虚妄の迷宮 十三


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幽閉、若しくは彷徨 四十五



―― ふっふっふっ。お前は先に全宇宙史を背負って俺に対して此の世に立つ覚悟はあるかと聞いたかと思へば、そんな《もの》は神に呉れちまへばいいと言ひ、そして、言ふに事欠いてか挙句の果てに「苦悩による苦悩の封建制」と言ひ出し、其処で《苦悩》は全て《主体》たる《吾》が背負ひ、ふっ、神若しくは神々を《存在》から解放せよと言ったが、ちぇっ、つまり、お前の言ふ事は支離滅裂ぢゃないかね? ふっふっふっ。

――さうさ、支離滅裂だ。ふっ、つまり、俺には未だ此の宇宙の全宇宙史を背負って此の世に立つ覚悟が出来ていないのさ。へっ、愚劣故にな。例へば存在論的に言へばだが、イエス・キリストの如くその《存在》を磔刑に処する覚悟が出来ていないのさ。

―― それは当然だらう。神若しくは神々でさへ全宇宙史における《苦悩》を背負ひ切れずに四苦八苦した挙句に、神若しくは神々はその《苦悩》を時の移ろひに抛り投げてしまったのだから、況や、神若しくは神々に遠く及ばぬであらう《主体》たる《吾》に全宇宙史における全《存在》の全《苦悩》など背負へる訳がない。

――しかし、《主体》たる《吾》は、ぷふぃ、この愚劣極まりない《主体》たる《吾》は、その己の愚劣さをくっと噛み締めて、此の宇宙の全宇宙史における全《存在》の全《苦悩》を、へっ、痩せ我慢に痩せ我慢ををしてでもその全《苦悩》を背負ふしかないんだらう? 

―― ぷふぃ、その通りさ。神若しくは神々のこれまでの行なひに報ひ、全《存在》から神若しくは神々を解放したければ、《主体》たる《吾》は進んで全《存在》の全《苦悩》を背負ひ、さうしてそのままじっと我慢の上にも我慢を重ねて「苦悩による苦悩の封建制」にその身を委ねるしかないのさ。

――しかし、それは《主体》たる《吾》の自己満足に過ぎぬのぢゃないのかね? 

――ぷふぃ。自己満足で結構ぢゃないか。神若しくは神々を全《存在》から解き放つ為にも、《主体》たる《吾》は新たな創世記をでっち上げればいいのさ。

――新たな創世記をでっち上げる? 

――さうさ。徹頭徹尾《主体》たる《吾》が、全《苦悩》を背負って立つ外ない、《主体》の、《主体》による、《主体》の為の創世記をでっち上げる以外に、神若しくは神々も強ひて言へば《主体》たる《吾》も《自在なる存在》に至る術はないのさ。

――《自在なる存在》? 

――さう、《自在なる存在》だ。

――しかし、《主体》たる《吾》は此の宇宙の全《苦悩》を痩せ我慢に痩せ我慢をしてでも背負ふ「不自由」な《存在》ぢゃないのかね? 

――だから如何したと言ふんだい? 此の宇宙の全《苦悩》を背負ふ事が即「不自由」だとは限らないぜ。

――其処で「苦悩による苦悩の封建制」かね? それの何処が《自在なる存在》に繋がるのかね? 

――へっ、実際のところ、無限を飛び越える如くに「苦悩による苦悩の封建制」は《自在なる存在》と結び付く可能性は限りなく零に近いが、しかし、最早《主体》たる《吾》はそれを成し遂げる外ないんだぜ。ふっ、曲芸師の如くにな。

――つまり、「苦悩による苦悩の封建制」では、へっ、《主体》たる《吾》は《自在なる存在》といふ名の《地獄》を見る……か――。

――しかし、それは神若しくは神々の《自由》と《主体》たる《吾》の、ぷふぃ、《自由》の当然の対価だらう? 

――《自由》の対価? 

――へっ、【神若しくは神々の《自由》】≠【《主体》たる《吾》の《自由》】のその悍ましさの底無しの深淵を《主体》たる《吾》は「苦悩による苦悩の封建制」において覗き込まねばならぬのだ。その覚悟は出来たかね? 

