「なんでにょろがいるのに観光名所って言ってみんなを通してるんだろ。あそこ」
「僕があそこを通ったときはにょろには会えなかったからなあ。人間が多いときには出て
こないんじゃないだろうか。暗いにしても人が喋っててうるさいし」
「水瓶さんもあそこ通ったの? ……お客さんと一緒のときだったの?」
「うん。人気スポットだからね。一人や二人なんていう少人数で入れるのはよっぽど特別待遇
じゃないとなあ。乙女さんがよければ今度懐中電灯を持って一人で入ってみたいと思うんだが、
君もどうだい?」
 山羊はあの場所にためらいもなく懐中電灯を持ち込もうとする水瓶の態度にやや眉をよせた。
そりゃ光があったらあの場所は怖くもなんともないのだろうが……抗議したくなったが自分が
あの場所に入って、途中で引き返したことを知られるのはいやだった。
「にょろは明るいのが嫌いなんでしょ」
「多分ね。でも生活環境みたいなものが拝めるかもしれないじゃないか」
「だめだよ。乙女おじさんがそんなの許してくれないよ」
「懐中電灯だったらポケットに隠しといて中でつければいい。一人で入っていいっていう
許可さえもらえればいいのさ」
「だめ! だめったらだめ。ばちあたりになるよ」
「ばちあたりなことがあるものか。あそこは物理的にはただの木造の廊下なはずだろ。乙女
さんだってもしあの中で誰かが怪我をしたりしたら、助けに入るときにはためらいなく懐中
電灯を使うはずだ。いや、もしかしたら僕らが触らない反対側の壁に電気のスイッチがある
かもしれないな」
 知性が乱暴に過ぎた。どんどん神聖なものからかけ離れていく水瓶の言動に山羊はつい
大声を出した。
「だめだったら!!」
 ……しばらく周囲に蝉の鳴き声がうずまいていた。
 水瓶は、押し黙ったままで山羊の顔をみた。にょろに対する学識というか認識の違いが
あるのだと納得するまでに、彼は何十秒かの時間を要した。山羊は山羊でむくれっつらで
膝の上に小さい拳をつくってうつむいていた。
「あそこはただの観光名所だよ。山羊」
 優しくもとどめを刺すようなことを水瓶は言った。山羊はもっと意固地になる。山羊に
とってねのと参りのあの通路は、まだ、いつか踏破しなければならない大きな難関なのだった。
こわいけど。

最終更新:2008年10月02日 22:35