nations > ロムレー湖畔共和国

国名 République de Lacustre Lomeray
(英訳) Lakeside Republic of Lomeray
標語 Liberté et Patrie(自由と祖国)
国歌 Ô monts indépendants(おお自由なる山々よ)
公用語 スイスフランス語
宗教 カルヴァン派(国教)、キリスト教他教派、無宗教、その他
政体 議会主義・代議制共和国
通貨 ロムレー・フラン
建国 フリューゲル暦 611年 5月 15日

概要 [#df938619]

スイス西部、主にヌーシャテル湖畔を出自とする移民団によって、故郷に似たフリューゲルの高地の湖畔に建設された国家。

地理 [#bb6ebd64]

本土は台地状の島であり、国土に占める高地の割合が高い。ただし干拓地や離島など、ある程度は低地も存在する。
いずれの地域においても自然環境は厳しい環境基準の下でよく保護されると同時に、自然享受権が法的に広く認められている。

中央高地 [#ne5dcf85]

島の大部分を占める高地地域。氷食湖が散在している。気候は冷涼な山岳性。
以下の三大都市が存在しているが、近年は実態としては分散化が進んでいる。しかし行政区分においても住民意識においても現在でも三大都市という区分は厳然たるものである。

ロムレー Lomeray [#he2c81e1]

(9,11)近郊。共和国最初の都市にして法令上の首都。中央議会とそれに関連する政府機関の施設が存在する。建国の契約が交わされた丘もそのまま記念碑として残っている。
建国最初期のごく数ヶ月間の間、共和国はロムレー・コミューヌと一体の事実上の都市国家であり、その名残で都市名は国名と同じである。外国から見ると紛らわしいことこの上ないが、ロムレー人は自国のことを「(湖畔)共和国République(de Lacustre)」と呼ぶのが普通なので、国民の間ではあまり気にされていない。一応、特に区別が必要な場合にはロムレー市Ville de Lomerayと呼ぶ。

ポワンクール Poincourt [#qe57dda1]

(13,9)近郊。共和国の最大都市(ゲーム的には首都)。中央高地の中では最大の盆地に位置し、また建築上の規制が他のコミューヌに比べ緩やかなことから国内では珍しく高層ビルが林立する景観がみられるが、それでも他国の大都市ほどの密度はない。
631年11月に巨大隕石の直撃により壊滅的な被害を受けたが、現在は復興、その後の都市計画の巧みさもあり、インフラのよく整備された都市として商業上の中心地の地位を守り続けている。郊外には墓地を中心とする巨大隕石災害のメモリアルパークが所在する。

サン=トゥルミエール Saint-tourmielle [#z82f67b2]

(9,14)近郊。同名の大聖堂の所在地であり、ロムレーにおける宗教上の中心地。移民船が着陸した地点であり、その船体の一部がそのまま大聖堂の建物に使われている。
観光地・保養地としての発展が共和国内でも最も早かった地域であり、現在でもこの都市の郊外に共和国最大のリゾート地が広がっている。第一回ソサエティはこの都市で開催された。

北西干拓地 [#r9d25f21]

低地ではあるが北方に位置するため冷涼であり、同時に海からの風が卓越し湿潤。主に酪農と混合農業が営まれる。

南東干拓地 [#i1c47b6b]

中央の高地から吹き降ろす風が卓越し、ロムレー国内では珍しく温暖な地域。主に花卉・野菜などの園芸農業が行われる。

周辺島嶼 [#g898db9c]

周辺に点在する島々。国立公園指定のなされた自然保護地や対着上陸侵攻用の防衛陣地が多くを占めるが、本島と同様に多数の観光地が存在する。

歴史 [#m0aac29a]

610年代 自給的共和国の時代 [#od223776]

611年5月、現在のサン=トゥルミエールに降り立ったロムレー移民団は、ロムレーの地にはひとまず牧牛に食ませる草と暖を取るための炭が充分あることを確認し、入植を開始した。一般にロムレーの建国は5月15日14時にロムレーの丘で交わされた建国の誓約によってなされたとされ、この日が建国記念日となっている。そして同時期にフリューゲル国際社会との接触も図られ、また、独自に行われた資源調査でウラン鉱を発見、613年から始められた資源輸出により、国家として安定して経営できる状態を確立した。ウラン鉱の開発において他国の投資を受けずに行われたのには、以後のロムレーにおける他国への経済的依存を回避しようとする傾向の原型を見出すことができる。
この時期においては共和国はカルヴァン主義共和政を理念とし、また政府の機能は抑制され、ある程度各種産物の商業的な輸出をし、形式的にはレンティア国家的でありつつも基本的には独立自営農民を中心とする社会が築かれていたといえる。この時代のロムレーの、当時の表現では「ピューリタン的理想郷」と呼ばれる社会は現在のロムレーでも「古き良き国制」として理想化され根強い支持を集めている。
しかし610年代も後期に差し掛かると国際社会への理解が進展、フリューゲルで広がっていた学問を国内に浸透させるには移民船時代の徒弟制的な技術伝承・教育の形態では不十分との考えが広まって618年ごろから公教育制度の整備や海外への留学生の送り出しが始められるほか、619年ごろから大々的な保養地の整備が行われて長期滞在観光客の呼び込みが始まるなど、610年代末の時点で既に後のロムレー社会の原型は形成されつつあった。
その国際社会への理解の進展をもたらしたものとして最も大きいのは、時期は若干遅いが619年に行われたウィリーツェン会談であろう。この会談でのウェールリズセ代表の弁が国内で伝えられると、共和国民はその内容に大いに興味を持ち、国際政治への関心が高まった。これは公教育制度拡充の直接的原因ではないがそれに拍車をかけたのは間違いない。

620年代 観光大国化の時代 [#r156df7a]

風光明媚な景観に助けられつつ留学組の持ち帰った技術を用いて振興された観光業は620年代には年率二桁の高成長を続け、628年ごろにロムレーの滞在者数はそれまで滞在者数世界一であったエルツ帝国を抜いて世界一に到達した。基本的にロムレーはこの年代に観光大国の地位を確立したといえる。一方で観光業に土地と労働力を奪われて農業生産については後退し、この時代には食料自給能力が失われることになった。
また、資源輸出と観光業を両輪とする経済が確立されたことで経済的にも好況が訪れ、627年に設置された福祉医療局を中心に留学組のなかでも社会自由主義者を中心とした勢力がヴェールヌイをモデルとした福祉国家化を図る運動を始め、この時代に幸福度も国際指標上で大幅に向上した。
この時代の後半は安全保障・宇宙開発においても進展があった。627年末に気象衛星の打ち上げに成功したほか、629年にレゴリス帝国との相互安保条約を締結している。もっともそれが本格化するのは630年代になってからのことになる。

630年代 防衛力拡充の時代 [#y63a44ac]

