大分県

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wikipedia:大分県

有名・特徴的な所(暫定)


自然・風土
  • 九重山…九重山または九重連山とも呼ばれる。玖珠郡九重町から竹田市北部に広がる火山群の総称であり、中岳(1791メートル)は九州最高峰。「くじゅう坊ガツル・タデ原湿原」がラムサール条約に登録されている。
  • 青の洞門…中津市にあり、菊池寛「恩讐の彼方に」の元ネタになった場所。この地は断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所であり、禅海和尚が石工たちを雇って「ノミと槌だけで30年かけて掘り抜いた」といわれている。
  • 由布岳…標高1583m、由布市に位置する活火山。その形から豊後富士とも呼ばれる。古来から山岳信仰の対象であり、戦国時代には大友宗麟によって山頂に十字架が掲げられたという。
  • 姫島…瀬戸内海西端に浮かぶ離島で、人口は約2500人。大分県内唯一の村で、イザナギとイザナミが「国産み」において、大八洲を産んだ後に産んだ6つの島の4番目とされる。幕末に長州藩と米英仏蘭との間で起こった下関戦争では、4カ国連合艦隊が姫島に拠点を置いた。江戸時代に成立したとされる七不思議も伝わっている。
  • 赤猫根性…大分県の県民性を表す言葉とされる。郷土意識は薄く、自己主張が強く、協調性に乏しいとされている。このような表現が出来た理由としては、①江戸時代、豊後国は小藩分立の時代が長かったため、②臼杵の住民を「質素で勤勉だが、反面頑固でずる賢い」と評した言葉が大分全体に当てはめられた、などと言われている。なお、「あか」は強調を示す接頭語であり、猫の性質に似てることを強調した表現である。

産業
  • 豊富な温泉…別府温泉をはじめとする別府八湯、湯布院温泉、天ヶ瀬温泉、湯平温泉など。
  • シイタケ、カボスが特産品
  • 水産物…関サバ、関アジが有名

歴史
  • 宇佐八幡宮神託事件…弓削道鏡は、孝謙上皇の病を治したことからその信頼を得て出世、上皇が称徳天皇として再び皇位につくと、藤原仲麻呂を滅ぼし、その側近として法王にまで任じられた。その後、称徳天皇によって皇族の粛清が続く中、「道鏡を皇位に付ければ天下は太平になる」という宇佐八幡宮の神託が銅鏡の弟らによって奏上される。これを確かめるため和気清麻呂が派遣されるが、神意は道鏡を帝位に望むものではなかった。称徳天皇はこの報告に激怒、清麻呂を左遷した。女帝の死後、皇太子は白壁王とされ、後に光仁天皇として即位した。以上のように一般的には解釈されているが、光仁天皇擁立の正当化、宇佐八幡宮内部の対立など別の見方をしようとする者は絶えない。
  • 豊後大神氏…平安後期、豊後国南部、大分、大野、直入、佐伯地方を拠点に活躍した武士集団である。その祖は蛇神であったとされる。後にこの地に勢力を張った大友氏の家臣にも大神氏の系統のものが少なくない。
  • 大友氏…豊後国を本拠とした一族であり、元寇に際して大友頼康が防衛のために九州へ派遣されたことに始まる。南北朝時代の内紛を経て、16世紀には戦国大名へと飛躍、キリシタン大名として有名な大友義鎮(宗麟)は立花道雪ら有能な家臣団と共に近隣を制圧、博多を確保した。しかし、家臣の妻を奪ったり、京都にわざわざ妾探しに家臣を派遣するなど女狂いの一面があり、キリスト教受容による家臣団の宗教的対立と相まって、後年家臣団は割れた。その後龍造寺軍、島津軍にも破れ、大友家は衰退するが、秀吉の介入を誘うことで滅亡を回避した。しかし、結局大友家は改易されてしまった。
  • 海軍佐伯航空隊掩体壕…1934年に佐伯航空隊が設立された場所。今は鉄筋コンクリート作りの掩体壕が残っている。

