京都府

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*京都府のページ(暫定) ここは京都府のページです [[wikipedia:京都府>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C]] **有名・特徴的な所(暫定) 自然・風土 -古都…平安京は794年に建設されて以来、明治になり、東京に遷都するまでの間日本の首都であった。 -竹林…嵯峨野の竹林が有名。竹林の道は野宮神社へ向かう道から天龍寺横を経て大河内山荘へと続く道のことであり、天龍寺を過ぎた辺りが写真などで良く知られた場所。 産業 -西陣織、京友禅、京焼などの伝統工芸 -世界の任天堂(法務部は日本企業最強とも言われる)、京セラ -映画の町太秦 -修学旅行…京都は修学旅行先としてもポピュラーであり、中学か高校の修学旅行で京都、奈良、大阪などを回る学生は少なくない。その度に、甘酸っぱい思い出、しょっぺえ思い出、辛い思い出、あれ?記憶にない…など、数多の感情が生まれ、散っていった。 歴史 -室町幕府…足利尊氏によって設立された武家政権。三代将軍義満によって花の御所が、現在の上京区に設立された。室町幕府は守護大名の連合政権という色合いが強く、各守護大名の独立性は強かった。政治は合議制によって行われ、将軍の親政は三代義満、六代義教を除けば行われていないと言える。 -足利義輝…室町幕府第十三代将軍にして、剣聖塚原卜伝より秘剣「一つの太刀」を伝授された数少ない剣豪の一人。義輝は室町幕府、そして将軍職の権威を取り戻すべく活動するが、当時畿内に強い影響力を持っていた、松永久秀、三好三人衆と対立、造営中に御所にて襲撃された。このとき、義輝は持っていた十本以上の名刀を次々と床の畳に突き刺し、鎧で武装した敵兵を次々と斬り、刃が使い物にならなくなると突き刺した刀を抜いて再び切り結ぶということを繰り返した。しかし、最後には疲弊したところを槍で切られ、障子を被せられて動きを封じられたところを刺し殺された。その修羅の如き奮戦は剣豪の名に相応しいものであったと言えよう。 -新撰組…活発化する尊皇攘夷派志士の取締りを目的として設置された。京都の警備、尊皇攘夷派の取り締まりを主な目的とし、内部抗争を経て、局長近藤勇、副長土方歳三というお馴染みの体制に落ち着いた。池田屋事件で一躍名を馳せる。鳥羽伏見の戦いによって京都を追われた後、新撰組を構成していた隊士たちは転戦を重ねていった。 寺社仏閣 -京都の寺社建築…清水寺、金閣寺他多数 --賀茂神社…賀茂別雷(カモワケイカズチ)神社(上賀茂神社とも)、賀茂御祖(カモミオヤ)神社(下賀茂神社とも)の総称。上賀茂神社は賀茂別雷命(カモワケイカヅチノミコト)を祀り、玉依日売と神との間に生まれた子とされる。神山をかたどった立砂がある。下賀茂神社は玉依姫命と、その父賀茂建角身命を祀っている。新選姓氏録では八咫烏は賀茂建角身命の化身とされる。縁結びで有名な相生社と連理の賢木がある。 --吉田神社…祭神は藤原氏の祖神である春日神とされ、建御賀豆智命(タケミカヅチノミコト)、伊波比主命(イワイヌシノミコト)、天之子八根命(アマノコヤネノミコト)、比売神(ヒメノカミ)の四柱が祀られている。吉田神社の社家である吉田家は徒然草の著者吉田兼好や、吉田神道の基礎を固めた兼直などを輩出している。唯一神道の道場として知られる斎場所大元宮がある。 --北野天満宮…言わずと知れた天神さまである。。菅原道真を主祭神とし、学問の神様として受験生も多く訪れる。菅原道真の死後、京都で落雷などの怪異が相次ぎ、これが当時の御霊信仰と結び付けられ、道真の魂をなだめるために設立された。境内には道真が愛したとされる梅の花が植えられ、また道真が丑年、丑月、丑日の生まれであることから、神使とされる赤目の牛などが座している。 --松尾大社…祭神は大山咋(オオヤマクイ)神と中津島姫命(ナカツシマヒメノミコト)。松尾山そのものも聖域とされる。秦氏の氏神であり、秦氏は酒造に優れていたため、日本第一の酒の神ともされる。平安京への遷都後、皇城鎮護の神として「賀茂の厳神、松尾の猛霊」と称された。 --八坂神社…祇園祭で有名な祇園さん。祭神は素戔嗚尊、櫛稲田姫命とその子八柱御子神。ヤマタノオロチとも言われる蛇毒気神(ダドクケノカミ)も祀られている。元はインドの祇園精舎の守護神牛頭天皇を祀っていた。 --伏見稲荷大社…千本鳥居で有名な全国の稲荷神社の総本宮。主祭神は食物の神である宇迦之御魂大神(ウカノミタマノオオカミ)。農業、商業の神として庶民から厚く信仰されている。なお、稲の神は御気津(ミケツ)神と言い、古くは三狐神とも書いた。それが転じて、狐が稲荷大神の神使とされたのではないかと言われている。 --岩屋神社…天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)と栲幡千々姫命(タクハタチヂヒメノミコト)、および両神の子の饒速日命(ニギハヤヒノミコト)を祀る。物部氏系の大宅氏が祖神を祀ったのが起源とされる。陰岩、陽岩と呼ばれる大きな岩石があり、磐座信仰の時代を忍ばせる。 --城南宮…「方除の大社」として知られ、祭神は国常立尊(クニノトコタチノミコト)。鳥居には神功皇后にちなむ日、月、星の神紋が輝いている。1086年に白河上皇がこの地で院政を開始すると、その鎮守社として信仰を集めたという。 --知恩院…浄土宗総本山の寺院であり、華頂山知恩教院大谷寺(カチョウザン チオンキョウイン オオタニデラ)を正式名称とする。法然上人が後半生を過ごした地に建てられた。鶯張りの廊下、白木の棺、抜け雀、三方正面真向の猫、大杓子、瓜生石、忘れ傘の七不思議で知られる。 -- 清水寺…南都六宗が一派、法相宗の寺院であったが、今は独立して北法相宗大本山を名乗っている。清水の舞台から飛び降りるつもりで、と形容されたのは本堂。自殺の名所ではないのだが、実際に飛び降りた人もそれなりにおり、その場合の生存率は八割を越えるという。 --金閣寺…正式名称は鹿苑寺金閣。外国人が喜ぶ寺。みんな写真を撮ろうとするので参拝客は地味に気を使う羽目になる。室町幕府三代将軍足利義満が建てた。 --銀閣寺…正式名称は慈照寺銀閣。外国人ががっかりする寺。けっこう学生もがっかりしている。侘び寂びの趣のあるこちらの方が金閣寺よりも素敵という向きもあるが、単に金がなくて銀箔を貼れなかったという説もある。室町幕府八代将軍足利義政が建てた。 --平等寺…真言宗智山派の寺院であり、因幡薬師の名で親しまれている。因幡堂縁起によれば、因幡国司として赴任していた橘行平が重い病に倒れたが、夢のお告げをもとに等身の薬師如来の像を得て、見事回復した。行平は薬師像をいずれ京に迎えると約束して帰京したが、数年後、余程京に来たかったのか、行平が好きだったのか、薬師像は空を飛んで行平宅にやって来たという。 --退蔵院…臨済宗大本山妙心寺の塔頭。国宝、瓢鮎図(ヒョウネンズ)を所蔵することや、水琴窟のある庭園で知られる。 --御髪神社…嵯峨野の竹林の道を抜けた先、トロッコ嵐山駅を降りてすぐの場所にある。祭神は日本での結神業の開祖とされる藤原采女亮政之公。御利益は理美容師、髪関連の仕事、髪の加護とされる。 --晴明神社…この地は元々安倍晴明の屋敷跡であった。晴明の死後、一条天皇により神社が創建、幕末以降境内の整理が行われた。祭神は安倍晴明御霊神。境内には再現された一条戻橋や晴明井がある。 --化野念仏寺…弘法大師が化野の地に野ざらしになっていた遺骸を集めて埋葬、五智山如来寺として開創した。