この時期にも引き続き観光業は成長を続けているが、ロムレー人にはこの時代はなによりもポワンクールへの巨大隕石落下、そして対レゴリス相互安保を受けての防衛力拡充の時代として記憶されている。
631年11月に起きた最大都市ポワンクールへの巨大隕石の落下はロムレー史上最大の大災害であり、これにより共和国のほとんどの官僚機構が機能停止する危機的状況に陥った。このときに効力を発揮したのが3年前に締結したばかりのレゴリスとの相互安保であり、そこではレゴリスからの救助隊が活躍した。
この巨大隕石の衝撃はロムレーに軍隊の機能を認識させる結果となり、それまで「軍服を着た観光案内所係員」と評される状態だったロムレー軍はレゴリスからの軍事顧問であるルーミヤ・グドリャンの下で改革されて主に山岳戦を中心とした実戦能力を身につけ、また635年10月には安全保障局が迎撃衛星の打ち上げにも成功している。
なお、634年のクイーンズによる対全国家宣戦を受けた際、直接的な影響はなかったものの、これを受けて行われた海防力向上のための調査の結果を活用して、沿岸部の干拓が行われ、干拓地での酪農などによって食料自給能力を回復した。これも中央政府が大きな役割を振るうというこの時代の特徴的な出来事でもあるかもしれない。
この年代の起こった外交上のできごととしては、カルセドニー島共和国が提唱する資源輸出国機構創設を目指す9ヶ国会議への出席もあったが、この交渉参加にあたっては議会を始めとする諸勢力の激しい抵抗にあって代表団派遣が遅れるなど、当時のロムレー人の経済的な国際機構への抵抗感があらわになった。なお資源輸出国機構構想自体は会議中断後音沙汰はなく、事実上頓挫している。尤も、仮にこれが成立していた場合、中央議会での批准に失敗するか、あるいは政変に至っていた可能性が高い状況であり、共和国にとってはこの構想の挫折は好ましかったと語られることがほとんどである。

640年代 相対的安定期 [#e8742eb5]

この時期にはもはや観光業の成長はひと段落し、滞在者は2000万人弱、観光収入は200兆Va/年強でその成長は極めて緩やかであった。
641年に創設されたソサエティには共和国は原参加国として参加し、645年にサン=トゥルミエールで行われた第一回ソサエティにおいて議長国の役目を果たしたほか、ソサエティによるトロピコ査察団に人員を送り出した。
この年代のロムレーはあらゆる意味で安定し、繁栄を享受した。第一回ソサエティの成功はその結実であった。
しかし、この時期にトロピコ問題やヴァノミス問題は水面下で進行しつつあった。第一回ソサエティの共同声明の第一項がトロピコ問題を扱うものであったことは示唆的である。

650年代 戦争と共和国の変質の時代 [#oc1cdaaf]

650年に入り、トロピコやヴァノミスを巡って国際関係は急速に緊迫したが、共和国はこれまでの外交姿勢を継続し、同盟国のレゴリス帝国を支持してENEC諸国と協調する立場をとり、結果としてヴァノミス危機とトロピコ戦役に身を投じることとなった。
ヴァノミス危機は大戦の危惧を抱かせたものの、ぎりぎりで回避された。しかし、これによって建国以来最大の資源輸出先であったアルドラド帝国との関係は断絶され、トロピコ戦役直前にアルドラドによって行われたトロピコへの砲弾納入のためにそれはもはや修復不能なものとなった。
トロピコ戦役はその有志連合の軍事力に反して3年以上にも及ぶ長い戦いとなった。その中でロムレーの民間人や観光客が被害を受けることはなかったものの、トロピコ軍によってロムレー軍は大きな損害を被ったし、戦費や経済的な負担も膨大なものとなった。典型的なピュロスの勝利といえる。
多くの戦争に言えることだが、例に漏れずこの戦争を通じてロムレーは変質を被ることとなった。それは建国以来の共和政のシステムも議会主義の理念にも手をつけず、変質したのは政府と軍のみであったが、ともあれここにおいて共和国は620年前後に匹敵する変質を遂げた。
ロムレー軍は大規模に動員され、建国以来主要産業として大きな影響力を持った鉱業は、いまや戦時体制の下で動かされる存在となった。
なお、この戦争の戦訓は多く、それを活用して654年3月には防衛衛星の打ち上げに成功している。また、656年からレゴリス資本の兵器整備拠点がロムレー軍基地周辺に建設され、軍備の国内完結性が高められることになる。
戦後の一時期には政府や軍の無策な戦争遂行への非難が盛り上がり、激しい議論が交わされたこともあったが、最終的にはうやむやのうちに終わり、650年代の後半はロムレーは再び平穏な日々を過ごすこととなった。
657年にはENECにオブザーバー加盟し、トロピコ戦役以来の国際的立ち位置はここで完全に確定されたといえる。

660年代 再結晶化の時代 [#x0940479]

661年に共和国は建国50周年を迎え、各地で式典が開催された。戦後の内向き意識の中で積極的な外国代表の招待は行わなかったものの、中央議会の記念式典ではレゴリス帝国総統が演説を行っており、レゴリスとの同盟関係が再確認された。この年代にはレゴリスの国際的地位は低下傾向にあったが、ロムレーは良好な対レゴリス感情からあくまでレゴリスを支援しつづけている。
なお、666年の連合国によるセビーリャ作戦において共和国軍はウェールリズセ側に立ち支援兵力を派遣しているが、この作戦の間、本土は一貫して平時体制を維持したままであった。平時体制の状態で派兵ができるようになったことは、650年代の共和国の変質の結果であり、セビーリャ派兵を通じてそれが新しい共和国の体制として定着した。セビーリャ作戦完了後は占領委員会の一員として占領政策にも一定程度関与しているが、共和国はセビーリャに対しなんらの利害関係もなく、またセビーリャになんらの利益も期待しなかったため、共和国はそこでは専らセビーリャの安定化だけを追求する姿勢にある。

670年代 沈潜の時代 [#te52e532]

673年の石動・アルビオンによるサン・ピエルへの九ヶ条要求に端を発する一連の外交問題において、ソサエティはこれに反対する姿勢を見せた。ここでは共和国はソサエティ諸国との協調を優先したが、国民的にはそれほど大きな関心を集めず、むしろロムレー史における「古き良き国制」の再検討のような国内的で学術的な議論に終始した傾向がある。
一方で軍事的なENEC諸国との連携は引き続き深化させられ、678年にPDECに加盟した。

680-710年代 休眠期 [#pc6e199d]

この時期には国際社会も平静であったが、国内はそれに輪をかけて静かであった。相変わらず共和国は自由で、安定した経済と強力な戦力を維持していたし、その気になれば国際社会においてより大きなイニシアティヴを発揮しえると思われたが、この時期の共和国は特に行動する必要性を感じていなかったとされる。なお、この時期は国際社会が安定していた時期ではあるが、ヴァノミスにおいては一時内戦状態に突入している。しかし、これについては前述の通り当時の共和国では不干渉主義が強まっており、ロムレー軍はこれに出兵はせず、内戦終了後に復興支援を行うに留まった。一方で、この時期のコーデクスの統治機構改革の試みは合理的紀律を重視する勢力を中心に大きな影響を与えていた。しかし、実際の導入は末端における小規模で持続的な改良にとどまり、ロムレーの国制を刷新するに至らないまま、コーデクス解散の時を迎えることとなった。

