P3

松下幸之助 一日一言

+ ...
1月12日
人生を設計する
毎日、なにがなしに仕事をしている、ということでは困ると思います。何でもいい、何か一つの目的を持つ。そういうものを
日々持ってそして同時に、一ヵ月先、あるいは一年なら一年の間には、こういうことをやってみるのだ、という一つの自己設計
とでもいうものを持つことが大切だと思います。そして、それはうまくいく場合もありますし、うまくいかない場合もあります。
しかし、これはもう仕方がありません。仕方がないけれども、そういうものを持っているということ、次つぎに生んでいくと
いうこと、それが、私は生きがいというものにつながっていくと言ってもいいと思うのです。

1月17日
決意を持ち続ける
指導者にとって大事なことの一つは、志を持つということである。何らかの志、決意というものがあってはじめて、
事は成るのである。だから志を立て決意をするということが必要なわけだが、それは一度志を立て、決心すればそれで
いいというものではない。むしろ大事なのは、そうした志なり決意を持ち続けることであろう。そのためには、やはり、
たえずみずからを刺激し、思いを新たにするようにしなくてはならない。
一度志を立て、決意することによって、非常に偉大なことを成し遂げられるのも人間であるが、その志、決心をなかなか
貫き通せない弱さをあわせて持つのも、これまた人間である。

1月26日
短所四分、長所六分
人間というものは、誰でも長所と短所を持っている。だから、大勢の人を擁して仕事をしているのであれば、それぞれに
多種多様な長所と短所が見られる。その場合、部下の短所ばかりを見たのでは、なかなか思い切って使えないし、部下に
しても面白くない。その点、長所を見ると、その長所に従って生かし方が考えられ、ある程度大胆に使える。部下も自分の
長所が認めてもらえれば嬉しいし、知らず識らず一生懸命に働く。しかし、もちろん長所ばかりを見て、短所を全く見ない
ということではいけない。私は短所四分、長所六分ぐらいに見るのがよいのではないかと思うのである。

1月30日
自分を飾らず
私は、毎日の生活を営んでゆく上において、自分をよく見せようとお上手を言ってみたり、言動にいろいろと粉飾することは
大いに慎みたいと思います。これは一見、簡単なことのようですが、口で言うほどたやすいことではありません。ことに
出世欲にかられる人は、自分を他人以上に見せようとする傾向が強いようです。しかし、人はおのおのその素質が
違うのですから、いくら智恵をしぼって自分を粉飾してみたところで、自分の生地はごまかすことはできず、
必ずはげてきます。そして、そうすれば、そのときには一ぺんに信用を落とすことになってしまうのです。私は、正直に
することが処世の一番安全な道だと思います。

1月31日
千の悩みも
経営者には、一度にいくつもの問題に直面して、あれこれ思い悩むという場合が少なくありません。しかし私はいままでの
経験で、人間というものはそういくつもの悩みを同時に悩めるものではないということに気づきました。結局、一番大きな
悩みに取り組むことによって、他の悩みは第二、第三のものになってしまうのです。だから、百の悩み、千の悩みがあっても、
結局は一つだけ悩めばよい。一つだけはどうしても払うことができないが、それと取り組んでいくところに、人生の生きがいが
あるのではないか。そう考えて勇気を持って取り組めば、そこに生きる道が洋々と開けてくると思うのです。

2月1日
天は一物を与える
この世に百パーセントの不幸というものはない。五十パーセントの不幸はあるけれども、半面そこに五十パーセントの幸せが
あるわけだ。人間はそれに気がつかなければいけない。とかく人間の感情というものは、うまくいけば有頂天になるが、
悪くなったら悲観する。これは人間の一つの弱い面だが、それをなるべく少なくして、いつの場合でもたんたんとやる。
信念を持っていつも希望を失わないでやることだ。「天は二物を与えず」と言うが、逆に「なるほど、天は二物を与えないが、
しかし一物は与えてくれる」ということが言えると思う。その与えられた一つのものを、大事にして育て上げることである。

2月2日
まず好きになる
「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますが、これは商売についてもあてはまります。商売を繁栄させたいと思えば、
まず商売にみずから興味を持ち、好きになることです。好きになれば努力することが苦にならない。むしろ楽しくなる。
そしてただお義理や飯のタネにするために事を運ぶというのではなく、誠心誠意それに打ち込む。そこにこそ繁栄への一つの
道があると思います。適材適所ということが言われますが、私は、適材適所とはそうした商売の好きな人が商売に当たる
ということであって、そうなれば千人が千人とも望みを達することも決して難事ではないと思うのです。

