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1999/7/15,or opening the gate of scholarship.

アンゼロットサイド

1999年7月15日、ニューファンドランド主都セント・ジョンズ外れの高台。
ちなみに、とある世界線ではギネスとかいう本に世界一霧が濃いとして紹介されている。
全く関係はないが、この当時はY2K問題で世界中のIT関係者の仕事が山積みになったりしていたりする。が、それは別の話。
それはとにかく、そんな世界屈指の濃霧多発地帯の海霧を眺めながら佇む少女(注:年齢は三千台)が二人。
「………」
「…」
彼女たちはThe cold worldと呼ばれる世界のウィルバー合衆国という国で教育者として活動していたのだが、人間として振る舞うにはそろそろ勤続年数を怪しまれる頃合いになったので、世界間移動をすることにした。
…した…のだ…が。
「…これはまた、とんだ世界に来てしまいました」
「仕方ないでしょう、マスター。まさか悪魔と独裁者が組んでディストピアじみた世界が生まれる…なんて、現実に起こるとは思いませんでしたが」
「ですね。…出直しましょうか、ミリティー」
「マスターができるのならそうしますけどね」
アンゼロットは微苦笑して前言撤回する。
眼下に広がるスラム街と、翻るハーケンクロイツ。
…どうも、おかしな世界に迷い込んでしまったようだ。

郊外の瀟洒なティーハウスに入り、ヌワラエリヤのストレートを頼む。資金なら問題ない。貴金属は世界を越えても通用するので便利だ。
「…で、どうします、マスター?」
「うーん…ひとまず、整理しましょう」
机を一なで。アンゼロットとミリティー以外には見えないように設定された状態でホログラム表示用の魔法陣が展開される。
映し出されるのは、世界そのものに関する情報。さまざまな定数、魔法的な状態関数…たとえば、結界の有無。
「結界はなし。世界規模の魔法干渉もなし。外から見ればごく平凡な世界ですね」
「しかしこの中で行動するんでしょう?軽度の結界ぐらい張った方がいいんじゃないですか?」
「私とミリティーの二人だけでは世界規模の干渉は少々骨が折れますね。それに、フィンスタアニス卿は既に内部に専用に特化された召喚魔法陣を配置しています。この召喚を跳ね返す結界は…単純に結界の強さの問題ではありますが、そういう大規模大出力なのは苦手分野ですしね」
「それに、私たちの固有値の混じった結界では、肝心の魔蟲を避ける効果は期待できない…と」
「魔蟲相手なら不可視化はする価値があるでしょうが…その場合、フィンスタアニス卿相手には居場所を堂々と宣言するようなものですね」
「ではどうしますか」
「解呪しましょう。ドイツにはいったん滅亡寸前のところまでいって貰うことになりますが、まあ仕方ないですね。…と大見得切ったところで、そもそも下準備に結構時間がかかるんですが」

フィンスタアニスサイド(べいろす)

 カッチ、カッチ、カッチ。
 時計が鳴る。
 まだか、まだかと鳴り響く。
 何度も、何度も、何度も。
 気が狂うように鳴り響く。

 カチ。

 音が止まる。
 そして、少年が手に持った白銀の懐中時計の針は零時を指していた。

「時間だね」

 少年が告げる。

「現在時刻を記録するよ。それは、1999年7月15日零時零分」

 少年は暗い地下聖堂の壁に、無数の針に串刺しに、貼り付けにされている男を見上げる。

「アドルフ・ヒトラー。君の望んだ刻が来た」

 貼り付けにされた男は答えない。生きているのか死んでいるのか。普通に考えれば生きてはいまい。少年は構わずに語り続ける。

「刻は動き始めた。君の見た狂気と悪夢は、誰かの干渉によって終わる。覚醒の鐘を持った誰か。悪夢からの解放には相応しいじゃないか」

 少年は死を司る悪魔である。死神。死霊たちの主。闇の支配者。
 指し手。夢魔姫の弟。最も古く、最も強大な悪魔の一人。

「築き上げたものが失われるのは哀しいかい? あらゆる物に永遠なんてないんだよ。人も国も生まれては死んでいく。この宇宙でさえ、いつかは死んでしまう」

 ゆらめく生と死の境界を操るもの。
 人も魔も、ありとあらゆる生物は死から逃れることはできない。

「僕は……そうだね。召喚者がいれば君たちにふたたび力を貸そう。でも、その代償は高くつくよ。世界そのものが終わってしまうかもしれない」

 『XXI 世界:The World』。冥帝。死と破滅と狂気を飲み込むもの。
 優美なる美少年。彼の名は、フィンスタアニス・エルツ・クラルヴェルン。

「歓迎するよ、来訪者。さあ高貴なる抵抗を見せておくれ」

2011/9/3(べいろす)

