ベロース・エルツ・ヴァルダム将軍は世界的な大事件になると考え「マイティアの森事件」として報告書を作成。これは帝国外務省に送られた。
 
 『セラフィナイト人は虐殺者である』
 
 マイティアの森事件の情報はラジオや新聞に載ってクラルヴェルン帝国に瞬く間に広がり、一時広がり掛けていた反戦感情は払底した。
 代わりに帝国内で巻き起こった世論は『セラフィナイト、罰するべし』。
 セラフィナイト政府は、マイティアの森事件を帝国の自作自演の策謀であると公式に非難。
 二国間の限定戦争は、にわかに全面戦争の一歩手前の状態に直面した。
 
 
「……珍しいな。お前の方からコンタクトを取ってくるとは」
「貴方の差し金ではないのですか」
「ああ、残念ながら俺は掘り起こしただけだ。人間同士の戦争では理性が狂気を凌駕することも多々ある。お前の予測には無かった事か?」
「予定にはありません。この件についてはいずれ調べたいとは思いますが」
「事実を冷静に受け容れることだな。とはいえ、帝国や王党派側の可能性も皆無ではない。あの地点は両陣営が前進と後退を繰り返したところだ」
「解りました。あの人の様子は?」
「心配はいらぬさ」
 
 
 マイティアの森事件は双方が相手側の犯行を主張。
 その後の戦局の流転は調査を困難とした。
 終戦後に行われた帝国と星術者連盟による合同調査では現場が何者かに処理されており、また政治的な理由により調査は不十分なまま打ち切られた。
 帝国歴1033年の時点でも、マイティアの森事件の真相はいまだ明らかになってはいない。

セラフィナイトサイド

 

アザンの山岳地帯には、一つの城塞が存在する。
SSVD本部。連盟設立以前から、この地に潜入してくる夢魔や魔族の干渉を排除し、直接民主制という奇異な体制を支え続けてきたそれは、しかし連盟政府とは独立した存在であり、政府が捜査を強制することはできない。
「以上、本事案に関する要約です。これについて捜査を要請します」
「謹啓、謹んで申し上げ奉る。我ら審問官は万一連盟軍の関与が知れた暁には、その処断も辞さぬものと知り給え。然れどなお、捜査を要請するもの也や?」
「…も、もちろんです。これは連盟軍司令部の総意としての要請です」
「…宜しい。マイティアの森事件の捜査への協力を行うもの也や」
「協力、感謝します」
 
【エラキス干渉戦争の悲劇 第五幕、星と月の側より 断片化した真実の中に】
 
そうしてSSVD主席と助手は軍情報局のフラウンホーファー次官からの依頼を受けたわけだが。
「というわけだ。マイティアの森に行くことにならァ」
「マイティアの森って、戦場まっただ中じゃないですか」
「ああ。だからこそこっちにお鉢が回ってきたんだろ。…行くぞ」
「え、マイティアまでですか?」
「先にアーバスノット天文台だな。まずは奴らを通す必要があらァ」
「…勝手に受けちゃったけど大丈夫なんでしょうかね」
「だめだったら手紙一枚軍司令部に送ればいいさ」
 
「で、マイティアの森事件の捜査許可ですか」
「あァ。連盟軍の依頼だが、個人的にも興味がある」
「…なるほど。どうします?アーナルダ」
「それは冗談で言っているのか、フィリオリ」
「そう苛立つこともないでしょう、アーナルダ。あ、すみませんね、ライト卿。…いいですよ。ただし、一つ条件があります」
「条件、か…。話によるな」
「単純なことです。“連盟に不利益な事実であっても、これを開示せよ”」
「…なるほど。そもそもアンゼロット卿からのお願いとして受けていた、というわけか」
「話が早くて助かります。頼みますよ」
 
エラキス東部の村、マイティア。ここにはエラキス国内の宗教界では有名な、そして後世では世界的に有名となる“マイティアの預言”が保管されている。
…ホワイダニットを求めるなら、これも一つだろう。いや、フーダニットのわからない状況でそれを探るのもあまり意味がない気がするが。
ウィラード・ハンティントン・ライトは黒き太刀を取り出し、魔法的な方法でマイティア大聖堂の封印を解呪し、地下室に入る。物理的な痕跡を残さないのは基本だ。
「…預言書は…そのまま残っているな」
「わざわざ預言書一冊のために戦争を起こすとは思えませんが」
「だが、戦時中に、一万人の犠牲で済むなら預言書を手に入れようと思う狂信者だって、世の中にはいるもんだ」
「それは…そうですが」
「とはいっても、この預言書は星術からも夢魔信仰からも無価値。この預言書が盗まれていれば、単純にエラキス人の犯行とわかるんだがな」
「そう甘くはいかないでしょう。それに、仮にそうだったとしても、偽装工作の恐れは考慮しなければなりません」
「まあそうだが、この預言書はこの時点ではエラキス国内でしか知れ渡っていない。この預言書を知っていれば、エラキス人の関与の可能性は高い」
「まるで未来から見ているようなメタ的な発言ですね」
「…さて、次は現場検証だな」
 
さて、マイティアの森である。今現在前線はそれなりに離れたところにあるらしいが、いつここが戦場になるかわかったものではない。
人払いの結界をかけ、兵士がこの場所に近づかないようにする。夢魔や黒騎士相手には無意味だが、夢魔の相手をするのは過去なんどもあったこと、黒騎士の相手をしたことはないがその時には真犯人を聞いてみるもよし、向こうが切りかかってくるならそれはそれで仕方ない、くらいに思っておくことにする。
「で、…死因は射殺か。七層にわたって埋められてはいるが、死亡後に埋めたようだな」
「少なくとも、戦場で偶然流れ弾に当たった者を処理した、という状況ではないようですね。銃創は全て胸か頭で、それ以外の部位には見られません。明確な殺意があったとみていいでしょう」
「ふむ。…この遺体は…明らかに拷問のあとがあるな」
「…?このエラキス人は、全員普段着で、軍服や捕虜としての粗衣などではありません。おそらくエラキスの一般人でしょう。なぜ拷問するんです?」
「理解しようとするな、頭痛にならァ。この状況では終戦まで身元確認もできそうにないしな」
 
現場検証を終え、次にマイティアの村に向かう。人影はない。この場所まで後退してきたコールドロン中将指揮下の連盟軍部隊がここは戦場になると警告し、村は離散させられたからだ。当時、特にエラキス東部では、連盟軍も帝国軍も戦場になる村を多く離散させるというのはよくあったことで、後にエラキスの戦後復興にも大きな存在を与えた。
村役場に向かうと、連盟軍が接収して一時的な司令部として利用したのか、机の上には地図などが広げられている。流石に情報を敵に流す愚はしないらしく、どうやら最初から村が持っていた瑣末な資料をおまけ程度に使い、それを残していったということらしい。最も、帝国はここに踏み込み情報の確認はしても司令部としてはここは利用しなかったらしい。
とにかく、これでは読み取れることはあまりに少なく、捜査にならないので、残留思念も含めて情報をまとめることにした。次の通りだ。
「最初は、後退してきた北部戦線の連盟軍のとある部隊がここをとりあえず拠点として、一週間半帝国軍の攻撃に耐えた」
「一週間半後、帝国軍の攻撃により陥落。一ヶ月半ほど、帝国軍はここに駐留した」
「一ヶ月半後、連盟軍は帝国の通信傍受により帝国軍が攻撃するタイミングを知り、それにあわせた作戦を練って帝国軍の攻勢を排除。帝国軍は撤退し、連盟軍はここを中心に破れた帝国の塹壕を突き進む。今回は連盟の拠点はここより前線におかれ、今このあたり一帯は共和派がとりあえず支配しているが、見ての通り実質的には誰もいない」
「帝国軍がこの事件を報告したのは帝国軍が進駐してから21日後。…広い森の中、埋められた遺体なんぞをすぐに見つけるのは無理だからそれだけの間見つからなかった、ということは説明としては通っている。だが、21日あれば帝国軍が運んで偽装工作を行うことも可能だろう。そこには塹壕を掘る重機も充分用意されているんだからな。それに、進駐した帝国軍には工兵も結構いたようだしな」
「それは状況としては連盟にも同じことが言えますし、支配期間でいえば連盟はこの一年間、ここを支配してきました。それだけあれば何とでもできます」
「ふむ…と、まずい。連盟軍が後退してくるぞ。どうやら帝国軍に敗退したらしい」
「…え!?いきなりですね。人払いの結界はどうしたんですか」
「人払いは現場にしかかかっていないから、ここでは役に立たん。戦場になって荒らされては困るが、長期間広域に張るのは無理だからな。探知結界のほうはどうせ滞在中で充分だから、広めのを張っておいたがな」
「で、どうするんですか」
「…いったん下がる。人払いの結界があるとはいえ、黒騎士や夢魔が時間をかければ解呪されるだろうが、一日二日で解呪できるつくりにはしていない。人払い結界の中に隠れるのも手だが、そのまま帝国軍が一帯を制圧して、出るのに苦労するのも困るだろ」