2月7日
平穏無事な日の体験
体験というものは、失敗なり成功なり何か事があったときだけに得られる、というものでしょうか。決してそうではないと
思います。平穏無事の一日が終わったとき、自分がきょう一日やったことは、果たして成功だったか失敗だったかを心して
考えてみると、あれはちょっと失敗だったな、もっといい方法があったのではないか、というようなことが必ずあると思います。
それについて思いをめぐらせば、これはもう立派な体験と言えるのではないでしょうか。形の上での体験だけでなく、日々
お互いがくりかえしている目にみえないささいなことも、みずからの体験として刻々に積み重ねていく姿勢が大切だと
思うのです。

2月9日
一歩一歩の尊さ
仕事はいくらでもある。あれも作りたい、これもこしらえたい、こんなものがあれば便利だ、あんなものもできるだろう、
と次から次へと考える。そのためには人が欲しい、資金が欲しいと願うことには際限がないが、一歩一歩進むよりほかに
到達する道があろうか。それは絶対にない。やはり、一歩一歩のつながり以外に道はない。坦々たる大道を一歩一歩歩んで
ゆけばそれでよい。策略も政略も何もいらない。一を二とし、二を三として一歩一歩進んでゆけばついには彼岸に到達する
だろう。欲しいと願う人も一人増え、また一人増えてついには万と数えられよう。一歩一歩の尊さをしみじみ味わわねばならぬ。

2月12日
部下の提案を喜ぶ
従業員の人びとが喜んで仕事をする姿をつくるには、上司なり先輩が、部下なり後輩の提案を喜んで受け入れるということが
大切だと思います。それがいますぐには実際に用いることができないような提案であったとしても、その行為なり熱意なりは
十分に受け入れる。つまり、発案をすればするほど上司が喜ぶという雰囲気が非常に大事だと思うのです。部下の提案に対して
「いや君だめだ」と言う。また来る。「ああ君、これもだめだ」と言うようなことでは、「提案してもムダだ、やめておこう」
ということになり、決まった仕事しかしなくなってしまうでしょう。それでは、進歩も向上も生まれてこないのです。

2月13日
一人の力が伸びずして……
自分は一年にどれだけ伸びているか、技術の上に、あるいは社会に対する物の考え方の上に、どれだけの成長があったか、
その成長の度合をはかる機械があれば、これは簡単にわかります。しかし、一人ひとりの活動能力というか、知恵才覚というか
そういう総合の力が伸びているかどうかをはかる機械はありません。けれども、私は五%なり十%、あるいは十五%伸びた、
と自分で言えるようでないといけないと思います。やはり一人ひとりが、自分の力でどれだけのことをしているかということを
反省してみることが大切です。一人ひとりの力が伸びずに社会全体の力が伸びるということはないと思うのです。

2月15日
自己観照
自省の強い人は、自分というものをよく知っている。つまり、自分で自分をよく見つめているのである。私はこれを“自己観照”
と呼んでいるけれども、自分の心を一ペん自分の身体から取り出して、外からもう一度自分というものを見直してみる。
これができる人には、自分というものが素直に私心なく理解できるわけである。こういう人には、あやまちが非常に少ない。
自分にどれほどの力があるか、自分はどれほどのことができるか、自分の適性は何か、自分の欠点はどうしたところにあるのか、
というようなことが、ごく自然に、何ものにもとらわれることなく見出されてくると思うからである。

2月19日
最善の上にも最善がある
会社としては、常に何事も最善と思ってやっているし、みなさんもそれに基づいて最大の努力を払っていると思います。
しかし、立場をかえて、お客様の側からいうと、まだまだこう考えてほしい、こうあってほしいという希望が出るのも、
また当然だと思います。
そういうことを考えてみると、ものには最善の上にさらに最善がある、限りなく上には上がある。それを一段一段、そういう
訴えを聞くたびに素直にそれを聞いて、検討するということが永遠に必要ではないかと思うのです。そういう意見をよく
汲み上げて、改める点があれば改める、というようにすることが必要だと思います。