720年代 二重の衝撃 [#cafdd09a]

720年代の前半、ほぼ平行して起こった二つの事件がロムレーの政治情勢を大きく変動させた。一つはコーデクス共和国の解散であり、もう一つはヴォルネスク戦争である。
コーデクス共和国の解散は膨大な研究資料の提供によりロムレーの学界のあらゆる学問領域に革新をもたらした。一方でコーデクスという一つの理想を失った合理的規律派、とりわけコーデクス主義者はその研究資料の分析に注力するようになって非政治化した。
ヴォルネスク戦争はロムレー国民にとっては不正義で不人気な戦争であった。スラヴ主義はロムレー国内において公然たる軽侮の対象となり、コーデクス解散もあってかつてのENECへの期待感も急速に後退した。また、別府がもはや理想郷と思えなくなったことで社会自由派は何を理想とするかで分裂、その一部は急進化してサンディカリストや評議会制共産主義者になるか、社会主義自体を放棄して自由思想派に移るかし、もともと脆弱であったロムレーの社会主義は大きく退潮した。
この変動はある意味ではカルヴァン主義共和派と自由思想派による二大政党制化ととれなくもないが、当時の議長のトリベール=スィズィニョレの下では両派は大きな対立をなさなかったため、マジック・フォーミュラー的な体制自体の抜本的な変更はなされなかった。

政治 [#caae92de]

中央議会に政府機関としては最も大きく権限が与えられている議会主義体制国家。他のフリューゲル諸国(主にレゴリス帝国)への留学者が学んできた各国の国制からも一定の影響を受け、民主主義の体裁を保っている。
建国以来政変や暴動の経験はなく、632年初頭の世界同時社会不安や650年代前半のトロピコ戦役出兵の最中においても安定を保った。ここ数十年はフリューゲル最高水準の支持率と満足度を維持しており、治安・支持率・財政などの指標も建国以来恒常的に健全な状況を保ち続けている。

内政 [#jb27c14f]

実務においては各コミューヌへの権限委譲の程度など、かなり分権的な体制であり、また、医療制度や社会保障制度が非常に充実させられた現在でも未だに夜警国家的な理念を持っているところがある。

中央議会 '''Conseil central''' [#c9b8dccb]

共和国中央政府の議会。移民船内で地球出発直後から行われてきた船全体の方針決定会議を継承するとされる。
共和国は議会主義を掲げているが、その議会主義はロムレー人に伝わるところのスイスの議会制度を基にした特殊なもので、移民船時代から建国期にかけての党派対立の存在しなかった時期の無政党政治が建前の上では維持されていることになっている。
とはいえ事実上はカルヴァン主義共和派、合理的規律派、重農=環境派、自由思想派、社会自由派という五つの主要な党派が存在しており、歴史資料から再建されたマジック・フォーミュラー的な方法で閣僚が選出される。閣外の党派として復古的無政府主義者や評議会共産主義者などが存在するが、これらの議席はごく少数である。
なお中央議会議員選挙においては各コミューヌによる州主権的な理論が採用されており、各コミューヌごとに議席の定数が割り当てられ、コミューヌ毎にそれぞれの定めた選出方式により議員を選出し中央議会に送る形式をとっている。そのため選挙方式は一様ではないが、ほとんどのコミューヌでは単記移譲式を初めとして何らかの選好投票が用いられている。

行政局 [#o7b6439a]

共和国には中央政府の行政組織としては外交局・通商局・安全保障局・大気海洋局・教育局・観光局・社会基盤局・福祉医療局・公安局・監査委員会の9局と1委員会が存在する。
共和国の官僚組織は形式としては中央議会の各部会ごとに付属する事務局に過ぎず、そのために最上位の官庁が省ではなく局を名乗っている。
なお、共和国の雇用における公的セクターの比率はかなり高いが、ほとんどは各コミューヌに属する公務員であり、中央政府の官吏はごく少数にすぎない。

政策スライダー [#y3777ab2]

地方分権 -◆----- 中央集権 結局のところ、コミューヌごとに任せるのが一番効率が良い
貴族中心 ----◆-- 富豪中心 私利に拘泥せずにすむだけの資産と論説を際立たせる広く深い教養、議員には両方が必要なのだ
農奴制 ------◆ 自由農民 スイス農民の子らよ、我らの自由と権利と独立を永遠に守り通そうではないか
保守主義 --◆---- 革新主義 『伝統』には観光客を楽しませる力がある
重商主義 ------◆ 自由貿易 知識、あるいは資産。その果実を我らに与えてくれる者が通るのを妨げる理由などあるまい
攻撃主義 -----◆- 防御主義 共和国と盟邦を守る。それだけでよいのではないか?
陸軍重視 ---◆--- 海軍重視 本分を果たしているのは海空軍ばかりではないか。陸軍はただの観光資源なのか?
精鋭 ---◆--- 大軍 国家規模からすると軍事力は量的にはこれが限界だろう
※ロムレーは近代国家ではないのでHoI2式スライダーは採用しません

その他 [#xf827c42]

  • 国旗
ロムレーの故郷、スイス国旗の元になったとされるシュヴィーツ州旗をもとに作られた旗。シュヴィーツ州旗にない白地の領域は自由・新天地・万年雪の意味を表しているとされる。
なお、ロムレー人の本来の故郷の一つであるヌーシャテル州旗から緑地を取り払ったものであるという説もあるが、公式にはこの説はとられていない。
ついでに、あまり知られていない説としてアルザス=ロレーヌ共和国の国旗のロレーヌ十字をギリシア十字に置き換えただけのものという説もある。
なお、縦に掲揚する場合でもロムレー国旗では十字が左上に来るのが正式である。そのため垂直掲揚の場合は90度回転させた後に裏返して掲げる。
  • 国歌“Ô monts indépendants”
本来は19世紀後半から20世紀中葉まで使われていたかつてのスイス国歌。
共和主義の精神が感じられるために建国期の中央議会の議員に好まれ、湖畔共和国の国歌として採用された。
    • 歌詞と私家訳
Ô monts indépendants,
;Répétez nos accents,
;Nos libres chants.
;A toi patrie,
;Suisse chérie,
;A toi la vie le sang
;De tes enfants.
おお自由なる山々よ、
;我らの言葉を響かせたまえ、
;我らの自由の歌を。
;あなたの国、
;愛しき乳絞り人の土地へ、
;汝の息子たちの
;血と生命を。
Nous voulons nous unir,
;Nous voulons tous mourir
;Pour te servir.
;Ô notre mère!
;De nous sois fière,
;Sous ta bannière
;Tous vont partir.
我らは団結せねばならぬ、
;我らは全て死を望む、
;汝に尽くさんがために。
;おお我らの母よ!
;我らを誇りに思え、
;汝の旗の下に
;我ら皆出陣す。
Gardons avec fierté
;L’arbre au Grütli planté
;La liberté!
;Que d’âge en âge,
;Malgré l’orage,
;Cet héritage
;Soit toujours respecté.
我らを誇りとともに守りたまえ、
;グリュートリに植えられし木、
;自由よ!
;世代から世代へ、
;嵐があれども、
;この遺産は
;敬われる。
Dieu soutins nos aïeux,
;Il nous rendra comme eux,
;Victorieux!
;Vers lui s'élance
;Notre espérance,
;La délivrance
;Viendra des cieux.
あなたは我らの先祖を支えた、
;あなたは我らを彼の者の如からしめた、
;勝利よ!
;あなたの下へ我らは駆ける
;我らの望み、
;解放は
;天より来たる。