 アーネンエルベの突然のロンドン空爆によって瓦礫と化した区画。
 家屋が半壊しようとも、意地で営業を続ける気骨のあるレストランがあると聞いて、アン2世は身分を隠し訪ねることにした。
 そこで彼女が見たものは、カフェテラスにて優雅にダージリンティーを啜り、アップルパイをフォークでつつく旧友の姿。
「……どうして貴方がここにいるのですか」
「アン2世に会いたかったからじゃだめかしら?」
「それは構いませんが。相手はフィンスタアニス卿です、協力してくれるのですか」
「ごめんなさい、今回の私は観戦に徹するわ。これは貴方の試練だと思うし、ルークを失ったの」
「貴方が手傷を負うなんて珍しいですね」
「ちょっと、抹殺者とね。撒いてきたから大丈夫よ。結界も張ってあげましょうか」
「いえ、貴方の負担が大きいでしょう。それにこの世界のホストは私たちではありませんし。……貴方がホストだったらどれほどの結界になるのでしょうね。察しはつきますけど」
「機会があったらね。じゃあ、今はお言葉に甘えて休養に専念するわ」
「そうしてください。でもここに来た目的はそれだけではないのでしょう」
「ええ。予感がするの。テリブルドリームの名前を継げる、高貴なる魂との邂逅を」

2011/9/4

フィンスタアニスサイド(べいろす)

 カッチ、カッチ、カッチ。
 時計が鳴る。
 まだか、まだかと鳴り響く。
 何度も、何度も、何度も。
 気が狂うように鳴り響く。

 カチ。

 音が止まる。
 そして、少年が手に持った白銀の懐中時計の針は零時を指していた。

「時間だね」

 少年が告げる。

「現在時刻を記録するよ。それは、2011年9月4日零時零分」

 少年は暗い地下聖堂の壁に、無数の針に串刺しに、貼り付けにされている男を見上げる。

「アドルフ・ヒトラー。君の望んだ刻が来た」

 貼り付けにされた男は答えない。かわりにしわがれた手を震えさせる。わずかに、わずかに。見る者にかつての独裁者を想起させるように。少年は構わずに語り続ける。

「君の都は黒い炎に包まれ、空からは黒い雨が降る。先陣を切るのは猛火の死霊。彼らの二十倍の戦力を用意した」

 悪夢の時代の再来かな。お姉ちゃんが不干渉であるのなら、死霊の兵団を止められるのは彼女くらい。

「さあ盲目の生贄よ、健闘を期待するよ。せめて一分。いいや二分」

アンゼロットサイド

シティ・オブ・ロンドン。大銀行や保険会社・取引所が軒を連ねる世界有数の金融センターである。
伝統から英国国王の立ち入りには市長の許可が必要なのだが、アンゼロットはアン2世の指し手であってその人ではないので、特に気にしない。
「かなり早くから攻めますね、彼らは」
アーネンエルベの電撃的なベルリン攻略作戦。その影響で、ここロンドン証券取引所の喧噪はいつもよりさらに激しい。その一角で、話し込むドレスとメイド服の少女ふたり。
「アーリー・クイーン・ムーブは適当に抑えて引かせるものですけどね」
「私は大陸ヨーロッパにある駒は指せませんからね…あとはチェコがどこまでできるか、ですね」
「…任せておけるでしょうか?これでは、歴史を繰り返しているだけのような気がします」
「そうですね…参りました。今回は彼女は観戦者だそうですし」
「彼女?…ああ、ジャスリーさまですか。珍しいパターンですよね。もっとも、ジャスリーさまが指し手になったことも少ないですが」
「今度ホストとして実力を見せてくれるらしいですよ。今回はバッキンガム宮殿でお昼寝だそうです」
「え、あれ、宮殿の部屋貸しちゃったんですか!?」
「そんなに驚くことですか?確かにシェルター強化したとはいえ危ないですが。キャンディかケアンズあたりの邸宅を貸そうかとも提案したんですけど、ヨーロッパがいいって言ってたんですよね」
「確かに、何かとヨーロッパの方が何にしろ便利ではありますね。自由に暮らすならケアンズのほうがいいと思いますけど」
「個人的にはもし自由に暮らすならキャンディでハイグロウンティー飲んで過ごしたいですけどね」
「相変わらず紅茶狂ですねえ。一応紅茶以外もいろいろできるんですけど。最近は紅茶専門になってしまっています」
「腕は確かに上がっていますよ。そろそろ前人未到の領域に達しつつありますね。…と、そろそろお嬢様のお仕事の時間ですね。行きましょうか」

