東京都

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*東京都のページ(暫定) ここは東京都のページです [[wikipedia:東京都>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD]] **有名・特徴的な所(暫定) 自然・風土 -日本の首都…世界最高とも言われる人口密度を誇る。東京の渋滞は世界的に有名だが、思ったほどひどくないと語る外国人も多い。だが、そんな彼らも通勤時間帯の満員電車で唖然とすることになる。 -諸島部…伊豆諸島、小笠原諸島なども東京に含まれる。硫黄島や母島など一般人立ち入り禁止となっている島も少なくない。 -東久留米市…武蔵野台地中央部に位置する市。映画「河童のクゥと夏休み」の舞台としても知られる。 --同市の河童伝承には、河童が田植えを手伝ってくれた話や村人と力石で力比べをした話、いわゆる馬の脚を引っ張って侍を落馬させた落馬橋などがあり、「河童様の神話」としてまとめられている。 産業 -江戸前寿司…握りを中心とした江戸の郷土料理。一般家庭ではなく、職人が作ることが特徴である。東京湾で捕れた新鮮な魚貝類をネタとして使用する。 -島寿司…小笠原諸島名物。サバなどの魚をわさびを使わず、唐辛子醤油に漬け込んで、漬け寿司として食べる。これは、小笠原ではわさびが手に入らず、唐辛子で代用したことがはじまりとされる。また、ウミガメの寿司も食べられており、魚肉のような食感に、鶏肉のような味わい。 -第三次産業…東京都の総生産の9割以上は第三次産業によって占められている。特にマスコミ関係の東京都への集中は著しい。 歴史 -江戸城…現在の皇居即ち江戸城は、徳川家康によって築かれたものだが、それ以前に太田道灌がこの地に江戸城を築いた。 -徳川家康が築いた江戸の街をもとに発展 -東京という名前は大久保利通の進言によるものであり、東京府、東京市を経て、1943年に東京都が設置された。 -皇居…旧江戸城であり、明治天皇が京都から東京に東幸を行うたびに「東京城」、「皇城」と改称され、1888年明治宮殿が完成すると宮城と呼ばれた。戦後、皇居と呼ばれるようになり、今に至る。 寺社仏閣 -大宮八幡宮…東京のへそとも呼ばれ、「多摩の大宮」として、武蔵国三大宮の一つとされた(残り二つは埼玉の秩父神社と氷川神社)。祭神は応神天皇、神功皇后、仲哀天皇の三柱であり、親子三神を祀る珍しい八幡宮である。源頼義が前九年の役の征討を命じられた際、この地に八条の雲がたなびき、これを八幡神の加護と見た頼義によって、反乱の鎮圧後に創建された。かつては頼義の子義家お手植えの松が茂っていたが、近年の酸性雨や害虫によって枯れ果ててしまった。 -日枝神社…赤坂の高台に鎮座し、後に山王権現とも称された大山咋(オオヤマクイ)神を主祭神とする。平安時代末期に秩父平氏によって創建されたと伝えられ、徳川将軍家からも厚く信仰された。山王権現の使いとされる、赤いマントを羽織った神猿像がチャームポイント。 -神田明神…江戸・東京の総鎮守。千代田区にあり、正式には神田神社という。武蔵国に入植した出雲系氏族が大己貴命を祀ったことにはじまり、後に平将門がこの近くに葬られ、疫病の流行後、これを将門の祟りであるとして、平将門を相殿神とした。明治になり、将門は逆臣であるとして、その代わりに大洗磯前神社より少彦名命が勧請されたが、今では三柱が祀られている。 -水天宮…中央区にあり、久留米水天宮の分社。祭神は天御中主神、安徳帝、高倉平中宮(建礼門院、平徳子)、二位の尼(平時子)。久留米藩主有馬頼徳が江戸屋敷に勧請したのがはじまりである。後に一般にも開放され、久留米藩の副収入源ともなった。 -十二社熊野神社…新宿総鎮守、正式には熊野神社。中野長者と呼ばれた紀伊国の商人鈴木九郎によって、15世紀に創建されたという。