外交 [#c56d20a2]

特に安全保障の面でレゴリスとの安保を軸とし、ENEC諸国を始めとしたソサエティとの国際協調を基本方針とする外交政策をとっている。他国の勢力圏下にあるとみなした国への介入は避ける傾向があり、ソサエティ外の大国とも没交渉的である。
経済的には特定の国に偏ることなく観光客を誘致しており、ある一国への経済的依存というものは存在しない。

国交のある国家(樹立順) [#d0ef7cf3]

※各国への論評は中央議会における評価意見の大勢であり、公的な効果を持つものではありません。
国名に打ち消し線のある場合はかつて国交があったが現在はないことを意味している。
  • エーラーン教皇国(滅亡)
宗教の浮沈も帝国の浮沈も分からぬものだ。大国といえども、かような最期を遂げることがありうるらしい。
  • フランドル共和国(滅亡)
どうも政治経済共に混迷している地域であったらしく、最終的には崩壊してしまったが、建国期の共和国に援助物資を提供してくれた国でもある。…厳しい情勢な中で援助をしてくれたことに、なおのこと感謝するのが筋であろう。
  • ベルサリエーレ共和国(滅亡)
かくて柱を失った国が一つ崩れ落ちた。瓦辺戦争の戦後処理は、彼の国に我々が思っていた以上に壊滅的な衝撃を与えていたのだ、ということか。
  • 石動第三帝国(滅亡)
FuCoSTOを主導していた国であったが、共和国を含めたソサエティ諸国とのサン・ピエル問題以後の敵対関係の正常化は果たされないままに開国後の経済体制の再構築に失敗して崩壊した。
  • ウェールリズセ連邦共和国(滅亡)
ENEC、ソサエティなどの国際組織の創設を主導するなど常に国際外交の場の中心にあった国家。その滅亡は残念でならない。
  • シェロジア共和国(滅亡)
アクロバティックな外交をしていた謎の国。あの放送は最初はチューナーの故障かと思ったほどだ。
  • ヴァノミス連邦
建国当初の我々に資金を援助してくれた国。内乱や巨大隕石など、なかなか休まる時の来ない国であるが、いつか平穏を迎えられることを祈りたい。
  • レゴリス帝国
世界第三位の大国。世界最大の商業国でもあるが、その大きすぎる規模のために経済危機に陥っていることもある。早い段階から留学が可能になったこともあってロムレー人の最も主要な留学先であり、政治的・軍事的に大きな影響を受けてきた。現在でも親レゴリス政策は概ね誰の反対もなく一致して支持されている。
相互安全保障条約:http://tanstafl.sakura.ne.jp/modules/d3forum/index.php?topic_id=469を締結し、現在まで軍事同盟関係を維持している(実質的にはPDECにその役割を譲ったが)。共和国とレゴリスとの同盟は信義に基づくものであって、たとえレゴリスが超大国でなくなるとしても、それは問題ではない。
  • 成蘭連邦王国(滅亡)
安定していたはずの国での、震災を契機に発生した恐るべき混乱は、我々にとっても驚きであった。
  • アルドラド帝国(滅亡)
かの国がトロピコ戦争直前にトロピコに持ち込んだ砲弾のために我らの部隊はどれほどの損耗を被ることになったのであろうか。
  • エルツ帝国(滅亡)
長い歴史を持つ貴族的な古い大国。しかしそれらは今や全て過去の話だ。
  • テークサット連合
ENEC加盟国。なぜかよく燃料不足に直面している印象がある。別にいつも燃料を切らしているわけではないとは思うのだが。
  • ヴェールヌイ社会主義共和国
共和国の福祉政策はこの国の純粋社会主義の影響を受けて発展してきたものだが、ヴォルネスク戦争への参戦によりロムレーの社会自由派からの好感は霧散してしまっている。
  • コーデクス共和国(滅亡)
科学主義を掲げていた国家。CDXによる統治や統御民主主義の試みは常にロムレー人の関心を惹き続け、共和国国内には「コーデクス主義者」を自称する狂信的な支持層も存在した。
国家解散時に膨大な研究資料の提供を受けており、ロムレー国内においては幅広い学問領域でその研究の後を継ぐ研究が今なお続けられている。
  • (カルセドニー連合)
カルセドニー島共和国政府への歴史的な不信感の裏返しとして、カルセドニー革命の成就は国内では概ね是認されている。尤も、カルセドニー連合は成立直後から鎖国政策をとっているため、実際の交流はない。
  • アリア連邦
先進国と新興国の境界線あたりにいるが、あまり積極的な外交をしているのは見かけない。
  • フリスラーン帝国(滅亡)
強大な皇帝権に先進的な兵器、それらは決して国家の永遠の安定を保障してくれるものではないのだ。
  • ヘルトジブリール社会主義共和国
共和国よりも数年遅れて建国され急成長した国で、ストリーダと双璧をなす世界最大の国家の一つ。社会主義を掲げるものの急進的ではなく、その生産力から膨大な商品を世界中に輸出している。
  • ノホ・ヘレコ連邦(滅亡)
ENEC加盟国の中ではあまり共和国との交流の多くない国ではあったものの、セビーリャ作戦での協同など、実績がないわけではなかった。
  • ガトーヴィチ帝国
長らくの鎖国体制から国際社会に復帰したスラヴ系の国。彼の国の掲げるスラヴ主義はヴォルネスク戦争以来ロムレーの一般国民には白眼視されているようだ。
  • ヨリクシ共和国
各地で積極的な災害救援活動や交流活動を行っている国であり、国際的に一定の存在感を持っている。カルセドニー革命と同時期に鎖国体制に移行した。
  • コムニタス・マリアナ(滅亡)
同じフランコフォニーの入植者の国…だったのだが、気付けば崩壊していた。言語が同じというだからといってそれが特に何か保障してくれるわけではないのだ。
  • 西岸州独立連合共和国
平和的な分離独立を果たした新興国。特に社会主義国というわけではないようだが、なぜかSSPactに加盟している。
  • ストリーダ王国
ソサエティなどにおける穏健な外交方針でも知られている世界最大の大国。膨大な人口を抱えつつも幸福度は世界最高である。
  • (共同管理区域セビーリャ)
安定化というのは時間がかかるものだ。その過程に官僚主義的な非能率性があるのも、多少は致し方ないことなのであろう。