――ちぇっ、当たって砕けろだ。

――それ、その意気。

――ちぇっ、これは愚問だが、《主体》たる《吾》は何故に逆Pyramid(ピラミッド)型の階級制、つまり、逆Pyramidの底にゐるであらう《主体》たる《吾》は、その逆Pyramid型の階級制をした故に《主体》たる《吾》のみが全《苦悩》を背負ふといふ、神若しくは神々以外では全宇宙史上初めてに違ひない「苦悩による苦悩の封建制」を受け入れるといふ、そんなとんでもない愚行に身を投じる必然性はあるのかね? 

――ぷふぃ。此の世に《存在》しちまった以上、《主体》たる《吾》はそれを黙って受け入れる外ないのさ。

――《存在》しちまったが故? たったそれだけの理由でか? 

――ああ、さうさ。此の世に《存在》しちまったのだから仕様がないのさ。

――仕様がない……か――。

――ぷふぃ。此の悪意に満ちた宇宙を震へ上がらせたいんだらう? 

――ああ……。

――ならば、腹を括るのだな。「苦悩による苦悩の封建制」は《存在》に「先験的」に与へられる《もの》に属すると。

――つまり、出口無しか。

――いや、出口はお前が「苦悩による苦悩の封建制」たる創世記を何としてもでっち上げれば開ける筈さ。

――へっ、それは如何あっても創世記でなければ駄目かね? 

――勿論。その創世記をでっち上げるといふ事には、神若しくは神々の《存在》からの解放と、《主体》たる《吾》の《自由》の獲得の二重の意味が隠されてゐるんだからな。

(四十五の篇終はり)

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http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-05367-7.jsp





ざわめき 七



 此の世に《存在》するあらゆる《もの》の《存在形式》は、此の宇宙の摂理に従属してゐると看做しなしてしまひ、そして、それをして此の宇宙たる《吾》が《存在》する《存在形式》を、例へば「《吾存在》の法則」と名付ければ、必ずそれに呼応した「《他存在》の法則」が《存在》すると考へた方が《自然》だと思ひながら、その《自然》といふ言葉に《自然》と自嘲の嗤ひをその顔に浮かべてしまふ彼は、此の《吾》=《自然》以外の《他》=《自然》もまた《存在》するに違ひないと一人合点しては、

――ふっ、馬鹿めが! 

と、即座に彼を罵る彼の《異形の吾》の半畳にも

――ふっふっふっ。

と、皮肉たっぷりに己に対してか《異形の吾》に対してか解からぬが、その顔に薄笑ひを浮かべては、

―― しかし、《自然》は《吾》=《自然》以外の《他》=《自然》の出現を待ち望む故に、《吾存在》を呑み込む《吾存在》がその《吾》に拒絶反応を起こしてはこの耳障りな断末魔の如き《ざわめき》が《吾》の彼方此方にぽっかりと開いた《他》たる穴凹から発してゐるに違ひないのだ。

と、これまた一人合点することで、彼は彼の《存在》に辛うじて我慢出来るそんな切羽詰まったぎりぎりの《存在》の瀬戸際で弥次郎兵衛の如くあっちにゆらり、こっちにゆらりと揺れてゐる己の《存在形式》を悲哀を持って、しかし、心行くまで楽しんでゐるのであった。

…………

…………

――なあ、「《他存在》の法則」に従属する《他》=宇宙における《存在》もまた奇怪千万な《光》へと還元出来るのだらうか? 

――つまり、それって《光》の《存在》が此の宇宙たる《吾》=宇宙と《他》=宇宙を辛うじて繋ぐ接着剤と看做せるか、といふことかね? 仮にさうだとすればそれはまた重力だとも、さもなくば時間だとも考へられるね? 

――ああ、何でも構はぬが、《吾》が《存在》すれば、《他》が《存在》するのが必然ならばだ、此の宇宙が《存在》する以上、此の宇宙とは全く摂理が違ふ、つまり、「《他存在》の法則」に従属する《他》=宇宙は何としても《存在》してしまふのは、《もの》の道理だらう? 

――ああ。

――そして、《吾》と《他》は何かしらの関係を持つのもまた《もの》の道理だらう? 

―― ああ、さうさ。此の世における《他》の《存在》がそもそも「《他存在》の法則」を暗示させるし、《他》が《存在》すれば《吾》と何かしらの関係を《他》も《吾》も持たざるを得ぬのが此の宇宙での道理だが、さて、しかし、仮令《他》=宇宙が《存在》してもだ、此の《吾》=宇宙と関係を持つかどうかは、とどのつまりは「《他存在》の法則」次第ぢゃないかね? 

