light novel > 異伝記録 > 無名箱3.5

テレーズとモーリス

●ある料理人とある出版社社長の会話
「…それで?」
ヴェルレニース自由港同盟の首都、ネイフフォードの旧市街。
古くはその由来を宗教改革以前に遡り、宗教改革や二百五十年戦争などの歴史と共にあった自由港同盟最大の印刷業者・出版業者の町。
その一角で創業以来400年間営業してきた出版社がここ、ヴェリテ出版社だ。
「うむ…やはりいけませんな。油は確かにうまく使えばとても価値がある、しかしあれほど酸化の進んだ油はいけない。よく誤解されますがフィッシュ・アンド・チップスがいけないといいたいわけではない。しかしやはり新鮮な油を使うようにすべきなのですな。ああ、いや、ここでのこのスコーンはなかなかいけますし、紅茶はかなりのものといえますな。これならミリティー卿と勝負できそうなところ」
「誰がこっちに来てからのそなたの食事の話を促した!だいたいそなたは毎回メシがどうのと煩いぞ。それと紅茶のことでは私は逆立ちしてもミリティーには敵わない、あなたもそうだろう。いいか、私は今起こっているクロン革命に関する魔法的影響について―」
「いえ、いえ、そもそも私はヴェルレニース人のためのクロン料理入門というタイトルで本を出すために来たのですぞ。ヴェルレニースにクロン文化を広めれば更に革命に対して好意的になってくれる、とはいえ説き伏せるのには苦労しましたな。程々に革命指導者たちにもいろいろ振る舞って満足していただかないと、やはり門下の元宮廷料理人たちを守るのは大変ですからな。まあなんとなればゲートで日帰りでこっちへ来てもよろしいのですが、あれは最後の手段ですからな。いずれにせよクロンを離れてこちらに来るには大義名分が必要なのですぞ、いろいろと。誰にも断らずに食材探しの旅に自由に出られるようになりたいものですな」
「そちらの革命の名の下でイヴァインベルクで行われていることのように、大義名分と実質が一致しない、よくあることだろう。別に私は料理の話のために呼んだのではない。料理本の話は後で原稿を編集者に渡して調整してくれ」
「うむむ…残念ですが致し方ありませんな。ああ、魔法的影響ですが、災厄の塔は現在のところ準安定。ディートリンデや聖遺体のほうはよくわかりませんが、ポテンシャルとしては微弱な不安定要素増大傾向は感じないでもないですが、基本的に安定ですな。まあ革命前まではどれも何もなかったところをみるとディスコードは革命とは関係ないのでしょう。やはり財政不安とか、絶対王政の抑圧とか、そういったものが原因の人為的原因なのですな。ただ不安定のわずかながらの増大をみると革命のディスコードへの影響はそれなりに興味深い論題であろうと思いますぞ。引き続き観察が必要でしょうな」
「財政不安か。まあ、そなたが宮廷料理人として豪勢な宴会に引っ張りだこなのを見ればわからないでもないな」
「飲み食いはよく象徴的にとらえられますが、一番の浪費は戦争、まああとは土木・建築なのですぞ。大事業というやつですな。むしろ費用対効果でいえば威信を上げる方法としては宴会は安上がりで済みますぞ。テレーズ卿も今晩何のために私を料理人として招いて食事会を開くことにしたのかといえばそういうことでありましょうから分かりましょう」
「だからなぜ食事に話をずらすのだ。だいたい食事会も高いではないか、あの値段ではヴェルレニースの大多数の市民にとっては気軽に手が出せるものではない」
「うむ、なるほど…前々から思っていましたが革命の混乱が落ち着いたらリーズナブルな値段で宮廷料理を振る舞う店を開いてみたいものですな。ではまず試みとして、次回の食事会はもっと値段を下げましょうぞ。もちろん私は用意された食材をヴェルレニース人の舌にも合う最高の料理に仕上げて差し上げますぞ」
「食事会の話ならホテルの担当者としてくれ。うちの会社は後援者だが、主催者ではないぞ。そんなことよりリリスのほうは?」
「リリスですか…リリスはやはり寄生者であって別に相手がどうであろうと力があればどうでもよいのでありましょうな。革命指導者を次第に巻き取りつつあるようですぞ」
「リリスが革命を起こしたとかそういうのはない、と?」
「多分ないのでしょうな。ただ、さっきの話に戻れば、いくらかの浪費の原因にはなったとはいえ、やはり一番の財政難の原因は戦争、これでしょうからな」
「ふむ…おっと、そろそろ今日の食事会の準備に入らねばならない頃合いか」
「ふふ、クロン宮廷料理の本懐を見せて差し上げましょうぞ。それにあそこで料理人として話をすればあなたも聞かざるを得ない、そうでしょう」
「遺憾ながらそうなる。まあよろしく頼むぞ、そなたの食事は確かに美味だ」
「しかと承りましたぞ。腕への信頼には応えるのが宮廷料理人の礼儀なのですな」

