舞台は地方都市
あやめと癒衣は友人たちと地味だけども
充実した中学生活を満喫していた
7月 隣町の駅前広場で若い女の遺体が見つかる
遺体は顔を剥がされており、猟奇殺人として警察は捜査を始める
翌週、あやめの友人の祖母が同様の手口で殺害されていたのが発見される
連続殺人が発生した時期
それは、「ベニイロカガミとアシオトおばけ」という
ある都市伝説が蔓延し始めた頃と一致した事に癒衣は気づくも
友人らは関連は薄いという
事件から数日後
誰もが普通の生活に戻りつつあった
明日から夏休みだというのに宿題を校舎に忘れてきたので
取りに行くというあやめに付き合う癒衣
薄暗い夕方の校舎の廊下を歩いていく
曲がり角を曲がっても曲がっても教室に着かない
そのうちに、本当にここは自分たちの学び舎なのかという錯覚に陥る
体感時間に反し、一向に暗くならない外の景色
いくら夏だからといってこれはおかしいのではないだろうか
癒衣と違って体力のないあやめが駄々をこね、
諦めて友人に宿題を見せてもらおうと携帯を取り出す
デジタル時計は、正門から入った時間から動いていなかった
瞳に涙を浮かべるあやめ
寡黙な癒衣も泣きたいような気分だった
自分たちの住む場所ではない世界
ふと、ベニイロカガミの事を思い出す
「自分の産まれた時刻に一人で鏡の前に立つ」
「すると、運命の人や自分の死に顔が浮かぶ」
そういったありふれたゴシップ
だが、ベニイロカガミはもっとおぞましい、違う真実があるのではないか
下駄箱付近の大鏡、そもそもはあそこから違和感を感じていた
ぐずるあやめをおぶさり、下駄箱へ引き返す
だが、一向に廊下から抜けることができない
鏡な階段の踊り場にもあったはずだというあやめ
彼女をおいて、言われた通りなんとか階段を見つけて鏡の前に立つ
鏡は鮮血のように真っ赤に染まっていた
-汝ら 罪なし ようこそ-
浮かんだ意味深な言葉に癒衣は身震いした
その恐怖をかき消し、耳をつんざくような悲鳴 あやめのものだ
癒衣はあやめの名を叫び、彼女の元へ向かう
死んだはずの、友人の祖母がいた
顔の部分が鏡のようになっていた
老婆の顔は、あやめを写し続けた
足元がおぼつかない老婆
徐々に腰の抜けたあやめへと歩を進めていく
歯の根ががちがち震えるのを感じた
こいつは「危険」だ、と
考えるより先に癒衣の鍛えられた脚はあやめを目指した
老婆がこちらに反応し、何らかのアクションをとるより早く
癒衣の腕はあやめを抱きかかえた
あやめを抱いたまま、ガムシャラに走り続ける癒衣
「顔は無かったけど、あれはばーちゃんだよ」
そうだな、と相槌を返してやる
4回曲がったところで、新たな人影を見つけた
癒衣も話したことのある、新米の警備会社の人間だ
あやめは歓喜の声を上げるも、癒衣は警戒を解かない
「オレがいない オレがうつってない オレはどこどこ」
虚ろな眼でぶつぶつ呟く男
そもそも、こんな世界にいる事自体が不可解だ
「下がっていろ」
癒衣があやめにそう言おうとした瞬間
男は癒衣の傍に既に立っていた かっと見開いた目で癒衣をにらみつけた
後ずさるよりも早く、男は癒衣の腹を殴りつける
うずくまる癒衣を更に蹴りを入れる
壁に強く叩きつけられる癒衣 痛みと恐怖で混濁する意識の中、癒衣は叫んだ
「逃げてくれ」
癒衣を殴った男の手首は折れていた
くにゃくにゃしているのをあやめは見た
後方にはあの老婆がいる
最寄の教室を見つけ、ドアのガラスを携帯で力任せに叩き割るあやめ
教室に入る際、ガラスの残りが彼女の腹や肩を少し切った
社会科資料室
入り口には机やイスでバリケードを作り、あやめ本人は準備室へ隠れる
あの異形の二人に通づるわけがないと思っていたが
何かしていないと不安で押しつぶされそうだった
癒衣を見捨てたか弱い自分がいやになる
準備室にも鏡はあった
やはり真っ赤に染まっていた
物音一つしない中、あやめは聞いた
バリケードが破られた 机が床に落下し、大きな音を立てた
資料室に通じるドアから部屋覗こうとしたその時
ドアは勢いよく開け放たれた ばきりと金具ごとドアははぎ取られた
頭部と左肩、左腕が赤黒く異様に膨れた、さっきの男が立っていた