―― それは《吾》と《他》が関係を持つのは徹頭徹尾、此の《吾》=宇宙での「《吾存在》の法則」による此の世の出来事は《他》=宇宙での「《他存在》の法則」に変換出来なければならず、つまり、換言すれば、《吾》=宇宙と《他》=宇宙の関係は関数で表わされねばならず、更にそれは最終的には光といふ奇怪千万な《存在形式》に還元されてしまはなければならぬといふことだね? 

――ああ、さうさ。

――ならばだ、《吾》が「《吾存在》の法則」のみに終始すると《吾》=宇宙は未来永劫《他》=宇宙の《存在》を知らずにゐる可能性もあるといふことだね? 

――さうさ。むしろその可能性の方が大きいのぢゃないかな。実際、此の世でも《吾》が未来永劫に亙って見知らぬ《他》は厳然と数多《存在》するぢゃないか。 

―― それはその通りに違ひないが、しかし、《吾》と未来永劫出会ふことなく、一見《吾》とは無関係に思へるその《他》の《存在》、換言すれば《存在》の因果律無くしては《吾》は決して此の世に出現出来ないとすれば、《吾》は必ず、それが如何なる《もの》にせよ、その《もの》たる《他》と何らかの関係を持ってしまふと考へられぬかね? 

――へっ、つまり、此の宇宙も数多《存在》するであらう宇宙の一つに過ぎず、換言すれば、数多の宇宙が《存在》するMultiverseたる「大宇宙」のほんの一粒の砂粒程度の塵芥にも等しい局所の《存在》に過ぎぬと? 

――へっへっへっ、その「大宇宙」もまた数多《存在》するってか――。

――つまり、《吾》と《他》とは共に自己増殖せずにはゐられぬFractal(フラクタル)な関係性にあると? 

――多分だが、さうに違ひない。しかし、「《吾存在》の法則」と「《他存在》の法則」は関数の関係にはあるが、全く別の《もの》と想定した方が《自然》だぜ。

――何故かね? 

――ふっ、唯、そんな気がするだけさ。

――そんな気がするだけ? 

―― さうさ。例へば私と《他人》は全く同じ種たる人間でありながら、《吾》にとっては超越した《存在》としてその《他人》を看做す外に、《吾》は一時も《他人》を承認出来ぬではないか! 而もだ、私が未来永劫見知らぬ未知の《他人》は数多《存在》するといふのも此の世の有様として厳然とした事実だぜ。

(七 終はり)

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幽閉、若しくは彷徨 四十四



――ふっふっふっ。再び堂々巡りだぜ。

と、彼は瞼を閉ぢたまま其処で深々と一息、それは恰も空気を胸の奥の奥の奥の隅々まで行き渡らせるかの如くであったが、息を吸ひ込んだかと思ふと、

――ふ~~~う。

と、ゆっくり息を吐いたのであった。それは誠に誠に深々とした深呼吸なのであった。すると彼の頭蓋内の闇、即ち五蘊場に棲み付いてゐたであらう《異形の吾》共が一斉に哄笑してゐるその嗤ひ声が聞こえる気がするのであった。

――ふっ、笑ふ門には福来る……か――。

と、彼は朧に、しかし、反射的に福なる《もの》を彼の頭蓋内の闇たる五蘊場に形象しようと試みるのであったが、唯、五蘊場に棲み付いてゐるであらう《異形の吾》共の哄笑してゐるその醜悪ながらも気持ち良ささうなその見知らぬ《他人》の顔の群像に満ちた内界たる五蘊場の様相を瞼裡に彼は見てしまふと、

――はて、《吾》とはそもそもこの見知らぬ《他人》の顔をした《異形の吾》共なのであらうか? 

といふ、自己同一性といふ《吾》の《存在》のその根本に関はる問ひにぶち当たるのであった。勿論、彼が一息深々と深呼吸をした時点で既にそれまで蜿蜒と続けられてゐた下らぬ自問自答の表象は一瞬にして霧散したのはいふまでもないことであった。

――はて、俺は何を自問自答してゐたのであらうか? 

 既に闇であることに堪へ切れずに淡い淡い淡い微小な光の群れが浮き出してしまってゐた瞼裡の闇には、その淡い微小の光の群れで象られ或る輪郭として浮き出した彼の見知らぬ《他人》の顔相が現はれては消え、再び前とは違ふ彼の見知らぬ《他人》の顔相が現はれることを繰り返してゐたのであった。

――こいつ等も俺の異形か……。

――ぷふぃ。お前は何面相の《吾》たることを宿命付けられし《主体》だと思ふ? 