例の異伝・初版

シリーズ革命戦争初期『Le temps des...』・第二話“鉄道の出始めの頃”


ここはとある大商人の館。ヴェルレニースを拠点に世界各地の遠隔地交易事業を手掛け成功、一代にしてすさまじい財を成した成金の豪邸だ。
その主である自由港同盟随一の大商人の男は、今日も儲け話を求めて館に人を招いていたのだが、しかし予定していた人物が来ることができなくなり、代理としてその息子が来ると聞いて、少しばかり不機嫌だった。

本来予定していた男は投資実績としてはそこそこだが、話せば面白い奴。
もっといい案件もいくらでもあるが、彼の話の面白さに免じてどこから持ってきたのかわからないような彼の投資話にはした金を投げるのが老境に至ったこの商人の楽しみの一つだった。
期待していたものが失われると機嫌を損ねるのは誰だって


盲目的な熱情と計算高い冷徹さの同居した目。ヴェルレニース的気質をおよそ狂人と称される濃度まで煮詰めたような目をしたその若者に興味をひかれたからだった。
…いずれにせよ、無難な世間話の一つでも振って反応を試すか。

「はじめまして、君がアンデシュ・フィールズ君だね?お父さんが急に来れなくなったと聞いたけど、どうしたのかい」


「はい。父はなんでも革命戦争がらみで新奇な情報を見つけたとか…。私にも

「なるほど

「ふむ…この革命、どう思うね?」

「それはどのような分析を求めているのでしょうか」

「何でもいい。君のこの革命に関する意見を聞きたい」

「革命とは…。革命とは熱情によるものです。この革命を過小評価する者がこの自由港同盟にも多くおりますが、

わざわざクロンで起こっていることへの精緻な分析を試みずとも、少しヴェルレニースの歴史を紐解くだけですぐわかります。
まるで古代からあったかのように我々が考えているこの自由港同盟は、ほんの三百年ほど前には誰も成立させられると想定していなかったもの。
当時のヴェルレニース諸島は繁栄してはいても全くの相互の反目と大国の間での分裂という状況にありました。
自由港同盟都市は全て自治の程度の差はあれ、どこかの列国の植民都市にすぎないうえ、それぞれの都市は互いに商業上の利益を奪い合おうと争っていました。

そこに持ち込まれたのが新教
西イヴァインベルクで生まれた新教という熱病は瞬く間に印刷術という最新の道具で諸島の全域に広がりました。

私はいかなる理由でヴェルレニースではこの熱病が大流行したのか、いかなる風土がそれをもたらしたのかまで説明はできません。
しかしこの熱病の下でヴェルレニース人は自由港同盟を結成し、列国の植民地軍と戦ってヴェルレニース諸島を統一したのです。これは生半可なことではありません。


