山羊は一通り準備を整えると、今度はメモを片手に持って外に飛び出し水瓶の移動青果店
まで歩いていった。水瓶は昼過ぎになるといつも最初に出会った場所でまったり車を止めて
いるらしい。
 忙しい伯父さん以外に話をしてくれる人がいるのが、今の山羊には嬉しい。水瓶の座って
いる路地には森からの青葉の陰が複雑な模様をくっきりと作っていた。
「へえ。それじゃ山羊はことり池に一人でいくのか」
「はい」
「どうせならトラックに乗せてやろうか。僕もことり池方面に営業をかけると思えば、それ
ほど面倒でもないんだけど」
「えっ……」
 山羊は水瓶の言葉に迷った表情を見せたが、少し考え込むと膝に手を乗せ、これと決めた
顔で首を横に振った。
「いいです。ひとりで歩くって決めたし」
「いいのかい」
「いいです」
「そうか。……そのプラン表だけど、水筒の中身は水やお茶じゃなくてスポーツ飲料にした
ほうがいいな。糖分とミネラルが一度で両方摂れるしバテにくくなるから」
 水瓶は山羊をいつもの椅子に待たせると車の荷台の裏に周り、スポーツ飲料の粉袋を一つ
もってきて山羊にくれた。
「あげる。水に溶かして飲むといいよ」
「いいの?」
「子供を日射病から守るのは夏の大人の義務。気にしないでもらっとけ」
「ありがとう。あ、ありがとうございます」
「タメ口でいいよ」
 水瓶は嫌味のない淡々とした口調で笑った。

 ことり池攻略について話がてら、山羊はねのと参りの途中でにょろに触ったという話を
水瓶にした。それまでお兄さん面していた水瓶もこれには目の色を変える。
「やはり君はにょろに親和性があるのかもしれない。あいつらは暗闇を好むという仮説が
あったが、それも間違ってなかったようだ」
 知性の光る落ち着いた口調で真剣にそう言われたものだから、山羊はまじめな面持ちに
なって”やっぱりあそこにはにょろがいたんだ”という確信を強くした。虫たちが盛大に
ざわめくトラック脇の木陰でにょろ捜索隊の密談は続いた。
「風みたいにさわさわしてたんだ。あのね、手の産毛をさわさわーって触ってきたんだ」
「さわさわした感触か……思ったより湿度がないのかな。あるいは髪の毛や何かみたいな
体毛に近いものが触れたのか」

最終更新:2008年10月02日 22:35