※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

以下は各種インタビュー記事等で語られていた「デビュー」に至るまでの主な経歴である。

生誕

役所氏の本名は橋本広司である。生年月日は昭和31年の1月1日。
また、役所氏の血液型はAB型という事である。血液型占いで行けばAB型は「二重人格」ということになるのだろうか。血液型占いなんて大して当てにならないものであるが、役所氏の演技の幅を見ると成程そういうところもあるものなのかな、とも思える。ちなみに私もAB型であるが、私の場合「優柔不断」というところで合致しているような気がする。

出身地

役所氏の出身地は長崎県諫早市である。それが縁で後年同郷の市川森一氏が役所氏に惚れ込んで「親戚たち」での主演となった。ちなみに市川氏は役所氏の無名塾入塾テストの際の審査員で、審査の際もヘマをしたりして何となく「パッとしない」橋本広司青年に同情し、「俺だけでも票を入れてやろう」と思って票を入れたところ、他の審査員全員が票を入れていて驚いた、というエピソードがあるそうだ。

ご家族

役所氏は5人兄弟の末っ子。実家は清涼飲料水の製造・販売を営まれていたとのことである。

学生時代

学生時代は友人とフランス映画やマカロニ・ウエスタンをよく見たとのこと。かといって映画そのものに対して深い興味があったというわけではなく、いわゆる「エッチ・シーン」目当ての部分が多かった。役所氏を弁護するわけではないが、そういう動機で映画を見る男子中高生はものすごく多いと思う。かくいう私もそのなかの一人である。
その一方で、クレージーキャッツ「無責任シリーズ」やら、加山雄三「若大将シリーズ」あたりに出てくる「東京」に憧れの気持ちも抱いていた。
演劇についてはほとんど関心がなかったようで、文化祭で生徒の前で舞台をやる演劇部員に対し、何とも言えない「気持ち悪さ」すら感じていたとのこと。

趣味

この頃(70年代)の中高生の趣味といえば、映画もそうではあるが、むしろフォーク全盛期で「ギター」というのが多かったのではないだろうか。橋本少年もそのなかの一人で、中学の頃からギターの弾き語りを趣味にしていたという。上記のように文化祭で舞台演技をする演劇部員のことは気持ち悪がっていたが、自分のバンド演奏は苦にならなかったらしい。

嗜好

中高生といえば一寸大人ぶりたい時期。「煙草」「酒」は大体この時期に悪戯してみたいものである。(私はどちらもしなかったが)橋本少年もご多分に漏れず悪戯したくちであった。煙草は高校時代に覚え、通学の途中で自転車に乗りながら吸っていたというから猛者である。

就職、上京

長崎県立大村工業高校を卒業した橋本青年は、千代田区役所土木課に就職した。(これが芸名の由来であることは説明するまでもない)東京に住んでいた従兄弟の家に荷物を送り、自分はギター1本を持って上京し、待ち合わせの目印が「ギターにハンカチを巻き付けている男」だったというから小林旭「渡り鳥シリーズ」のような展開である。

センス

上の話からもおわかりのように、若き頃の役所氏の服装のセンスは率直に言って「怪しい」といえる。
結婚式の際、スーツを着ることが嫌でたまらなかった役所氏。結局奥さんの意向もあり着ることになったが、妥協案としてその時履いた靴が「ウエスタンブーツ」だったという・・・
その他には、子供の名前を「一匹狼」にしようとしたというエピソードも。

公務員時代

橋本青年はかくして東京にやって来たわけであるが、単なる憧れで上京してきたにすぎず、しばらく東京で働いたのち郷里に帰って建設会社にでも入社しようとしていたという。そんな感じであるから仕事にもあまり身が入らず、よく上司にも怒られていた。高円寺の4畳半アパート暮らしで、文無しになるまで酒を飲み、職場に行くための電車賃もなくなり無断欠勤してしまう、ということが多々あった。ちなみに仕事というと道路工事の現場監督が多かったというから、千代田区の道路には役所氏が監督したものもかなりあるのだろう。

芝居に開眼


20歳になった橋本青年は、たまたま知人からもらった俳優座の舞台「どん底」に感動、その後は演劇をよく観るようになったという。中には「ハズレ」も多かったが、芝居を演ずる役者達の真剣な眼差しに徐々に惹かれていった。

無名塾

演劇への想いが日毎に増していった橋本青年は、「どん底」にも出演していた仲代達矢氏が主宰している若手俳優の登竜門「無名塾」の入塾テストを受けることにした。区役所の同僚には合否発表の日になってうち明けたという。合格したことにより区役所は退職。ちなみにこの年に入塾出来たのは役所氏だけであったというからすごい。しかし「どんなことをしても役者になるんだ」というハングリーさはなく、公務員時代同様「駄目なら故郷に帰ればいいや」という気持ちであった。

オーディション

何といっても芝居については全く素人同然の橋本青年。当然「オーディション」の経験もなく、かなり笑える行動をしていたらしい。
一次審査では、「とにかく大きな声でやらないと駄目だ」と考えた橋本青年は、とにかく大きな声を出すことに努めた。その結果、貧血を起こして卒倒してしまった。それでもなんとか無事審査をパスした橋本青年は、二次審査での服装について「自分が一番似合うと思う服装で」という指示をよく聞かず、ミス・コンテストを連想し「最終審査と言えば水着」という思いこみから海パンで現れ大爆笑をかったという。

試験問題

ちなみに無名塾の試験の中に「パントマイム」があった。その課題は「公園をのどかに歩いている。ふと見ると財布が落ちている。周りを見回す。それを取ろうとするときに車が急ブレーキを踏んで自分の方に向かってくる」というものだった。パントマイムの基本など学んだことのない橋本青年は、「のどか」の表現を「空を手でかく仕草」で表現したり、落ちている財布を自分のものとするべく、なんと迫ってくる車を手で受け止める仕草をしたという。それでも合格したのだからやはりオーディションというものは「技術」だけではないものだ。

遅刻癖

公務員時代依頼の「駄目なら故郷に帰ればいいや」という浮わついた気持ちが遅刻癖として表れた。なんと入塾式に2時間も遅刻したという。これには流石の師匠も激怒し、「今後は集合時間の1時間前に来い」という厳しい達しを受けた。つまり時間ちょうどに行っても怒られるのである。それが恐ろしくて、酒を飲んだ日などは夜中に稽古場に忍び込んで寝ていたりもしたらしい。しかし肝心な稽古日を忘れることもあったようで、謹慎処分を喰らったりもした。

芸名

初舞台に際して「橋本広司」では普通すぎるので芸名をもらうことになった。その候補としてあげられたのは、出身地から「諫早広司」・近所の店の名前から「やおさく(八百作)広司」・区役所に勤めていたから「役所広司」の3案であった。最終的に「役所広司がいい」と言ったのは「八百作」のおばさんだった。しかし師匠はここでも「役所工事」が良いと粘ったらしい。とにかくこの名前のおかげで未だに「役所広司さんは区役所出身で・・・」という紹介になるわけだが、ご本人は気にしていないとのこと。














()