SS > 静流 > しずるの回想

ちょっとヘヴィかもしれぬ。
過去最大の中二っぷり。むしろ厨二。





 「しずるは連休どうするの?」
クラスメイトに声をかけられたしずるは、教室を出ていきかけたところで振り返り、「んー、特に予定はないかな」と曖昧に笑った。
「島から出ないの?帰省とか」
「出ないよ。本土には用はないから。じゃ、連休明けにね。お土産はお菓子をよろしく!」
そう言うが早いか、廊下を駆け出した。

 管理・監視されることが当然の人工島ではあるけれど、意外と制限されることは少ない。本土への旅行も事前に申請していれば大抵許可される。
 それは結局、監視が行き届いている証でもあり、また制限せずとも何か問題があれば即座に対応できるということでもあった。
 それは島外へ出ても変わりはない。
 常に居場所は特定されるし、何かあれば警察よりも早く組織の人間が駆けつける。
 それを窮屈に思うのは最初だけだ。
 次第に飼い慣らされた獣のように、その枠の中に収まることを疑問に思わなくなる。
 「慣れって怖いよね。ほんと」
自嘲気味に笑うと、しずるは校舎の階段を一気に駆け上がる。鉄製の重い非常扉を開くと、午後の日差しが注ぐ屋上へ出た。軽く助走をつけてドアの取っ手にひょいと足を掛けると、猫のような身軽さでひらりとその上に上がった。
 非常扉の上にある給水塔の陰はしずるのお気に入りの場所だ。
 辺りを一望できる高い場所が好きだったし、屋上に誰か来てもまず気づかれない。当然のことながら屋根はないから、雨が降ると使えない場所ではあったけれど。

 「帰省…か」
さきほどのクラスメイトの言葉を反芻してみる。
 しずるに帰省できる故郷はなかった。
 両親がいた記憶はある。けれど、兄弟がいたかどうかは分からない。
 しずるの記憶は、曖昧な点が多かった。

 一番古い記憶は、両親が自分をどこか狭い場所に押し込め、中からは決して開かない鍵を掛けたこと。
 怯えて縋ろうとする自分を一度、母親がぎゅっと抱きしめてくれたこと。

 でも、顔は思い出せない。

 そして、それ以降のことは思い出したくないことばかりだ。
 たくさんの怒号と悲鳴、叫び、耳を覆っても消えてはくれないそれらが収まるのにどれくらいかかったのか。
 恐怖で震えながら、しずるはずっと待っていた。両親が再びここから自分を出してくれるのを。
 けれど、いつまで経っても扉は開かなかった。
 狭い暗闇の中で、ただじっとしているしかなかった自分。
 あの時、もっと自分に力があったら、状況は変わっていただろうか。でも、それはありえないことだ。あの時、しずるはまだ4歳になったばかりだった。
 自分で生きる道を見つけるには幼すぎた。
 しずるはどんどん衰弱していった。
 食べる物も水さえもない暗闇の中で、丸まって横たわっているしかなかった。
 そして恐怖すらも感じなくなって、自分が生きているのか死んでいるのかも曖昧になった頃、やっと扉が開いたのだ。

 違う、と思った。

 朦朧とする意識の中抱え上げられながら、その腕が両親のものではないことを悟った。長い間暗闇の中にいた目はほとんどその姿を捉えることはできなくなっていたけれど、それでも分かるのだ。子は親を五感全てを使って認識する。腕の感触が、匂いが、息遣いが、両親のものとは違うことを示していた。
 その時、幼いしずるにも分かったのだ。両親はもう、迎えにきてはくれないのだと。
 それからのことはあまり記憶にない。
 治療を受け、体力の回復を待ち、不安定だった情緒が再び安定し始めた頃、この島へ連れて来られた。
 同年代の子供たちと触れ合い、他人と生活を共にすることで、就学する年齢になる頃には普通の子供と遜色ない成長をしていた。