条約・国際機関等(締結順) [#w48b3133]

629年12月に締結された、ロムレーでは最古の条約。内容はごく普通の相互安保条約である。現在でもロムレー外交の主軸をなしている。
ウェールリズセ連邦共和国により構想された当初から共和国が関与しており、原参加国にもなった。記念すべき第1回の議長国も務めている。
オブザーバー加盟はウィリーツェン会談以来の共和国の外交政策上の悲願であり、その実現は大いに歓迎された。
共和国の観光国としての特殊な産業構造に関する自己認識のため正式加盟の動きはあまり見られない。
ソサエティ内での戦争国際法。ソサエティ参加国間の戦争など起きたことがないし、起きようはずもないと思われるが。
セビーリャ作戦への派兵の名残。関係国の都合で共和国が事務的な役割をこなしたこともある。
ソサエティの対外経済援助に関する取り決め。共和国は対外援助にかなり消極的だが、協定自体には特段異論は出なかった。
現在のロムレーの安全保障体制の柱。ただしレゴリスとENECの関係の冷却や重要な参加国の滅亡によって次第に重要性を失いつつある。

経済 [#pc2fb038]

極端に観光業に指向した産業構造を持ち、その観光客滞在数は世界一で他国と比べても突出して多い。
建国後十年程度は資源輸出によるところも大きかったが、それ以降は恒常的に突出して巨大な観光業が主導する経済であり続けている。
いずれにせよ、外貨獲得能力は高く、国民所得水準は極めて高いといえる。
なお、製造業はほとんど行われておらず、ロムレー軍に兵器を供給するレゴリス系の軍需工場を除けば職人的な工場における木製品や乳製品の一部がコミューヌの枠を超えて国内市場で出回る程度に留まる。

産業 [#zfc5ede6]

農業 [#j816092b]

干拓地で酪農・園芸農業などの高付加価値農業が行われているほか、高地では畜産業が営まれている。主に観光客向けではあるが、その生産力は輸出するだけの余力がある。

鉱業 [#r80de4a8]

ウラン鉱が存在し、その輸出による収入は建国期の共和国を支えた。現在ではもはや収入源としての存在感は皆無に等しいものの燃料自給により経済を安定させることには貢献している。
鉄鉱も存在するが、トロピコ戦役直前に急遽整備されたことから分かるように専ら軍需向けである。

林業 [#a55b94d0]

広大な森林が広がり、その環境を維持する範囲内で林業が行われている。

工業 [#f538b994]

木製品や乳製品が主に伝統的・職人的な製法で生産され、日用や土産物として流通している。
産業的な大工場というものは著しく厳格な環境基準のために軍需を除いてほぼ存在しない。

商業 [#x662c8e4]

観光業が極度に発展しており、観光客向けに様々なサービスが提供されている。
本来の観光業のターゲットが長期滞在の富裕層であったことから、充分な所持金さえあればサービス業関連で困ることはないといえる。

通貨 [#wfa4d1f8]

通貨は独自の法貨として移民船時代以前から続くロムレー・フラン(Fr.,LRF)が使われているが、観光業の発展に伴い、他国の通貨の流通も一般化している。
国際通貨であるVaはロムレー・フランと並んで価格表記にも使われ、また主要な通貨は概ね通用する。

交通 [#uebbac4e]

鉄道が比較的発達しており、山がちな地形ながら登山鉄道などによって国中が結ばれている。

国民 [#v2a5401b]

主流文化はスイスフランス語かつカルヴァン派のものであり、民族的・宗教的な類縁の民族がフリューゲルには存在しない。

言語 [#va425c89]

スイスフランス語が公用語となっているが、一般的なフランス語でも充分通じる(尤もフリューゲル世界であえてフランシアンを学ぶというのはそうそうないと思われるが)。
英独伊語あたりもそれぞれの母語話者が一定数いるほか、レゴリス語やコーデクス語を初めとした友好国の言語も広く学ばれており、これらの一つだけでも話せれば何の支障もなく観光できる。

宗教 [#u6131ba0]

宗教の構成比率はカルヴァン派68%、その他プロテスタント9%、カトリック7%、その他のキリスト教諸宗派3%、その他の宗教1%、無宗教12%。
信教の自由はもちろん認められているが、カルヴァン派は事実上の国教の地位にある。ゾロアスター教などを始めとする国際的な宗教勢力は国内にほとんど地歩を持っていないとされ、ロムレー教会評議会に参加しているキリスト教の宗派と無宗教だけで国民の99.4%以上に達する。

ロムレー教会評議会 [#b2241ad7]

移民船時代に行われたロムレー内部でのキリスト教のエキュメニズム運動に端を発する組織。
ロムレー国内のほぼ全てのキリスト教組織から構成され、国内の宗教間平和と協調を目的としている。
教義上の統一は特に図らず、キリスト者アイデンティティの統合を図ろうとしており、このためにロムレーのキリスト教コミュニティは独自性を維持している部分がある。

ロムレー改革派教会 [#k5c7537a]

ロムレーにおいて最も多数派を占め、事実上の国教の地位を持つカルヴァン派の宗派。

カトリック [#g6b72bc4]

ロムレーのカトリック教会は地球上のバチカン以外の教皇座を認めておらず、その長はあくまで大司教位である。カルヴァン派との差別化の都合上、ラテン語による典礼を重視する傾向がある。

教育・学術 [#zedb7d90]

学術文化 [#b613d04a]

ロムレーは国家規模が小さい割には学術文化は比較的発達している。特に言語学に関する成果が知られているが、広く人文・社会・自然問わず基礎科学分野一般に豊富な蓄積がある。なお、その割には実学分野では海外の研究に比べての優位はあまりみられない。
これには中央議会の弁論の場において教養主義が重んじられていることや、観光客とのやり取りの中で幅広い知識が必要とされたこと、極めて高い所得水準ゆえの充分な余暇の存在などが考えられているが、はっきりとした理由は明らかではない。

大学 [#f84f5a0a]

  • アンゼロット記念大学
移民船時代に余暇を用いて行われていた学術サークルに由来し、612年に法人格を取得、619年に法令上も大学となった共和国最古の大学。カレッジ制で、多数の学寮が存在する。
  • ロムレー大学
618年に設立された共和国唯一の国立大学。主に官僚養成を旨とする。
理学部・工学部・法学部・医学部・社会経済学部・人文学部が存在する。

軍事 [#tbcf805a]