不寛容の問題はあります。ヴェルレニース独立戦争においても旧教聖職者の火刑や旧教聖堂にあった聖遺物の破壊のようなものが知られています。
クロン革命を手放しに賞賛する声もありますが、その辺は分かっておく必要があります。革命の進行上不可避のことです。


「なるほど、フィールズ君はその若さでご卓見をお持ちでいらっしゃる。…さて、今日は君はどのような投資話をこの老いぼれに持ち込んでくれるのかな」

「はい。我々ヴェルレニース人には革命への熱情はありませんが、代わりに通商への熱情ならあります。
通商の欠かせないものといえば、そう、鉄道ですな。

例の異伝・第二版

シリーズ革命戦争初期『Le temps des...』・第二話・「もう一つのヴェルレニース」

ここはとある大商人の館。ヴェルレニースを拠点に世界各地の遠隔地交易事業を手掛け成功、一代にしてすさまじい財を成した成金の豪邸だ。
その主である自由港同盟随一の大商人の男は、今日も儲け話を求めて館に人を招いていたのだが、しかし予定していた人物が来ることができなくなり、代理としてその息子が来ると聞いて、少しばかり不機嫌だった。
本来予定していた男は投資実績としてはそこそこだが、話せば面白い奴。
もっといい案件もいくらでもあるが、彼の話の面白さに免じてどこから持ってきたのかわからないような彼の投資話にはした金を投げるのが老境に至ったこの商人の楽しみの一つだった。
期待していたものが失われると機嫌を損ねるのは誰だってよくあることであろう。
しかしこの大商人の不機嫌は、代理としてやってきたその息子を見て霧消した。
盲目的な熱情と計算高い冷徹さの同居した目。
「ヴェルレニース的気質」をおよそ狂人の名で称される濃度まで煮詰めたような目をしたその若者に興味をひかれたからだった。
…いずれにせよ、無難な世間話の一つでも振って反応を試すか。
「はじめまして、君がアンデシュ・フィールズ君だね?お父さんが急に来れなくなったと聞いたけど、どうしたのかい」
「はい。父はなんでも革命戦争がらみで新奇な情報を見つけたとか…。私にも良くわかりませんが、私も以前からこういうのに興味があったので代わりを務めようと」
「なるほど。ふむ…この革命、どう思うね?」
「それはどのような分析を求めているのでしょうか」
「何でもいい。君のこの革命に関する意見を聞きたい」
「革命とは…。革命とは熱情によるものです。
 この革命を過小評価する者がこの自由港同盟にも多くおりますが、わざわざクロンで起こっていることへの精緻な分析を試みずとも、その意味はヴェルレニースの歴史を紐解くだけですぐわかります。
 まるで古代からあったかのように我々が考えているこの自由港同盟は、ほんの三百年ほど前には誰も成立させられると想定していなかったもの。
 当時のヴェルレニース諸島は繁栄してはいても全くの相互の反目と大国の間での分裂という状況にありました。
 自由港同盟都市は全て自治の程度の差はあれ、どこかの列国の植民都市にすぎないうえ、それぞれの都市は互いに商業上の利益を奪い合おうと争っていました。
 西イヴァインベルクで生まれた新教という熱病は諸島に持ち込まれてすぐ、瞬く間に印刷術という最新の道具によって諸島全域に広がりました。
 私はいかなる理由でヴェルレニースではこの熱病が大流行したのか、いかなる風土がそれをもたらしたのかまで説明はできません。
 しかしこの熱病の下でヴェルレニース人は自由港同盟を結成し、列国の植民地軍と戦ってヴェルレニース諸島を統一したのです。これは生半可なことではないのです」
「む、君は革命びいきかね?ヴェルレニースとクロンを重ねあわせる、そういう…」
「いえ、問題として不寛容はあります。ヴェルレニース独立戦争においても旧教聖職者の火刑や旧教聖堂にあった聖遺物の破壊のようなものが知られています。