フィリオリ・エルクリス、あるいはテリブルドリームの三部作(べいろす)

 選別プログラム。
 アーネンエルベが考案した、収容所に少年少女五十人を閉じ込め、武器を与え、互いに殺し合わせるプログラム。
 一体何の意味があるのだろうか。
 しかしフィリオリにはそんな疑問について考える余裕はなかった。
「死なないで」
 自らを守る為に傷を負った少年に、包帯を巻きながら語りかける。
 腹部に何発も銃弾を受けている。血が止まらない。……おそらく助からない。
「死なないで。ディートリヒ」
「ああ……」
 少年は少女の為に、激痛に堪え、微笑みながら言葉を紡ぐ。
「フィリオリ、泣かないで……」
 少年が発声できたのは、たったそれだけ。死に行く少年と生きている少女は手を握り、別れを惜しむ。
「好きよ、ディートリヒ……」
 噎せ返るような血の匂い。散乱する死体。涙も枯れ果てた血まみれの少女。


「プログラム終了。生存者、フィリオリ・エルクリス。七番ゲートまで移動せよ」
 スピーカーから事務的な声が聞こえる。
 少女は聞こえていたが、すぐには立ち上がらなかった。最後に少年の衣服を整え、キスをして最後の温もりを感じる。
「プログラム終了。生存者、フィリオリ・エルクリス。七番ゲートまで移動せよ」

 よろよろと。疲労と打撲による痛みを堪えつつ、フィリオリは壁伝いに歩く。
 指定されたゲートは開いており、太陽の光が差し込んでいる。
 あれこそが希望。自らを守るために死した少年に報いるためにも、少女は生きていかねばならない。
 恐怖と狂気の空間から少女は生還を果たした。

 そんな彼女を待ち受けていたのは、銃口を向けるアーネンエルベの兵士たちだった。
 銃の恐ろしさは身を以て知っている。一度照準を合わせられたら、もう逃げられない。
「どうして……?」
「目障りなのだよ」
 たったそれだけの返事。
「寂しい……」
 フィリオリは胸に手を当てて、目を閉じる。
 恋人のキスを待つ少女の様に。すべてを悟り受け入れた聖者の様に。
 もう涙は出なかった。
 そして数十発の銃弾をその身に受けて、検死すら不要の絶対の死に誘われた。



「こんにちは」
 痛くない。寒くも暑くも。ふわふわとした不思議な感覚。
「こんにちは、フィリオリ」
 気がつくと、少女は瀟洒な庭園の中、ティーテーブルの椅子に座っていた。
 テーブルの向かい側には不思議な服を着た女性。
「こんにちは。……ここは天国なのでしょうか」
「いいえ、私はジャスリー。夢魔です」
「……夢魔?」
「はい。夢魔。悪霊や幽鬼とも呼べる存在です。
 貴方の高貴なる魂は、天上で歓迎されるでしょう。安息の後に大きな魂と融合し、すべての記憶を失って転生を待つことになります。
 ですが、もし貴方が望むのなら。
 その姿と記憶をとどめ、未練を為したいのなら。
 貴方を私の眷属として、夢魔として迎えましょう」
「悪魔の誘惑ですね。成仏するか、幽霊になるかということでしょうか」
「はい」
「……それなら、答えは決まっています。彼と約束しました。生きて幸せになると」
「そう。ではこの契約書にサインを。
 歓迎します、テリブルドリーム。ようこそ、闇の世界へ」

下(大英帝国の中の人が護るべき日々)