元は若一王子権現を祀っていたが、後に十二ヶ所権現をすべて祀るようになったという。 -穴守稲荷神社…大田区にあり、1804年創建。鈴木新田開拓の際に伊勢から勧請された。祭神は豊受姫命。羽田空港拡張のために現在地に有志の手により移転した。その鳥居は長らく羽田空港内にあり、手をつけようとすると工事関係者に事故が相次いだという。現在は鳥居も移転された。神砂でも知られ、羽田節に、朝に参れば晩には利益を授かれると歌われるほど霊験あらたかであるという。 -豪徳寺…世田谷区にある曹洞宗の寺院。招き猫で知られる。ある夏の日に井伊直孝一行が鷹狩りの帰りに通りかかると、和尚が可愛がっていた猫が手招きしていた。井伊一行が不思議に思って寺に立ち寄ったことで、雷雨を避けることが出来たという。後に井伊直孝より多額の寄進を受け、豪徳寺は井伊家の菩提寺となった。寺が栄えたのも愛猫のおかげと、和尚は猫が死ぬと丁重に葬ってその冥福を祈り、片手を挙げた招き猫が作られてという。 -為朝神社…東京都八丈島にある神社であり、祭神は弓の名手であった源為朝。為朝は崇徳上皇側として保元の乱に参戦するも破れ、伊豆大島に配流された。しかし、その武力でもって伊豆諸島を制圧、そのあまりに予想外の事態にキレた朝廷が討伐軍を派遣し、為朝は自刃した。その後、八丈島の守り神とされ、疱瘡神となった。 -大神山神社…小笠原諸島父島にあり、祭神は天照大御神など五柱。1675年、幕府の命を受けた鳥谷市左衛門らが宮の浜に創建した守護神社がはじまりとされる。現在は大神山の山麓にある。戦時中、米軍の攻撃によって破壊されたが、小笠原が日本に返還された後に再建された。 伝承 -東京の怪談と心霊スポット(江戸落語、歌舞伎、マスメディアなどで有名なものとなる)…本所七不思議(墨田区)、番町皿屋敷(千代田区)、四谷怪談(新宿区)、王子の狐(笑い話、八王子市)、怪人赤マント、鈴ヶ守刑場(品川区)、青山墓地(港区)、羽田空港の鳥居(大田区)、東京タワーと増上寺(港区)にまつわる怪談など -大蝦蟇…年を経たカエルは人の生気を吸い取るとされ、オオガマが床下に住み着くと、その家には病人が出るとされた。 -狸囃子…番町七不思議の一つで、深夜にどこからともなく太鼓の音が聞こえてくるという。 -ひっぱりどん…三宅島の猫の妖怪。氏神二宮神社に出没し、人を化かし、引っ張るとされる。 -野衾(ノブスマ)…神田に出たとされる妖怪。形はイタチのようだが、ウサギのような目をしており、左右に皮膚の膜があったとされる。尻尾や臭いはリスのようで猫を捕まえ、その血を吸ったと言う。ムササビのこと、あるいはそれを元にした妖怪と思われる。 -ヤカン坂…豊多摩地方にあったとされる坂。不気味な場所で、夜中に一人で通るとヤカンが転がってきたという。紫さま、すっかりカップ麺にはまってしまわれて…せっかく私が毎日ご飯を作って差し上げているのに…あ、ヤカン、ちゃんと戻しておいて下さいね! -枕の怪…深川三十三間堂近くに古い家があり、そこに移り住んだ医者がほどなく病気にかかってしまった。いろいろ調べたところ、古い木枕が妖怪となっていることを突き止め、これを打ち壊して燃やすと、死体が燃えるような臭いが立ち込めたという。 -姿見ずの橋…現新宿区淀橋。中野長者として知られた富豪、鈴木九郎はその財産の管理に悩み、現在の調布や小金原の辺りに下僕と共に深夜埋めていたという。その帰途、この橋の辺りまで来ると、長者は秘密を守るために毎度下僕を切り殺した。そこから姿見ずの橋と呼ばれたという。殺された下僕達の怨念は長者の娘に向かい、娘はいつの頃からか体に鱗が生じ、遂には蛇身となり、十二社熊野神社の御手洗池に入水自殺したとされる。 -狢塚…葛飾区の見性寺にある。明治29年、常磐線が土浦まで敷設された頃、汽車に向かって狢の化けた汽車が正面から走って来ることがあったという。ある日、運転士がどうせ幻覚と、ブレーキをかけずに正面から来る狢の汽車に向けて走らせたところ、狢はそのまま轢かれて死んでしまったという。