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しずる11歳

  • 静流の過去物語をベースに弄ったよ
  • ちょっと短かめだなー



 --この臭いを、知っている。
 暗闇の中で、しずるは思うようにならない体を捩った。
 頬にザラついた砂の感触と堅い節のある板質感を感じて、自分が寝転がっていることを知る。
 同時に吐き気と腹部に鈍痛を覚え、殴られたんだな--と、地面に手をついて身を起した。
 拘束はされていない。
 自らこの場所に寝転がった記憶は無い上に、腹部の痛みは明かに危害を加えられてのものだということを考えると、自然と何者かによってこの場所に転がされていたということになる。
 月明かりの差し込む板張りの部屋を見渡し、この場所がどこかを探ろうとして--しずるは途端に動揺した。
 --狭い。
 場所がわからないことに恐怖したのではない。
 狭い場所に自分がいる、ということが恐しかった。
 もし、あの戸が開かなかったら--そう考えるだけで震えが走った。
 厭な記憶が蘇える。
 普段は忘れてしまったように、思い出すことも無い記憶。
 --どうして、こんな時にっ!
 歯噛みして記憶を追いやろうとするが、意志に反して脳はじわりじわりと過去を再現し始める。
 忘れてしまいたい、とても厭な記憶を。
 唇を噛み締めて過去に飲み込まれないように耐えながら、現状を把握しようと努めるが、それがまた記憶をより鮮明なものにしていく。
 --冗談はやめてっ!
 誰に訴えるでもなく、しずるは震える自分の両肩を抱いた。
 途切れていた記憶が戻る切っ掛けとなったその臭い。
 それは必死の抵抗を嘲笑うかのように、しずるを過去へと誘うものだった。
 あの時の自分と今の自分がぴたり、と重なる。
「いっ--や--」
 思わず漏れた声は弱々しく、暗闇に飲まれていった。


「お母さん、お母さん」
 母を求めているのは、幼き日の自分。
 見れば、目の前にあの日の自分がいた。
 焦るような両親の行動に戸惑い、不安になって母に縋ろうとしていたあの日。
 しずるは、これは夢だと知っていた。
 夢、というよりも記憶の再現だ。
 劇中に投げ込まれたこれを観せられている今の自分は、どんなに足掻こうともこの舞台を変更することは出来ないのだと、随分と昔に悟った。
 だからこうして、部屋の隅で膝を抱え、目が覚めるのをじっと待つしかない。
「お母さん、どうしたの? なにかあったの?」
 両親の怯えがダイレクトに伝わり、どうしていいのかもわからず母に問いを投げ続ける私。
 余裕の無い表情で何事か口早に話し合う両親を、下からずっと見あげている私。
 いやいや、と頭を振った母が私を見て--泣いた。
「お母さん、お母さん、どうしたの? どこか痛いの? 恐いことがあったの?」
 母がしてくれるように、母の頭を撫でようとして背伸びをする私。
 その仕草に、母は膝をついて号泣した。
「お父さん、お母さんどうしたの?」
 嗚咽を漏らす母を抱き締めながら、父を見上げると、父は何も言わずそっと前髪から指を差しいれて、一度だけ撫でてくれた。
「お母さん、恐いのはしずるがやっつけてあげる。大丈夫だよ、お母さん」
 母は私を抱き締めて、一頻り泣くとそっと身を引き、無理な笑顔を見せた。
「お母さん?」
 母が何かを言った。
 聞き取れないのは、母の声をもう思い出せないからだろうか。
 そして、母は私の手を取り少しだけ歩いた後、もう一度だけ抱き締めて--狭い場所に私を閉じ込めた。
 急に失なった母の温もりに戸惑い、私は目の前の壁を叩いた。
「お母さん? お母さん? 出してよ、お母さん!」
 叫びは、壁に吸い込まれるようにして消え、代りに壁の向うから激しい遣り取りが聞こえてきた。
 何を言っているのかはわからない。
 けれど、誰かが大声で叫んだり、何かを壊したりしている厭な音だった。
 心が不安定になる。
 声を出してはいけないような気がした。
 そして、この嵐が去れば母がここから出してくれるのだと、私は思った。
 だからじっと待った。
 怖くて震えながら、じっと待った。