2月21日
人事を尽して天命を待つ
「人事を尽して天命を待つ」ということわざがある。これは全く至言で、私はいまも自分に時どきその言葉を言い聞かせている。
日常いろいろめんどうな問題が起きる。だから迷いも起きるし、悲観もする、仕事にも力が入らないことがある。これは人間で
ある以上避けられない。しかしそのとき私は、自分は是と信じてやっているのだから、あとは天命を待とう、成果は人に決めて
もらおう……こういう考え方でやっている。小さな人間の知恵でいくら考えてみても、どうにもならぬ問題がたくさんあり
すぎる。だから迷うのは当たり前である。そこに私は一つの諦観が必要だと思うのである。

2月22日
努力を評価しあう
販売に当たる人が、一つの商品について技術、製造の人の開発の苦心を思い、逆に技術、製造にたずさわる人は、販売する人の
努力に感謝し、心をこめて製品をつくりあげる。また経理の人は一円のお金にも、それが利益となって生まれてくるまでの技術、
購買、製造、販売、その他すべての部門の人の汗の結晶というものを考え、それを最大限に生かしてゆく。というように、
お互いの一つ一つの懸命な努力を、いわば目頭を熱くするような思いで理解し、それを生かしあってゆく。そして、そこに
生まれた成果をお互いに喜びあっていく。そういうものがあってはじめて全体の発展も生まれてくるのではないだろうか。

2月23日
道徳は「水」と同じ
戦後のわが国では「道徳教育」というと何か片寄ったふうに思われることが多いが、私は道徳教育は、いわば「水」と同じ
ではないかと思う。人間は生きるためにどうしても「水」が必要である。ところがこの水に何か不純物が混じっていて、
それを飲んだ人が病気になった。だからといって水を飲むことを一切否定してしまったらどうなるか。大切なことは「水」
そのものの価値、効用を否定してしまうことではない。水の中の不純物を取り除くことである。かつての道徳教育の中に
誤ったところがあったからといって、道徳教育そのものを否定してしまうことは、それこそ真実を知らぬことではないか。

2月24日
大阪城築造の秘訣-信賞必罰
豊臣秀否は、あの豪壮華麗な大阪城を、わずか一年半で築造したというが、どうしてそんなことができたのか今日なお不思議に
思われる。しかしその大きなな原因の一つは、築造に当たって彼は「功ある者には莫大な恩賞を与えるぞ」と約束した。
そのかわり「過怠ある者は牢に入れるだけでなく、容赦なく首を斬ってしまうぞ」と宣言した。首を斬られてはかなわんから、
みんな必死になって働くが、その上に莫大な恩賞が約束されているから、より一層はげみがつく。そこにあの大阪城築造の
秘訣があったとも言えよう。“信賞必罰”は、昔も今も、人間の存在する限り必要なものであり、永遠の真理を喝破した貴重な
教えではなかろうか。

2月25日
七十点以上の人間に
完全無欠な人間などあり得ないと思う。だから、お互い人間として、一つのことに成功することもあろうし、ときには
あやまちもあるだろう。それは人間としてやむを得ないというか、いわば当たり前の姿だと思う。しかしあやまちと正しいこと
とを通算して、正しいことのほうが多くなるような働きなり生活を持たなければ、やはり人間として、望ましい姿とは
言えないのではなかろうか。かりに自分を点数で表わすとどうなるだろう。三十点のマイナス面はあるが、少なくとも
プラスの面が七十点ある、というようなところまでには到達するようお互いに努力したいものである。

2月28日
感謝の心は幸福の安全弁
感謝の念ということは、これは人間にとって非常に大切なものです。見方によれば、すべての人間の幸福なり喜びを生み出す
根源とも言えるのが、感謝の心とも言えるでしょう。したがって、感謝の心のないところからは、決して幸福は生まれてこない
だろうし、結局は、人間、不幸になると思います。感謝の心が高まれば高まるほど、それに正比例して幸福感が高まっていく。
つまり、幸福の安全弁とも言えるものが感謝の心とも言えるわけです。その安全弁を失ってしまったら、幸福の姿は、
瞬時のうちにこわれ去ってしまうと言ってもいいほど、人間にとって感謝の心は大切なものだと思うのです。

3月2日
魂のこもった朝礼
朝、仕事をはじめる前に朝礼をする会社や商店が多いようであるが、この朝礼をただ惰性で行なってはいないだろうか。
会社や商店が順調にのび、世間の評判もよくなる。銀行も金を貸してくれるし、事業もたやすくできる。そうなってくると、
最初全員が真剣であった朝礼も何となく気がゆるみ、形だけに終わってしまいがちである。社長も従業員も一番注意せねば
ならないのはこうした時期ではないかと私は思っている。 だから、朝礼をするならば魂のこもった朝礼というものを常に
心がけねばならない。そうでなければ朝礼を行なう価値がない。形だけなら何にもならないと思うのである。