この狢を供養するために、見性寺に塚が作られた。 -我善坊谷の猫又…元禄の頃、我善坊の質屋に麻布小町とも呼ばれたお玉という美しい娘がいたという。お玉は長次郎という男と恋仲になるが、とある古猫がお玉を見初め、夜な夜な長次郎の姿に化けてはお玉と枕を交わしていた。しかし、長年この質屋に巣食っていた大鼠がこの猫の喉笛に食らいついて殺し、お玉を救ったという。結局、麻布小町の評判は落ち、長次郎となんとか一緒にさせたものの、生まれた子供の顔は猫そっくりであったという。 -つけ紐閻魔…新宿区にある太宗寺の閻魔像はその眼光の鋭さで知られ、その目玉を盗もうとした男は閃光によって気絶したとされる。ある日、赤子を連れた乳母がここを訪れ、むずがる赤子に対して「大人しくしないと閻魔様に食べられてしまう」と注意した。乳母が睡魔に襲われた後、ふと目を覚ますと赤子はおらず、閻魔像の口から赤子のつけ紐が垂れ下がっていたという。 **東方に関係ありそうな事柄(暫定) -最高裁判所 -日本最大の図書館である国立国会図書館がある。 -教育機関…東京都の学校など教育機関の密度は非常に高く、東京六大学をはじめ、多数の国立大学、公立大学、私立大学、短期大学、高等専門学校などが本部を置いている。 -合羽橋(台東区)…この地を整備した(雨具の)合羽問屋の合羽屋喜八が名前の由来(異説あり)だが、整備の折に喜八が河童に頼んで水はけをよくしたと伝わる。曹源寺に喜八の墓がある。現在は食器や調理道具の専門店が軒を連ねる。いたるとろに河童のオブジェがあり、河童が地域のマスコットになっている。 -「GHQクライシス」…第一生命相互ビル(千代田区)が占領軍に接収され、総司令部本部が皇居を見下ろすかたちで置かれた。 -巣鴨プリズン…東京拘置所のことで、GHQによって行われた極東国際軍事裁判の被告、いわゆる戦犯たちが収監されていた。後に、東条英機ら七名の処刑が行われた。 -神田明神(千代田区外神田)、将門の首塚(千代田区大手町)…京にさらされた将門の首が東国を目指し飛行し、神田に落下したという伝説。(神田以外にも各地に同様の伝説と首塚がある。)祟りを鎮めるため当地の神田明神に三ノ宮として将門は祀られる。江戸城増築の折、神田明神は現在の場所に移され江戸の鬼門(北東)を守ることになる。 -高円寺気象神社…高円寺の氷川神社にあり、八意思兼命が祀られている。陸軍気象部の構内に、昭和19年に造営された。 -大國魂神社…府中市にある神社、祭神は大國魂大神。景行天皇四十一(111)年に大神の託宣に依って創立され、代々の国造が奉仕して その祭務を執り行った。後に「武蔵総社六所宮」と号したが、明治に入り、元の「大國魂神社」と称するようになった。例大祭は暗闇祭とも呼ばれる。 -第六天社・胡録神社…荒川沿いを中心に東京中に分布している神社である。第六天魔王を祀ったものであるが、神仏分離後、社名、祭神が変わっている場合が多い。第六天魔王は他化自在天のことであり、一説には、仏陀の悟りを妨害した天魔マーラとも言われている。現在は、神代七代のうち、第六代面足尊(オモダルノミコト)が祭神となっている。 -太田神社…文京区にあるアメノウズメノミコトを祀った神社。しかし、元々は貧乏神を祀った神社であり、貧乏な旗本に、長年世話になった礼にと、自分を祀れば福を与えると告げたという。その後、言われたとおりにした旗本は金運が向き、貧乏を免れたという。この貧乏神は弁財天の姉にあたる暗闇天女という神であった。 **候補キャラ [[四季映姫・ヤマザナドゥ]](最高裁判所、東京裁判) [[パチュリー・ノーレッジ]](国会図書館) [[八意 永琳]](八意思兼命、北斗七星) [[因幡 てゐ]](大國魂大神、大国主命) [[宇佐見 蓮子]](出身地、実家) [[岡崎 夢美]](大学) ---- #comment_num2(size=30,vsize=3,num=50,) ----