その後、浄土宗に属し、化野一帯で無縁仏となっていた墓を境内に石仏・石塔としてまつっている。なお、「あだし」とは儚いことであり、「化」の字は生が転じて死になることを示すという。元々は鳥辺野、蓮台野と並び葬送の地であり、はじめ風葬、後に土葬が行われた。 -京都市外の名所…宇治の平等院鳳凰堂等 --石清水八幡宮…祭神は応神天皇、神功皇后、比咩大神(宗像三女神)。国家鎮護の神として、朝廷や武家から厚く信仰された。かつては神仏習合の色彩が濃く、僧坊が二十三坊あったとされるが、神仏分離後、男山八幡宮として仏教色は一掃された。後に名前は石清水に戻された。源義家がこの地で元服し、八幡太郎と名乗ったことから、源氏の守護神としても信仰された。 伝承 -カイナデ…節分の夜に便所に行くと尻を撫でてくるという妖怪。何考えて生きてるんだ?「赤い紙やろうか?白い紙やろうか?」と言って入ると撫でられずに済むという。 -ワタリビシャク…美山町(現南丹市)の辺りに出るという妖怪。この地には三種類の光物が出没するといい、一つはテンビ、二つはヒトダマ、三つ目がこのワタリビシャクで、青白い柄杓形のものがふわふわと飛んでいるという。 **東方に関係ありそうな事柄(暫定) -西行寺 -大江山と酒呑童子…大枝山(京都市西京区・亀岡市)説もあるがいずれにしても京都府内 --幼少時、伊吹童子と名乗っていた鬼が成長して酒呑童子と名乗り、配下の星熊童子、虎熊童子、熊童子、かね童子と共に大江山に住み着き、後に茨木童子も加わった。彼らの被害を見かねた朝廷は、源頼光に討伐を命じる。頼光は坂田金時(金太郎)、渡辺綱(一条戻り橋で鬼退治をした)らを連れて、山伏に変装、酒呑童子に一晩の宿を請う。酒呑童子がそれを了承すると、頼光一向はお礼と称し、鬼の神通力を失わせる神酒を酒呑童子らに飲ませ、酩酊した鬼たちを討った。酒呑童子は「鬼は決して人を騙さん!」と咆哮したという。 -京都の人形師によって現代の雛人形の雛形となる次郎左衛門雛が作られる -京人形 -「レトロスペクティブ京都」 -鞍馬山(京都市左京区)…「鞍馬山僧正坊」、「護法魔王尊」などと言う著名な大天狗が住む。牛若丸に剣術を教えた「鬼一法眼」と同一とも。 -愛宕山(京都市右京区)…火伏せの神社「愛宕さん」を祀る愛宕神社の総本社がある。一般に愛宕さま=カグツチ、神仏習合では本地仏は勝軍地蔵(地蔵菩薩)。この山の愛宕権現太郎坊という天狗が日本第一の天狗だとされる。渡辺綱に腕を切り落とされた鬼が逃げかえった山でもある。 -伏見稲荷大社(伏見区)…全国の稲荷神社のほとんどの総本社。「千本鳥居」でも有名。 -一条戻橋…(京都市上京区)頼光四天王のひとり渡辺綱が鬼に遭遇したという橋。綱は太刀で鬼の腕を斬り落とし助かった。(「平家物語」)この鬼は「羅生門の鬼」や茨木童子と混同される。陰陽師・安倍晴明が式神・十二神将を隠していた橋でもある。 -「広有射怪鳥事」…御所の紫宸殿に現れた怪鳥を隠岐次郎左衛門広有が弓矢で射落としたという故事。(「太平記」)この怪鳥は「以津真天」という妖怪とされる。 -宇治の橋姫…後妻に走った夫を恨み嫉妬に狂った先妻(橋姫)が、貴船の神に祈り(宇治川に身を浸したとも)鬼と化したという伝説。渡辺綱の一条戻橋の鬼退治と混同されることもある。 -貴船神社(京都市左京区)…全国の貴船神社の総本社。主祭神は水の神「高龗神」。「宇治の橋姫」が呪詛を祈願したとされ、「丑の刻参り」で有名。(ただし橋姫は藁人形を使っていない。)和泉式部の歌や源義経の伝承でも有名。「絵馬」の発祥地ともされる。 -橋姫神社(宇治市)…橋の守り神として橋姫を祀る神社。 -源頼光と土蜘蛛…「平家物語」などでは北野天満宮の近くで土蜘蛛(山蜘蛛)の遺体が見つかる。「土蜘蛛草紙」では北山の蓮臺野で土蜘蛛と遭遇する。前者には天満宮境内の東向観音寺に土蜘蛛塚が、後者には上品蓮台寺に蜘蛛塚(源頼光朝臣塚)がある。 -「蓮台野夜行」…「蓮台野(れんだいの)」は古代の墓地のこと。平安京のものは現代の北区に地名として残る。上述の土蜘蛛伝説のほか、西行法師が「露と消えば 蓮台野に 送りおけ 願う心を 名にあらはさむ」と詠んでいる。 -なお、「八坂神社」(京都市東山区祇園町)の祭神はスサノオ(神仏習合で牛頭天王)で、神奈子とはあまり関係ない。むしろ「祇園さまの刀」を使う依姫や秋姉妹(稲田姫=スサノオの妻、クシナダヒメ)のほうが関係が深い。山鉾でにぎわう祇園祭で有名。 -源頼政と鵺…「平家物語」巻四において、源頼政は鵺(ぬえ)を退治したと伝えられている。鵺は、近衛天皇の御世に、東三条の森から暗雲とともに御所にやって来たという。天皇の命を受けた頼政は黒雲の中で動く影に向かって、「南無八幡大菩薩」と念じ矢を放ち、妖怪を退治した。この妖怪は、頭は猿、胴体は狸、尻尾は蛇、手足は虎であり、鳴き声が鵺に似ていたことから、「鵺退治」と言われた。その死体は鴨川に流され、芦屋の地(兵庫県)で鵺塚に埋葬された。 -知恩院の忘れ傘…知恩院の七不思議の一つ。御影堂正面軒下にあり、大工として有名な左甚五郎が魔除けに置いたとも、白狐の化身・濡髪童子が置いたとも伝えられる傘で、知恩院を火災から守るものとされている。 -百鬼夜行絵巻…大徳寺真珠庵(かの一休さんゆかりの地)に保管されているものが有名。土佐光信の筆によるものとされる。廃寺から出てきた百鬼夜行が最後に漆黒の球体とも霧とも形容しづらいものに飲み込まれていく様を描く。この最後に百鬼夜行を飲み込むものを空亡(ソラナキ)と呼ぶ向きもあるが、筆者は出典を見つけられなかった。 --空亡(仮称)とは何か?…「百鬼夜行絵巻の謎」において小松氏は数ある絵巻の体系化を論じているが、その中で最後に現れ、妖怪たちを飲み込まんとする黒い影についても考察している。黒い影は絵巻によっては描かれていなかったり、赤い燃えるような球体として描かれていることもある。平安時代には御霊信仰など、特定の人間や朝廷に深い恨みを持った霊が黒雲と共に出現したことが記録されており、この黒い雲=単なる亡霊・妖怪ではなく、明確な悪意を持った悪霊という認識があったと考えられている。また、百鬼夜行と遭遇した話は宇治拾遺物語、大鏡、宝物集などにあるが、中には護符から火の玉が出て(強い光?)妖怪を退散させたという話もあり、それが赤い球体の正体なのではないかと小松氏は推測している。また、単に朝日が昇って妖怪が退散するシーンが時代と共に変化したとも言われる。小松氏の考察は以上であるが、これらが空亡の元ネタなのであろうか?なお、小松氏の著書を含めて、明確に空亡を記録した文献は、筆者は未発見である(出典確かな情報追加求む)。 -秘封倶楽部…宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーンの二人は京都の学生であることが、「卯酉東海道」において明らかにされている。 **候補キャラ [[西行寺 幽々子]] [[アリス・マーガトロイド]] [[上白沢 慧音]](転世「一条戻り橋」) [[魂魄 妖夢]](広有射怪鳥事) [[射命丸 文]](天狗、鞍馬寺) [[伊吹 萃香]](酒呑童子伝説) [[星熊 勇儀]](酒呑童子伝説、大江山) [[鍵山 雛]](次郎左衛門雛) [[黒谷 ヤマメ]](土蜘蛛伝説) [[水橋 パルスィ]](宇治の橋姫、橋姫神社) [[多々良 小傘]] (知恩院の忘れ傘) [[封獣 ぬえ]](鵺退治) [[ルーミア]](百鬼夜行絵巻) [[宇佐見 蓮子]](京都の学生、蓮台野) [[マエリベリー・ハーン]](京都の学生、蓮台野) [[八坂 神奈子]](八坂神社) ---- #comment_num2(size=30,vsize=3,num=50,) ----