 いつしか声も音もしなくなった。
 それでも扉は開かれなかった。
 母の手が抱き締めてくれることも。
 ただ、狭い空間だけがあった。
 壁を叩いたり声を上げたりしたけれど、それも最初のうちだけだった。
 手の指の皮膚が裂けて血が滲み、声が枯れるだけで終った。
 次第に力が入らなくなり、足掻くことも出来無くなっていく。
 狭い部屋には何も無かったけれど、幸か不幸か水だけはあった。
 それが、命を繋ぎ止めていた。
 繋ぎ止めてしまった。
 長い孤独と飢えは、絶望を深く植えつけていく。
 もう、母には会えないのか。
 もう、出ることはできないのか。
 もう、誰にも知られず死んでいくのか。
 この、狭く、何も無い、場所で。
 そんなことをぼんやりとした意識で思っていたような気がする。
 否、それはその時の状況の夢を見ることで抱いたものだろうか。
 ただただ、暗く、冷たく、乾燥した気持ちだけがあったことだけは覚えている。

 救いは、母の腕ではなかった。
 温かで、柔く、いい匂いがしたけれど、それは母のものではなかった。
 衰弱して見ることは出来なかったけれど、聞き取ることもできなかったけれど、自分を抱いた腕が母のものでも、父のものでも無いということは、五感が伝えてきた。
 そして、心のどこかで何かが軽い音を立てて壊れた。
 硝子の表面に張った、薄い氷を割ったような微かなものだったけれど、私を支えていた何かだった。
 その音を聴いた時、私の閉じた両目から、涙が一筋落ちた。
 一滴に篭る熱量が、その時の私の全てだった。


 ブレた記憶が戻り、しずるは細く長く息を吸い込んだ。
 --大丈夫。
 --私は大丈夫。
 事件の後、しずるは強くなりたいと願った。
 どんな辛いことを課してでも、自分だけでなく、全てを守れる強さが欲しいと切望した。
 そのために、この土地で古来からの武術を学んだ。
 腕力だけでなく、精神的にも強くあろうと努めてきた。
 もう何年も何年も、ひたすらに修行を積んできたのだ。
 何も出来ずにじっとしていた頃とは違う。
 --もう、あの時とは違うのだから。
 呼吸法で落ち着きを取り戻したしずるは、素早く現在の状況を把握した。 
 この場所は、爺様の道場の道具置き場だ。
 知らない場所では無い。
 木造のこの建物なら、少し暴れれば壁からだって出ることは出来るはずだ。
 --だから、恐れることは無い。
 そう言い聞かせて、しずるはゆっくりと身を起した。
 未だ震えが残っているのは、寒さのせいだと決めつけた。
 そして覚悟をする。
 --この臭いを、私は知っている。
 多分、この戸を開いたところにあるのは、あの時の壁の向こうにあったであろう光景だ。
 あの狭い部屋で感じていた忌しい出来事の現場がそこにある。
 それでもこの戸を開かなければ前に進むことはできないと、しずるは思った。
 節が立った古い引き戸に手をかけ、もう一度だけ深呼吸をして、いつもと変らぬ速度で戸を開いた。
 暗さに馴れた目に飛び込んできたのは、想像していた通りの現場だった。
 物音一つしない広い空間に倒れる人。
 そして、暗く濡れて光る床。
 生命の欠片も残されていない寂寞がそこにあった。
 それらを目に焼きつけ、しずるは老翁の身体に歩み寄った。
 師であり家族であった彼もまた、物言わぬ姿となって床に伏していた。
 孤独の身となったしずるを引き取り、育ててくれた老翁を抱き起こすと、彼は目を見開き無念の相を浮かべたままに逝った。
 その目を閉じてやり、一度強く抱き締めると、しずるは先程までいた部屋に戻り、自分の置かれていた場所を探った。
 無数の木刀が立てかけられている壁の付近に微かな隙間を見付け、手近な木刀を使って抉じ開けると、和紙に包まれた書状が折り畳まれてあった。
 紙の様子からしても新しいそれを開き、一気に読み下す。
 そこには、老翁の手による毛筆が短く綴られていた。

 以下へ連絡を取ること。
 お前の道はそこに通ずる。
 確かに生きなさい。
 お前の想う者の魂はいつもお前と共にある。

 言葉にならない想いがざっと心の中を走った。
 記された連絡先は、先の事件の後、暫くを過した場所のもので、しずるは抗え無い運命というものが自分にあるのだということを悟った。
 両親との別れも、老翁たちとの別れも、自分のせいで起ったことなのだろう。
 何が原因なのかはわからない。
 それでもそれが自分のものであるのなら、自分でなんとかしてみせる。
 手紙を包み直して老翁の元へと戻り、そのすぐ傍に正座をして、深々と頭を下げた。
「行って参ります」
 声に震えは無かった。


  • しずる関係は羅さんとは別にもう1枚裏がありそうだなぁ…