ロムレー軍はその国家規模の小ささに反してイレギュラーを保有し、また海外への航空戦力投射能力も備えている。これは実戦経験としてはトロピコ戦役とセビーリャ作戦という二つの派兵経験を通じて形成されたものである。ただし常設の在外部隊などは基本的に持たない。
一方で地上部隊は大規模な派兵を経験しておらず、むしろ国土防衛を主眼とする編制のままであり、多数の民兵といくらかの山岳戦特化の部隊を主体とする。これらは「ロムレー軍はスイス軍の制度を引き継いでいる」という軍を観光資源に使うための建前(移民船期に実質が失われているということは国民の間では公然の秘密である)がそのまま引き継がれたものである。そのために民兵はトロピコ派兵以前のロムレー軍の評価としてよく用いられたフレーズである「軍服を着た観光案内人」的な軍のあり方を今でも保っている。
なお、兵器に関しては基本的にレゴリス・ミリタリー・インダストリーズ社をはじめとするレゴリスの軍需産業の在ロムレー工場で生産されるものが使われており、基本的にロムレー国内で生産・整備ラインが完結しているものの、レゴリス帝国軍の装備体系とほぼ完全な互換性を持つ。

人物 [#t4e97a55]

プロスペール・アルベリク・ジャンベール [#ne8f55f5]

中央議会初代議長。
移民船の船内環境を専門とする優れた工学者であり、船内において発生した重大な機械故障に際しての復旧を強い指導力によって指揮し、移民船のフリューゲル到達をどうにか実現した。
その際の手腕から入植直後の共和国においても一定の人気と権威があったが、本人は重力下での環境は専門外であるとして直接手腕を振るうことなく、一貫して中央議会の決定を支持した。
彼の時代のロムレーでは土地との共生が重視され、アーミッシュ的な古き良き理想郷と評される社会を築いたが、その後期にはレゴリス留学組を始めとするフリューゲル諸外国からの影響で公教育制度の整備が進んだ。
移民船時代の活躍についてはいまや歴史上のこととして再評価が進んでいる人物ではあるが、最初期の共和国において議会主義体制を確立した立役者であることは確かである。

アンドレ・フィールズ [#fafbc2ff]

中央議会第二代議長。
レゴリス留学組を中心に教育分野などの必要性から官僚組織が拡充されていく中で、ジャンベール引退後の共和国の主導権をレゴリス留学組が握ることを危惧した中央議会の議員たちによって選出された。
本人はこれといった強い主義主張は持っていないが、調整能力に優れ、レゴリス留学組と旧来の議員層を巧妙に調停して教育政策とインフラ整備を推進し、共和国は彼の在任中に世界最大の観光国となった。生まれ育った時期が移民船時代のため高等教育にあたる学歴は持っていないが、学術サークル時代のアンゼロット記念大学に属しており、その学識はフリューゲルの学問の取り入れに貢献したといわれる。
なお、独自に打ち出した政策はあまりないが、唯一例外的に鉄道振興にはこだわりがあるらしく、道路網よりも鉄道網を中心とした交通インフラ整備を強力に推し進めた。この政策は観光業の発展には貢献したようである。
彼の在任期間の終わりごろにはヴァノミス危機やトロピコ戦役が発生、その中で中央議会の権限は一時低下したが、それもあって戦後の平時体制復帰後は議会の権威の再確立に奔走した。ENECオブザーバー加盟の際の演説を行い、それが承認されるのを見届けて中央議会の職を引退。

オロール・オーブ・トリベール [#d3402736]

中央議会第三代議長。
第一期のレゴリス留学組の中でも最年少(小学生相当)であった女性。最終学歴はレゴリス帝国大学法学部(首席)。レゴリスからの軍事顧問としてロムレーにいたことのあるルーミヤ・グドリャンとは友人。
キャリア官僚であるが、その出自もあいまって同期の中でも一番の出世頭であり、官僚としては監査委員会でキャリアを積む。
トロピコ戦役中の戦時体制では形式上は通商局の役割である鉄鋼資源の管理について、その実務を集約させられた鉄鋼資源管理セクションのリーダーを担当。ロムレーの行政機関としては動員体制を完璧にこなせたのは彼女のセクションぐらいである。戦後はその成果を認められ、監査委員会委員長(行政官としては最高位)に出世した後、二年ほどで慣例に従い退職。中央議会議員に転身、そしてフィールズ議長の退任後の中央議会議長に就任した。
レゴリス留学組の中でも最も有能な人物であることは間違いなく、官僚の影響が大きくなりすぎると渋る議員もいないではなかったが、その能吏ぶりが広く認められていたことは確かである。
680年代を前にして引退、現在はレゴリスとロムレーを行き来しつつ悠々自適の老後生活を送っており、時折レゴリス語やレゴリスのエリア・スタディーズ研究の学会誌に論文を寄稿している。

ノエル・ヴァロン [#d5a940c2]

中央議会第四代議長。
ロムレー大学で工学を修めた後、サン=トゥルミエールのリゾート地でエンジニアとして活躍、後に経営者にもなり周辺島嶼での観光地開発に参入し成功、その後中央議会議員になった。
経歴から観光業への造詣が深く、治安と社会インフラの維持を重視しているとされる。
また、海空軍に対し否定的な見解を抱いている(一説には周辺島嶼の土地収用で海空軍と一悶着あったとも、海外にリゾートを広告する際にトロピコ戦役の悪評に直面したともいわれる)とされ、海外派兵にも消極的な態度をとり、国防予算も抑制された。
690年代末の北東島嶼部の油田開発を巡る論争を抑えきれずに議長職を辞職、現在は一議員に戻り観光政策を中心課題として活動している。

クレマン・フィリップ・アベラール [#ud7c023d]

中央議会第五代議長。
安全保障局のキャリア官僚。合理的規律派に属する議員で、コーデクス主義者。ただ不遇にも彼の時期にはコーデクスが外交的に不活発な時期で、コーデクス外交から得られる成果は少なかった。
軍に抑制的な政策に対する不満の中から中央議会議長に選出された。ノエルとは一転して軍事力の強化を主張し、軍事訓練に努めた。
彼の目指す軍事力増強政策が一応達成され、軍を重視する声が収まったため705年に退職、その次の選挙に出馬することもなく、その後は軍事コンサルタントとして在野で活動している。

クレピュスキューレ・トリベール=スィジィニョレ

中央議会第六代議長。
オロール・オーブ・トリベールの孫娘。その容姿も才能も祖母の鏡写しで、物理学と言語学(趣味らしい)で博士号を持っている才媛。アルヴィドソン大学(レゴリス)、アンゼロット記念大学などで研究員・教授職を歴任してきた。中央議会議員になったのは祖母を超えるためらしいが、実務能力を認められ結局祖母と同じ中央議会議長になってしまった。たまにオロール本人なのではないかと疑われるが、彼女はナイスジョーク的に流す。
祖母譲りの調停能力でノエルやクレマン時期の議会内の方針対立を抑え、国制に関する議論を一段落させた。彼女の下で久方ぶりにロムレー政治は理念的な無政党政治に近づき、党派対立の少ない時代を迎えた。
720年代前半のコーデクス共和国解体というロムレー国民にとっての政治的大変動を平穏のうちに乗り越えられたのも彼女の下でカルヴァン主義共和派と自由思想派がうまく調停されていたためである。