*京都府のページ(暫定) ここは京都府のページです [[wikipedia:京都府>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C]] **有名・特徴的な所(暫定) 自然・風土 -古都…平安京は794年に建設されて以来、明治になり、東京に遷都するまでの間日本の首都であった。 -竹林…嵯峨野の竹林が有名。竹林の道は野宮神社へ向かう道から天龍寺横を経て大河内山荘へと続く道のことであり、天龍寺を過ぎた辺りが写真などで良く知られた場所。 産業 -西陣織、京友禅、京焼などの伝統工芸 -世界の任天堂(法務部は日本企業最強とも言われる)、京セラ -映画の町太秦 -修学旅行…京都は修学旅行先としてもポピュラーであり、中学か高校の修学旅行で京都、奈良、大阪などを回る学生は少なくない。その度に、甘酸っぱい思い出、しょっぺえ思い出、辛い思い出、あれ?記憶にない…など、数多の感情が生まれ、散っていった。 歴史 -室町幕府…足利尊氏によって設立された武家政権。三代将軍義満によって花の御所が、現在の上京区に設立された。室町幕府は守護大名の連合政権という色合いが強く、各守護大名の独立性は強かった。政治は合議制によって行われ、将軍の親政は三代義満、六代義教を除けば行われていないと言える。 -足利義輝…室町幕府第十三代将軍にして、剣聖塚原卜伝より秘剣「一つの太刀」を伝授された数少ない剣豪の一人。義輝は室町幕府、そして将軍職の権威を取り戻すべく活動するが、当時畿内に強い影響力を持っていた、松永久秀、三好三人衆と対立、造営中に御所にて襲撃された。このとき、義輝は持っていた十本以上の名刀を次々と床の畳に突き刺し、鎧で武装した敵兵を次々と斬り、刃が使い物にならなくなると突き刺した刀を抜いて再び切り結ぶということを繰り返した。しかし、最後には疲弊したところを槍で切られ、障子を被せられて動きを封じられたところを刺し殺された。その修羅の如き奮戦は剣豪の名に相応しいものであったと言えよう。 -新撰組…活発化する尊皇攘夷派志士の取締りを目的として設置された。京都の警備、尊皇攘夷派の取り締まりを主な目的とし、内部抗争を経て、局長近藤勇、副長土方歳三というお馴染みの体制に落ち着いた。池田屋事件で一躍名を馳せる。鳥羽伏見の戦いによって京都を追われた後、新撰組を構成していた隊士たちは転戦を重ねていった。 寺社仏閣 -京都の寺社建築…清水寺、金閣寺他多数 --賀茂神社…賀茂別雷(カモワケイカズチ)神社(上賀茂神社とも)、賀茂御祖(カモミオヤ)神社(下賀茂神社とも)の総称。上賀茂神社は賀茂別雷命(カモワケイカヅチノミコト)を祀り、玉依日売と神との間に生まれた子とされる。神山をかたどった立砂がある。下賀茂神社は玉依姫命と、その父賀茂建角身命を祀っている。新選姓氏録では八咫烏は賀茂建角身命の化身とされる。縁結びで有名な相生社と連理の賢木がある。 --吉田神社…祭神は藤原氏の祖神である春日神とされ、建御賀豆智命(タケミカヅチノミコト)、伊波比主命(イワイヌシノミコト)、天之子八根命(アマノコヤネノミコト)、比売神(ヒメノカミ)の四柱が祀られている。吉田神社の社家である吉田家は徒然草の著者吉田兼好や、吉田神道の基礎を固めた兼直などを輩出している。唯一神道の道場として知られる斎場所大元宮がある。 --北野天満宮…言わずと知れた天神さまである。。菅原道真を主祭神とし、学問の神様として受験生も多く訪れる。菅原道真の死後、京都で落雷などの怪異が相次ぎ、これが当時の御霊信仰と結び付けられ、道真の魂をなだめるために設立された。境内には道真が愛したとされる梅の花が植えられ、また道真が丑年、丑月、丑日の生まれであることから、神使とされる赤目の牛などが座している。 --松尾大社…祭神は大山咋(オオヤマクイ)神と中津島姫命(ナカツシマヒメノミコト)。