番外編 エラキスの残光

エラキス東部の港湾都市、バレアス。
かつてエラキス植民地帝国が大海を支配した頃の繁栄は今はなく、今日も湾特有の静かな水面が太陽の光を照らし返していた。
その海を背景に、煙を上げる街並み。
今、エラキス全土では騒乱が発生、ブルゴス総統率いる第二共和政は瓦解し、全土が無秩序状態に陥っているのだ。
その影響は例外なくこの街にも来ている。
瓦解したとはいえ第二共和政の残滓は未だ復活を目指して活動を続けており、市民との戦いは今なお繰り広げられているのだ。
 
【エラキス干渉戦争の悲劇 番外編、エラキスの残光 その薄明は払暁か黄昏か】
 
…不意に、南方から飛行船の編隊が現れる。
「我々はセラフィナイト星術者連盟軍航空部隊第二飛行隊です。連盟政府の進駐宣言に基づき、エラキス領内の治安回復のための活動を行います。速やかに武装を解除してください。皆様方の自由と安全は法と秩序に基づき保障されます。繰り返します…」
空挺作戦。…エラキス干渉戦争は、現実主義者たちからは海への出口を求める連盟とそれを脅威と感じた帝国の衝突とされている。今回の進駐でも、重要なのはエラキスではなくエラキスにある海岸だ、ということだろう。違いは、今回は連盟の進駐を帝国が黙認しているということだろうか。
あの時は共和派がバレアスを拠点として蜂起したのだったが、その時も連盟軍が来たときにはバレアスは同じように一般市民の歓迎を受けていたのを思い出す。
とにかく早々にエラキス第二共和政政府の治安機関は武装解除され、バレアス中心業務地区は連盟軍に制圧された。騒乱を繰り広げる市民たちは連盟の到着により騒乱の手を休め、街には平穏が戻った。
あとは連盟軍にとって何か急ぐ要素があるわけでもない。市内の治安機関を制圧したことで、本来の狙いである港湾地区は制圧できたも同然。エラキス市民の反発もあまり見られないことから、連盟軍は地上を進む部隊との合流までバレアスの治安維持活動に専念することとした。
 
さて、カルリオン社はエラキス国内のベンチャー企業の一つである。
本社はセヴェリアにあるが、エラキス最大の港湾都市であるバレアスにも支社が存在していた。
そして、偶然カルリオン社長はその日、フォールン・エンパイアから納入された機材の確認のために支社に出向いていた。
「どうするつもり?」
「どうするといわれても…どうにもならないよ。この分ではセヴェリアに戻る列車は運行できないだろうし。当分、しばらくこの街に滞在することになるんだろうなあ」
「…そうね。連盟軍がわざわざ邪魔しに来るような」
ことはないだろうし、と夢魔ソフィーヤが言う前に前兆もなくかかる声。
「失礼、ミリティア・アロートと申します。申し訳ありませんが…夢魔ソフィーヤ、カルリオン社社長ヘラルド・カルリオン。一緒に来ていただけますか?」
そう名乗る女性の背後には、好々爺然とした老人が一人。手には既に魔法の光が宿りつつあり、あとは念じるだけで学問の門が開かれるだろう。
「…わかりました」
 
「一体どういうつもり?」
車(一見普通の車だが、よく見たら耐爆仕様だった)に乗って、バレアス市のかつての政府の出先機関の庁舎へ。中でカルリオン社長とソフィーヤは別の部屋へ案内される。
第二応接室と書かれた部屋で、夢魔ソフィーヤと夢魔ミリティア・アロートは対峙する。
「すみませんね、マスターと記念大学の専横です」
専横とは否定的な意味を使う語彙のはず。自分に使う言葉ではない。
「それこそどういうことなの?」
「冗談ですよ。横紙破りなのは確かですけどね。あなたたちは有名ですから」
「有名?だからこの騒乱から保護するつもりだった、とでも言うの?」
「少々手荒な理由は確かにそれです。法秩序が完全に確立されていない状態ですから、致し方ありません。ですが、私たちの目的はそれより別にあります」
「…」
「あなたに話すことではなく、カルリオン社長に言うことなんですけどね。このエラキスの貧困の原因が何か…言うまでもないことでしょう」
「罪滅ぼしか何か?」
「この貧困のままのエラキスをセラフィナイトが統治するのは都合が悪いが故に、ということになっています」
「…やっぱり貴女は夢魔より擬天使のほうが向いていると思うのよね」
「褒め言葉と受け取るべきか悩みますね。とりあえず、あなたにも説明しておきましょう。この投資計画はエラキス干渉戦争以来のエラキス経済の停滞を打破するものです」
「早い話が資源権益、でしょ?」
「…連盟は資源権益に手を出しません。代わりに、このバレアスに、二つの選択を与えます。煙都か、避寒地か。…ここから先は、各方面と調整しなければならないので、今はなんとも言えません」
「でしょうね。私たちはどうなるの?」
「あなたは干渉戦争の前からこの国にいたんでしょう?であれば、好きにさせてあげてください、というのがマスターの意向ですし、私も同感です」
「自己矛盾を起こしているわ」
「夢魔とはそういうものだと聞きました」

クラルヴェルンサイド外伝

【エラキス干渉戦争の悲劇 クラルヴェルンside-5外伝 恐怖の夢のお店】
 
 メッサーナの伝統あるショッピングモール「月の回廊」の一角に、風変わりな店がひっそりと開店していることを知るものは少ない。
 店の名前は「お面屋」。ショーウィンドウには様々なお面が、それも玩具ではない、変装にも使えるような本格的なものが展示されている。一般的な市民にとって、需要の全くないこのお面屋だが、この店を必要としている人間が一定数この時代にはいた。
「いらっしゃいませ」
 客の全くいない閑散とした店。壁や棚にひたすら面が飾られている店内は不気味ですらある。店の入り口に設置されていた鈴が可愛らしく鳴り、読書していた店主が客を迎える。
「……」
 帽子を目深に被ったその客は押し黙って店内を見渡す。そして人間にしては儚く美しすぎる店主を見やった。
「…夢魔様」
「はい、テリブルドリームと申します。お客様」
「お任せします。顔を下さい」
「はい。それでは試着室へどうぞ。鏡は…処置のあとでよろしいでしょうか」
「はい」
 客が帽子を外す。北部戦線帰りの、火炎放射器と榴弾で火傷し欠損したおぞましい顔が明らかになる。テリブルドリームは気がついた。彼の左腕は、肘から先が無い。
「お気の毒に。苦労なされたでしょう」
「はい…」
 涙を堪える客を、夢魔はそっと抱きしめる。
 ここは顔を失った人々が訪れる店。
 夢魔は過酷な真実を覆い隠し、幸福な虚偽で世界を満たす。

