徹夜で読んだ。本は分厚かったけれど、文章は綺麗で、話はわかりやすくて、読み
やすかった。
 いや、知らない人間にはそう思えるだろうって事だ。
 俺は蠍を知っているから、その美しい文章の向こうに、すごく深いものが描かれて
いることや、わかりやすい話の奥に、めちゃくちゃ複雑なものがあらわされているこ
とを理解できる。
 話はこうだ。ある男が、ある女に出会う。男は売れない歌うたいで、女は作家のタ
マゴ。
 男はいいやつだ。単純で優しくて馬鹿。歌うだけしか能が無い。
 そして男は、病気だか呪いだか、よくわからんマイナスポイントを持ってて、その
せいで、人を好きになることができない。
 ……この病気ってのは、能力のことだろう。そして惚れられねえってのは、制限の
ことだ。
 女は男を好きになったので、男を応援する。
 ……応援な。間違いなく蠍は、カラスに能力を使ったんだろう。
 うわべだけ読むと、ここまでは、よくある話って気がする。ただそのあとの展開が
違う。
 男はある日気づく。自分たち二人の暮らす部屋が、迷宮となっていることに。男は
部屋から出られなくなる。
 この複雑な世界で男は、何も見えず、何も聞こえず、声も出せなくなる。
 この「迷宮」ってのの描写が独特で、部屋がダンジョンと化したようにも読めるん
だが、たんに男が狂ったようにも読める。
 俺にはわかる。蠍の催眠のたとえ話だ、これは。
 実際、このあとの男は、女の顔しか見えず、女の言葉しか聞こえず、女にしか語り
かけることができず、女のことしか考えられなくなる。
 女は男を守り、慈しみ、はげまし、精一杯の愛情をそそぐんだが。
 ある日、子供の姿をした、美しい天使があらわれて、彼らの醜さを非難する。
 そして天使は女を連れ去り、部屋には、男ひとりだけが残された。
 巻末の解説によると、こういうの話のことを不条理っていうらしい。
 しかし俺にとっちゃ、不条理どころか、これほど分かりやすい話は無い。
 だって蠍は言ってたんだ。まっさらな本を手に入れて、自分で読みながらラインを
引いて、書き込みをして、折り目をつけて、手垢で汚して、そうしていけば、その本
は自分だけのものになるって。

最終更新:2008年09月15日 17:19