楽園
「雷堂、神ってのはどういうもんだろうね」
日当たりの良い縁側で、白い肌を少しだけ赤く染めた少年が言った。
白い玉砂利が太陽の光りを跳ね返し、外はやけに白々しく霞んで見える。
「僕はね、たぶん神なんだ」
大真面目な顔で語る親友に、雷堂は何も言わずその言葉を肯定した。
彼以外の誰かがその言葉を口にしたのならば、当然否定し嘲りの言葉の一つも投げつけような台詞だと思う。
しかし、目の前のどこか儚げにも見える友には、その陳腐な言葉をも納得させるだけの能力があった。
「ふふふ、ねえ、雷堂。天才と神の違いはなんだと思う?」
質問の形をとってはいるが、返答は期待していないという様子に、首を傾げて見せるに留める。
「天才というのはね、その人自身にしか役立たない能力の持ち主のことさ。優れた能力を持ってはいるけれど、それを他の誰かに教えてやることは出来ないんだ。天才が死ねば、それで全ては終り」
ぱっと何がか砕け散ったようなアクションをして、少年は笑う。
「では『神』はどうか。僕はね、こう思うんだ。神というのは天才の知るものを伝える術のある者なんじゃないか、ってね。理解の範疇外にあるものを、わかりやすいものに解体して伝える技能がある者をそう言うんじゃないかって。凡人でも扱えるレベルに技能を落しこむことができる技能をね、持っているんじゃないかって」
何千といるだろう蝉の声が、個を持たず空気に溶けこんだように静かに感じる。
白い玉砂利の乱反射が、室内に暗闇を作り出す。
「もちろん、凡人でも使えそうなものだけを……与えて良いと判断する技能だけを伝えていくのだけれどね。与えたものを吸収し成長していくのを眺めるのは楽しいだろうね。でもちょっと退屈だろうな。だから、スリルを仕掛けておくのも忘れないのさ、禁断の果実、っていうね」
神童と謳われ、天才という名を欲しいままにする彼は、陽気に言う。
いつもよりも上機嫌だな、と思う。
きっと、何か面白いことを思いついたのだろう。
気がつけば、僕は天才だった。
物心ついた時には「自分は天才なんだ」とわかった。
奢りではなく、至極当然のこととして、僕はそれを受け入れ自覚した。
幸いなことに、僕の父親は世界的な大富豪だった。
国一つぐらい買い取れるんじゃないかというほどの財産を唸らせ、どう使うかということを日々考えてなくてはいけないような財力を持っていた。
だから僕は思ったのだ。
神になろうと。
「どこの『神』のストーリィを紐解いてみても、世界を作り人を作った、と書かれているよね。ああ、君の国のストーリィには人を作ることは書いてなかったかな。でもまあ、それほど違いは無いだろうね」
少年の言葉だけが広い床張りの部屋に響く。
それはまるで、予言のようでもあり。
「だから、ね。僕はずっと世界を作ってみたかったんだよ」
「世界を?」
「そう、世界を」
少年は縁側から腰を上げて立ち上り、庭に背を向けてこちらを見詰めた。
「雷堂。君は本当に面白くて、僕の退屈を消してくれる。そのことには凄く感謝してるんだ」
外の光りが強すぎて、友の表情がよくわからない。
それは不吉なものを予想させて、腹の底がヒヤリとした。
「それでもね、やっぱり僕は退屈なんだよ。これから先のことが全てわかる退屈さというものはね、どうにもやりきれないものなんだよ」
世界的富豪を父に持つ少年は、神と名乗っても遜色無い才能の持ち主であった。
最年少で大学入学を果たした彼は、様々な研究で才を発揮し、大学に名誉を与えるだけ与えると、父からの投資で起業し、父を凌ぐほどの資産を日々稼ぎ出すまでになった。
彼のインタビュを読むと必ず出てくる言葉は「僕は全てがわかるんだ」。
それを裏付けるかのように、国の、世界の動向を先読みして彼は立ち回る。
経済的恐慌にも、自然災害にも、テロや戦争にも動じず、逆に名を上げ成長していく様に、世界的動向を操っているのではないか、という噂まで立つほどだ。