――さあね。何面相かなんて問題ぢゃないだらう。

――ぷふぃ。さあね、と来たか。お前は一度も「俺はこれまでの全宇宙史に出現した《存在》全ての異形を持つ《無限相》の《吾》だ!」と考へたことはなかったのかね? 

――へっ、それはお前の方が良く知ってゐる筈だがね。

――ぷふぃ。お前はこれまでの全宇宙史において出現した《存在》のどれ一つを欠いてもお前は此の世に《存在》出来なかった。それは認めるね? 

――当然だらう。

――当然か……。すると、これは極端な話だがそれを承知で言ふと、お前は全宇宙史を背負って此の世に立つ覚悟はあるんだね? 

――其処さ、俺が腑に落ちぬのは。何故此の世に《存在》しちまった《もの》はそれが何であれ皆全宇宙史を背負はなければならないのだ! 

――ぷふぃ。本当のところを言へば、背負ふ必要なんかこれっぽっちも無いぜ。そんな《もの》は神に呉れちまふがいいのさ。

――神に呉れちまふ? つまり、《存在》の役割分担をせよといふことかね? 

――さうさ。歯車の如く《存在》した方が気が《楽》だらう? 

――それは、つまり、神若しくは神々を頂点としたPyramid(ピラミッド)型の厳然とした階級制といふ名の封建制といふことかね? 

――何を持って封建と言ってゐるのかね? 無論その封建は領地ではないんだらう? 

――ぷふい。「苦悩による苦悩の封建制」さ。

――ぷふぃ。「苦悩の封建制」と来たもんだ。当然その「苦悩による苦悩の封建制」では神若しくは神々が全宇宙史に亙る《苦悩》を背負ひ、その他大勢の《存在》は己の事にかまけてゐればいいといふ、ふん、《主体》天国の「苦悩による苦悩の封建制」なんだらう? 

――いや、神若しくは神々は一つも《苦悩》は背負はない「苦悩による苦悩の封建制」さ。

――それぢゃあ、つまり、神若しくは神々と《主体》の立場が逆転した「苦悩による苦悩の封建制」か――。

――つまり、神若しくは神々が一つも《苦悩》を背負はぬといふ事は、《吾》たる《主体》なる《もの》が各々全宇宙史に亙った全《苦悩》を各々が背負ふ「苦悩による苦悩の封建制」さ。

――換言すれば、お前の言ふ「苦悩による苦悩の封建制」とは神若しくは神々を、例へば人間等の全《存在》の呪縛から解き放ってやり神若しくは神々に全きの自由を与へるといふ事だな。

――ああ、さうさ。例へば十字架に磔刑されたイエス・キリストを未来永劫に亙って《人類》に縛り付ける事はイエスにとっては最早《地獄》でしかなく、イエスをその《地獄》から解放してあげねばならぬのだ、この愚劣極まりない《主体》は! 

(四十四の篇終はり)

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嗤ふ吾 五



 そもそも《吾》とは《吾》に侮蔑されるやうに定められし《存在》なのであらうか? 例へば自己超克と言へば聞こえはいいが、詰まる所、その自己超克は絶えざる自己否定が暗黙の前提として含意されてゐるのであるが、《吾》として此の世に《存在》した《もの》が仮令それが何であれ此の世に《存在》しちまった以上、絶えざる自己否定は《理想の吾》へと近づくべく、つまり、《理想の吾》に漸近的にしか近づく術がない《吾》は、《理想の吾》を追ひ求めずにはゐられぬどうしやうもない欲求が、遂には《吾》の内奥で蠢く底無しの欲望と結び付いて、自己超克といふ名の下に、結局は《理想の吾》が厳然と君臨する故に《吾》が《吾》を滅ぼさずにはゐられぬまでに《吾》は《吾》を追ひ詰めずにはゐられぬ《もの》なのである。さうして自己超克を見事に成し遂げた《もの》のみ生き延びられるこの残酷極まりない自己超克といふ宿命を負ってゐる《吾》は、《吾》をこのやうにしか此の世に《存在》させない摂理を呪ふ事に成るのである。

――自同律の不快! 

