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 ようやく見えた最初の目的地に山羊は大きな声をあげた。蟹のそば屋以外に皆で行った
ことがあるそば屋はここだけだ。そばの味は通を唸らせるほどの造詣だが、山奥にありながら
車での客を受け容れる駐車場がそれほど大きくなく、いつもそこに収容できる程度の客しか
受け付けない。そうやって客数をセーブすることで自然にそばの質を保っているのだと双子
だか乙女だかがうんちく交じりに語っていたのを山羊は聞いたことがある。
 一気に気がはやって100mがとても長く感じた。車道の下り坂を降りた先に何台もの車が
並んで左折した列を作っている。駐車場が空かなくて順番待ちのようだ。山羊は出し抜く
ような気持ちでその横をすたすたと通り過ぎていった。牡牛のそば屋は純和風なつくりで
駐車場と一緒にそびえ立ち、山羊がリュックサックを背負ってその自動ドアをくぐると
玄関に微かに溜まった松の香りで彼を出迎えた。
「いらっしゃいませ。何名様ですか」
 玄関に出てきた女性店員に山羊はどきどきしながら返事をした。
「一人です。あの、神社からきました山羊です。水筒にお水をもらってもいいですか?」
「かしこまりました。一名でご予約の山羊様ですね。どうぞこちらへ」

 山羊は乙女の計らいで先にカウンター席を用意されていたのだった。リュックサックは
テーブルの下の棚に置けたがカウンター用の椅子がのぼりづらく、椅子の周りであたふた
していると店員が踏み台を持ってきてくれた。子供向けの配慮ではあったが椅子に座る当人
には恥ずかしい。
 メニューには蟹のそば屋と違ってお子様セットがなく、代わりにそれぞれのそばに「小盛」
というオプションがついていた。
「大人のそば屋だ……」
 乙女の作ってくれたおむすびはあったが、非常用にしなきゃと自分にいいきかせて食べ
ないでいるうちに山羊はすっかりお腹がすいていた。不意に蟹のそば屋でいつものを頼む
乙女の顔が浮かび、天ざるそばを並盛りで注文してみる。注文してから出てくるまでに周り
からの食べ物の匂いでお腹がぐうと鳴った。しぶとくお冷で我慢していると天ぷらとそばが
運ばれてきた。「いただきまーす!」と声を出してから割り箸を割って掻き揚げ天ぷらを
つまみ、だしにつけて口の中で噛みしめたときの衣の軽く充実した歯ざわりがたまらない。