第六幕

クラルヴェルンサイド

 エラキス干渉戦争。戦線は遅々として進まないまま、犠牲者だけを増やしていく。
 二年目に入って、戦況で変わった部分としては、エラキス王党派の軍隊はもはや前線から脱落し、後方支援を主任務とするようになったこと。
 クラルヴェルン帝国軍の負担は増えたが、それはエラキス共和派にも同じことが言え、戦場にはセラフィナイト連盟軍だけが残っている。
 
「南部戦線は本日も異状ございません。北部戦線はエステル兵団が後退。コールドロン軍を引き寄せ、後方を伺う作戦が発動しました」
 夢遊宮の中庭にて宰相が皇帝に報告する。
 ジャスリー・クラルヴェルン皇帝は安楽椅子にもたれ、眠るようにその報告を聞いている。
「財政は持つの?」
「かなり厳しい事になっております。増税の必要がございましょう」
「貴方に任せます。東秋津帝國やヴォールグリュックはなんと?」
「引き続き中立を堅持する模様です。両国は帝国との国境警備軍を後退させました」
「そう……」
 宮廷侍従に紅茶のお代わりを頼むと、夢魔姫は再び目を閉じる。
 哀しい。一体この感情はなんだろう。夢魔は人間の守護者ではない。誘惑者であり、寄生者であり、絶望を啜る悪魔である。無害を装っているのは、その方が都合が良いから。人間に契約を迫るとき、悪魔は皆優しいのだ。
 戦場や後方では多くの夢魔たちが戦争の惨禍による絶望を啜っている。
 家族を失った者、財産を失った者、手足を失った者、職を失った者、恨みを抱く者……
 夢魔姫と夢魔には彼らの嘆きと怨嗟の声が聞こえる。
 一千年の帝国の統治は、夢魔姫に人間性を回復させたのかもしれない。
「アンゼ、貴方の望む世界とはなんなのかしら。今の私には解ってあげられない」
 ジャスリーとアンゼロットの想いのすれ違った、悲しむべき時期であった。
 
 
【エラキス干渉戦争の悲劇 クラルヴェルンside-6 黒騎士の攻撃】
 
 
 黒騎士や傭兵将という異名を持つベロース・エルツ・ヴァルダム将軍は、後世の歴史家から見ても奇異な存在である。
 出身や経歴は一切不明。にも関わらず書類上では十年前から帝国軍に所属していることになっており、ジャスリー皇帝より直々に司令官に任命されている。
 最初は見慣れぬ指揮官に戸惑っていた帝国兵たちだが、今や帝国軍にとって最重要の人物の一人である。
 ベロース将軍の若き副官ヴィルヘルム・シュタイニッツは、戦後こう述懐している。
「ベロース将軍は自分の声と姿が兵士達にどのような影響を与えるかを完璧に把握した演出家でした。兵士達は将軍の一挙一挙動に注目し、その演説や命令に震え動き、勝利を確信するのです」
 そんな状態であるので、一見して無謀な作戦行動すら遂行してしまう。
 ベロースにとって最大の不幸は、対抗するセラフィナイト連盟軍コールドロンもまた、名将と言える存在であったこと。
 ベロースは無敵であったが、コールドロンは不敗であったのだ。
 しかしベロースに比べ、コールドロンの評価は芳しくない。一部では"エラキスの肉屋"とあだ名されるほど。それは今戦争の被害が北部戦線に集中していた事と、後方の司令部との関係の不全による。
 
「コールドロン軍が第二軍と接触した。現在交戦中とのことだ。交戦中の離脱や後退が困難なのは承知の通り。エステル兵団は久しぶりにフリーハンドと成ったわけだ」
 ベロース将軍は広げた地図の一部分を指し示す。
「そこで、この鉱山群を爆破する」
「はっ? アルカニス鉱山を、ですか。ここは戦術上も重要ではありませんし、できれば無傷で手に入れるべきでは」
「その通り。アルカニス鉱山はエラキスの中でも質量共に優れた鉱山だ。交通の便も良いと来ている。戦後の復興にも貢献するだろうな」
「では、爆破するのはいささか勿体ないのでは。いかに我々の兵団が広範な裁量権を持っているとはいっても……」
「我々は鉱山を破壊する。それはつまり、星術者どもの戦闘目的の一つを破壊するということだ。前に言ったな。この戦争は戦線は膠着したまま、内側から崩れると。コールドロンは最後まで戦うだろう。我々の多少の働きなど、政治家どもの手のひらの上。だから我々は、その政治家どもの利権を破壊してしまおう」
 将軍の命令が各部隊に通達される。爆薬を積んだ自動車化部隊が次々に発進し、彼らは任務を果たしてくるだろう。
 
「フッ。お前もそう思うだろう。アンゼロット。戦争を防ぐには、政治家どもの懐を痛めなければならん。厭戦感情だけでは足りぬよ。誰にとっても損でなければな」

セラフィナイトサイド

ルヴァ歴-25年1月13日、ヴォールグリュック南部、ナウムヴァルデ侯爵領。
当時、戴君共同体は国内に諸侯が乱立し、互いに相争う情勢であった。いや、現在でもそれは変わらない面もあるが。
そのナウムヴァルデ侯爵領のレストラン、暴食王の私城で好々爺然とした六十代くらいの男性と銀の髪をたなびかせる二十代くらいの女性が食事をしていた。両方とも実年齢は四桁だが言ってはいけないことである。
「どうなさいました、アーナルダ卿。突然の来訪とは驚きましたが」
「余裕だな、アドリアン・モーリス。南部でのんびり美食か」
「何を仰いますか。何度も言うように、私はこの度の戦争に関与するつもりはないのでございます。私はいつでも星術を学ぼうとする者の傍らにいるのであって、世界情勢の平安に興味はないのでございますよ。それに私は今レイズフィリークの天文台建設計画で忙しいのでございます。余裕などありませぬ」
「ふ…これといった産業もない小さな村が教育に力を入れて村おこし、その支援活動か。主がアンゼロット様でよかったな。まあいい。ヴォールグリュックの情勢を聞きに来た」
「おや、戦争の始めに聞いたのではありませんでしたかな」
「聞いた。が、少し気になる事態が発生したのでな」
「ほう…お聞きしましょう。食事も加えましてな。食後酒にはベーレンアウスレーゼのいいのを用意してございます」
「ふん。ゆとりがあって結構なことだ。酔いが回ってはかなわないのでワインは遠慮するが」
「上等な食事は考え事をするにもよいのですがね。それに酒も、酔いつぶれては困りますがほどよく嗜めばこれもまたよいのでございますよ」
「わかったわかった。そなたは無類の料理好きだったな。ワインも一杯だけなら付き合ってやるから聞け」
 
【エラキス干渉戦争の悲劇 第六幕、星と月の側より 美食と諸侯乱立に定評のあるヴォールグリュック】
 
「…ふむ。マイティアの森事件ですか」
「聞いたことがないのか?」
「聞いたことぐらいはございますが、あまり有名ではないですな。この国は今内乱中ですしな」
「ふむ。内乱の情勢は変わらず、か?」
「はい。親帝国派の王宮と独立派の西部諸侯がもめていますが、帝国に対しては双方とも中立を宣言してございます」
「それは前に聞いた時もそうだったが」
「そうでしたかな。まあ、であれば状況に変化はないということでございます」
「そうか。国際的にはこの戦争はどう思われているのだ?」
「それは前に聞かれた記憶がありますな…基本的には、産業革命時代の戦争は悲惨なものになる、と。どっちが正しいとか、そういうのはあまり聞きませんな。各国政府は同じ君主制である帝国に好意的なコメントを出していますが、まあ介入するつもりはないようですしな。庶民の間では連盟支持の声もかなり聞こえます。といっても私の活動しているレイズフィリークは連盟人が来て経済が発展しているという認識が一般的なようですので、単純には言えませんが」
「ふむ。この街ではどうだ?」
「この街ではそもそも国際情勢どころかヴォールグリュック情勢への関心も弱いようですよ。まあ、連盟人の私にとっては食材調達に相応しい場所ですね。ここなら何でもそろってありがたい話です」
「…そなたは二言目には料理の話しかできんのか?」
と、そんな会話をする二人の擬天使に念話が入る。
〈聞こえる?アーナルダ、モーリス。モーリスは別にどっちでもいい話かもしれないけど〉
(…なんだ?念話は集中を乱すから好きじゃないんだが、テレーズ)
〈緊急事態だから許して。ベロースがアルカニス鉱山を爆破したわ〉
(何だと?防衛はどうした?というか、ベロースの行動には充分注意していたのではないのか)
〈司令部も南部でクラルヴェルン軍と対峙してる部隊を一部回そうとしたみたいだけど、間に合わなかったみたい〉
「くっ、何やってんの!」
「…アーナルダ卿」
「…すまない、取り乱した」
〈アンゼロットさまがとりあえず戻ってきてって。モーリスは何なら適当にソーセージの箱詰めでも充分だけど〉
(かしこまりました)「アーナルダ卿。これをお渡ししておきましょう」
「なぜ私に渡すし!小包頼め小包!」
「…食事代、払ってもらいますよ」
「くっ、ここで食事代を出しては帰りの便に遅いものしか…いいだろう。私が持っていこう」
「お気を付けてー」