松尾山そのものも聖域とされる。秦氏の氏神であり、秦氏は酒造に優れていたため、日本第一の酒の神ともされる。平安京への遷都後、皇城鎮護の神として「賀茂の厳神、松尾の猛霊」と称された。 --八坂神社…祇園祭で有名な祇園さん。祭神は素戔嗚尊、櫛稲田姫命とその子八柱御子神。ヤマタノオロチとも言われる蛇毒気神(ダドクケノカミ)も祀られている。元はインドの祇園精舎の守護神牛頭天皇を祀っていた。 --伏見稲荷大社…千本鳥居で有名な全国の稲荷神社の総本宮。主祭神は食物の神である宇迦之御魂大神(ウカノミタマノオオカミ)。農業、商業の神として庶民から厚く信仰されている。なお、稲の神は御気津(ミケツ)神と言い、古くは三狐神とも書いた。それが転じて、狐が稲荷大神の神使とされたのではないかと言われている。 --岩屋神社…天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)と栲幡千々姫命(タクハタチヂヒメノミコト)、および両神の子の饒速日命(ニギハヤヒノミコト)を祀る。物部氏系の大宅氏が祖神を祀ったのが起源とされる。陰岩、陽岩と呼ばれる大きな岩石があり、磐座信仰の時代を忍ばせる。 --城南宮…「方除の大社」として知られ、祭神は国常立尊(クニノトコタチノミコト)。鳥居には神功皇后にちなむ日、月、星の神紋が輝いている。1086年に白河上皇がこの地で院政を開始すると、その鎮守社として信仰を集めたという。 --知恩院…浄土宗総本山の寺院であり、華頂山知恩教院大谷寺(カチョウザン チオンキョウイン オオタニデラ)を正式名称とする。法然上人が後半生を過ごした地に建てられた。鶯張りの廊下、白木の棺、抜け雀、三方正面真向の猫、大杓子、瓜生石、忘れ傘の七不思議で知られる。 -- 清水寺…南都六宗が一派、法相宗の寺院であったが、今は独立して北法相宗大本山を名乗っている。清水の舞台から飛び降りるつもりで、と形容されたのは本堂。自殺の名所ではないのだが、実際に飛び降りた人もそれなりにおり、その場合の生存率は八割を越えるという。 --金閣寺…正式名称は鹿苑寺金閣。外国人が喜ぶ寺。みんな写真を撮ろうとするので参拝客は地味に気を使う羽目になる。室町幕府三代将軍足利義満が建てた。 --銀閣寺…正式名称は慈照寺銀閣。外国人ががっかりする寺。けっこう学生もがっかりしている。侘び寂びの趣のあるこちらの方が金閣寺よりも素敵という向きもあるが、単に金がなくて銀箔を貼れなかったという説もある。室町幕府八代将軍足利義政が建てた。 --平等寺…真言宗智山派の寺院であり、因幡薬師の名で親しまれている。因幡堂縁起によれば、因幡国司として赴任していた橘行平が重い病に倒れたが、夢のお告げをもとに等身の薬師如来の像を得て、見事回復した。行平は薬師像をいずれ京に迎えると約束して帰京したが、数年後、余程京に来たかったのか、行平が好きだったのか、薬師像は空を飛んで行平宅にやって来たという。 --退蔵院…臨済宗大本山妙心寺の塔頭。国宝、瓢鮎図(ヒョウネンズ)を所蔵することや、水琴窟のある庭園で知られる。 --御髪神社…嵯峨野の竹林の道を抜けた先、トロッコ嵐山駅を降りてすぐの場所にある。祭神は日本での結神業の開祖とされる藤原采女亮政之公。御利益は理美容師、髪関連の仕事、髪の加護とされる。 --晴明神社…この地は元々安倍晴明の屋敷跡であった。晴明の死後、一条天皇により神社が創建、幕末以降境内の整理が行われた。祭神は安倍晴明御霊神。境内には再現された一条戻橋や晴明井がある。 --化野念仏寺…弘法大師が化野の地に野ざらしになっていた遺骸を集めて埋葬、五智山如来寺として開創した。その後、浄土宗に属し、化野一帯で無縁仏となっていた墓を境内に石仏・石塔としてまつっている。なお、「あだし」とは儚いことであり、「化」の字は生が転じて死になることを示すという。