「死、というものについて、考えたことはあるかな?」
「……死期が近いなんて言いだすんじゃないだろうな」
「ハハハ! そんなにドラマティックにリアルは行かないのは残念だね。でもね、自死の可能性というのはね、僕について回るテーマではある。いいところをつくね、雷堂」
生臭い言葉に、眉を潜める。
友はあくまでにこやかな口調で会話を続ける。
「人間を死に至らしめるのは何か。その最もたるはね、退屈だよ。変化の無い未来。予定調和。知ってしまっている今日の繰り返しを想像してごらんよ! 最初のうちはいい。ちょっとした視線の変化で楽しんでいられるからね。『ああ、こんなことを見逃していたんじゃないのかな』なんてね。『こうすれば、良かったんじゃないか!』と気付いたりね。けれど、それが毎日だ。書かれた文章を曲げられないように、次の一歩は決った一歩なんだ。変化に気付いても、それをどうするこもできないような、そんな一歩さ。
ああ、なんて詰まらないんだ!!」
芝居めいた様子で語る言葉は本心なのか否か。
言いたいことを把握できず、知らず眉を寄せる。
天才児の言うことが全くわからないのではない。否、わかるからこそ、真意が汲み取れないといったほうが良い。
「先のわかっている物語を眺め続け、自死することも出来ず存在し続けなければならないなんてね!! 贅沢と言う人も居るだろう。そんなのどっちもどっち、隣の芝は青く見えるものさ。
この退屈のスパイラルから抜け出るために、ずっと考えていことを実行する時がやっと来た。そのために、この計画のために、僕は尽力し人を育ててきた。それは楽しかったよ、夢が叶うかもしれない、という不安定さはたまらないスパイスだね!」
余韻も無く言葉が途切れる。
じっと此方を見る視線。
試すような、不安がるような。
不安?
彼に不安なんていう感情の揺れがあることが、とても意外に感じた。
「期は熟した。あとは、雷堂。君だけなんだ」
ねっとりとした声色。
彼に熱というのを感じるのも初めてのことだ。
「君は意外性をくれる。僕にとっての不確定要素だ。だから、雷堂。君には僕の描く世界のモーゼになって欲しいんだ」
言葉だけなら子どもの戯言だ。
天才の稚気かもしれない。
けれど言葉を吐いたのは、ただの子どもでも、ただの天才でもなく、彼、だ。
「もう、楽園となるべき場所は決めたんだ。施工段階にも入ってる。舞台も演者も用意できてる。必要なのはスタートを告げられる君だけなんだ」
「楽園?」
「国作りさ。天地はすでに創造されているから、そこに国を作ることからスタートしたんだ。既存の土地ではレアケースに対応できないからね。どんな状況にも対応できるシステムのデザインからしたのさ」
嬉々とした声。
「もちろん、天使……君の国でいう神々かな? もね」
年相応の無邪気さが漂うそれは、まさに神の声だ。
「……俺にしろというのは」
「知る者としての立ち回り、かな。僕は平穏は望まない。否、戦乱を好むわけではないけれど、退屈は嫌なんだ。
天使と従順たる人々。そこに必要な刺激はなんだろうね? ふふふ」
ぞわりと腹の底を撫でた冷気に、表情が険しいものになる。
「まさか……」
「それを悪魔と呼ぶかどうか。それは人の仕事さ。彼らも天使であったことには違い無いのだし、彼らが存在しなければ、我々はバランスを保っていられないのも事実。そしていつも刺激をくれるのは彼らの存在だ……違うかな?
善悪なんて概念は人の中に存在するものだよ。彼らがどう育ち、どういう立場になるかは、今に居る僕らにはわからない」
カラリとした、曇り一つない笑い声。
真意を探る必要は無い。
彼はずっと本気で、真しか語っていないのだから。
「それが、お前の……」
「そう、僕が望む刺激。僕の望む世界。僕の望む未確定な未来さ」
子よ。
僕の作りだした子どもたちよ。
どうか、僕の人生に慰めを。
僕の虚無に続く明日に反乱を。
END
最終更新:2009年06月04日 17:04