政治(補遺)

党派

共和国の中央議会に法的には政党は存在せず、制度上は政党政治ですらない。理念としては中央議会の議員のほとんどは討議による一致を理想としており、政党政治は邪道扱いされている。
とはいえ国の理想像を巡っておおまかな傾向が存在し、とりあえずそれを派閥や党派として扱うことはできる。概ね以下の様相である。
歴史的には、移民船時代の士官にルーツを持ちロムレー人の伝統的な国民性を重んじる建国期の議員層を中心とした系譜(ジャンベール党)と、620年前後から出現した海外の思想を受け入れ官僚組織を発展させていこうとする主に留学帰り組からなる系譜(ポワンクール党)という二大思想潮流が存在していたとされ、後者の出現によって620年代に前者から支流である合理的紀律派と重農=環境派が現れ、本流としてのカルヴィニスト共和派も確立、7世紀前半のうちに後者も自由思想派と社会自由派の差が明瞭化していった結果現在の5派閥が成立したとされる。
ヴォルネスク戦争以後は合理的規律派と社会自由派の退潮により、カルヴィニスト共和派と自由思想派の二大政党的な様相を呈している。といってもロムレー議会主義のシステム上、政権をめぐって争うような状況にはない。
カルヴァン主義
共和派
合理的規律派 重農=環境派 自由思想派 社会自由派 復古的
無政府主義
共産・組合主義
比率(現) 38% 10% 15% 32% 5% 2% 1%
比率(旧) 35% 15% 10% 25% 10% 2% 1%
イデオロギー 保守主義 (ファシスト) (緑の保守主義) 自由主義 社会主義 無政府主義 共産主義
経済政策 介入主義 国家資本主義 介入主義 自由放任 国家資本主義 自由放任 計画経済
貿易政策 自由貿易 保護貿易 保護貿易 自由貿易 自由貿易 自由貿易 保護貿易
宗教政策 一神教 世俗主義 多神教 世俗主義 多神教 多神教 世俗主義
少数派政策 制限あり 居留民扱い 制限あり 制限なし 制限なし 制限あり 制限なし
軍事政策 軍拡賛成 膨張主義 軍拡反対 軍拡賛成 軍拡反対 軍拡反対 軍拡賛成
※このほか、無定見な無所属・無党派の地域主義的議員が2%存在する。

ジャンベール党(旧来の議員層)

「ピューリタン的理想郷」時代の中央議会議員層の流れを汲む党派、あるいは系統。その名の通り初代中央議会議長ジャンベールの理念を支持する。
ポワンクール党が次第に拡大する中で対抗して政治哲学的な議論が深まるなかで、ジャンベールの理想は何であったかで意見が一致しなくなり、合理的紀律派と重農=環境派が成立した。もはや三派の中で現実の政策における調和などみられないが、いずれもジャンベール以来の系譜を主張し、また他国とは異なったロムレーを希求するという点では一致している。
カルヴィニスト共和派 Calvinist Republican
「古き良き国制―神の下に自由な国民による自由な共和国」
共和国において存在する党派としては最も古い派閥であり、ほぼ恒常的な最大派閥(ただし単独過半数の規模になったことはない)。個々人によってカルヴァン主義と共和主義のどちらに重きを置くかは差があり、人によってはこの二つを分けるが、分けようとすると曖昧さを残す結果になるので大体の場合仕方なく一緒くたに扱われる。実際、中央議会において最も極端な共和主義者でもカルヴァン主義の精神を賞賛するし、最も極端なカルヴィニストでも共和主義を支持している。
「古き良き国制」の支持者であり、要するに共和国における保守主義である。都市商人層から農民、軍人から公務員まで、支持層は幅広い。外交的には伝統的な親レゴリス政策の担い手。
経済 平等 ---◆--- 市場
外交 国家 --◆---- 世界
市民 自由 --◆---- 権威
社会 伝統 --◆---- 進歩
合理的紀律派 Rational Disiplinist
「理性の共和国―理性的な国民、効率的な制度、合理的な国家」
強力な中央議会による議会絶対主義の下での極度に紀律づけられた合理的な軍制と効率的な経済、そしてそれらに対応した社会基盤を求める。外交的には崇拝に近いほど親コーデクス(彼らによると合理的紀律の極北らしい)で、また親レゴリス(こちらは常識的な範囲である)、というよりコーデクスとレゴリス以外の外国は彼らの眼中にない。
いわゆる軍国主義的な要素もあるが、精神論よりただ合理主義を重んじ、軍人には極端な合理主義を求める。なお合理主義も宗教の方面では徹底されてはおらず、宗教的な態度は完全には世俗化されていない理神論的なありようが主流。
若干権威主義的だが平等主義的な教育制度と整ったインフラ、紀律づけられた国民に報いるための福祉を求め、ロムレー流の近代国家を形成しようとした(できたとは言ってない)。
右派的だが高水準の福祉を求める点で社会自由派と一致し、下手をするとカルヴィニスト共和派相手の共闘すらありうる。逆に環境保護を求めて合理化を阻害する重農=環境派とは水と油で、自由思想派とも相性はあまりよくない。
支持層は主に軍人と軍需産業の工場労働者であるのだが、「軍服を着た観光案内人」の伝統から観光業系の開発者や経営者が支持していたりするのがロムレーの独特な政治風土を物語っている。
コーデクス解散によりこれの最も先鋭化した形態であるコーデクス主義すら非政治化する状況にあってもはや理想像を見失っており、事実上空中分解に近い状態にある。
経済 平等 --◆---- 市場
外交 国家 -◆----- 世界
市民 自由 ---◆--- 権威
社会 伝統 -----◆- 進歩
重農=環境派 Phisio-Environmentalist
「麗しき国土―造化の妙の驚異は観光客を楽しませ、国民に尽きることのない果実を与える」
重農主義的文脈で理解された環境保護主義。支持層は主に農民、それと留学帰りの環境保護思想に被れた知識層。農民の間ではむしろカルヴィニスト共和派のほうが広く支持されているのだが、ロムレーは農民が多いのでそれでも一つの派閥をなす規模がある。コーデクス滅亡後はロムレーにおける理想主義的思想の主流はコーデクス主義からこちらに移行しつつあり、若干勢力を増した。
この派の環境保護政策のためにロムレーにおいて近代的な重工業は出現を阻まれ、製造業は専ら職人的な方法で営まれるものになった。合理的紀律派とは激しく対立する(これはロムレー政界唯一の明確な党派対立である)が、他の派とはイシューによって態度が変わる。しかし観光業の繁栄が環境保護の成果によることは明らかなので、環境保護政策については他派からも一定の理解はされている。
経済 平等 --◆---- 市場
外交 国家 ----◆-- 世界
市民 自由 --◆---- 権威
社会 伝統 ----◆-- 進歩

