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カジノ・ロワイヤル 蟹と射手 774チップ 2007/09/28(金)06:38 86の続きです。 --------------------------------------------------------------- 風が鳴っていた。細かい波音が幾重にも重なり、船内の各種サロンから品のいい音楽が 微かに漏れてくる以外には音のない世界だった。 雲は夜半のうちに通り過ぎたのだろう。天気が良い。目を閉じていると頬に潮風がぶつかる。 蟹は甲板テラスのベンチの上でじっと座っていた。 うなだれたその全身から苦悩がにじみ出て、日光にじわじわと消毒される。 太陽に光る海をこんなに長時間眺めたのは何年ぶりだろうか。 船の中では恐ろしいことが起きているのに、甲板から眺める海はこんなにも祝福されている。 ぼんやりしていると横からハムサンドを突き出す手があった。 蟹が見上げると、太陽の光の下にサンドイッチを頬張った射手が立っていた。 射「こんちは。──挨拶代わりにどうぞ。もう昼だよ」 蟹「……俺に?」 射「うん」 蟹「……どうも」 射手の手から、ハムサンドを受け取る。かじってみると味覚では美味いのがわかったが、 心持ちとしてどうにも味がしなかった。 蟹「美味い。ありがとう」 射「そう? あんま美味そうに見えないけど……あ、こっちのたまごサンドも食う?」 蟹「(ようやく笑いながら)いいよ。本当に美味しかったから。ありがとう」 射「(苦笑して)……」 射手は黙って蟹の隣に座っていた。蟹が悪いと思って何か話そうとすると、 「気を遣わなくていいよ」とぶっきらぼうに言う。 そのままひなたぼっこをするようにベンチに座っている。蟹の無為の時間を受け止めながら。 蟹「君、参加してた人だよね」 射「うん。船乗ったときからあんたに興味があったの。いかにも素人で珍しいなーって思った」 蟹「……」 射「哀しいことがあったね。いっぱい」 何故だろうか。射手の持つ空気に蟹は泣けてしまう。射手自身は哀しそうな顔をしないのに この男のぽつりと言う「哀しい」には無限の重みが感じられるのだった。 この男は、何か常識的なものを突き抜けて哀しみを見てしまう。 蟹「ああ。このゲームは哀しすぎる……おまけに嫌なゲームだ」 射「ゲームのせいにしちゃいけない」 蟹「?」 射「ゲームはきっかけ。世界中どこへ行っても、人間がいたら同じことは起こるさ」 蟹「スケールが大きいな」 射「そうかな? 俺はそんなつもりないけど」 蟹「……(苦笑して)俺は自分と、家族と、友人と……身内のことしか見れないよ。   そういうベースがないと世界を見られない」 射「……うーん、でも、そういう人は強いよ。守るものがあって、いつも誰かが近くにいてさ。   フワッと消えちゃったりとか、そーゆーの無いじゃん。俺はソンケーするよ」 蟹の哀しげな顔に射手はふと口をつぐむ。それから微笑する。 射「俺は急に消えたりしないよ。まーあんたには関係ないかもだけど」 蟹「悩みがあったら聞くよ。こっちこそ、俺でよければだけど」 射「(笑いながら)あんた優しい人だね。心配で来たのに俺が逆に慰められちゃった」 蟹の顔が笑いながら歪む。射手はベンチから立つと柵に身を乗り出し、 そこから柵にもたれて蟹を見返した。 射「賭け、行きたくないんだ?」 蟹「……(うなずきながら)もう誰もあのショーに送り込みたくない。見るのもごめんだ」 射「逃げたっていいと思うよ」 蟹が目を見開く。射手は本気で許すつもりで、優しく微笑んでいる。 射「いつだって、逃げられる。たとえば今すぐ船倉まで降りて荷物の箱に潜ってみなよ。   食べ物だけ一杯持っていっておけばいい。あとは何日か寝て我慢してれば大丈夫。   貨物と一緒に船をおりたら夜のうちに港から出て、ヒッチハイクで山まで行くだろ。   それでどっかの爺さんの家の前で行き倒れた真似をすればいい。   助けてもらったら「何も憶えてない」の一点張りでしばらく通すんだ。   あとは爺さんが何とかしてくれる。自給自足さえできればどこででも生きられるさ。   ──俺は黙ってる。あんたが行きたければ、そうしな」 蟹「それは君にしかできないやり方だ」 射「そんなことないさ」 蟹「いや。君なら、あるいはやり遂げるかもしれない。でも俺にはできない。   俺には棄てられないものが多すぎるよ」 蟹は両手で顔を覆って絶句する。その姿が、まるで泣いているように射手には見えた。 しばらくすると彼は顔を覆っていた手を外し、思いのほかしっかりした調子で立ち上がった。 そのまま空を見上げている。 蟹「なあ。もう一回逃げてもいいって言ってくれないか」 射「……逃げていいよ。心がずたずたになるくらいなら、そうしな」 蟹「……ありがとう。カジノに戻るよ。……逃げてもいいんだな」 射「うん」 蟹「うん。……お陰で少し気が楽になった」 蟹は階段を降り、船の中へと入っていった。射手は甲板からそれを見送る。 やがて蟹の姿が見えなくなると彼は大きく溜め息をついた。 射(あの人は多分逃げられない。……いや、逃げるとしたら   それはもう取り返しのつかないことが起きた後だ。つらいな。   やさしい人ほど、変わり果てた後が鬼みたいになるんだ) -[[続き>カジロワ44_88]]

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