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 ”乙女おじさん”は微笑を浮かべると軽く手で挨拶を返す。山羊が「こんにちは」と声を
出してぺこりと頭をあげると、「こんにちは」という律儀な挨拶が返ってきた。ちゃんと山羊の
目を見ている。思ったよりも声が高めなのは父親の双子に似ていると思った。
「久しぶりだな。一ヵ月預かればいいのか」
「悪い。俺だけだとちゃんと面倒見切れるか不安だったから……頼むわ」
 これから、捨てられるのに、山羊は近くの苔むした石灯籠を眺めて平気そうな面をしていた。
死んでも父親に「帰りたい」なんて言うものか。無駄なんだから。全部諦めてここでやって
いくしかないじゃないか。建物の中に入って双子と乙女が居間で長話をしている間も山羊は
ふてぶてしい顔で神社の廊下をぺたぺた歩いていた。神社の外はまだ昼時で、外の境内には
都会では信じられないほど大きなオニヤンマが飛んでいた。
「すげー。トンボでかい」
 独り言。誰も聞いてない場所でも誰かが聞いて返事をしてくれるかもしれないから、つい
独り言が多くなる。
 トンボが宙を滑って進むので山羊はそれを追いかけて廊下を忍び足で進んでいった。絶対に
戻ったら父親も帰ってしまって消えている。と思う。予想を打ち消すように廊下を進んでいく。
トンボは隣のみやげ屋の上へと高度を上げ、みっしり分厚いかやぶき屋根の周囲を飛びまわる。
太陽が眩しかった。山羊は初めて見るかやぶき屋根をじっと見つめ、あの層をなしているものは
藁《わら》だろうかと思いをめぐらせた。