2009 > 07 > 01

サブリミナルに惑わされる脳
http://news.goo.ne.jp/article/php/life/php-20090625-01.html

カリフォルニア工科大学生物学部教授・下條信輔氏、近著『サブリミナル・インパクト』
赤ちゃん研究をまとめた第一作『まなざしの誕生』(1988年)
なぜアメリカだけがこれほど大々的に嘘発見器を使うようになったかという歴史について、発明者たちを軸に描いたノンフィクション(ケン・オールダー著『嘘発見器よ永遠なれ』)

脳の神経活動から人間の経済活動を理解しようとするニューロエコノミクス(神経経済学)が昨今、話題ですが、これはどういう学問で、何をめざそうとしているのでしょうか。

ニューロエコノミクスとニューロマーケティングを分けて考える必要があります。ニューロマーケティングは、脳科学を使って売っちゃいましょう、という話。そのためにはどうすればいいかという理論研究も含みます。
ニューロエコノミクスは、それとは全然違う。創始者の1人であるコリン・キャメラーがいうのはこういうことです。経済学には社会の経済現象をマクロ、ミクロのレベルで説明する理論がいろいろあります。その目標は、理論的、数理的に明快なモデルで人間の経済活動を説明しようということです。でも、たとえば近代経済学でいちばんの概念であるユーティリティ、効用性を考えてみてください。ユーティリティを測れるかというと、測れない。媒介変数や構成概念が入ってそれ自体は直接測れません。人々の消費行動とか経済の株の上がり下がりを見て推定しているだけです。
ニューロエコノミストがやろうとしているのは、こうしたこれまで間接的に推定していただけだったパラメーターの存在を脳神経信号で取り出すことです。

古典的な経済学は、「理想的な人間像」を前提にしてモデルを組み立てていました。人は自己の利得が最大になるように意思決定をするという意味です。ところが、たとえば「これは80円です」という場合、「もともと100円ですが20円値引きします」というときと「79円ですけど燃料が高いので80円にします」といったときでは、人の振る舞いが全然違う。知覚のイリュージョンにも似た人間の振る舞いは、古典的な経済学では説明できなかった。そこに登場したのが、ニューロエコノミクスだったわけです。

ニューロエコノミストが共同研究していますが、そこでやろうとしているのは、人間が合理的な判断者としてではなく振る舞うというところに、経済学のチャレンジがあると同時に、人間を人間らしくする本質もあるのだから、経済学がこれまでお手上げだった問題にニューロエコノミクスが新しい突破口を与えるということ。加えて、意思決定や人間性の本質に迫る、とくに情動と認知の相互作用にも道が開かれるのではないかと考えています。

宮崎哲弥さんが、河野哲也著『暴走する脳科学』と坂井克之著『心の脳科学』と僕の本を挙げて、3冊に共通するメッセージは、脳科学に基づく決定論と自由意思は最終的に矛盾しないということだと書かれていた。じつはそれは、僕がこの本の後半でいおうとしたことなんです。いまいわれたような自由意思についての問題意識が、赤ちゃん研究のころから僕のなかにあったからだ、と思いますね。

目下、マイクロなミリセカンドの時間で自由意思や意識がどうなっているかを調べているのですが、そこで大事なのは、「ポストディクション」といって、後付けで自分の知覚の内容や行為の意味を書き換えるメカニズムです。そこに自由意思の生き延びる隙間があると僕は思うのです。

ポストディクションは、マイクロな時間のスケールでかなり起きているんです。たとえば、これを選んだのは私の自由意思かとは事前には考えないけど、聞かれると考えます。「いま、紅茶を飲んだけどなぜ? いつもコーヒーなのに」と聞かれて、「朝コーヒーを10杯も飲んだからかなあ」と理由付ける。それも脳の働きですが、プレディクション(予測)とは場所が違う。皮質下じゃなくもっと高次の認知脳です。時間も違って、行為が終わったか終わらないかという時点以降に考える。

知見はいろいろあるのですが、プレディクティブな過程とポストディクティブな過程は、どうも脳のなかで相互のコミュニケーションが悪いらしい。前者は潜在的で後者は顕在的だからです。ただ認知心理学ではっきりいわれているのは、あとから何度も思い出して説明するうちに、どんどん歪みがかかってくること。その歪みは近い過去の記憶の影響が大きい。

大げさにいえば、近代社会や民主主義社会が依拠してきた理想像がもう維持できないと思った。なぜかというと、最近サイエンスが解明したいろんな事実と、理念が食い違ってきているように見えるから。自由意思の前提となるイデオロギーが崩れつつあって、自由意思の範囲と制御されることの重なりがどんどん広がっていく。人間はもう、よしなにコントロールされることが快適になっているのです。

知識は役立つのです。でも生半可な知識は役立たない。つまり、潜在的な情動戦略に対して顕在的な知識で対抗しようとしてもダメということです。ダメだということも知識だから、そのメタ知識ももって自分の潜在的な部分、身体的な部分に仕掛けをして忘れないでいれば対抗できる


使って分かったAndroidとiPhoneの違い
http://www.atmarkit.co.jp/news/analysis/200906/29/android.html
長い記事だけど読むに値する。僕はマカーだが、Android支持になりそうだわ。
最終更新:2009年07月01日 15:14