寺社仏閣
  • 宇佐神宮(宇佐市)…宇佐市にあり、八幡神を祀る、全国四万六百社と称する八幡宮の総本社である。祭神は応神天皇、比売大神、神功皇后である。応神天皇は571年宇佐の地顕れ、725年、聖武天皇の勅願により現在の地に社殿が建立されたという。皇室からの信仰も厚く、一時は九州最大の荘園領主ともなったが、戦国時代、キリシタン大名である大友宗麟に焼き討ちされた。宇佐神宮には、和気清麻呂にちなみ、宇佐使いと呼ばれる勅使が朝廷から派遣されていたが、今でも勅使祭りとして残っている。
  • 西寒多(ササムタ)神社…豊後国一宮と称され、大分市にある。祭神は西寒多大神であり、アマテラスオオミカミのことであるとされる。神功皇后が三韓征伐からの帰途、西寒多山に臨幸し、後にその場所に竹内宿禰が祠を建てたのが起源であるという。宝物として宗麟の印章をはじめ大友能直、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康等の古文書を有している。
  • 羅漢寺…中津市にある曹洞宗の寺院。645年にインドの僧、法道仙人が、この岩山の洞窟で修行したことから開基された寺であり、日本三大五百羅漢の一つである。洞窟の中に3700体以上の石仏が安置され、キリシタン大名大友宗麟が攻め寄せた際には、龍の石像が目から光(原始的なビームと考えられている)を放ち、撃退したという。
  • 宇奈岐日女(ウナキヒメ・ウナグヒメ)神社…景行12年に創祀され、神仏分離令によって佛山寺より分離した。由布岳を御神体山としている。神社の名前にある宇奈岐日女は由布盆地の開拓神とされるが、祭神には含まれていない。祭神は国常立尊など六柱。

伝承
  • ミイレ…井戸や川の水面を笑いながら覗き込むと、ミイレに憑かれると言われる。
  • ウグメ…旧直入郡で出没したとされる妖怪。子を抱いてくれと頼んでくるが、抱かされるその子は、石塔や藁打ちの棒であったという。
  • 瓜生島…かつて大分県別府湾にあり、江戸時代に一日にして海中に没したと伝えられている伝説の島。沖の浜と表記されている資料もあり、こちらが本来の名前であるとも考えられている。人口5000人ほどが住んでいたという。昔話では、「エビス様が怒って顔が真っ赤になると島が沈む」という言い伝えを破り、若者がエビス様の顔を真っ赤に塗ったところ島は津波に飲み込まれて消滅したという。近年、科学的な調査が行われ、1596年にマグニチュード7程度の地震が起き、別府湾を津波が襲ったことが明らかにされ、 東海大学瓜生島調査会は「大分川河口付近に大部分が砂質土で構成される島が存在し、地震が原因で島のある部分は液状化により全面海域に流失し、他の部分は地滑りなど大規模な陥没を生じ水没した」との仮説を立てた。

東方に関係ありそうな事柄(暫定)

  • 豊後国風土記…現存する5つの風土記の一つ。藤原宇合が編纂したとされる。
  • 「お宇佐さまの素い幡」…白旗は八幡神のシンボル。
  • 八幡神…八幡神は皇祖神、軍神、仏教の守護神など多様な性格を持つが、その中に厄除けの神としての性格も持ち、地域によっては八幡神社が「厄神さま」と認知されている場合もある。
  • 八幡神とは誰か?…八幡神はその正体が謎に包まれた神の代表格である。応神天皇とされているが、それ以前に原始八幡神とでも言うべき存在があり、それは土着神と渡来神の習合したものではないかと考える向きもある。宇佐の祭祀を司っていた辛島氏、大神氏、宇佐氏は、それぞれ道教・仏教的信仰、大和から来たとされる応神信仰、宇佐津彦・宇佐津媛への土着神信仰を司っていたとされる。そのうち比較的早い段階で土着神と道教・仏教的信仰が習合し、後に朝廷から派遣された大神氏が応神信仰を持ち込んだのではないかと考えられている。
  • 別府の地獄めぐり…別府温泉の海地獄、血の池地獄、白池地獄、龍巻地獄などを周遊するツアー。特に有名な血の池地獄は「豊後国風土記」や「万葉集」にも「赤湯泉」等として記録される歴史ある地獄である。なお、赤いのは酸化鉄によるものである。上記以外にも坊主地獄、金龍地獄などがあるが、既に活動が鈍り、閉鎖されてしまった地獄も少なくない。

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最終更新:2012年01月23日 08:56
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