3月7日
大西郷の遺訓
西郷隆盛が次のような遺訓を残している。
「国に功労がある人には禄を与えよ。功労あるからといって地位を与えてはならない。地位を与えるには、おのずと地位を
与えるにふさわしい見識がなければならない。功労があるからといって、見織のないものに地位を与えるということは国家
崩壊のもととなる」と。これは国のことであるが、事業経営についても同じことが言える。あの人は会社に大きな功労がある、
だから重役にしようとなりがちであるが、この点は充分に注意しなければいけない。あくまでも、功労ある人には賞をもって
報い、その見織ある人に地位を与えることが大事だと思う。

3月9日
三日の手伝い
「三日の手伝い」という言葉があります。たとえ三日間の手伝い仕事であっても、その仕事に一生の仕事のような心構えで
真剣に立ち向うならば、そこから必ず大きなものを得ることができる、ということです。そうしてこそあらゆる場合に直面
しても動じない精神が身につくということでしょう。そう言うと「本業についたらもちろん一生懸命に努力する」と言う人が
いるかもしれません。しかし、私のこれまでの体験から言うと、現在与えられた、いまの仕事に打ち込めないような心構えでは
どこの職場に変わっても、決していい仕事はできない。これははっきり申しあげることができると思うのです。

3月20日
まず自分から
反省を求める者には反省を求める、また自分たちにおいて反省すべき点があれば、大いに反省して協力体制をとってゆく。
そういうことを誰かが言い出し、誰かがやらねばならないのに、誰もが非常な安易感に浸ってしまって、成りゆきまかせ、
他人まかせになってしまっている。それが日本の現状でしょう。これでは物事は好転していきません。きょう一日が過ぎれば、
あすはあすの風が吹くだろうというような、事なかれ主義はいつか行き詰まります。お互いに全体として考え直そうという
行き方を“誰か”ではなく、まず自分が生み出さなくてはならないことを深く自覚すべきだと思うのです。

3月23日
即断即行
昔から「兵は神速を貴ぶ」という言葉がある。一瞬の勝機を的確につかむかどうかに勝敗の帰趨がかかっている場合がある。
そういうときにいたずらに躊躇逡巡していたのでは機会は永遠に去ってしまう。だから大将たる者は、即断、即行ということが
きわめて大事である。これは何も戦にかぎらず、一国の運営、会社でも同じである。情勢は刻々にうつり変わっていく。
だから一日の遅れが一年の遅れを生むというような場合も少なくない。もちろんきわめて慎重に時間をかけて事を運ぶことが
必要な場合もある。しかし大事にあたって即断、即行できる見識と機敏な実行力は指導者に不可欠の要件だと言えよう。

3月25日
権限の委譲
一人の人間の力というものはどうしても限りがある。その限りある力以上のことをしたり、させたりすれば往々にして失敗する。
力にあった適正な範囲で事を行なうのが一番よいのであって、その事が力に余るようであれば、それを分割して何人かの力に
よって行なわせることが望ましい。 指導者としては、仕事を適切な大きさに分け、その分野については責任と権限を委譲して、
各人の力に応じた仕事を徹底してしてもらうことを考えなくてはならないと思う。それぞれの責任範囲をはっきりさせることに
よって、仕事にムダがなくなり、能率もあがるようになるのである。

3月28日
身を捨てる度胸
人生というものには、いろいろな問題があります。しかし、それらのことも過ぎ去ってみると、あのときに迷わないでやってほんとうによかったな、と
いうような場合が多いのです。そこが大事なところだと思います。ある場合には迷うこともあるでしょう。しかし、しょせん迷ってもお互い自分の知恵裁量と
いうものは、ほんとうは小さいものです。だから、「これはもう仕方がない。ここまできたのだからこれ以上進んで結果がうまくいかなくても、それは運命だ」と
度胸を決めてしまう。そうした場合には、案外、困難だと思っていたことがスムーズにいって、むしろ非常によい結果を生む、ということにもなるのではないかと
思うのです。

4月2日
人間はダイヤモンドの原石
私は、お互い人間はダイヤモンドの原石のごときものだと考えている。ダイヤモンドの原石は磨くことによって光を放つ。しかもそれは、磨き方いかん、
カットの仕方いかんで、さまざまに異なる、さん然とした輝きを放つのである。同様に人間は誰もが、磨けばそれぞれに光る、さまざまなすばらしい素質を
持っている。だから、人を育て、活かすにあたっても、まずそういう人間の本質というものをよく認識し、それぞれの人が持っているすぐれた素質が活きるような
配慮をしていく、それがやはり基本ではないか。もしそういう認識がなければ、いくらよき人材があっても、その人を活かすことはむずかしいと思う。