ポワンクール党(留学組)

ポワンクール市創設の頃から現れてくる党派。レゴリスなど海外への留学組が中心となっており、海外からの思想的影響を強く受けている。
彼らはいずれもジャンベール党が好むところの「ピューリタン的理想郷」をむしろ停滞状態とみなし、共和国を普通の近代的自由主義国家にすることを目指した。
自由思想派と社会自由派は当初は旧来の議員層から一緒くたにされてポワンクール党としてまとめて扱われていたが、ジャンベール党の分化と福祉国家の進展の中で異なる理想像を描いていることが広く理解されるようになった。
自由思想派 Libertans
「自由の避難所―いかなる考えにも寛容であれ」
力点をどこに置くかは人によって異なるものの、政治的には表現・信仰・精神の自由の擁護、経済的には穏健主義の範囲内での自由放任と自由貿易を掲げる。他の党派と異なりこの党派については端的に自由主義者という程度の説明でも問題ないだろう。
特に宗教的寛容の精神を背景としていることが多いため、単に自由主義者というよりもリベルタンと表現される。支持層は都市商人、学生、知識人、公務員、宗教的少数派。
支持層がインテリの都市住民中心のため、教育を重視する傾向があり、とりわけ高等教育を(社会自由派以上に)かなり重視する。ロムレー人のカトリックや非カルヴァン派プロテスタントも概ねここにくるようである。もちろん彼らは信仰の自由を強調している。
移民も政治的な参画を行おうとした場合には大抵ここにくるのだが、彼らに関してはロムレーの政治風土に面食らったあと、仕方なく移民にも比較的寛容なこの派閥の下に入るという流れが多い。ロムレー社会は総じて移民にあまり優しくなく、移民受け入れ人数も少ないので、移民による党派の結成という手はとれず、ここに来るしかないのである。
経済 平等 ----◆-- 市場
外交 国家 ---◆--- 世界
市民 自由 ◆------ 権威
社会 伝統 -----◆- 進歩
社会自由派 Socio-Liberal
「穏やかな社会―誰も苦痛に苛まれることなかれ」
フリューゲル諸国から社会的なものに影響を受けての派閥であり、つまりはロムレーにおける社会主義であるのだが、他国の社会主義とは全く異なるし、社会民主主義の範囲に収めていいのかも定かではない。
福祉政策の拡充と労働者保護を主眼におく。外交政策にあまり関心を持たないことからそれが実際の外交に反映されることはほとんどないが、一応外交的には親別府であった。ヴォルネスク戦争以後は国民の親別府感情がかなり低下したため、ヘルトジブリールを模範にする傾向にある。
支持層は工場労働者(ただしロムレーには軍需以外の近代工業がないことに注意)、学生、公務員(特に各コミューヌ)。
なお、福祉政策に強く関心を寄せるだけあって、福祉医療局の局長のポストはずっと社会自由派が独占している。
特に鋭く対立する他派というものはなく、どの派とも是々非々の関係を持っている。というより他の派閥との関係で検討していくと社会自由派という枠組みが意味をなすかは怪しい。
経済 平等 -◆----- 市場
外交 国家 ----◆-- 世界
市民 自由 ◆------ 権威
社会 伝統 ----◆-- 進歩

急進主義者

ロムレーにおけるラディカリスト。議会にもこれに属する議員は存在するが、極めて少数派で、いずれも1%にも満たない。そのため現在の体制下では政権には入っていない。ただし、ラディカリストとはいえ議会主義の伝統を逸脱するほどの急進派はほとんど存在しない。
復古的無政府主義者
「純粋無政府主義―政府は何もしなくてよい。全てのことは我々がする」
古き良き国制を純粋無政府主義と解釈する急進的な一派。要するにリバタリアン。外交的にも孤立主義。
社会保障をほとんどゼロにし、官僚組織と軍も大幅に縮小する。議会政治についても民主主義の体裁を廃し、寡頭制的な議会に復古しようとする。
実は古き良き国制は実態としてはこれに近い。というより、実態がそうであるからこそ復古的であると名乗れている。
議会における議席は、主にロムレーやサン=トゥルミエール近郊の保守的な農村コミューヌと周辺離島の人工的に作られた計画的コミューヌからのもの。明らかに前者は反動主義、後者は無政府主義であって思想的風土が異なっており水と油にしか見えないが、彼ら自身に少数派である自覚が強いので共闘関係にある。特に前者の影響で市民権については割と排他的で、リバタリアンの割に非ロムレー人の権利に制限的な態度が特徴。
経済 平等 ------◆ 市場
外交 国家 ---◆--- 世界
市民 自由 ◆------ 権威
社会 伝統 -◆----- 進歩
コーデクス主義者
第二のコーデクス―電子頭脳が国家理性を体現する
合理的規律派のなかでも合理化の方向性としてコーデクスモデルをロムレーにおいても実現しようとする急進主義的な一派。ロムレーにおいても行政の担い手として第二のCDXを作り出し、議会はそれに諮問するだけの機関にしようとする。
支持基盤はほぼテクノクラートと軍人に限られ広がりを欠く一方で、技術士官の半分がコーデクス主義かぶれであるともいわれるように特定の層では強い支持を受けている。コーデクス解散後はコーデクス計画の成果を発展させる研究に注力しようという運動に変化し、非政治化している。
経済 平等 ---◆--- 市場
外交 国家 ◆------ 世界
市民 自由 ----◆-- 権威
社会 伝統 ------◆ 進歩
評議会制共産主義者
「議会の下の平等―対等者による合議が平等を保障する」
議会主義的な伝統を維持したまま共産主義を実現しようとする一派。ロムレーにおける共産主義者とは彼らのことである。しかし暴力革命までは訴えていない。
経済 平等 ◆------ 市場
外交 国家 ----◆-- 世界
市民 自由 --◆---- 権威
社会 伝統 ------◆ 進歩
サンディカリスト
「組合による再分配―自由を損なわない平等」
自営業中心のロムレーではあるが、労働組合や職能組合、協同組合のようなものは比較的多くの産業に存在する。
そのため、再分配に関心を寄せると、その手段としては国有化よりも各種組合中心の経済が構想されやすい。なお、マルクス主義はロムレーではほとんど忘れられている。
組合の類の本部(あるいは事務的な中心地)が置かれることの多いポワンクールに支持者は集中しており、議席も専らポワンクールから送られる。とはいえ、その支持者はそれなりに各地に散らばっている。
経済 平等 ◆------ 市場
外交 国家 ------◆ 世界
市民 自由 -◆----- 権威
社会 伝統 ---◆--- 進歩