ダ・ヴィンチ


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レオナルド・ダ・ヴィンチ


今日(09/05/24)、図書館で借りてきました。この人細かいな!記録。
物の値段とかおもしろい!


さて、文化人類学的には資料があるかな? わずかに、やっぱ「聖なんたらの日」とかキリストの絵かいた、とか。
最後の晩餐でイエスとユダの顔を書くのは難儀だ、モデルたる顔などない的な話とか。
自分を売り込む手紙に、戦時は兵器設計、平和時には建築・絵画・彫像制作ができる、みたいなw この人職人だよ、数学とか解剖はこり性だったんじゃないかなぁ。学者っぽくないな。実地で作業する人だし。



さて、以下、ちょっとメモ

「レオナルド・ダ・ヴィンチ ─手稿による自伝─」
裾分一弘 中央公論美術出版

ダヴィンチの手紙は20通、ほぼ全部草稿(※余談ミケランジェロは500通)、作品は10作。
だが観察、記録等の素描、ノートは大雑把に600枚、手稿約6300ページという。

P41
「カテリーナの埋葬のための支出」(フォースター手稿2の64裏)
蝋3ポンド     27ソルド
棺         8ソルド
柩覆い       12ソルド
十字架の運搬と設置 4ソルド
遺体の運搬に    8ソルド
(中略)
医者に       5ソルド


P37 ミラノでの38歳の時、徒弟をいれた。10歳の少年ヤコモ。落ち着きなくあやまち多く、引き出しから小銭盗み買い食い
「サライ」(小悪魔)というあだ名つけた。しかし生涯召使いとして仕えたようだ。主人の死に際し、ミラノ城外の土地を遺贈された。
彼が盗んだ小銭を記録していた。

買い与えた物と値段の記録
「最初の年(1490年)、外套1着2リラ、シャツ6枚4リラ、上衣3着6リラ、くつ下4足7リラ8ソルド、裏つきの衣服5リラ、
靴24足6リラ5ソルド、帽子1着1リラ、組み紐のベルト1リラ」

P13
1473年の風景素描にかかれた鏡文字文章
「1473年8月5日、雪の聖マリアの日に」(Di di sant Maria della neve addj 5 d'aghossto 1473)


P11
「鳶についての明確な記録をここにとどめておくことは、私の定めであるように思える。
私の幼児期の最初記憶に、私が揺籠の中にあったとき、一羽の鳶が飛んで来て、その尾で私の口を開き、
幾度もそれで唇の中を打ったように思えたからである」(アトランティコ手稿 66裏)

以下の、あなた、は父のこと(幼年時のことらしい)
「私が幼い聖キリストを描いたとき、あなたは私を牢に入れた。もし私が成人した聖キリストを描いたなら、
あなたは私をいっそうひどい目に合わせただろう」」(アトランティコ手稿 252表)


P6
「1504年7月9日水曜日7時、私の父、ポデスタ宮殿の公証人セル・ピエロ・ダ・ヴィンチ死す。7時。80歳であった。
10人の息子と2人の娘をのこす」(アランデル手稿 272表)

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