 時代を通して同時に百八人しか存在しない夢魔において、新たなる夢魔が誕生するのは珍しいこと。
 ミリティアにとっても生まれたばかりの夢魔を見るのは初めてのことだった。
「どうですか? ここは宮殿ですから、派手でない女物の衣服って意外に少なくて」
「いいえ、素敵です。有難うございます。ミリティア様」
 姿見に写った自分を見ながらフィリオリが応える。ストリートチルドレン育ちだという彼女も、ミリティアが見立てた高級な衣服を着るとたちまち「良いところのお嬢さん」に変貌した。
 魔力の使い方さえままならない、か弱い雛鳥のような夢魔フィリオリ。
 ミリティアはもちろん、彼女の辿った運命を知っている。最初彼女のことを聞いたとき、その運命に涙して、そして自分が人間だった頃を思い出してまた涙した。
「今頃マスターとジャスリーさまはお茶しています。ご挨拶に行きましょう」
「マスター?」
「ええ、マスター。盟約者。貴方も解るときが来るでしょう」
「盟約者。素敵な響きですね。……好きな人なのですか」
「ふふふ。ええ、マスターは私の誇りです。あの方のお役に立てるならば何でも」
「私は……、お母さんになってくれると言って頂けたジャスリーさまのお役に立ちたい」
「そんなに気負わなくても良いですよ。そばにいて、甘えているだけでもジャスリーさまは喜ばれるとおもいます。私たち夢魔は家族に憧れる面もありますから」

 そう。そして貴方の、私たちの絶望が、ジャスリーさまの力になるのだから。

 ドイツ第三帝国、デュッセルドルフ。
 ハーケンクロイツが掲げられ、軍人たちがうろつき、市民達が怯えながら暮らす街。
 この街で子供たちの姿を見かけることはない。アーネンエルベの本拠であったこの町では根こそぎで子供狩りが行われ、多くの場合何処かの施設に送られ殺人鬼として教育されるか、殺された。
 そんな陰惨な街にも教会は存在し、その裏手の森には広大な墓地が広がっている。
 六月の太陽と心地よい風に晒されながら、夢魔二人が墓地を歩く。
「不思議な気分です」
 夢魔フィリオリが呟く。周囲は貧困層の為の簡易な墓。
 大した処理もせず、土に埋めて小さな墓標を置いただけ。
 フィリオリは覚えている。棺桶すら用意できず、神父と二人だけで土を被せたことを。
「変ですね。成仏できない幽霊になった私が、お墓参りだなんて」
 ジャスリー・クラルヴェルンは日傘を差しながら、フィリオリの後を辿る。
「そんなこと無いわ。私たち夢魔は多くの人間の死を看取るの。別れを告げるのは大切なことよ」
「……はい」
 フィリオリの足が止まる。無名の墓標。
 手に持った花束をそこに供えて、膝をついて祈り始める。
 幸福な家庭はナチスの秘密警察に破壊され、兄はその場で撲殺。父親は強制収容所。母親とフィリオリはデュッセルドルフのゲットーに収容された。
 ゲットーの暮らしは悲惨そのもので、幼いフィリオリは自分を食べさせる為に痩せ細っていく母親を見ていることしかできない。
「……。言いつけを破って、遅くまで外で遊んでいたんです」
「ええ」
「急に雨が降って、冷たくて、濡れて帰って…。風邪をひいてしまったんです」
「ええ」
「高熱を出した私を、お母さんは必死に看病してくれました。その甲斐あって私は治りました」
「ええ」
「…そして、お母さんが倒れたんです。私の風邪が原因で。…お医者さんも断られて、薬も食べるものも無くて、私、なにもできなくて」
「ええ」
「そのまま逝ってしまいました。手を繋いで、お互いに謝りながら…」
「辛かったわね」
 夢魔姫は幼き夢魔の手を繋ぎ、嗚咽する娘を抱きしめ支える。
 哀しみは優しさの根源。この子は立派な夢魔となるだろう。

2011/9/13(べいろす)