 《吾》の存続する術を手探りし己の内奥をまさぐってゐた《吾》をかう言挙げした先達に埴谷雄高がゐるが、彼もまた、此の宇宙を悪意に満ちた何かしらの《もの》としてこの宇宙の摂理を呪ってゐるのである。

――ぷふぃ。

 その嗤ひ声にもならぬ、それでゐて如何しても息が肺から吹き出て已まないその

――ぷふぃ。

といふ嗤ひ声を埴谷雄高の畢生の作品「死霊(しれい)」の登場人物達は不意に発するのであるが、その

――ぷふぃ。

といふ嗤ひ声は、既に《吾》といふ己の《存在》を呪ひ、また此の宇宙をも呪った末に嗤ふことを忘失してしまった《吾》が、やっと此の世に噴き出せた、つまり、辛うじて嗤ひ声となって声を発せた《吾》の無惨な姿が其処には現はれてしまってゐるのである。その埴谷雄高の

――ぷふぃ。

とは違って

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

と、《闇の夢》を見て眠りながら嗤ってゐた私は、その《闇の夢》に《吾》の無様な姿を見たと先に言ったが、私にとって闇は多分に見る者の状態によって様々に表情を変へる能面の如く作用してゐるに違ひないのである。

 例へば能面のその表情の多彩さは、見者たる己の内奥と呼応してその状態を忠実に能面の面が映すからであるが、私にとってその内奥を忠実に映すのは先にも述べたやうにそれは闇なのである。私は独りそんな闇を

――影鏡存在。

等と名付けて、瞼を閉ぢれば何時如何なる時でも眼前に拡がる闇と対峙しながら、果てしない自問自答の渦の中に呑み込まれ、最早其処から抜け出せぬやうになって久しいが、瞑目しながらの自問自答はひと度それに従事してしまふと已めようにも止められぬ或る種の自意識の阿片であるに違ひないのである。その瞑目し、瞼裡に拡がる闇に己の内奥を映しながら自問自答の堂々巡りを繰り返し、挙句の果てには問ひの大渦を巻く、その底無しの深淵にひと度嵌り込むと、私は、にたりと、多分他人が見ればいやらしいにたり顔をその顔に浮かべてゐるに違ひないことに最近気付いたのである。つまり、私は瞑目し瞼裡の闇と対峙してゐる時は、必ず嗤ってゐるのに最近になってやっと気付いたのである。そんな時である。眠りながら嗤ってゐる私を見出したのは。

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

 しかし、それにしても《闇》とは摩訶不思議で面妖なる《もの》である。何《もの》にも変容するかと思へば、眼前にはやはり瞼裡の《闇》のまま《存在》してゐて、相変はらず《闇》は《闇》以外の何《もの》でもないのである。尤も《闇》は多分に頭蓋内の《闇》、即ち五蘊場に鎮座する脳といふ構造をした《場》が作り出した或る種の幻影と思へなくもないのであり、それは光が干渉する《もの》なのでその結果どうしても発生してしまふ《闇》を認識するのに、つまり、光の濃淡を認識する仕方として五蘊場が《闇》を作り出したことは、これまた多分に《吾》たる《主体》の《存在》の有様に深く深く深く関はってゐるのは間違ひないのである。さうでなければ、私が夢で《闇の夢》なぞ見る事は不可能で、将又(はたまた)《闇の夢》に《吾》を見出してしまった無惨な《吾》を嗤へる《吾》が私の五蘊場に《存在》することなぞ、これまた不可能なのである。そして、《異形の吾》と私が呼ぶ哲学的には「対自存在」に相当するその《異形の吾》たる《吾》は当然の帰結として《吾》に無数に《存在》する筈で、さうでなければ《吾》は独りの《吾》の統一体としての有様は不可解極まりない事態に陥り、それは例へば、独りの人間が細胞六十兆個程で成り立ち、しかしながらその六十兆の細胞は全てが《生》ではなく、多くの細胞は自死、即ちApoptosis(アポトーシス)の位相に今現在もあることが不可解極まりないことになってしまふのである。《生》とは、詰まる所、《生》と《死》が等しく《存在》する摩訶不思議な現象の一つに違ひないなのである。

――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。

(五の篇終はり)

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幽閉、若しくは彷徨 四十三



――うむ。はて、時は神の発動の一つではなかったのじゃないかね? 

――さう言へば俺かお前、ちぇっ、どっちにしろ私に過ぎぬが、その私は先に重力と時間が神だと言ってゐたな、へっへっへっ。

――ふっふっふっ。

――俺かお前かのどちらが言ったにせよ、例へばの話で神は重力と時間と言ったまでだらう。当然の事、先にも言った通り「神=(重力と時間)」ではない。

――では何故神は此の世を創造し、此の世の開闢と同時に時を進めて最早此の宇宙が死滅しても、時のみが未来永劫に亙って相変はらず移ろふかの如き《もの》として《世界》を創造したのかね? 