*東京都のページ(暫定) ここは東京都のページです [[wikipedia:東京都>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD]] **有名・特徴的な所(暫定) 自然・風土 -日本の首都…世界最高とも言われる人口密度を誇る。東京の渋滞は世界的に有名だが、思ったほどひどくないと語る外国人も多い。だが、そんな彼らも通勤時間帯の満員電車で唖然とすることになる。 -諸島部…伊豆諸島、小笠原諸島なども東京に含まれる。硫黄島や母島など一般人立ち入り禁止となっている島も少なくない。 -東久留米市…武蔵野台地中央部に位置する市。映画「河童のクゥと夏休み」の舞台としても知られる。 --同市の河童伝承には、河童が田植えを手伝ってくれた話や村人と力石で力比べをした話、いわゆる馬の脚を引っ張って侍を落馬させた落馬橋などがあり、「河童様の神話」としてまとめられている。 産業 -江戸前寿司…握りを中心とした江戸の郷土料理。一般家庭ではなく、職人が作ることが特徴である。東京湾で捕れた新鮮な魚貝類をネタとして使用する。 -島寿司…小笠原諸島名物。サバなどの魚をわさびを使わず、唐辛子醤油に漬け込んで、漬け寿司として食べる。これは、小笠原ではわさびが手に入らず、唐辛子で代用したことがはじまりとされる。また、ウミガメの寿司も食べられており、魚肉のような食感に、鶏肉のような味わい。 -第三次産業…東京都の総生産の9割以上は第三次産業によって占められている。特にマスコミ関係の東京都への集中は著しい。 歴史 -江戸城…現在の皇居即ち江戸城は、徳川家康によって築かれたものだが、それ以前に太田道灌がこの地に江戸城を築いた。 -徳川家康が築いた江戸の街をもとに発展 -東京という名前は大久保利通の進言によるものであり、東京府、東京市を経て、1943年に東京都が設置された。 -皇居…旧江戸城であり、明治天皇が京都から東京に東幸を行うたびに「東京城」、「皇城」と改称され、1888年明治宮殿が完成すると宮城と呼ばれた。戦後、皇居と呼ばれるようになり、今に至る。 寺社仏閣 -大宮八幡宮…東京のへそとも呼ばれ、「多摩の大宮」として、武蔵国三大宮の一つとされた(残り二つは埼玉の秩父神社と氷川神社)。祭神は応神天皇、神功皇后、仲哀天皇の三柱であり、親子三神を祀る珍しい八幡宮である。源頼義が前九年の役の征討を命じられた際、この地に八条の雲がたなびき、これを八幡神の加護と見た頼義によって、反乱の鎮圧後に創建された。かつては頼義の子義家お手植えの松が茂っていたが、近年の酸性雨や害虫によって枯れ果ててしまった。 -日枝神社…赤坂の高台に鎮座し、後に山王権現とも称された大山咋(オオヤマクイ)神を主祭神とする。平安時代末期に秩父平氏によって創建されたと伝えられ、徳川将軍家からも厚く信仰された。山王権現の使いとされる、赤いマントを羽織った神猿像がチャームポイント。 -神田明神…江戸・東京の総鎮守。千代田区にあり、正式には神田神社という。武蔵国に入植した出雲系氏族が大己貴命を祀ったことにはじまり、後に平将門がこの近くに葬られ、疫病の流行後、これを将門の祟りであるとして、平将門を相殿神とした。明治になり、将門は逆臣であるとして、その代わりに大洗磯前神社より少彦名命が勧請されたが、今では三柱が祀られている。 -水天宮…中央区にあり、久留米水天宮の分社。祭神は天御中主神、安徳帝、高倉平中宮(建礼門院、平徳子)、二位の尼(平時子)。久留米藩主有馬頼徳が江戸屋敷に勧請したのがはじまりである。後に一般にも開放され、久留米藩の副収入源ともなった。 -十二社熊野神社…新宿総鎮守、正式には熊野神社。中野長者と呼ばれた紀伊国の商人鈴木九郎によって、15世紀に創建されたという。元は若一王子権現を祀っていたが、後に十二ヶ所権現をすべて祀るようになったという。 -穴守稲荷神社…大田区にあり、1804年創建。鈴木新田開拓の際に伊勢から勧請された。