ぶつぶつと独り言をしゃべる男を前にするあやめの股からは小水が染みていた
男は肥大化した左腕であやめを横から殴りつけた
小柄な体が吹き飛び、金属の棚にぶつかった
棚に並んだ歴史ファイルをばら撒いた
ぎしぎしと背骨が音を立てて軋むのを聞いた
げほっと喀血し、痙攣する体に恐怖を覚えるあやめ
人間の死については小説や歴史の授業
それと、ゲームやマンガであやめは知っていた
自分には、あと80年近く経たないと訪れないだろう
そう思っていた
しかし、身近に迫る死にあやめは恐怖した
「ゆるして、ゆるして」
ひゅう、ひゅう と喉の奥から息が吹き抜けただけだった
いよいよ迫る自分の機能停止に意識が朦朧とする
緊張し、グッと手を握るも、掌に痛みが走る
掌には、さっき殴られた際に砕けた鏡の欠片があった
血だらけになった鏡の欠片は、さっきのようなベニイロカガミのように
赤黒くなっていなかった
それに移る蒼白い自分の顔が口を開く
「おわりにしますか つづけますか」
まるでゲームのような語りかけだった
「おわり」というのはこのままあの男にくびり殺される事だろう
あやめにとっても死ぬ事は不本意であった
声の出ない口から、あやめは鏡に返した 「つづけます」
鏡の中のあやめは消え、代わりにメッセージが現れた
ようこそ ようこそ ようこそ ようこそ ようこそ
日本語のほかに、あやめの知らない言語で「ようこそ」が綴られていく
見知らぬ文字で埋め尽くされる鏡
最初の「ようこそ」は既に隠れてしまった
鉄の味をかみ締めながら鏡を見守るあやめは
男が既に腕を振り上げていることに気づくのが遅れた
あの丸太のような腕 もう一度殴られたら死ぬだろうな
グッと鏡を握り、寸前で授業の柔道で習った受身をとる
あの一撃はかわせたものの背中と肺に激痛が走り、再び喀血するあやめ
掌の皮もめくれて血が吹き出る
息が整わない
男が再び腕を振りあげた
鏡は、と 掌を見る
たくさんの文字の真ん中に、一つだけ白く輝く文字列があった
知らない言葉の一単語なのだとあやめは思った
そして、それを口にする
「ブリュンヒルデ」
鏡から白く眩い光があふれ、薄暗い資料室を照らした
男はよろめき、巨大な腕でバランスを崩して膝をついた
ブリュンヒルデ その女神はあやめの前に跪いていた
頭部をカブトで覆い、白の布やレース、リボンをはためかせていた
カブトの隙間から、ブルーに輝く瞳が見えた
細身の体を起こし、男を見据えて腰の剣を抜くブリュンヒルデ
彼女を見るあやめの体から痛みは消えていた
男は体を震わせ、バイクのエンジン音のような声で咆哮した
ミシミシと身体の容量が増加しているように見えた
頭髪は抜け落ち、上半身の筋肉が盛り上がっていく
眼球は落ち鼻はもげ、口は歪んで歯が抜ける
あの老婆の顔と同じように、鏡のノッペラボウのようになった
もう、ばけものだ
あやめは男の変異を見て、出掛けに食べた大福を吐きもどした
倍ほどにも膨れた腕を振りかざし、突進する男のばけもの
ブリュンヒルデは剣を下段に構え、スッと左前方に踏み込んだ
ばけものの左腕、肘から先が斬り飛ばされた
血の噴水を振りかざし、痛みに震えるそいつの背中を蹴飛ばす
か細い体躯からは考えられないほどに重い蹴りだった
蹲るばけものの膨れた左肩の皮を引き裂き、無数の触手が顔を現す
ブリュンヒルデは強く踏み込み、一気に距離をつめる
迫る触手を次々斬り伏せ、ばけものの背に剣を突き立てる
刃を腕近くから腰まで押し込むと、おびただしい量の血がべしゃりとカブトを汚した
ばけものは動かなくなった
血のりの着いた剣を白の腰布で拭き、鞘に収める
ブリュンヒルデはあやめの前に再び跪いた
『わたくしはそなたの鏡像 わたくしを用い、そなたの願いを遺せ』
そんな言葉が頭に響いた
鏡が再び強い光を放ち思わずあやめは目を覆った
また何か起こるのか そう思って目を開く
いつもの教室だった
風を受けてなびくカーテン、夕陽の差し込む教室
夏休み、と大きくカラフルにらくがきされた黒板
あやめは自分の席に座っていた 開け放されたドアの廊下側で
腹を押さえた癒衣が立ち尽くしていた
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