146 名前: 141 1/5 投稿日: 02/05/01 23:44 ID:mnW/r8O9
「岬君、前から気になっていたんだけどね。…聞いてもいいかな?」
「何? 三杉君」
全日本ユースの合宿中の僕達は、夕食後のひとときをみんな思い思いに過ごしていた。
僕と三杉君はビデオを見ながら、お互いの連携の研究中。
「どうして君だけは、日向のことを『小次郎』って呼ぶんだい?あの若島津でさえ、『さん』付けなのに」
そう声をひそめて聞いてきた三杉君に、一瞬考えて、こう答えた。
「小学校からのクセなんだ。僕も明和に通っていたから」
「うん、チームメイトだったのは知ってるけど…、何か理由があるのかなって」
「昔のことだからね。僕も忘れちゃった」
笑ってそう言った僕は、あの日のことを思い出した。
147 名前: 141 2/5 投稿日: 02/05/01 23:45 ID:mnW/r8O9
あの日のことは、よく覚えている。
5月の初旬で、図工の宿題を忘れた僕達二人は、居残りさせられて。
小次郎は、さっさとグラウンドでボールを蹴りたかったんだろう、イライラしているのが見て取れた。
「おい、転校生。…お前、絵描きの息子なんだってな。こんな宿題、朝飯前だろ」
そんなふうに先に話しかけてきたのは、小次郎だった。
「そんなことないよ。父さんは上手いけど、僕はぜんぜん下手なんだ」
「…フン」
気にくわないって顔をして、ガシガシと(いつもの調子で)画用紙に書きなぐる小次郎に、
「ねえ、もうちょっと丁寧に描きなよ。母の日のプレゼントなんでしょう?」
つい口が出てしまったんだ。
「うるせえ!お前こそ、さっさと描けっ!」
そうだった。終わったら「二人そろって」提出しにこい、と先生に言われていたんだった。
「……」
真っ白な画用紙を目の前に、僕は目を閉じた。
写真でしか見たことがないお母さん。
僕を抱いて、父さんの隣で笑っているお母さん。
何度も何度もその写真を見ているのに、いざ画用紙に向かうと、なぜかぼやけて描けなくて…。
どんな人なんだろう、僕のお母さん…。
148 名前: 141 3/5 投稿日: 02/05/01 23:46 ID:mnW/r8O9
「やっぱり描けないや…」
小声でつぶやいた僕に、小次郎が怒鳴った。
「ふざけんな、転校生!さっきは偉そうなこと言ってたくせに」
「だって、お母さんの顔覚えてないんだもん。いいかげんには描きたくない」
「えっ…」
小次郎は顔をあげて僕を見た。
「…お前、ひょっとして母ちゃんいないのか?」
「うん。どこかで元気にしてる…といいな」
そう笑って言った僕に、
「そうか…。俺は、父ちゃんがいないんだ。何だか似てるな、俺達」
「そうだね」
この手の話は、気を使わせちゃうだけだから、人には話さないようにしてきたけど、
はじめて誰かと秘密を共有できたような気がしたのは、僕だけじゃなかったと思う。
「お前、名前は?」
「ボクは岬太郎。君は?」
「日向小次郎だ」
「改めて、よろしく、日向くん」
手を出した僕に、
「岬、学校の奴等には誰にも許さなかったけど、お前だけは俺のこと名前で呼んでいいぜ」
「えっと…、じゃあ、よろしく、小次郎」
「ああ」
そうやって、硬い握手を交わしたんだ。
149 名前: 141 4/5 投稿日: 02/05/01 23:46 ID:mnW/r8O9
後から知ったことだったけど、小次郎はお父さんが大好きだったんだ。
お父さんに、「小次郎」って、呼ばれることが。
もちろん、お母さんも大好きで、
お母さんのためになるのは、母の日にプレゼントする絵を描くよりも、
アルバイトをして家計を助けること、
そして、サッカーで勝つこと。
日向小次郎は、そういう男だった。
明和FCでチームメイトにもなり、そんな小次郎のことを少しずつ分かりかけてきて、
自分の中で大きな存在になってきたころ――、父さんの絵が完成して、転校。
それから何度も敵として戦ったけど、今、再び同じチームになって、
僕がどんなに嬉しいか、わかってるのかな、小次郎…。
150 名前: 141 5/5 投稿日: 02/05/01 23:49 ID:mnW/r8O9
「おやおや、岬君ったら、思い出し笑いかい?」
しまった。すっかり三杉君のことを忘れてた。ビデオ見てたんだっけ。
「違うよ、笑ってなんか…」
「ふふふ、翼君に言いつけちゃおうかな。コンビの片割れが思ってるのは、実は、って」
「三杉君、やめて。君が言うとシャレになんないよ…」
「あははは、じゃあその話は追々聞かせてもらうとして。さっきのプレイだけど…」
そうだ。今は自分の気持ちより、僕達の夢を叶えよう。
夢が叶ったら、その暁に――。
最終更新:2009年05月02日 11:02