第七幕

クラルヴェルンサイド

 ルヴァ歴-25年、帝国歴にして975年。
 こうして史上名高いベーロス六月攻勢の戦いが開始された。
 
 その日の攻撃について、連盟軍の一兵士パウルス・モンドはこう述懐する。
「その日は小雨でしたが、長靴を履くように通達されました。敵(帝国軍)の砲撃はいつもより長く激しく、塹壕に籠もっていた自分たちも、いつ砲弾が頭上に落ちてくるのか、気が気でない状態でした。そして、自分は末端の一兵士でしたが、帝国軍の総攻撃が近いうちに始まることは容易に想像できていました」
 帝国軍の初手は新たに構築した野砲陣による砲撃だった。砲撃は塹壕に隠れることでその殺傷力の多くを失うが、その日の砲撃は弾数が例日の倍に達しており、この日のために砲弾を備蓄していたことを推測させた。
 そして雨が上がり、太陽がその姿を現した12時ぴったりにその異変は起きた。
「一体何が起きたのか……その時は全く解りませんでした。ただ敵の攻撃が来たと言うことと、ここは危険ということだけがわかりました」
「帝国軍は我々と戦っている合間に、一年以上もかけて地下で坑道を掘り進めていたんです。そして大量の爆薬を我々の塹壕の真下に仕込んで……、砲撃で我々が塹壕に隠れたところを、どっかん!」
 帝国軍がこの坑道作戦に使用した爆薬の量はアンモナル火薬600トン。これを22個の巨大な地雷として敷設し、作動させた。
 この爆発により連盟軍兵士の死者は一万人に達した。爆音は遠くアルティチュードにまで届き、セヴェリアにまで振動が到達したという。
「幸い、自分の足下の地面は爆発しませんでした。轟音で耳が聞こえなくなり、一瞬絶望しました。最初は大地震が起こったのだと思いましたが、味方の陣地で火柱が上がり、陣地が崩壊していくのをみて、敵の攻撃だと確信しました」
「直ぐに帝国軍が大挙して塹壕から飛び出してきました。自分たちの陣地は損害が少なく、機関銃で進撃の阻止を行えました。でも他の区画は次々突破され、小隊長も隣にいたラルゴやケイモス、ドアラも撃たれました。自分はもう駄目だと思って後退しました」
 
 コールドロンは爆発の衝撃によって一時昏倒していたが、意識を回復すると即座に防戦の指揮を執る。連盟軍の複数の塹壕線のうち、損害の大きい五割を即座に放棄し、戦力を集中。「我々に退路はない!」と徹底抗戦を指示した。
 
「残念ながら勝負あったな、コールドロンよ。敗因は後方との連携か。それとも地盤の柔いところに布陣したことか。フッ、まあ塹壕を掘るには向いていようがな……」
 黒騎士ベロースが突撃部隊の後に続いて連盟軍への陣地入りする。
「将軍、ここは未だ乱戦です。お出になるのは危険ではありませんか」
「承知している。しかし今までの苦闘に一つの区切りができるのだ。間近で指揮を執りたく思うのも当然だろう。ヴィルヘルム・シュタイニッツ」
 
 連盟軍兵士パウルスは他の部隊と合流し、ジグザグに掘られた塹壕の中で帝国軍と交戦した。
「自分たちの区画はなんとか、第一波の撃退に成功しました。でも帝国軍は浸透戦術をとっており、抵抗の激しい区画は無視して先に進むのです。数十分後、後ろの区画が落とされ、自分たちは敵中で孤立することになってしまいました」
「自分は狙撃銃を持っていたので、少し高台に潜んで狙撃をすることになりました。そこで、信じられないものを見ました。敵の、帝国の指揮官、ベロース将軍を見つけたのです!」
 
 前線に出る指揮官に、狙撃の危険性はつきものだ。
 細心の注意を払うのは当然だが、リスクをゼロにすることはできない。
 ましてや、ベロースは兵士の士気高揚の為に目立つ格好をしている。
 影武者を使っているという噂もあったが。
 
「手が震え、心臓がバクバク鳴っている音が聞こえました。自分の一発の発砲が、危機に陥っている連盟軍を救うことができるかもしれないのです。チャンスは一度しかありません。私は慎重に慎重に狙いを付け、そして発射しました」
 
 狙撃手から発せられた一発の銃弾。もちろん目では追えない。
 弾は狙い違わずベロースの頭部に直撃した。
 ……いや、直撃しようとした。
 カン…! 銃弾はベロースの頭部を破壊するその手前で、見えざる壁によってはじき返された。ひしゃげた銃弾が塹壕内で音を立てて転がる。
「将軍!?」
「……なんと」
「ご無事ですか将軍、…将軍!」
「喚くな。……ククク、俺が人間だったら死んでいたな……」
「将軍、何を言っておられるのですか……?」
「悪いな、俺は盟約によって人間として参加した。今の狙撃で俺は死んでしまったようだ。以後はお前が指揮を執れ。お前は俺の下で戦ってきた。真似くらいできるだろう」
「そ、そんな事できるわけが……」
「できなければ死ぬだけだ。それは骨に身に染みて理解していよう」
 副官ヴィルヘルム・シュタイニッツの前で、ベロースの姿がふっとかき消える。
「将軍? どちらへ……?」
「さあ行け、生き延びれば黒騎士の称号をやろう」
 それが彼とベロースの最後の会話であった。
 
 
 コールドロンと連盟軍は降伏か逃亡かの二者択一を迫られる状況にいた。
「帝国軍の攻勢が緩んだ……? ここは撤退するしかあるまい。少しでも、一人でも多くの兵士を後方へ送る。セラフィナイト本土が戦場になることはなんとしても避ける」
 
 
 六月攻勢。帝国軍は連盟軍との戦いに勝利した。帝国軍はこの勝利により連盟軍の主要な陣地を占領。セラフィナイト連盟・共和派の両領域に重大な脅威を与えうることができる一方、一万人近くの捕虜を得た。本戦争のうちまれに見る大勝利と言えたが、帝国軍もまた、補いようのない人的損害を受けていた。
 ベロース・エルツ・ヴァルダム将軍は混戦の中で狙撃され、戦死したと伝えられた。