――それに加へてかう言いたいんだらう。へっ、そして神自らも何故に時の奴隷に成り下がったのかと――。

――さうさ。何故神は自ら進んで――俺にはさう思へるんだがね――その神は時の奴隷に成ることを甘んじて受け入れたのかね? 

――ふっ、答へは簡単明瞭さ。神自ら此の宇宙若しくは《世界》を神すらも制御不可能な《もの》に神はしたかったのさ。つまり、神は自ら進んで此の宇宙若しくは《世界》を神の御手では最早どうしやうもない制御不可能な《もの》にせずにはゐられなかったのさ。

――ふむ。それは何故にかね? 

――逆に尋ねるが、お前はお前の未来が全て千里眼の如くお見通しだとすると、お前はお前の《存在》に飽きないかね? 

――《存在》に飽きるとは? 

――つまり、変容する自由がない、換言すると《一》=《一》が見事に成立する《完成》した《もの》として、お前が《存在》することにお前は何の不満も抱かぬのかね? 

――つまり、時が自由を保障すると? 

――いいや。時は何も保障はしない。唯、時は移ろひ、その時の大河の表層で《個時空》のカルマン渦が渦巻くのみさ。だが、時が移ろひ、あらゆる《もの》が時に隷属することで自由が辛うじて生まれるとしたならば、お前は如何する? 

――如何するといふと? 

――つまり、お前は《未完成》で自由な、換言すれば変容可能な《存在》を選ぶか、《完成》して変容不可能で不自由な《存在》を選ぶか、どちらを望む? 

――へっへっへっへっ。自由を弐者択一の問ひに還元しちまっていいのかい? 

――しかし、《完成》した《もの》には、換言すれば《完璧》な《存在》には最早自由は不必要な筈さ。

――つまり、神すらも時に隷属することで自由なる《吾》たる《存在》を選んだといふことかね? 

―― ふっ、神は此の世の開闢時に既に《完璧》な《完成品》たる《存在》を、つまり、神自身に匹敵する《もの》を創り上げてしまってゐて、この《完成品》を手持ち無沙汰の挙句に更に捏ね繰り回して更なる《完璧》な《存在》を創造したはいいが、それが余りにも下らない代物だったので、無責任にも神はそれを抛り投げてしまって、その《完璧》なる創造物をぶち壊す為に神は神の鉄槌の一撃をその《完璧》なる創造物に加へて、へっ、神の制御が効かぬBig bang(ビッグバン)をおっ始めて時が移ろひ始めたとしたならば、さて、お前は、その神の行為を許せるかね? 

―― 神を許す? これは異な事を言ふ。神を許すも何もそれは俺の権限が及ばぬこと、つまり、それは俺の埒外の事だ。まあよい。するとお前は、此の世の開闢以前に神は《完璧》な《完成品》たる創造物、ちぇっ、つまり、完全無比で《完璧》な《存在》を創り上げたと考へてゐるのかね? 

――ああ。此の世を現在統べてゐる神若しくは神々はその残滓若しくは残党だと思はないかい? 

――でも、先に時が移ろふのは此の宇宙若しくは《世界》若しくは神若しくは《主体》が《完成》した《もの》を創造する為だと言った筈だがね。

―― さうさ。しかし、神若しくは神々は自らの御手の力の及ばぬ処で此の世の開闢以前の神若しくは神々が自ら創り上げた《完璧》な創造物以上の《もの》が創造されるのかをその目で見たくなったのさ。だから、神若しくは神々は此の時が移ろふ宇宙若しくは《世界》の様相には興味津々な筈だ。しかし、その為には神自らの手で創り上げた《完璧》な《もの》をぶち壊さずにはゐられなかった。へっ、その結果が現在の此の世の有様さ。

――つまり、現在此の世に鎮座坐しまする神若しくは神々は此の世の開闢以前に此の世に《存在》してゐた《もの》の眷族若しくは末裔だと? 

――ふっふっふっふっ、此の世の開闢以前の此の世とは一体全体何のことなのか解からぬが、神若しくは神々は此の世の開闢以前の世に《存在》してゐた《もの》の眷族若しくは末裔には違ひない。へっ、まあそんな事より、全きの自由は不自由と何ら変はらぬとは思はないかい? 