祭神は豊受姫命。羽田空港拡張のために現在地に有志の手により移転した。その鳥居は長らく羽田空港内にあり、手をつけようとすると工事関係者に事故が相次いだという。現在は鳥居も移転された。神砂でも知られ、羽田節に、朝に参れば晩には利益を授かれると歌われるほど霊験あらたかであるという。 -豪徳寺…世田谷区にある曹洞宗の寺院。招き猫で知られる。ある夏の日に井伊直孝一行が鷹狩りの帰りに通りかかると、和尚が可愛がっていた猫が手招きしていた。井伊一行が不思議に思って寺に立ち寄ったことで、雷雨を避けることが出来たという。後に井伊直孝より多額の寄進を受け、豪徳寺は井伊家の菩提寺となった。寺が栄えたのも愛猫のおかげと、和尚は猫が死ぬと丁重に葬ってその冥福を祈り、片手を挙げた招き猫が作られてという。 -為朝神社…東京都八丈島にある神社であり、祭神は弓の名手であった源為朝。為朝は崇徳上皇側として保元の乱に参戦するも破れ、伊豆大島に配流された。しかし、その武力でもって伊豆諸島を制圧、そのあまりに予想外の事態にキレた朝廷が討伐軍を派遣し、為朝は自刃した。その後、八丈島の守り神とされ、疱瘡神となった。 -大神山神社…小笠原諸島父島にあり、祭神は天照大御神など五柱。1675年、幕府の命を受けた鳥谷市左衛門らが宮の浜に創建した守護神社がはじまりとされる。現在は大神山の山麓にある。戦時中、米軍の攻撃によって破壊されたが、小笠原が日本に返還された後に再建された。 伝承 -東京の怪談と心霊スポット(江戸落語、歌舞伎、マスメディアなどで有名なものとなる)…本所七不思議(墨田区)、番町皿屋敷(千代田区)、四谷怪談(新宿区)、王子の狐(笑い話、八王子市)、怪人赤マント、鈴ヶ守刑場(品川区)、青山墓地(港区)、羽田空港の鳥居(大田区)、東京タワーと増上寺(港区)にまつわる怪談など -大蝦蟇…年を経たカエルは人の生気を吸い取るとされ、オオガマが床下に住み着くと、その家には病人が出るとされた。 -狸囃子…番町七不思議の一つで、深夜にどこからともなく太鼓の音が聞こえてくるという。 -ひっぱりどん…三宅島の猫の妖怪。氏神二宮神社に出没し、人を化かし、引っ張るとされる。 -野衾(ノブスマ)…神田に出たとされる妖怪。形はイタチのようだが、ウサギのような目をしており、左右に皮膚の膜があったとされる。尻尾や臭いはリスのようで猫を捕まえ、その血を吸ったと言う。ムササビのこと、あるいはそれを元にした妖怪と思われる。 -ヤカン坂…豊多摩地方にあったとされる坂。不気味な場所で、夜中に一人で通るとヤカンが転がってきたという。紫さま、すっかりカップ麺にはまってしまわれて…せっかく私が毎日ご飯を作って差し上げているのに…あ、ヤカン、ちゃんと戻しておいて下さいね! -枕の怪…深川三十三間堂近くに古い家があり、そこに移り住んだ医者がほどなく病気にかかってしまった。いろいろ調べたところ、古い木枕が妖怪となっていることを突き止め、これを打ち壊して燃やすと、死体が燃えるような臭いが立ち込めたという。 -姿見ずの橋…現新宿区淀橋。中野長者として知られた富豪、鈴木九郎はその財産の管理に悩み、現在の調布や小金原の辺りに下僕と共に深夜埋めていたという。その帰途、この橋の辺りまで来ると、長者は秘密を守るために毎度下僕を切り殺した。そこから姿見ずの橋と呼ばれたという。殺された下僕達の怨念は長者の娘に向かい、娘はいつの頃からか体に鱗が生じ、遂には蛇身となり、十二社熊野神社の御手洗池に入水自殺したとされる。 -狢塚…葛飾区の見性寺にある。明治29年、常磐線が土浦まで敷設された頃、汽車に向かって狢の化けた汽車が正面から走って来ることがあったという。ある日、運転士がどうせ幻覚と、ブレーキをかけずに正面から来る狢の汽車に向けて走らせたところ、狢はそのまま轢かれて死んでしまったという。この狢を供養するために、見性寺に塚が作られた。 -我善坊谷の猫又…元禄の頃、我善坊の質屋に麻布小町とも呼ばれたお玉という美しい娘がいたという。