セラフィナイトサイド

アルフォンソ・ルイス・コールドロン中将は北部戦線における連盟軍人の代表であり、現在でも彼の評価は名将と愚将の二つの評価で分かれる。
北部戦線の兵士は最終的な帰還率が全戦線で最も低く、消費した物資は最も多く、キルレートは最も悪く。
一方で、ベロースの指揮する部隊は多くの戦闘で連盟軍に勝利しているが、コールドロン中将はベロースと対等に戦えた連盟軍唯一の指揮官でもあり、ベロース部隊以外の部隊との交戦時にはもっともよいキルレートを示したのも事実であり。
…そんな、この戦争の華であり、多くの注目を集めたコールドロン中将に比して、南部戦線における代表、オットー・エーレンバーグ少将に関する評価は良くも悪くも少ない。
彼はアンゼロット記念大学の出身で航空力学や気象学に詳しく甲種の星術者資格を持ち、暗号解読などでは情報部すらも差し置いてそのインテリぶりを存分に発揮した。新兵器、特に航空機の導入に積極的で、黎明期の航空部隊を指揮し多くの空軍戦術を編み出し、彼の指揮した航空部隊は一度も空戦に負けたことはなく、最後まで帝国軍航空部隊を寄せ付けなかった。兵卒の帰還率は国境警備にあたった部隊を除く全部隊の中で突出して高かったのも特筆に値するだろう。アルカニス鉱山防衛作戦以外に特に失敗したことはなく、その防衛作戦においても司令部が彼に防衛への支援を要請した時間から、彼の責任はあまりないとされている。
これらの観点から、コールドロン中将を愚将とする論者は彼を知将とするものもいる。
しかしながら、彼が陸戦において派手な成功を収めたことはない。また、航空機を使いこなした一方で、その航空機の生産に使われた生産力を北部戦線の陸上部隊の補給に向ければむしろよりよい戦果を出しただろうともいわれる。…これらを総合して、結局のところ彼は多くの場合凡将と評されるのが普通だ。
…そんな南部戦線の、六月のある日の出来事。
 
【エラキス干渉戦争の悲劇 第七幕、星と月の側より たまには南部戦線にも目を向けてあげてください】
 
「第二戦闘機部隊、帰還しました。敵機5機全撃墜。被撃墜2機」
「うむ、お疲れさん。被撃墜二機か…パイロットにはすまないことをしたな。もうすこし気を付けていればな…」
「あなたは神ですか…それはそうと、第一戦闘機部隊の補給が完了しましたが次の任務はどうしましょう」
「次の任務っていってもねえ…さっきのでシャドルバザールの飛行場の部隊は一掃してしまっているし、飛行場攻撃は爆撃機部隊がいまやってるからなあ…あ、そういえば、ベロースがやられたらしいね」
「え、あのベロース将軍がですか!?何があったんです?」
「いや、なんでもコールドロンと混戦を繰り広げた最中に狙撃されたらしくてな。敵さんも混乱中らしい。ま、そんな戦果をあげつつも未だに自分の混乱を立て直せずにいるあたりはコールドロンらしいが」
「へえ…それも暗号解析で得た情報ですか?」
「ああ。といっても本部の暗号解読班からもさっき同じ見解が返ってきたところだが。…で、どうやら帝国は増援を送ってきているらしい」
「増援って…中将の部隊は大丈夫なんですかね?増援を送る余裕が帝国にあったとは驚きですが」
「ま、大問題だろうな。そうだな。第一戦闘機部隊に出撃命令を出せ。適当に混乱を大混乱にしてやれ。高射砲には気を付けてな」
「はっ」
 
「…なんというか、思いつきじみた出撃だなあ」
「しかし以前より北部戦線への支援は本部から要請されていました。少将はそれを受諾しただけです」
「相変わらず堅いねえ。上の命令なしに動けないようじゃ、下の部隊に配属されたら死ぬぞ」
「構いません。栄誉あることです」
「………、まあいいや。なんでも、少将の言うことだとマイティアの辺りにまっすぐ向かえば増援部隊に遭遇できるんだったか」
「そうです。…気を抜かないでくださいよ」
 
「…いるな。数はまあそこそこ、増援っていっても地味だな。高射砲も一門だけか。ほれ、とっととうっとうしい高射砲を機関砲で掃射しろ。迎撃されるぞ」
「あ、はい。…あれは!?」
高射砲の迎撃をかわしつつ砲手の放った機関砲が高射砲を蜂の巣に変え、そして増援部隊の上を通り過ぎた瞬間、砲手は奇妙なものを目にする。
「どうかしたかいな」
「ベ、ベロース将軍…?」
「…?…。ベロースだな」
「…死んだはずでは?」
「影武者…ですかね」
「一瞬だったからよくわからん。誰かと話していたような気がするが…それも、この戦場に似合わぬ服だったな」
「私もそう見えましたが…どうしましょう」
「…この森の中では何が何だかわからん。まあいい、気のせいってことにして、とっととうっとうしい増援を掃討するぞ。…全機、攻撃を開始せよ」

終幕(第八幕)

セラフィナイトサイド前編

ルヴァ歴-25年11月3日、エラキス干渉戦争…いや、正式にはエラキス内戦が終わった。
「マスター。エラキス共和派はエラキス西部の国王派抵抗勢力の排除を完了、これでエラキス全土の掌握が完了しました。エラキス内戦はこれで終結です」
ミリティアの発言に、思案顔でうなずく列席者たち。しばらくはテロなど続くだろうが、既に共和派に対抗しえるほどの力を持つ勢力はエラキス共和派以外になく、王政復古などは見込めない。植民地も次々と共和派への支持を表明している。
「…やっと、終わりましたね」
珍しく微苦笑のない表情で返すアンゼロット。感慨深げ、というよりは何か悲嘆するような声色で。ミリティアにとってもこのような声を聴いたのも五千年ぶりだろうか。
「ええ。…ですが、ここからが問題です」
「そうですね…」
 
【エラキス干渉戦争の悲劇 終幕―前編 星の下で】
 
先ほど、エラキス国内のエラキス共和派に対抗しえる勢力はエラキス共和派しかないと書いた。そう、それが残された課題。すなわち、共和派内部の路線対立。
アンゼロットは資料を手に取り、呟く。
「工業力はほぼ壊滅。疫病が蔓延。治安劣悪。特に東部地域の農村地帯では、セラフィナイトやクラルヴェルンへの人口流出著しい」
「ええ。既に連盟は難民受け入れのための体制構築を進めています。…マインフルトの鉱山会社が大規模受け入れを表明していますから、そっちは任せておいてもいいでしょう」
「何なら、採れた自然白金の一割を労働者に手渡す運動でも始めませんか?」
「それは社会主義者が言い出すでしょうけど、いくらか支援してあげてください。ミュリエルらしい活動だと思いますし。それはそうと…失敗しましたね」
「………本来の目的は、達成されました」
「そうね…第一の目的は、ね。第二の目的は、達成できそうもないですね」
「やはり、そうなりますよね…」
「エラキスの民主化。それが公に掲げた連盟の大義名分であって、私たちのしていた、導火線上での火遊びはあくまでも非公式なもの。それに…現実主義者のベロースには想像できなかったのかもしれませんが、理想は時に論理的な人間すら盲目にするもの」
「あるいは、この世界の民主主義者の孤独が理解されなかったのかもしれません」
「それもありえそうなことです」
この世界の法則の象徴たるディスコードは、のんびり民主制の下で話し合って決めている時間を与えてはくれない。この世界では、民主主義は世界法則と相容れないものなのだ。この当時はディスコードが機能していて、今は機能していないという違いはあるが、未だにその権威主義的な世界は続いている。
故に、民主主義者は常に孤独を強いられる。東フォルストレア、いやフォルストレア唯一の民主共和制国家であるセラフィナイトにとって、たった一人の同志と呼べるのがエラキス共和派だったのだ。
革命には独裁はつきもの。アンゼロットは民主主義者だったが、別にあらゆる状況の解決策として民主主義を提示するほどの原理主義者ではないし、そもそも完全に予定通りに全てが進行した場合でもエラキス国内の産業は甚大な被害を受けているだろうから、戦後しばらくは開発独裁的な手法で経済基盤の立て直しを図ることを認めるつもりだった。いや、そうしなければ綻びが生じるだろう。
だがそれは民主制への短い過渡期であることを前提としてのもの。開発独裁で資本家の懐を温め、徐々にその資本家に政治改革を実行させていって、エラキスに民主制をもたらす。現在のセラフィナイト政府はエラキス併合だの傀儡政権樹立だのを考えていたようだったが、それを阻止する方策は最初から決まっていた。ちょうど今、連盟は選挙の告示期間である。厭戦感情と戦争がもたらした悲劇への反省から、現在の与党であるセラフィナイト国民党は議席を失い、代わって社会民主党が政権の座につき、よりエラキスに自主性を委ねる…というか、戦争から目を背ける政策を採ることになるだろう。
しかしながら、ベロースとの戦闘で常に後方に押しとどめて終戦まで死守するつもりだったエラキス南部の鉱山群は破壊された。これにより連盟資本を投入させようにも投入させるべき対象となるものがなくなった。いや、もちろん鉱山は数年のうちに再建される予定なのだが、このために連盟も帝国も他国の資源を確保して対応しようという考えに傾き、現実に他国の鉱山会社はそれにこたえようとしている。そして、戦争中に建てた鉄道の容量はすでに余剰になり、高規格化への投資計画は既に多くの問題が出つつある。
ちなみに、左右に分かれつつあったエラキス共和派はのちに連盟の社会民主党の影響下で左派勢力中心になるのだが、ここではあまり関係のない話である。
「長い道になりそうですね」
「ええ。数十年くらいかかるでしょうが…しかたないですね。策を弄して世界大戦回避、なんて私たちの本来のやり方ではない指し手をしたのですから。本来の目的を達成できただけでも充分です」
「わたしからすれば、第二の目的を目指すなら擬天使本来のあり方である相互理解をとらないと手段と目的が矛盾してしまうからそもそも無理だったと思いますけどね。まあ、どうあってもできることではなかった、と」
「フィリオリのいうことも道理ですね。時に、ミリティア。…主従に基づく義務として命じます」
これは初めてのことだ。アンゼロットにミリティアが仕えて久しいが、アンゼロットは一度も主従関係をよしとしたことはない。が、ミリティアは特別驚かず、臣従の礼を以て応じる。
「何なりと。マスター」
「エラキスに向かいますよ。状況の確認をしましょう」
ついでにあなたは夢魔として、絶望の吸収も。ということは、わざわざ言及することではないと誰もが理解している。ミリティアは短く返す。
「仰せのままに」
「ではこれにて解散。夜天はあらゆる色の月と星を受け入れる」
「「「「「「夜天はあらゆる色の月と星を受け入れる」」」」」」