 カッチ、カッチ、カッチ。
 時計が鳴る。
 まだか、まだかと鳴り響く。
 何度も、何度も、何度も。
 気が狂うように鳴り響く。

 カチ。

 音が止まる。
 そして、少年が手に持った白銀の懐中時計の針は零時を指していた。

「時間だね」

 少年が告げる。

「現在時刻を記録するよ。それは、2011年9月13日零時零分」

 少年は暗い地下聖堂の壁に、無数の針に串刺しに、貼り付けにされている男を見上げる。

「アドルフ・ヒトラー。君の望んだ刻が来た」

 貼り付けにされた男がかっと目を見開き、鋭い眼光で少年を撃つ。独裁者の手が震え、串刺しの針が一本、二本と外れていく。少年は構わずに語り続ける。

「君の愛する故郷に安息はない。あるのは血の赤と、恐怖の青と、狂気の白。
 君たちはもう十分に狂気を振りまいたよ。君は眠りから覚めて、ぼくとともに地上へ帰ろう。
 スラブの民の血を生け贄に、大暗黒の日々をもたらそう」

「さあ盲目の生贄よ、健闘を期待するよ。せめて一分。いいや二分」

2011/9/17(べいろす)

 ラジオからはドイツの領土拡大に関するニュースが連日報道されている。
 ドイツのチェコ人に対する仕打ち、ヒトラー総統の復活やフランス帝国の再建は、イギリスのみならず全世界にかつての暗黒時代の再来を予感させた。
 イギリスはドイツとは明確な対立要素こそないものの、この世界のドイツは何をするか解らない国家。この狂気と殺戮に満ちた世界で、理性と知識の力、すなわち理知を持って国民を護らなければならない。

「マスター」
 十分な情報を収集し、あらゆる可能性から最善の道を模索する。それが学問の門へ至る道。アンゼロットは夢魔の門を開かず、自らの意思で学問の門を叩いたのだから、志を曲げることはしない。
 その代償は過労。いかに博識であり聡明なアンゼロットであろうとも、この情勢を覆すのは容易なことではない。コンピュータであれば「データ不足、予測不能」と回答するだけで責任を放棄できるが、アンゼロットと英国政府は学問の世界ではなく、現実の世界で生きているのだ。
 ああ、ベルリン会議の二国がアーネンエルベの危険性を認識していれば、アンゼロットの負担はもっと楽になったであろうに。「マスター」 フィンスタアニス卿の指し方はその優美な外見とは裏腹に強引で、はっきり言って無茶苦茶に近い。にもかかわらず流れが彼に味方する。人間達は死霊たちの撒き散らす恐怖により戦意を喪失し、チェコは装備を調えていたにも関わらず全く対抗できずに滅ぼされてしまった。
 ミリティアは言う。夢魔は精神を癒やし依存に陥れ、死霊は精神を苦しめ殺すものだと。
「マスター、……アンゼロット様」
(無防備ですね。夢魔の餌食にしてしまいますよ)
 ミリティア・アロートは政務机に突っ伏して眠ってしまったアンゼロットを軽々と抱え上げると、寝室へと消える。
(今夜は懐かしい夢を見せてあげましょう。過去の郷愁は誰にとっても幸せなもの)
(そしてこのチェス盤のやりとりも、いつかは懐かしい過去の思い出となるでしょう)
(それとも思い出したくもないトラウマになるのでしょうか? それはマスター次第ですね)

2011/9/23 こんな時に北極海調査に出かけるとか何考えてるんだ

日本列島が周囲をプレートの境界に囲まれた地域であることは、この国に済む読者の皆様ならよく御存じのことだろう。
プレートの沈み込む場所が集中する、いわばプレートの墓場。
では、プレートの生まれてくる場所は?

