しゃんどぅ83歳の春だぞ
「……ああ、来たのか」
春の日差しが柔らかい縁側で、俺は庭に現れた影に向って微笑んだ。
風もなく、音もない。
驚いたように目を見開いて、それから何か言ったようだった。
「悪いな。そこまでの能力は、俺には無いんだ」
見えないものを会話をする能力があった人物の顔を思い出す。
その人物ももう逝ってしまったのだけれど。
「お前ら案外律儀だな。全員、こうして最後に来たぜ、ここに」
会話は成立しない。
だから一方的に話す。
「お前と俺、どっちが最後かと思ったが、俺になったな」
過去の姿で。
一番長いこと一緒に居た時の姿で、最後の挨拶にやってくる。
旅立つ姿を見て、置いていかれたように思うのは、身勝手だろうか。
「そろそろ逝くんだろ? お疲れさん」
手を振ると、ちょっと悲しそうに笑って、影は霧散した。
「懐しいもの見ちまったな」
あの制服を着ていた頃。
あの頃はこんなに長く生きるとは思ってもみなかった。
自分は何も変ったことは無いと思っているのに、気付けば体は動きにくくなり、手の皺は深くなった。
赴任してきた時の顧問の歳を超え。
師匠が死んだ時の歳を超え。
「全員、逝っちまったか」
見送れる能力があった、ということか。
言葉は交せなかったけれど。
皆、無事旅立つことが出来た。
向うは、どんなところなのか。
遅いんだと文句を言って笑って飲んでるのかもしれない。
「そう長いことは待たせねぇよ」
風が出てきた。
菜の花の黄色が眩しく揺れて、目に滲む。
「……じゃあ、またな」
最終更新:2009年05月01日 13:46