クラルヴェルンサイド

【エラキス干渉戦争の悲劇 クラルヴェルンside-8 夢魔たちの終戦】
 帝都メッサーナと夢遊宮の空に色とりどりの花火が浮かぶ。
 音楽屋の演奏が各所で奏でられ、酒樽が解放され、露天が並び人々は浮かれ騒ぐ。
 街路を舞台に夢魔と復員兵がワルツを踊り、市民達は羨望と祝福の念を込めて囃し立てる。
「まるで戦争に勝利したかのような騒ぎね」
 市内の喫茶店のテラスにて、ピースフルドリームがやや憮然とした表情で呟く。クルーエルドリームはロスマリン・ティーを啜ると、カップを受け皿に置いた。
「結末にご不満?」
「不満がないと言えば嘘になるわね。一年目はともかく、二年目以降は帝国が優勢。継戦すればセラフィナイトも共和派も駆逐できたのに、何も得ることなく撤退だなんて」
「天秤政策ですもの。勢力均衡を目的に派兵したのに、帝国がエラキスを併合してしまえば周辺国に"悪い子"と見なされるわ」
 エラキス干渉戦争は王党派の瓦解と国王の帝国への亡命により終了した。
 出兵の名分を失った帝国軍は撤退し、内戦は共和派と連盟軍が勝利。エラキス全土を手中に収めつつある。帝国は撤退はしたがセラフィナイトに対して最後通牒を通達。セラフィナイトからは即座にエラキスからの撤退声明と関係改善の申し出を得た。
 こうして惑星ルヴァース初の近代戦争は終わった。
「でも天秤は崩れたわね。エラキスはもう立ち直れないかも」
「そうですね。今度は共和派同士の内乱ですか……。ソフィーヤがビショップに昇格したそうですし。もうしばらくはサイコパスゲームをしなくても良さそうです」
「結局、……天使たちは何がしたかったのかしら?」
「わかりません。天使の魂は夢魔には理解できないのかも。それでもあえて推測するとしたら」
「したら?」
「文明と社会の促進。でしょうか。戦争の為に帝国は様々な改革を余儀なくされました。労働力が足りなくなって女性も普通に働くようになりましたし、次の選挙では国民の不満を抑えるために完全な普通選挙が実施されるでしょう」
「まってよ、そんなの戦争の被害と全然釣り合わないわ。何人死んだと思っているのかしら。もう戦争はこりごりよ」
「ええそうね。もう戦争はこりごり……そう思わせることも狙いなのかも。つまりは、全ての戦争を終わらせるための戦争。あるいは戦争の惨禍を知らしめるための戦争」
「フッ、クルーエルの推測で大筋間違いではない」
「ベロース様!?」
 戦死したと伝えられた男の登場に驚くクルーエル。もとより黒騎士の死など信じていなかったが。
「アンゼロットは大破壊を予見したのだ。西方ルヴィド=エドと東方クラルヴェルンの衝突と、それに伴う大破壊。フォルストレア全体がエラキスのようになることを予見した」
「政治家どもの安易な決断を防ぐ為、戦争から幻想と煌めきを奪い去る必要があった。そういうことだ」
「…黒騎士様は私達より深く洞察しておられるのですね」
「気にするな。お前達は記憶の大半を封じられている。全てを理解せよとは天使も思うまいよ」
 
 
 ジャスリーさま程じゃないけれど、アンゼロットも甘いわね……。
 私は貴方と同じプライムミニスターとして、国民を近代戦に放り込んだことが何度もあるわ。
 為政者は安全な所にいるもの。戦争の惨禍なんて知らない。核シェルターの中から平気で戦争を起こすことができる。ジャスリーさまのように末端の兵士を思いやったり、ベロースのように前線に出たりしない。安全な所から国民を扇動し、憎悪と義務を煽るの。
 それはその為政者が腐っているからじゃないわ。それが国家と国民の利益の為。
 まーいーかー......
 いつかセラフィナイトにお邪魔しましょ。
 そして貴方の理想を見せて貰いましょう。
 
 
 ジャスリーさまはいつものように、中庭の安楽椅子に座って目を閉じていた。
 テーブルには飲みかけの紅茶と、編みかけのマフラー、書きかけの便箋。
 宰相と将軍は戦争被害の責任を取り、職を辞した。融和論を望んでいたジャスリー皇帝は相対的に発言力が高まり、帝国民の世論と皇帝の意思はここに一致した。
 来月にはセラフィナイト政府と首脳会談を行う予定があり、ジャスリー皇帝はエタブリッシェに赴く。また新たな戦争が起こるのではないかという両国民の悪夢を拭い去る、大切な会談だ。
 戦後復興の協力。捕虜の交換。連盟で不足している医薬品と燃料の供給。地中海港の利用権。エラキス難民への共同対処。マイティアの森事件の共同調査。共和系政治犯への恩赦。それからそれから……。
 帝国と連盟は、フォルストレアの安寧を共に守護する強固な関係で結ばれるだろう。
 
 
「ジャスリー女帝。帝国の戦死者達の魂は、貴賤なく確かに天上に」
 鎧装束に身を包んだ女性がジャスリーさまに語りかける。天上の使者にして戦乙女。誇り高きイーゼンステインの女王。
「ありがとうございます、ブリュンヒルデ様。彼らの魂は報われるでしょう」
「我が王国も貴国らの戦争には注視していました。貴方方の戦いぶりは賞賛にあたるものでしたよ。戦士達の健闘は、戦争の悲劇とともに長く語り継がれるでしょう」
「恐れ入ります。ところで、帝国では軍政改革を進めています。よろしければ、北フォルストレア随一の強国であるイーゼンステイン王国の制度を参考にしたく存じます」
「歓迎致しましょう。演習を行うのも良いかも知れません。それと、我が妹ヘルムヴィーゲが帝国への滞在を希望しておりますが、宜しいでしょうか」
「はい。こちらこそ歓迎致します」
 
