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分岐C: 夏休み

  • もしかしたらBのほうが酷いかもしれんというC。


 寝苦しさに目を醒して、言葉を無くす。
 就寝時には少し肌寒いと思ったはずの室内は、熱気と煙りに包まれていた。
 ほんの少しの違和感は瞬時に消えた。
「火事!?」
 慌ててベッドから飛び出し、扉を開く。
 窓を選ばなかったのは、両親と弟が心配だからだった。


 夏休みになる前日に家を訪れた藤堂の祖父母に、明日から別荘で過さないかと誘われ、終業式が終ると同時にやってきた。
 避暑地に造られた藤堂の別荘は広く、数人のゲストも翌日には到着した。
 相変わらず遊び相手になる子供はおらず、パーティの時のような気詰まりを感じていたが、それ以上に憂鬱にさせるのは繰り返し行われるテストだった。
 学力テストや体力テストはもちろんのこと、脳波を取っての反応テストに神経衰弱のようなカード遊び。寝ている間すらカメラを向けられ、データを取られ続ける。
 それらを毎日こなし、両親と祖父母、それにゲストの視線を耐えず浴び続け、解消しようのないストレスが泥のように積み重なって精神を蝕む。
 目から逃れられる一日のほんの数時間。
 近くにある湖畔で、水面の煌きを見詰めるのが唯一の楽しみだった。

(メール、随分見てないな……)
 休みに入る前に、予め当分出掛けるだろうからということは報せておいたから、心配はしていないだろうけれど。
(研究、進んでんのかな。疲れて無いかな。ちゃんと休みとれてんのかな)
 そんなことをぼんやり思う。
 ロンとのメールには、楽しいことだけを綴っていた。
 嘘を書くわけでは無いけれど、辛いことや不平不満は並べなかった。
 嫌なことを記してしまうと、それに負けてしまうような気がしたし、思い出したくもなかったからだ。
(後で、父さんに言って写真を一枚撮ってもらおう)
 旅行先の湖がとても綺麗だった、と。
 夏休みの思い出はそれにしようと、風景を目に焼き付けるようにしっかりと見つめながら、湖畔をゆっくりと歩いた。


「君」
 いつものように目を逃れての休憩時間のことだった。
 見知らぬ大人が、真っ直ぐにこちらを見て声をかけてきた。
「藤堂紫安か?」
「…………」
 不躾に名前を呼んでくる男に、警戒の色を強めて睨む。
 藤堂家の私有地を出てはいないはずだった。
 とすれば、この男は藤堂の関係者なのだろうか。
 しかし、いつも目にする潔癖で神経質そうな大人とは違い、どっしりとして野性味のある顔をしていた。
「俺と一緒に来い」
 唐突な言葉に驚くのに、笑顔を見せ「はい、というわけには行かんだろうな」と呟く。
 能面のような、滅多に表情が動かない大人ばかりを見ていただけに、その生き生きとした様子はとても魅力的だった。
 自分の取るべき行動を決めかねたのを知ってか、男は立ち止ったまま言葉を投げてくる。
「無理強いするつもりはないから安心しろ。お前の意志は尊重する。今すぐにどうこうするつもりは無い。だが、俺は君にこんなところに居て欲しいとは思わない」
「こんなところって、どういうことだよ」
 まるで、自分の置かれている環境を知ったように言う男に、言葉を返す。
 自分はなんなのか。
 何故こんな風に扱われているのか。
 それをこの男は知っているというのだろうか。
「いきなり一緒に来いだなんて言われて、ついていく子供がいるかよ」
 自分の口から出た、聞きわけの悪い子供のように拗ねた声色に、顔に朱が走る。
 動揺しているのだ。
 自分は。
 惑っているのだ。
 その魅惑的な解放の言葉に。
(……情けねぇっ)
 自分のペースが乱されるのに耐えられず、踵を返す。
「また、明日ここに来る。会ってもらえるかな?」
「……好きにすればいい。俺も好きにするから約束は出来ない」
「そうか」
 無理強いしないと言った手前か、約束をさせない男を肩越しに振り替える。
「今君に多くは語れないが、これだけは言っておく。『気をつけろ』」
「? どういうことだよ」
「君は狙われている」
 どういうことだと言葉を投げるより先に、首から下げているカードが震動する。
 自由時間は終りだという合図。
 急いで戻らなくてはならず、舌打ちをする。
「急ぐんだろう? 行きたまえ。明日ここで待っている」
 全てを知っているといった風情に、反感を覚えないわけでは無い。
 けれど、それ以上に感じる安心感に、甘えたくもなる。
「……明日な」
 男の視線を背中に感じながら、走り出した。
 まるで逃げ出すみたいだ、と感じながら。


 その日の夜だった。
 廊下は煙が充満していたが、炎の気配はまだ無かった。
(出火場所は? それよりも……)
 両親と弟の部屋は隣りだった。
「父さん! 母さん!」
 ドアノブを回すと施錠はされていないようですんなりと開く。
 部屋には人の気配は無い。
 まだリビングに居るのだろうか?
 廊下を走り、突き当たりの部屋のドアを叩く。
 そこは祖父母の部屋のはずだった。
「お爺様!」
 またもドアノブはすんなりと回り、部屋の中にはどちらの姿も見当らない。
(まだ、深夜じゃなかったのか?)
 随分眠ってしまったと思ったのに、と階段を駆け降りる。
 煙は一階のほうが酷く、建具の燃える悪臭が鼻と目を襲った。
「父さん! 母さん!」
 呼ぶ声に答えは無く、人の動く気配も無い。
(どういう……?)
 全員逃げられたということだろうか?
 玄関に向かおうと足を向け、煙の酷さに出火場所がこちらのほうだということを悟る。
 リビングから外へと振り替えれば、炎が壁を舐めるのが目に入った。
「……っ!」
 極力煙りを吸わないようにはしていたが、それでも全く吸わないというわけには行かず、頭がガンガンと痛み出す。
(二階から飛び降りるしか……)
 階段を戻る途中で、嫌な予想が背中を舐めた。
 心臓に冷いものを差し込まれたような嫌な寒けに、踊り場で足が萎えた。
 目覚めた時に覚えた違和感が絶望となって後ろから抱き締めてくる。
 いつもの自分の目覚めはどうだ?
(煩わしいコードと……カメラが……)

 さっきはどうだった?

 それが答えだ、というように、絶望は冷酷に、だが優しく全身の力を奪い取った。



 気がついた時に、最初に見えたのは黒い天井だった。
 その暗さに、まだ煙の中にいるんだろうか、と、ぼんやりと思い、なかなか死なないものだな、なんてことを感じた。
 しかし、熱気も息苦しさも無いことに気づき、どういうことだと身を起す。
 見覚えの無い古い和室。
 障子に光りが差しているのを見るに、朝の早い時間なのだろう。
 空気が澄んでいる。
 蒲団から出ようとして、体が思い通りに動かず、痛みが走るのを感じた。
 それでも、光りに導かれるように畳を這い、障子に手をかける。

 浅い薄青の空が綺麗だった。
 あの日に見た、星の透ける空と同じような始まりの空。

 それが急に歪んで、頬に水が滑るのを感じた。
 たぶん、泣いているんだろう。
 客観的にそんなことを思う。

 あの日見た、あの空。
 あの時泣けなかったことを、ぼんやりと思い出していた。

END