 あの日、何が起こったのか、両親を奪ったのは誰なのか。
 知りたいとは思う。
 けれど、怒りの感情は不思議と湧いてこない。復讐したいと思ったこともない。それらを感じるには幼すぎた。
 ただ、喪失の悲しみを二度と味わいたくないとは思う。
 だから身体も鍛えた。必要だと思ったから、格闘技も習った。
 本当は戦うのは嫌いだ。相手を傷つければ、自分の心が傷を負う。
 だからと言って、防戦一方では駄目なのだ。それではあの時と同じ結果になる。
 そして、それが自分の役目だと思うから。大切な人たちを守ることになるから。
 そう言い聞かせている。
 けれど、それは決して知られてはならない。戦うことに躊躇いがあると知られることは、任務遂行上好ましくない。
 だから、戦う時は先頭でと決めている。
 戦っている時の顔を見られないように。皆には迷いなく戦う背中だけを見ていてほしい。本当は監視カメラで全部見られているのかもしれないけれど、それでも。



 いつの間にか、眠ってしまったらしい。
 夢を見ている。
 夢だと分かるのは、何度も見たことがあるからだ。

 暗闇と静寂の中で空腹のあまり、気が狂わんばかりになる自分。
 そして、食らうのだ。屍肉を。
 これは夢だ。
 だって、あの時、自分一人しかいなかったはずなのだから。
 それでも血生臭さがあまりにリアルで、それを知っている気がして、混乱する。

 本当にあの時、私は一人だった……?誰か一緒にいなかった……?
 いたとすれば、その子はどこへ行ったのだろう。
 本当に私が食べてしまった……?

 おぞましさに吐き気を催して目を覚ます。いつものことだ。大丈夫。慣れてる。

 屋上へ来た時には晴れていたはずの空は、いつの間にか黒く厚い雲に覆われていた。
 やがて、ぽつり、と雨粒が落ちてきたかと思うと、一気に雨足が強まる。けれど、しずるはすぐには立ち上がれずにいた。忌まわしい夢の記憶を洗い流してくれるなら、何時間でもこうしていたかった。

 「駄目だ。こんなんじゃ」
どれくらいの時間が経ったのか、髪からも制服からも雫が滴り落ちるほどに濡れそぼった頃、やっと言い聞かせるように呟いて、立ち上がった。両手でパチンと頬を叩いて気合を入れる。
 大丈夫。泣いてなんかない。私は強いもの。
 そしていつものように、ひらりと飛び降りる。派手に水しぶきが飛んだ。勢い良く扉を開けて校舎内へ足を踏み入れ、駆け出そうとして足が止まる。

 「バカか。階段水浸しにすんじゃねーよ」
そう言って、壁にもたれかかるようにして立っていたしゃんどぅがタオルを投げて寄越す。
「……なんでこんなとこにいんの」
少し声が震えたのは、動揺したからじゃない。雨で身体が冷えたからだ。
「ゆっくが美味いスープできたから、味見に来いってよ」
そう言って、しゃんどぅはもう用は終わったとばかりに階段を下りていく。
「あんたのそういうとこが嫌いよ!何でもお見通しって顔しちゃって!」
「はいはい、知ってますよ」
そう言いながら、振り返ることもせず左手を上げて軽くひらひらと振ってみせる。
「だから!そういうとこ!」
「どうでもいいけど、さっさと来ねーと、なくなるぞ」
「分かってるわよ!行かないとは言ってないじゃん!」
上がってきた時と同じように、今度は一気に駆け下りる。しゃんどぅを追い越しざま、タオルを投げ返す。
小さく口が動いたように見えたけれど、声は届かない。それでもしゃんどぅには伝わったらしく、苦笑が漏れた。
「最初からそう言えよ。素直じゃねーなぁ」
「何か言った!?」
すでに一階下を行くしずるが怒鳴る。すっかりいつもどおりだ。
 何があったのかは知らない。知る必要もない。本人が話したいわけじゃないなら。
 まあとが、例の友人たちからしずるの様子を教えられ、ゆっくに何か温まるものをと頼んだ。そうしたら、ちあいが「タオル持って行ってあげて」と言うからそうしただけだ。
 結局、自分はそういう役割なのだろう。

「ま、別にいいけど」
そう呟いて、くすりと笑った。

 いつの間にか雨音は止んでいた。きっと綺麗な虹が出ているに違いない。




  • 書ききれなかった分の補足
 ・そんなこんなでしずるは狭い場所に長時間いるのが苦手になりました。短時間なら何とか。暗闇は平気です。
 ・飢餓=生命の危機と身体が覚えてしまったので、常にお腹を満たしていないと駄目なのです。
 ・しずるを奪うための襲撃でした。替え玉を逃がすことで目晦ましに成功しましたが、そのお陰でしずるの発見が遅れました。
 とかとか。

最終更新:2009年05月19日 20:48