――へっへっへっへっ、ご名答。全きの自由は不自由と同義語か若しくは不自由の別称だよ。その好例が現在此の世を統べる神若しくは神々さ。

――しかし、神は此の世の開闢以前の《完璧》な《完成品》たる創造物といふ《存在》の末裔故に全きの自由、つまり、不自由に我慢しなければならぬ宿命を負ってゐる、違ふかね? 

――それを換言するとだ、此の世の《存在》の典型として先づは神若しくは神々在りきなのだとすると、さて、お前は神に成りたいかね? 

――いいや。神なんぞには成りたくないよ。ところが、《主体》は全きの自由を前にして立ち竦んで、二進も三進も行かない、つまり、どん詰まりの処に自らを追ひ詰めてしまった……。

――どん詰まりといふと? 

――これも何度となく言ってゐる筈だが、《存在》の縁さ。

(四十三の篇終はり)

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蘗(ひこばえ) 二



そもそも《吾》とは厄介な生き物である。耳孔、鼻孔、眼窩、口腔、肛門、生殖器等に代表される《主体》の各々の細胞にすら無数に開いてゐる穴凹と同様、それが《吾》の内部の何処かは解かりかねるが、しかし、《吾》の内部には厳然とその内部の闇にぽっかりと開いた《零の穴》若しくは《吾》の《虚(うろ)の穴》が《存在》してゐるとの確信がなければ

――俺は俺だ! 

と、《吾》に対しても《他》に対しても《世界》に対しても申し開きが出来ぬ情けない《存在》として《存在》するのである。一方で、蘗の生長によって主幹を喪失しても生き永らへた広葉樹は、けれども、その内部に《存在》してしまふ《虚の穴》は己の何《もの》によっても埋められずに《他》の生き物の生命の揺り籠として樹以外の《もの》をその《虚の穴》で育むといふ、或る意味《吾》の意思ではどうにもならぬ《存在》の在り方を、その樹が望むと望まずとに拘はらず強要されるのであり、また、《存在》の有様の本質がさうである故に、《吾》は《他》や《世界》と辛うじて連関するに違ひないのである。

 さうすると、彼の頭蓋内の闇、即ち五蘊場に不意に現はれる《異形の吾》共は、《吾》の内部にぽっかりと開いた《零の穴》若しくは《吾》の《虚の穴》をその棲み処としてゐる《他》たる《反=吾》の一つの有様に違ひない筈であるけれども、人間における主幹たる《吾》といふ自意識はといふと絶えざる連続性を求められつつも、絶えず《吾》の主幹たる《吾》の自意識は、それは「先験的」にかもしれぬが、何かによってぽきりと折られ非連続的な《吾》の《存在》を強ひられながら、しかし、人間における《吾》といふ主幹にも《吾》の蘗が生え出るかの如き《インチキ》をそのぽきりと折れた《吾》に接ぎ木するやうにして《吾》といふ《存在》は架空された《吾》として《存在》することを強ひられるのである。尤も、その《インチキ》を身に付けなくては、神ではなく人間の《他人》が作り上げた都市に代表される人工の《世界》では、一時も《存在》することが不可能なのである。それは或る意味当然の事で、慈悲深くも荒々しき神が創りし《世界》では《吾》もまた広葉樹のやうに《吾》の蘗が生え出る事は神に許されてゐて、しかもそれはむしろ《自然》な事なのであるが、しかし、既に人間が作り変へてしまってゐてその《吾》以外の《他人》が既に《吾》の誕生以前に作り変へてしまった人工の《世界》で生き延びるには、《吾》はその主幹たる《吾》を自ら進んでぽきりと折る勢ひでなければ《存在》は出来ず、挙句の果ては恰も蘗の《吾》が《存在》するかの如く架空の《吾》をでっち上げる、つまり、《吾》といふ《存在》の有様は如何しても《インチキ》だといふ忸怩たる思ひを絶えず噛み締めつつ

――ふっふっふっ。

と、皮肉に満ちた薄笑ひをその蒼白の顔に浮かべなければ、この《他人》が既に《吾》の誕生以前に作り上げた人工の《世界》では《存在》することが許されないのである。さうして、《吾》の内部にぽっかりと開いた《零の穴》若しくは《虚の穴》には数多の《異形の吾》共が棲み付き、そして、絶えずその《吾》を名指して

――馬~鹿!