 クロン革命を手放しに賞賛する声もありますが、その辺は分かっておく必要があります。革命の進行上不可避のことです。
 外部を敵にするプロセスもその一つとして生じる…もしかしたら自由港同盟も彼らの敵に指定されるかもしれません」
「なるほど、フィールズ君はその若さでご卓見をお持ちでいらっしゃる。…さて、今日は君はどのような投資話をこの老いぼれに持ち込んでくれるのかな」
「はい。もはや今の我々には革命への熱情はありませんが、代わりにヴェルレニース商人たちは通商活動に注力しています。
 さて、通商の欠かせないものといえば、そう、船でしょうな。霧の海、セシル海を中心に世界の海を行き来するヴェルレニースの船は、自由港同盟の繁栄の担い手。
 しかし時代はいずれ変わります。唯一の自由な海の民ヴェルレニースの時代は永遠ではありえません。やがてはすべての人々が航海の自由を享受することになるでしょう」
「…君が言いたいのは、このヴェルレニースの繁栄はいずれ終わる、と?」
「その時代に海上覇権を維持することができるかは難しい予測ですね。しかしヴェルレニースの繁栄が失われることは回避できます。…いえ、回避しなければならないでしょう」
「最も自由なる共和国…この異端者たる新教徒の楽園を守っているのは、クロンのように果てしなく広く豊穣な大地から湧きだす富によってではない。例の『経済表』から容易に読み取れる結論だ。
 我々の繁栄を支えているのは個々の船の行き来ではなく、結束し、誰よりも厳律な海軍がもたらす海の支配だ。海上覇権なしに繁栄は維持できない…はずだが」
「…彼らのいうところを踏まえたうえで、海上覇権を維持する方策以外にもう一つ、繁栄を維持するための方策があるのにはお気づきですか」
「まさか。それは…それは不可能だ」
「陸が、ヴェルレニース諸島が富めば、遥か海の向こうまで支配せずともヴェルレニースの安寧を保障できる。海軍はセシル海の北半分だけを掌握できればそれで済みます」
「君はヴェルレニース海軍はもっと弱体でも構わないと、そういっているのかね?」
「まさか。金の卵を産む鶏をわざわざ自分から捨てていく必要はないでしょう。しかし、ヴェルレニースの商人たるもの、不安に覚えたことはあるでしょう?不死の鶏などないと」
「…それで。その陸が富む方策とは?」
「二本のレール、ああ、最初は今ある馬車鉄道の使いまわしでいいでしょう、それの上に、蒸気機関を載せた人工の馬を一つ。そうして馬に貨車を牽かせます。
 貨車は馬車のように馬一つに荷車一つなどと貧乏なことはしなくてもいい、たくさん繋いでよいでしょう。とりあえず最初はそれです。
 まあ、いずれはこのレールでは持たなくなる、もっと頑丈なレールと整備された路盤が必要になりますがね。
 そうして鉄道が広がれば、次は工場です。鉄道を整備するために資材を加工し、機械を用意しましょう。
 まあ鉄道整備はそんなに急には進められないでしょうから、余った機械は別の工場に。印刷所にでも、あるいはもっと新しい用途にでも。
 こうして進められれば、外の世界は市場ではあっても輸入元以上の役割は必要ありません。工場で働く者たちが豊かであれば、輸出先はもはやヴェルレニース国内のみでもよいのです。
 望まない通商戦争を戦う必要はもはやなくなる。このプロセスの第一歩、それが、」
「…蒸気機関鉄道、か。わざわざそれの売り込みのために、ヴェルレニース史の講義と今後の産業予測を展開したと、そういうことか」
「その通りです。お嫌いでしたか?こういうのは」
「いや。君はお父さんより見込みがある。いいだろう…そこの小切手帳を取ってくれ」
「はい」
大商人はサラサラと書きなれた手で小切手に金額を記し、最後にヴェルレニース・フローリンの通貨記号を振る。
そうして若者に手渡された資金は、大商人がこれまでに若者の父に手渡してきた金額の総計よりも三つほど桁が多かったという。