元々は鳥辺野、蓮台野と並び葬送の地であり、はじめ風葬、後に土葬が行われた。 -京都市外の名所…宇治の平等院鳳凰堂等 --石清水八幡宮…祭神は応神天皇、神功皇后、比咩大神(宗像三女神)。国家鎮護の神として、朝廷や武家から厚く信仰された。かつては神仏習合の色彩が濃く、僧坊が二十三坊あったとされるが、神仏分離後、男山八幡宮として仏教色は一掃された。後に名前は石清水に戻された。源義家がこの地で元服し、八幡太郎と名乗ったことから、源氏の守護神としても信仰された。 伝承 -カイナデ…節分の夜に便所に行くと尻を撫でてくるという妖怪。何考えて生きてるんだ?「赤い紙やろうか?白い紙やろうか?」と言って入ると撫でられずに済むという。 -ワタリビシャク…美山町(現南丹市)の辺りに出るという妖怪。この地には三種類の光物が出没するといい、一つはテンビ、二つはヒトダマ、三つ目がこのワタリビシャクで、青白い柄杓形のものがふわふわと飛んでいるという。 **東方に関係ありそうな事柄(暫定) -西行寺 -大江山と酒呑童子…大枝山(京都市西京区・亀岡市)説もあるがいずれにしても京都府内 --幼少時、伊吹童子と名乗っていた鬼が成長して酒呑童子と名乗り、配下の星熊童子、虎熊童子、熊童子、かね童子と共に大江山に住み着き、後に茨木童子も加わった。彼らの被害を見かねた朝廷は、源頼光に討伐を命じる。頼光は坂田金時(金太郎)、渡辺綱(一条戻り橋で鬼退治をした)らを連れて、山伏に変装、酒呑童子に一晩の宿を請う。酒呑童子がそれを了承すると、頼光一向はお礼と称し、鬼の神通力を失わせる神酒を酒呑童子らに飲ませ、酩酊した鬼たちを討った。酒呑童子は「鬼は決して人を騙さん!」と咆哮したという。 -京都の人形師によって現代の雛人形の雛形となる次郎左衛門雛が作られる -京人形 -「レトロスペクティブ京都」 -鞍馬山(京都市左京区)…「鞍馬山僧正坊」、「護法魔王尊」などと言う著名な大天狗が住む。牛若丸に剣術を教えた「鬼一法眼」と同一とも。 -愛宕山(京都市右京区)…火伏せの神社「愛宕さん」を祀る愛宕神社の総本社がある。一般に愛宕さま=カグツチ、神仏習合では本地仏は勝軍地蔵(地蔵菩薩)。この山の愛宕権現太郎坊という天狗が日本第一の天狗だとされる。渡辺綱に腕を切り落とされた鬼が逃げかえった山でもある。 -伏見稲荷大社(伏見区)…全国の稲荷神社のほとんどの総本社。「千本鳥居」でも有名。 -一条戻橋…(京都市上京区)頼光四天王のひとり渡辺綱が鬼に遭遇したという橋。綱は太刀で鬼の腕を斬り落とし助かった。(「平家物語」)この鬼は「羅生門の鬼」や茨木童子と混同される。陰陽師・安倍晴明が式神・十二神将を隠していた橋でもある。 -「広有射怪鳥事」…御所の紫宸殿に現れた怪鳥を隠岐次郎左衛門広有が弓矢で射落としたという故事。(「太平記」)この怪鳥は「以津真天」という妖怪とされる。 -宇治の橋姫…後妻に走った夫を恨み嫉妬に狂った先妻(橋姫)が、貴船の神に祈り(宇治川に身を浸したとも)鬼と化したという伝説。渡辺綱の一条戻橋の鬼退治と混同されることもある。 -貴船神社(京都市左京区)…全国の貴船神社の総本社。主祭神は水の神「高龗神」。「宇治の橋姫」が呪詛を祈願したとされ、「丑の刻参り」で有名。(ただし橋姫は藁人形を使っていない。)和泉式部の歌や源義経の伝承でも有名。「絵馬」の発祥地ともされる。 -橋姫神社(宇治市)…橋の守り神として橋姫を祀る神社。 -源頼光と土蜘蛛…「平家物語」などでは北野天満宮の近くで土蜘蛛(山蜘蛛)の遺体が見つかる。「土蜘蛛草紙」では北山の蓮臺野で土蜘蛛と遭遇する。前者には天満宮境内の東向観音寺に土蜘蛛塚が、後者には上品蓮台寺に蜘蛛塚(源頼光朝臣塚)がある。 -「蓮台野夜行」…「蓮台野(れんだいの)」は古代の墓地のこと。平安京のものは現代の北区に地名として残る。