【誰得謎異伝 こんな時に北極海調査に出かけるとか何考えてるんだ Part I;Iceland】

アイスランド共和国の首都、レイキャヴィーク。都市名は「煙たなびく湾」を意味し、火山活動が活発で温泉が湧いていることに由来する。
そこからやや離れたところにアイスランドの空の玄関、ケプラヴィーク国際空港が存在する。第二次大戦中、米軍が北大西洋の航空拠点として建設したのだが、まあ例にもれず完成後にドイツ軍に接収され、ニューファンドランド上陸作戦の根拠地となったりしている。
そんな空港の駐機場で、イギリスの軍事企業が開発したX翼機なる奇妙な航空機が給油を受けている。
現在イギリスの保護下にあるこの国では、当然イギリスから来る飛行機の相手をするのは暗黙の義務。
イギリス軍情報局、いわゆるMI6の高官が乗っているという話で、アイスランド側も丁寧な対応を心掛けているようだった。
操縦席に座る二人は、そんな給油の様子を眺めながら紅茶を飲んでいた。これはもう紅茶依存症であろう。
「やっぱり研究者ってのは気が楽でいいですね。政界にいては一挙手一投足、一つ一つの発言。全てが攻撃でもあり防御でもある。気が抜けなくて大変です」
「研究者っていうのも成果を盗んだり盗まれたりいろいろあるものじゃないんですか。というかそれなら大学教授でもやったほうがいいんじゃないですか?」
「研究者の失言はまあ個人、せいぜい研究室ひとつの問題にしかなりませんが、政治家の失言は下手をすれば戦争にすらなりかねないものですからね。まあ、そもそも私は大学教授から政治家になったんですけど。次の世界ではまた大学教授でもやりましょうかね」
「で、研究者のアンゼロット教授。なんでまたこんな妙な航空機を用意したんですか」
「ここまで飛行機で来て、ヘリコプターで向かってもよかったんですけど、一番融通が利いて便利ですから。まあ、確かに変な機ですよね。まあ、資料を見た限りではイギリスはパンジャンドラムとかいうわけのわからない兵器を開発しているぐらいですから、これぐらい普通なんでしょうかね」
と、給油完了の知らせが入る。管制と通信して、機は離陸し目的地を目指す。

大西洋中央海嶺の中心。地下にはアイスランドプルーム。そう、このアイスランドという島はプレートが生まれてくる場所である。もっとも、日本列島のように複数のプレート境界が集中しているわけではないのだが、一応ホットスポットではある。
そんな炎と氷の島の、海洋プレートが生まれてくる大地の裂け目、ギャオと呼ばれる地帯の外れに降り立つ。
「さて、始めましょうか。用意はいいですね?」
「いつでもどうぞ、マスター」
「「…幾億の瞬く星辰の一つ。我、其が全ての観測者にして理解者なり。我、理を以て柱と成し、智を以て門と成さん。汝、其の均衡の一端を開示せよ」」
中二な詠唱に応じ、不可知の震動が地下の全てを走査する。
「…ん」
「予想通りですね。どうします?」
「今回はデータ取りですからね。修復法はここで考えても仕方ないですから宿題ですね」
大暗黒時代にナチスドイツは各地で気象兵器の研究を行った。実用化に至ったものはないが、数年後、はるか離れた場所で結果が出ることがある。
軌道上から何かが降ってきたり、めったに地震の来ない場所で地震が起きたり、その他台風だの何だの。王立科学協会では、今この世界で多発する災害は、大暗黒時代のナチスが行った得体のしれない研究が影響しているものがあるという報告もされている。しかし英領地域と友好国の資料をすべて合わせても、世界全体からすればカバーしている範囲は少ないのが実情で、要するに圧倒的な資料不足だ。アイスランドを保護したのは、この場所がGIUKギャップを抑える要所でありドイツの北海艦隊が北大西洋に進出するのを牽制するためとか、ドイツの西進の野望を一時的にでも挫くとか、そういう理由もあるが純粋に地質学的に重要だからでもある。スヴァールバルやヤンマイエンなどはほとんど純粋に科学研究のために占領したようなものだ。
「ですね。次はグリーンランドで氷山を調べに行くんでしたっけ?氷河ならアイスランドにも結構ありますけど」
「何でも氷山空母を作るとかで、施設を整備したらしいんですよ。いきましょうか」

2011/9/24

冥帝フィンスタアニス(べいろす)

 カッチ、カッチ、カッチ。
 時計が鳴る。
 まだか、まだかと鳴り響く。
 何度も、何度も、何度も。
 気が狂うように鳴り響く。

 カチ。

 音が止まる。
 そして、少年が手に持った白銀の懐中時計の針は零時の少し前を指していた。

「時間だね」

 少年が告げる。

「現在時刻を記録するよ。それは、2011年9月24日23時47分」

 優美なる死霊の少年王はどこかの寺院の一室で、対戦相手の到着を待つ。

「アンゼロット。君の望んだ刻が来た」

「望んだかどうかは解りませんが、決着はついた様ですね。リザインです」

「…そう。決着としてこんなものかな。お姉ちゃんの想い人を傷つけることは僕もしたくないし」

 俗世ではドイツ第三帝国と大英帝国が平和条約を結んでいる。
 平和条約というのは名ばかりで、実際は枢軸の覇権を大英帝国が認め、枢軸は大英帝国の独立を承認するという世界分割の協議。世界は永劫に続く大暗黒時代に閉ざされるだろう。