12月1日
自分の最善を尽す
太閤秀吉という人は、ぞうり取りになれば日本一のぞうり取りになったし、炭番になれば最高の能率を上げる炭番になった。そして馬回り役になったら、
自分の月給をさいてニンジンを買い、馬にやったという。このため嫁さんが逃げてしまったということだが、そこに秀吉の偉大さがある。馬番になったが
「オレはこんな仕事はいやだ」などと言わずに、日本一の馬番になろうと努力した。
つまり、いかなる環境にあっても、自分の最善を尽し、一日一日を充実させ、それを積み重ねていく。それが役に立つ人間であり、そのようなことが
人を成功に導いていく道だと思ったのである。

12月8日
上位者に訴える
自分が最善を尽してもなお、これがいい方策だという確信が生まれない場合は、ただちに上位者に訴える必要があります。
もちろん、それぞれの人が会社の基本方針にのっとりつつ、責任をもって自主的に仕事を進めていくという姿はきわめて好ましいと思います。けれども
うまくいかない非常に困難な場合、自分だけで悩み、上位者に訴えない。上位者はうまくいっていると思って安心している。どうしてもいけなくなって、
訴えたときにはすでに手遅れだということが往々にしてあります。
具合の悪いときは瞬時も早く上位者に報告して指示を仰ぐ、それがほんとうの責任経営だと思うのです。

12月16日
大義名分
古来名将と言われるような人は、合戦に当たっては必ず「この戦いは決して私的な意欲のためにやるのではない。世のため人のため、こういう大きな
目的でやるのだ」というような大義名分を明らかにしたと言われる。いかに大軍を擁しても、正義なき戦いは人びとの支持を得られず、長きにわたる
成果は得られないからであろう。これは決して戦の場合だけでない。事業の経営にしても、政治におけるもろもろの施策にしても、何をめざし、何の
ためにやるのかということをみずからはっきり持って、それを人びとに明らかにしていかなくてはならない。それが指導者としての大切な勤めだと思う。

12月18日
利害を一にしよう
おとなと青年、あるいは子供との間に断絶があるとすれば、それはわれわれの言う商売的な利害を共にしていない、さらにもっと高い意味の利害を
一にしていないからだと思います。
親は子のために、子は親のために、ほんとうに何を考え、何をなすべきかということに徹しているかどうか、また先生は生徒のためをほんとうに
考えているかどうか、生徒は先生に対してどういう考え方を持っているのか。そういう意識がきわめて薄いために、そこに溝ができ、それが断絶となり、
大いなる紛争になってくるのではないでしようか。時代が時代だから断絶があるのが当然だと考えるところに根本の錯覚、過ちがあると思うのです。

12月22日
小事を大切に
ふつう大きな失敗は厳しく叱り、小さな失敗は軽く注意する。しかし、考えてみると、大きな失敗というものはたいがい本人も十分に考え、
一生懸命やった上でするものである。だからそういう場合には、むしろ「君、そんなことで心配したらあかん」と、一面励ましつつ、失敗の
原因をともども研究し、今後に生かしていくことが大事ではないかと思う。一方、小さな失敗や過ちは、おおむね本人の不注意や気のゆるみから
起こり、本人もそれに気がつかない場合が多い。小事にとらわれるあまり大事を忘れてはならないが、小事を大切にし、小さな失敗に対して
厳しく叱るということも一面必要ではないか。

12月25日
<経営者次第>
昔の日本の言葉に「頭がまわらなければ尾もまわらない」というのがあるが、私は、経営者が百人なら百人の人を緊張させて、
大いに成果を上げようと思えば、その人の活動が、端の人がみて「気の毒な」と思うくらいにならないといけないと思う。
「うちのおやじ、もう一生懸命にやっとる。気の毒や」という感じが起これば、全部が一致団結して働くだろう。けれども
そうでない限りは、経営者の活動の程度に応じてみな働くだろうと思う。人間というのはそんなものである。決してぼろい
ことはない。自分はタバコをくわえて遊んでいながら「働け」と言っても、それは働かない。私はそういうふうに考えて
やってきた。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2009年01月14日 08:05