 そろそろ自分も終戦祭に顔を出さないと。ジャスリーさまは書きかけの便箋に向かう。
 便箋押さえとして、小さな花瓶が一つ。小さく可憐なムラサキツユノクサが飾られている。
 あの日、観光客から受け取って二年以上経つにも関わらず、萎れていない。
 ジャスリーさまはそれを特段不思議とは思わず、便箋にペンを走らせる。
 そして書き終え、署名すると終戦祭へ向かった。
 
『愛しいアンゼへ
 来月2日、仕事の関係でセラフィナイトに行きます。
 戦争について、一杯書きたいことはあるけど、書ききれません。
 だから、会ってお話しましょう。
 貴方と手を繋いで、紅茶を入れましょう。
 私は遙かな理想を追い求める貴方が好き。
 心配してくれて、慰めてくれる貴方が好き。
 我が儘を言っても微笑んでくれる貴方が好き。
 夢魔の甘言に決して溺れない貴方が好き。
 これからもよろしくね。
                           ジャスリーより』

セラフィナイトサイド後編

エラキス東部の片田舎にある小さな村、マイティア。
その外れの森の中で、月明かりを浴びながら、幻月の学徒アンゼロットと夢魔ミリティア・アロートは惨劇の現場を確認する。
二人とも言葉はない。アンゼロットは何も言わず、魔法の光で手向けの花を精製する。
次に、…それがある種最上級の無礼と知りつつも、それが彼らの最大限の望みゆえに、最高精度の魔法によりこの全てを走査する。
ミリティアは目でアンゼロットが得た結果を問う。アンゼロットは微苦笑ではなく苦渋の混じった無表情で応じる。
それは、エラキス王党派の同胞殺しの暴挙を知ったが故か。とあるクラルヴェルン人の彼女に対する背信を知ったが故か。あるいは…セラフィナイト軍人、それすなわち一般市民の愚行を知ったが故か。それとも全く異なった何かがあったのか。
ミリティアはその表情からすべてを読み取り、夢魔としての魔力を解き放つ。
それは、塵も灰もすべてを夢に変えた。そして、そこに残されたのは整った墓標と地中に丁重に埋葬された一万のエラキス人。
その墓標に刻まれたのは、自らに対する、最大限の諷意を込めた皮肉。首謀者に指示できる立場ではなかったといっても、この戦争を招いた責任は自らにもあるのだから。
これで、真実を知るのはこの首謀者たちとアンゼロットとミリティアのみ。
 
【エラキス干渉戦争の悲劇 終幕-後編 月の下で】
 
さて、二人はマイティアの宿に戻り、部屋の窓辺でミリティアの淹れた紅茶片手に静かなお茶会を始める。口火を切ったのはミリティアだった。
「…マスター。これで、戦争は終結しました」
「そうですね」
「この戦争…確かにこの時に指さなければならないものだった、というのは今でも変わりありません。そして、私たちは表向き一つの、裏向き一つの目標を掲げました」
今この時が、世界全体から見て相対的にセラフィナイトとクラルヴェルンの工業力が極大となる時期で、そしてどうせクラルヴェルンと指さなければならないなら、いずれ起こる運命にあるこの戦争に他国が介入しえる力を得る前に終わらせてしまおう、という考えは、魔法を理解している者達にとっては納得のいくものだろう。事実、それは大義名分がある戦争をも良しとしない七人の擬天使たち自身を納得させたものだったのだから。大義名分で戦いはできなくても、諦観で戦うことならできるのだ。
そして、諦めてしまえば、導火線に火をつけることは容易いことだった。いや、彼女たちはいままで全力でその火を押しとどめてきたのだから、単純にそれをやめてしまえばすむだけの話だった。
セラフィナイトは民主主義を掲げるただ一つの同志のために。クラルヴェルンは均衡の維持のために。エラキス国王派は古き血筋を後世に伝えるために。エラキス共和派は自らを縛る鎖を解き放つために。アンゼロットは変えられない痛みをせめて小さくするために。ジャスリーさまは国民の声の下にあるがために。
エラキス内部で散った火花は、瞬く間にセラフィナイト国民の世論を酸化性物質とし、クラルヴェルンで勃興しつつあった中流階級の世論という引火性物質を沸騰させ、…しかし延焼することはなかった。戦争の制御という意味では、アンゼロットは成功した。彼女にとって唯一予想外だった事態はマイティアの森事件だが、これはセラフィナイト人やクラルヴェルン人の死者数からすれば誤差にすぎないものだった。その誤差は、一瞬の助燃作用を示しはしたが、結局のところ切れかけていた燃料を払底させ、戦争の終結を予想よりも多少早めた。…いや、そう単純に切り捨てられるものでもないのだが、今となっては彼らを救う方法はない。
「近代戦に対する忌避感情の醸成という目的は、達成できました。でも…そうですね、フィリオリの言っていた通り、これは道理ですね」
「エラキスの民主化は図れなかったこと、ですね。マスター、…私はただ一人、擬天使の中であなたの訪れた世界をすべて知っています。もちろん、あなたの生まれた世界も」
「…そうでしたね」
「あなたの民主主義への思い入れ、察するところあまりあります」
アンゼロットは民主主義者だ。流石に最初にこの世界に来た際に直ちにその中世封建社会を突き崩そうと考えるほどではないが、彼女にとってこの世界が近代に入り各国で民主化が進んでいく様子を眺めることは、ささやかな…いや、彼女にとってはこの上ない楽しみの一つとなったはずだったのだ。…だったのだが、それは世界律に反する期待だった。
「…理解はありがたいですが、それを認めることは私の信条に反します」
「でしょうね…ですが、それを察したことだけ、知っていてほしいのです。もう一つ叶うのならば、共感している、とも」
あるいはそれが、ミリティアが夢魔でありながら擬天使でもあるという、魔族でも珍しい例となった理由かもしれなかった。
「ありがとう。ミリティア」
アンゼロットはそういってティーカップを傾ける。ミリティアはそれが水平に戻るのを待って、話を変えた。
「…時にマスター。この後、どうなさいますか?せっかく時が来たのに、これではあまりにも興がないでしょう」
「そうですね…まあ、彼女の国の政治改革の進展を、楽しみにしましょうか。セラフィナイトの民主主義者と、絶対ならざる民主制の下で」
そういって、アンゼロットはティーカップに二杯目の紅茶を注ぎ、角砂糖を放り込んだ。角砂糖が溶けると、アンゼロットはティーカップを傾ける。溶けた砂糖は視覚からは消えるが、その糖分が消えたわけではない。そう思うに至り、アンゼロットは久方ぶりにミリティアの見慣れた微苦笑を浮かべる。この戦争が招いた惨劇を忘れることなしに、夢魔の無理解への嘆きのみを消し去る。それは要らぬ感慨だから。ミリティアが理解してくれたなら、それで充分。彼女たちにその理解を求める必要はないのだから。言い聞かせるでもなく、胸からあふれる感情でもなく、ただ淡々とそう感じ、さて、誤解をどうやって解こうか、とミリティアと次の必要事項を協議することにする。
…そこに、とある人物が現れる。アンゼロットはこう言う。
「来ましたね」