お玉は長次郎という男と恋仲になるが、とある古猫がお玉を見初め、夜な夜な長次郎の姿に化けてはお玉と枕を交わしていた。しかし、長年この質屋に巣食っていた大鼠がこの猫の喉笛に食らいついて殺し、お玉を救ったという。結局、麻布小町の評判は落ち、長次郎となんとか一緒にさせたものの、生まれた子供の顔は猫そっくりであったという。 -つけ紐閻魔…新宿区にある太宗寺の閻魔像はその眼光の鋭さで知られ、その目玉を盗もうとした男は閃光によって気絶したとされる。ある日、赤子を連れた乳母がここを訪れ、むずがる赤子に対して「大人しくしないと閻魔様に食べられてしまう」と注意した。乳母が睡魔に襲われた後、ふと目を覚ますと赤子はおらず、閻魔像の口から赤子のつけ紐が垂れ下がっていたという。 **東方に関係ありそうな事柄(暫定) -最高裁判所 -日本最大の図書館である国立国会図書館がある。 -教育機関…東京都の学校など教育機関の密度は非常に高く、東京六大学をはじめ、多数の国立大学、公立大学、私立大学、短期大学、高等専門学校などが本部を置いている。 -合羽橋(台東区)…この地を整備した(雨具の)合羽問屋の合羽屋喜八が名前の由来(異説あり)だが、整備の折に喜八が河童に頼んで水はけをよくしたと伝わる。曹源寺に喜八の墓がある。現在は食器や調理道具の専門店が軒を連ねる。いたるとろに河童のオブジェがあり、河童が地域のマスコットになっている。 -「GHQクライシス」…第一生命相互ビル(千代田区)が占領軍に接収され、総司令部本部が皇居を見下ろすかたちで置かれた。 -巣鴨プリズン…東京拘置所のことで、GHQによって行われた極東国際軍事裁判の被告、いわゆる戦犯たちが収監されていた。後に、東条英機ら七名の処刑が行われた。 -神田明神(千代田区外神田)、将門の首塚(千代田区大手町)…京にさらされた将門の首が東国を目指し飛行し、神田に落下したという伝説。(神田以外にも各地に同様の伝説と首塚がある。)祟りを鎮めるため当地の神田明神に三ノ宮として将門は祀られる。江戸城増築の折、神田明神は現在の場所に移され江戸の鬼門(北東)を守ることになる。 -高円寺気象神社…高円寺の氷川神社にあり、八意思兼命が祀られている。陸軍気象部の構内に、昭和19年に造営された。 -大國魂神社…府中市にある神社、祭神は大國魂大神。景行天皇四十一(111)年に大神の託宣に依って創立され、代々の国造が奉仕して その祭務を執り行った。後に「武蔵総社六所宮」と号したが、明治に入り、元の「大國魂神社」と称するようになった。例大祭は暗闇祭とも呼ばれる。 -第六天社・胡録神社…荒川沿いを中心に東京中に分布している神社である。第六天魔王を祀ったものであるが、神仏分離後、社名、祭神が変わっている場合が多い。第六天魔王は他化自在天のことであり、一説には、仏陀の悟りを妨害した天魔マーラとも言われている。現在は、神代七代のうち、第六代面足尊(オモダルノミコト)が祭神となっている。 -太田神社…文京区にあるアメノウズメノミコトを祀った神社。しかし、元々は貧乏神を祀った神社であり、貧乏な旗本に、長年世話になった礼にと、自分を祀れば福を与えると告げたという。その後、言われたとおりにした旗本は金運が向き、貧乏を免れたという。この貧乏神は弁財天の姉にあたる暗闇天女という神であった。 **候補キャラ [[四季映姫・ヤマザナドゥ]](最高裁判所、東京裁判) [[パチュリー・ノーレッジ]](国会図書館) [[八意 永琳]](八意思兼命、北斗七星) [[因幡 てゐ]](大國魂大神、大国主命) [[宇佐見 蓮子]](出身地、実家) [[岡崎 夢美]](大学) [[河城 にとり]](東久留米市) ---- #comment_num2(size=30,vsize=3,num=50,) ----

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