上述の土蜘蛛伝説のほか、西行法師が「露と消えば 蓮台野に 送りおけ 願う心を 名にあらはさむ」と詠んでいる。 -なお、「八坂神社」(京都市東山区祇園町)の祭神はスサノオ(神仏習合で牛頭天王)で、神奈子とはあまり関係ない。むしろ「祇園さまの刀」を使う依姫や秋姉妹(稲田姫=スサノオの妻、クシナダヒメ)のほうが関係が深い。山鉾でにぎわう祇園祭で有名。 -源頼政と鵺…「平家物語」巻四において、源頼政は鵺(ぬえ)を退治したと伝えられている。鵺は、近衛天皇の御世に、東三条の森から暗雲とともに御所にやって来たという。天皇の命を受けた頼政は黒雲の中で動く影に向かって、「南無八幡大菩薩」と念じ矢を放ち、妖怪を退治した。この妖怪は、頭は猿、胴体は狸、尻尾は蛇、手足は虎であり、鳴き声が鵺に似ていたことから、「鵺退治」と言われた。その死体は鴨川に流され、芦屋の地(兵庫県)で鵺塚に埋葬された。 -知恩院の忘れ傘…知恩院の七不思議の一つ。御影堂正面軒下にあり、大工として有名な左甚五郎が魔除けに置いたとも、白狐の化身・濡髪童子が置いたとも伝えられる傘で、知恩院を火災から守るものとされている。 -百鬼夜行絵巻…大徳寺真珠庵(かの一休さんゆかりの地)に保管されているものが有名。土佐光信の筆によるものとされる。廃寺から出てきた百鬼夜行が最後に漆黒の球体とも霧とも形容しづらいものに飲み込まれていく様を描く。この最後に百鬼夜行を飲み込むものを空亡(ソラナキ)と呼ぶ向きもあるが、筆者は出典を見つけられなかった。 --空亡(仮称)とは何か?…「百鬼夜行絵巻の謎」において小松氏は数ある絵巻の体系化を論じているが、その中で最後に現れ、妖怪たちを飲み込まんとする黒い影についても考察している。黒い影は絵巻によっては描かれていなかったり、赤い燃えるような球体として描かれていることもある。平安時代には御霊信仰など、特定の人間や朝廷に深い恨みを持った霊が黒雲と共に出現したことが記録されており、この黒い雲=単なる亡霊・妖怪ではなく、明確な悪意を持った悪霊という認識があったと考えられている。また、百鬼夜行と遭遇した話は宇治拾遺物語、大鏡、宝物集などにあるが、中には護符から火の玉が出て(強い光?)妖怪を退散させたという話もあり、それが赤い球体の正体なのではないかと小松氏は推測している。また、単に朝日が昇って妖怪が退散するシーンが時代と共に変化したとも言われる。小松氏の考察は以上であるが、これらが空亡の元ネタなのであろうか?なお、小松氏の著書を含めて、明確に空亡を記録した文献は、筆者は未発見である(出典確かな情報追加求む)。 -秘封倶楽部…宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーンの二人は京都の学生であることが、「卯酉東海道」において明らかにされている。 **候補キャラ [[西行寺 幽々子]] [[アリス・マーガトロイド]] [[上白沢 慧音]](転世「一条戻り橋」) [[藤原 妹紅]](平安京) [[魂魄 妖夢]](広有射怪鳥事) [[射命丸 文]](天狗、鞍馬寺) [[伊吹 萃香]](酒呑童子伝説) [[星熊 勇儀]](酒呑童子伝説、大江山) [[鍵山 雛]](次郎左衛門雛) [[黒谷 ヤマメ]](土蜘蛛伝説) [[水橋 パルスィ]](宇治の橋姫、橋姫神社) [[多々良 小傘]] (知恩院の忘れ傘) [[封獣 ぬえ]](鵺退治) [[ルーミア]](百鬼夜行絵巻) [[宇佐見 蓮子]](京都の学生、蓮台野) [[マエリベリー・ハーン]](京都の学生、蓮台野) [[八坂 神奈子]](八坂神社) ---- #comment_num2(size=30,vsize=3,num=50,) ----

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