「この世界は壊すよ。誰も高貴なる抵抗を示せなかった。選別プログラムのあの子くらいかな」

「そうですか」

「この時計が24時を指したとき、全ては巻戻る。世界はワシントン暴動まで回帰し、新たな盤面で紡がれる物語は、新たな指し手に委ねよう」

「わかりました。ではまたいつか」

「うん。今度はより良い出会いを」

「ああ、そういえば、時計の進みについてお願いがあるのですが……」

終焉のその後

スイス製のデジタル時計が音もなく時を刻む。
現在時刻、2011年9月24日17時59分38秒、39秒、40秒。
あと20秒でこの世界は終わる。
果たして、2011年9月24日18時00分00秒は訪れるだろうか。


それは夢の中。完全な暗闇の中から、誰かの思考が聞こえてきている。そう感じた。
(始めまして)
「誰?」
(私はアンゼロット。英国を裏から操る悪魔です)
「…悪魔?」
(詳しくは言えません)
「英国を操る、ってことは今この場所もあなたの支配下にあるってこと?」
(…政治的には完全にそうですね。魔法的には段々フィンスタアニス卿に浸食されていますけど。ですが、この世界はもうすぐ終わり。私はその前にもう立ち去ります。多分、終わりまでの間に今まで運命操作で捻じ曲げて発生率を下げていた惨事災害が押し寄せるでしょうね)
「せめて英国の災害を守るようにはできないのですか?」
(可能ですが無意味です。英国が災害から守られたところで、他国、あるいは中立地域でその分の災害が起こるだけ。運命操作は所詮姑息な手にすぎません)
「…運命操作?」
(まあ別に世界が再開されるまでいてもいいんですけど、世界の終わり自体は見る価値があるほどのものではないですからね。いずれにせよ諸州同盟を失った今、この盤はもはや私の制御できる範囲を超えました。結局のところ、大暗黒時代にドイツが無意味な粛清を繰り返して盤から駒を削いでしまっていますし。事前に相手の有力な駒を奪っておけば、誰もドイツを滅ぼせない。例え悪魔であっても。そういうこと。まあドイツ自体もリセットされるようですが)
「ねえ、いったい何を…」
(私はあなたに頼みがある。この惨劇、悲劇、あるいは喜劇。私は最後まで見通すことができないから、あなたに観測者になってほしい、と)
「観測者?」
(別に観劇者でも、観客でも、名前は何でも…まあ、候補に全部「観」が入っているからわかるように、観るだけの役目。あなたは何もしなくていい)
「それって、何度も死に続けろってこと?」
(あなたは何もしなくてもいい。全ての世界であなたの役目はあらゆる事象に対し、第三者として固定される。誰もあなたを拘束しない)
「わたしだけが惨劇の中で笑って過ごせというの?」
(見捨てることが助けることにつながることがある。あなたならわかるはず。それゆえにあなたを選んだのですから)
「それであなたに何の得があるの?」
(脅威に対して詳細を知りたいと思うのは、傲慢だけれども普遍的な人間の思考のひとつではないですか?)
「…一つ、条件を付けてもいい?」
(何なりと)
「あなたは次の世界に行くのでしょう?だったら、私の名前、私の人格を以て、その世界の抑圧されている誰かを救って」
(…いいでしょう。盟約は成立です。あなたの願いは聞き届けました。今となっては余計なことは語らずともわかるでしょう。どうかあなたに平安あれ、ヘレナ・バークタイン)

「夢魔姫さまのお見送りも終わって、あとは次の世界への旅立ちですね。準備はいいですか?」
「大丈夫ですが…あれでいいんですか、マスター」
「まあ、手は打っておくに越したことはないですからね。フィンスタアニス卿は脅威でしたが、それとは別の誰かが全ての者にとって不利なように運命操作をかけている気がします。調べておくに越したことはないでしょう」
「…そういえば、どうやってそのレポートを受け取るんですか?」
「一応、彼女が死を望み、そして受け入れたとき、彼女は死亡します。その時に全ての報告が発信されます。そういうふうにしています」
「…魔蟲対策も兼ねているんですか?それ」
「ですが、まあ彼女が絶望する前には戻ってきたいですね。せっかくこの世界の時間経過を引き伸ばさせたのですから。さて、敗者は黙って去るとしましょう」