おまけ

【エラキス干渉戦争の悲劇 おまけという名の要約】
 
「顧客(アンゼロット)が説明した要件」
制御された破壊と、世界への近代戦の教育。それによる厭戦感情の醸成。大破壊の回避。これだけ言えば理解して頂けますか?
「プロジェクトリーダ(ジャスリーさま)の理解」
平和主義者のはずのアンゼがエラキスに干渉を始めた。わけがわからないよ。でも均衡崩されるわけにもいかないなあ…。
「アナリスト(ピースフルドリーム)のデザイン」
擬天使(アンゼロットたち)が天使(ミュリエル)と組んで夢魔を打倒しにきている!仕方ない、こっちも黒騎士を…。→プロジェクトの書類
「プログラマ(ベロース)のコード」
戦争の制御などできぬよ。まあいい、協力してやるか。→実装された運用
「営業(帝国軍将軍)の表現、約束」
この戦争は夢魔顕現祭までに確実に勝利できます!→顧客への請求金額
「プロジェクトの書類」
ベロース召喚魔法陣。
「実装された運用」
北部戦線が地獄に。
「顧客への請求金額」
両国とも壮絶な戦費と人的資源を消耗。
「得られたサポート」
マイティアの森事件。エラキス経済は壊滅。
「顧客(アンゼロットと連盟)が本当に必要だったもの」
エラキスの民主化。とはいえ、これは連盟が公式に掲げた理由だから二度言うこともないか。帝国軍に理解してもらわなければならないのは戦争を制御する気があることだけだし。

追想 真実などない。あるのは観測者の数と等しき数の事実

月明かりに照らされるマイティアの森で。
「遅かったか」
「あなたが遅かったのではありません。あなたが私より早く到着しないように導出しただけです」
「…まあいい。これは、何だ?」
「おや、これとは?」
「…擬天使の魔法で惨劇の現場は全て隠蔽された。それはいい。俺はそれについてはお前と話をすればそれでいい。…この、夢魔と黒騎士の魔力の強烈な残滓は何だ?これほどの魔力…結界の解呪ではない。明らかに、戦況に干渉する魔法だ」
「それについては、私の説明する義務はありませんので」
「知っているのか」
「この真実を隠蔽する際に、副次的に、ね。ですが、あなたが問うべきはこの土中に眠る真実でしょう」
「悪いが、これほどの魔力、SSVDとして見逃すわけにいかねえな」
「では、どうしますか」
ライトは黒き太刀を構える。…できるだけの対魔法抵抗を付加し、アンゼロットに相対する。
「真実を、追い求める。職務だ」
「…わかりました。いいでしょう」
 
【エラキス干渉戦争の悲劇 外伝2解 交錯する虚実】
 
「この土の下に眠る真実を問う前に、まずはこの魔力について問おう」
「いいでしょう。職務規定に則り、守秘義務を課した上で、答えましょう」
「この場所にいた夢魔と黒騎士は、何をしようとしていた」
「黒騎士は単に夢魔の幻惑の傘の陰に隠れようとしただけです。夢魔は…私と同じです。土中の真実の隠蔽。帝国軍…といっても近衛兵のような儀礼部隊のようですが。それを引き連れていたようですね」
「失敗したのか」
「ええ。おそらく、この戦場で唯一、魔法を通常兵器が凌駕した例でしょうね」
「何があった」
「エーレンバーグ少将指揮下の戦闘機部隊が、偶然にもその夢魔たちを帝国軍の増援と勘違いし、攻撃をかけただけです。それを逃れようとした。規則として、悪魔と魔族はこの世界でいうところの交戦者になることを禁じられていますからね」
「戦況に干渉したのは、むしろ擬天使のほうだった、というわけか」
「なぜそのような推定を?」
「単純なことだ。戦闘機部隊が夢魔の傘に入った帝国軍に気付けるわけがないだろう。気付いたならば、何者かによる魔法的干渉があることにならァ」
「…やれやれ。ま、確かにエーレンバーグ少将は対魔法のために用意した駒ですよ。彼には自身に不利な魔法を無効化できるようにしてありましてね。使いたくはなかったんですが」
「そう言うと思った。だがおかしい。そもそも、夢魔はなぜそのタイミングで隠蔽を図った?あの時リスクを負わなくても、あとからでも手は打てたはずだ」
「私は夢魔ではありませんから実際のところはわかりません。ただ、夢魔にとってもあなたの捜査能力は脅威だったんじゃないですか?」
 
 
 
「第一の赤。〈私はこの事件の隠蔽以外に、この事件に関与していない〉
「やはりか。そうだな…[この事件には魔法が使われている]
「二十の楔で砕いたほうが手っ取り早いんじゃないですかね。私は否定も肯定もしませんが」

追想2 ある山小屋の来歴

(練習的に多少地の文を入れてみる。正直微妙)
ルヴァ歴-24年1月21日。アルフォンソ・ルイス・コールドロン大将(終戦時に昇進)はこの時60歳で、彼の妻フェリシアは54歳であった。彼らの息子は…長男、次男は戦争中に死亡。長女は戦争前に結婚しており、既に家にはいない。そして、帰ってきたコールドロンと会うことはついに希望しなかった。
さて、コールドロンはエタブリッシェの家を引き払い、郊外に移ることにした。そして、ちょうどいい条件の建物があったので、その持ち主の資産家を訪れたのであるが…。
「…あの別荘を買い取りたい、ですかな」
「ええ」
「ふむ…肉屋でも開かれるのですかな?」
資産家は皮相めいた笑みを浮かべる。コールドロンは返す。
「いえ…その、孤児院を開こうかと」
「ほう」
資産家の皮相な笑みは深まる。
「提示した資金は持参しているのですかな?」
「はい。どうぞ」
「ふむ。その前に、一つ言わせていただけますかな」
「何でしょう」
「私のたった一人の息子は徴兵で北部戦線に出撃しましてね。マイティア防衛戦で帝国軍と交戦し亡くなりました。あなたはその名も知らないでしょうがな」
「お名前をお聞かせください。何か覚えているかもしれません」
「ハインケル・クレッツベルン。階級は…上等兵、とかいうものらしい」
「…申し訳ありません。存じておりません」
「ほう。クレッツベルンの名もご存知ありませんかな?」
「いえ…それは、知っています。リーゼロッテ三大銀行の一つ、クレッツベルン銀行の創業者一家。本家、なのですか?」
(資産家ははっはとさぞ愉快そうに笑みを漏らす。…それがかすかな苦いものを含んだことをコールドロンは気付いていたが、それを聞くことは不躾だろうとも察した←こういう解説いらねえ?)
「馬鹿な。本家の一人息子が最前線に出ることもあるまいな。はっはっは!もうよい。これが契約書。サインすればあなたはもう私のくだらない話を聞く必要はなくなるわけだな。さあ、サインしたまえ。無論、ここで契約せずにそのアタッシェケースを持って帰るのも自由だがね」
(無論コールドロンはクレッツベルンの名を聞いた時に連想していた。しかし、それを覚えていないということは不誠実な態度だと考えたのである。どうやら、この偏屈な資産家にはそれでよかったらしい)
「いえ、くだらなくなど…」
「世辞などよい」
(一言言うと宣言して、一言を過ぎたのだ。もう話すことはないということだろう。というより、早くサインして帰れと思っているのだろうか)
コールドロンはそれ以上話そうとするのをやめ、契約書にサインし、アタッシェケースを渡した。
「確かに契約は成立した。これが鍵、そしてこれが権利書だ。持って行きたまえ」
「はい。…今日は、ありがとうございました」
「ああ。それではな。孤児院、うまくやりたまえよ」
 
(…それから27年…すなわち、ルヴァ歴3年。)
(この辺書きかけ)
 
「そういうことがあったのね」
ルヴァ歴30年、陽気のうららかなある春の日。セラフィナイトとクラルヴェルンに国境の山岳地帯に位置する療養所。
…エレオノーラ療養所。
「来歴は聞かなかったのですか?」
「ただの山小屋としか聞かなかったわね。やけに設備が整っていると思ったけど。というか、むしろそんなことまであなたが知っている方が驚きよ」
「アルフォンソ・ルイス・コールドロンの戦後の話は調べれば出てくる程度には有名ですよ。本人の出した伝記は戦中のものだけなので人口に膾炙しているとはいえないですけど」
「調べれば出てくる、ね」
「マイティアの森事件のように調べてもわからないことというのも世には多いですけどね。調べればわかるというのは楽でよいことです。あれの真実は誰も知らないですからね。もちろん、私も」
(この状況でマイティアの森を引き合いに出すのがなんとも言えない。そもそもこれでは調べたと言っているようなものである。そして最後がやたら白々しい)