富山県

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wikipedia:富山県

有名・特徴的な所(ナロー)


自然・風土
  • 立山(休火山)…飛騨山脈にある山地の総称。最高峰大汝山は標高3015メートル。
  • 黒部ダム…黒部川に設けられたダムで、日本でも有数のダムである。その工事中には多くの死傷者が出ており、苦難を極めた。黒部川第四発電所で発電していることから、黒四ダムとも呼ばれる。観光地としても有名。
  • 魚津市…新川平野に位置し、水産業が盛ん。古くは大道、魚堵(おど)、小津と呼んだ。魚津という名称は15、16世紀ごろからという。廃藩置県の際には、当初新川県の県庁所在地であった。また沿岸地域は蜃気楼で知られる。
  • 日本一小さい村がある(舟橋村)
  • チューリップ
  • 雷鳥カワユス
  • 五箇山
  • 藤子不二雄の出身
  • true tearsとpersonaの舞台
  • ナロー

産業
  • 薬売りの発祥の地、反魂丹などでも有名
  • ホタルイカ、ますの寿司、白えび、寒ブリ、昆布
  • 魚津水族館…初代が大正2年(1913年)に創立され、現存の日本の水族館としては最長の歴史を誇る。

歴史
  • 越中国…歌人大伴家持が国司として赴任したこともある。
  • 立山信仰…立山は古くから霊山として知られ、山岳信仰の対象となっていた。平安時代前期に、狩人がこの地で熊を弓で射たところ、洞窟へと逃げ込んだ。狩人が熊を追跡すると、熊は阿弥陀如来に変わっていたという。この出来事により、改心した狩人は仏教に帰依したという。異説には、この狩人は佐伯有頼や、有若とされる。また、開山されたのも、平安時代ではなく、奈良時代以前とする場合もある。
  • 米騒動
  • イタイイタイ病
  • 倶利伽羅峠…砺波山の戦いとも呼ばれ、越中・加賀国境倶利伽羅峠において、平維盛と木曽義仲によって行われた戦い。平家の軍勢は大軍であったが、山中に布陣したため大軍の利が生かせず、逆に木曽軍の奇襲にあって壊走、多くの兵が夜間、谷底へ転落したという。木曽義仲は火牛の計を用いたとされるが、近年の研究では後世の脚色であろうと言われている。
  • 神保氏…室町時代の管領畠山家の家臣で、後に越中国の雄として椎名氏と争った。しかし、上杉謙信に敗北、謙信の死後、織田信長の後援を得て越中奪回を試みるが上杉軍の反撃や一揆を抑えることが出来ず追放された。その後、越中国には佐々成政が入った。
  • 佐々成政…織田信長の黒衣衆の一人、後に越中国を制圧し、これを領した。羽柴秀吉が織田政権を簒奪するにあたっては、これに抵抗、柴田勝家、織田信雄・徳川家康に味方した。秀吉が外交によって家康の鉾を収めさせると、その翻意を求めて北アルプスを突破(さらさら越え)、浜松の家康のもとを訪れたが、徒労に終わった。その後秀吉に降伏、九州征伐で功を上げ、一国を領するも失政により切腹させられた。今では、そのエピソードから戦国のアルピニスト呼ばわりされてネタにされている。また、埋蔵金伝説もある。
    • 黒百合伝説…成政には早百合という愛妾がいたが、成政らがアルプスを越えて家康らに翻意を促している間に家臣と密通したとの噂が流れた。成政はこれに怒り、早百合と密通相手とされた家臣を処刑、早百合は「立山に黒百合が咲けば佐々家は滅びる」と成政を恨み、死んだという。成政が九州肥後で国人一揆に遭った時、立山には黒百合が咲いていたとされる。

神社仏閣
  • 高瀬神社…南砺市にある越中国一宮であり、祭神は大己貴神。大己貴神が北陸を平定した際、自分の魂をここに鎮座させてから出雲に帰ったという。戦国時代には荒廃したが、加賀藩主によって復興された。
  • 射水(イミズ)神社…高岡市にあり、こちらも越中国一宮とされる。祭神は瓊瓊杵尊。元々は二上山への山岳信仰があり、行基が二上神を二上権現として祀ったのが始まりだという。二上神は豪族伊弥頭(イミズ)国造氏の祖神だとだされる。
  • 二上射水神社…二上山麓にあり、射水神社の元の鎮座地である。二上山を神体山とし、二上大神を祭神としている。一説には、祭神は蘇我氏、葛城氏など有力豪族の祖とされる武内宿禰とも言われ、越中国にはその一族が勢力を張っていたともされる。

伝承
  • センポクカンポク…死人のあった家に現れるという妖怪。当初は座っているが、一週間ぐらいすると外で番をし、四週間ぐらいすると墓へ行くという。四足だが顔は人のようだとされ、蛙の大きなものとも言われる。
  • ユウユウ…老いた尼の姿をしているが、夜は山犬となり、悪事を働いたという。後に山伏によって足を切られ、行方をくらましたとされる。

東方に関係ありそうな事柄(ナロー)

  • 富山の売り薬…薬種商が始まったのは16世紀中ごろ、越中に薬商種の唐人の座ができたことがはじまりとされる。また、越中国は立山信仰が盛んであり、修験者の中には、魔除けなどと共に、ヨモギやキハダで作った薬を販売していたという。富山の薬を有名にしたのは、富山藩二代藩主前田正甫である。江戸城内で三春藩主秋田河内守が腹痛を訴えた際、正甫が携帯していた薬を与えたところすぐに痛みがおさまったという。これを期に、富山の薬の評判が広がり、藩は援助と取締りの下、販路を拡大させた。
  • 地獄谷温泉(中新川郡立山町)…地獄谷の地獄地帯に温泉があることは古くから知られていたが、立山信仰の中では現実の地獄として恐れられ、八大地獄と名づけられた場所があったほでであり、一般的に利用されることはなかった。1947年に科学的分析が行われ、入浴に適した温泉であることが明らかにされて以降、広く利用されるようになった。なお、源泉が日本最高所にある。
  • 猫又山…毛勝三山が一つであり、標高は2378メートル。名称の由来は、昔妖怪猫又が住み着いていたからだとも、猫が大量に住み着き、人を襲うこともあったためだとも言われている。
  • 白岩川…二級河川。旧名水橋川、水橋の名は町の名前として残っている。上流には白岩川ダムがある。
  • 水橋…927年の「諸国駅伝馬」の宿駅の中に「みずはし」の名を現す越中最古の宿駅。かつて常願寺川と白岩川は下流で合流し、水橋川を形成し、水橋は交通の要として発達した。
  • 黒谷、山女…共に魚津市に存在する地名で隣接している。

候補キャラ


ご当地絵(サムネ)





  • 富山県魚津市に黒谷と山女っていう地区があります。
    読みはクロタニとヤマメ。
    隣接しているのが出来すぎ。 -- (名無しさん) 2011-07-07 12:13:45
  • 蜃気楼は三月精の最新刊で出てきたね -- (名無しさん) 2011-07-26 23:58:17
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最終更新:2013年07月27日 05:10
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