と嘲笑してゐるのである。

 当然彼にとっても事情は同じで、絶えず彼の内部では《異形の吾》共が皮肉たっぷりに

――馬~鹿! 

と彼を嘲弄するのであった。

――へっ、さうさ、俺は大馬鹿者さ。

と、彼は決まって《異形の吾》共の嘲弄に対してこれまた皮肉たっぷりに返答するのであった。

――土台この浮世、大馬鹿者以外生き残れやしないぜ。

――だからお前は馬~鹿なのさ、へっ。

――馬鹿で結構。それでも俺は何としても此の世で生き残るぜ。

――ふっふっふっ。

 その醜悪極まりない《吾》の鏡像としてしか現はれぬ《異形の吾》の一人はにたりといやらしい薄笑ひをその相貌に浮かべたまま、再び

――馬~鹿! 

と彼を罵るのであった。

――へっ、馬鹿に徹してしかこの異様な浮世では誠実であることは不可能なのさ。

――馬~鹿! 

――どうも有難うごじぇえますだ、俺を馬鹿呼ばわりしてくれて、ふん。

――その大馬鹿者に一つ尋ねるが、お前は、此の異様な《他人》が徹頭徹尾作り上げ神から《世界》を掠奪した人の世に生きることが楽しいかね? 

――さあね。楽しくもあり、また、不愉快極まりなくもある。

――それぢゃあ、お前は人間が神の御手から掠奪した此の異様な《世界》を承認するかね? 

――いいや、絶対に受け入れられぬ。

――ならば何故に生き残るなどと嘯くのかね? 

――逃げられないからさ。

――逃げられない? 

―― ああ、此の世に《存在》しちまった《もの》はその《世界》から遁れられぬし、また、此の世から遁れる出口なんぞは何処にもありゃしないのさ。それはつまりこの人工の《世界》では自死することすら全く無意味な行為でしかなく、《吾》が自死しようがこの人工の《世界》は「また《吾》が自死したぜ! 全く《吾》とは間抜けな《存在》だぜ」と腹を抱へて哄笑するのが落ちさ。つまり、この人工の《世界》では如何足掻かうが「出口無し!」と相場が決まってしまってゐるのさ。

――では《愛》は何なのか?

――《吾》が《吾》として架空されてゐることを確認する一行為に過ぎぬのさ、この人工の《世界》では! 

(二の篇終はり)

自著「夢幻空花なる思索の螺旋階段」(文芸社刊)も宜しくお願いします。詳細は下記URLを参照ください。
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幽閉、若しくは彷徨 四十二



―― つまり、奇怪、且、異常極まりない《主体》の頭蓋内の闇、即ち五蘊場に明滅する表象群で次々に埋め尽くされた張りぼてに過ぎぬ外界たる《世界》を、ふっ、それは正に狂気の沙汰に違ひないが、そんな奇怪、且、異常な《世界》を恰も正常な《世界》であるかの如く看做す為には感覚を麻痺させる《楽》が必要で、さうして《楽》を追ひ求める内に、《吾》は見事に《吾》の在処を見失ふことが出来たといふ何たる皮肉! 

――……。

――なあ、お前は《吾》を裏切らない張りぼての《現実》を《現実》と認めるかね? 

――つまり、《吾》の頭蓋内の闇、即ち五蘊場に明滅する表象群で外界を埋め尽くすことで誕生した裏切らない《現実》を《吾》は漸く作り上げたとでも思へといふことかね? 

――いいや。《吾》の頭蓋内が外在化した張りぼてに過ぎぬ《世界》でも時が移ろふ以上、《世界》は《吾》を絶えず裏切り続けるさ。唯、《吾》を裏切らない《世界》といふ名の《現実》が実現可能な如く想定する《吾》の《存在》を認めるかと尋ねたまでさ。

――つまり、それは寝ても醒めても《吾》は夢の中にゐ続けるといふことかね? 

――さう。しかし、夢は夢でもそれが悪夢だとしたならば、お前はその悪夢の《現実》を《現実》と認めるかね? 

――ふっ、どの道それを《現実》と認めるしかないんだらう? 《主体》はそれが何であれ自律する《もの》であるならばだ、《世界》を如何にかして《主体》に都合のいい《世界》へと作り変へる《主体》の壮大な欲望を如何することも出来やしないぜ。

――つまり、《主体》はその誕生から既に《世界》を《主体》内部の、例へば頭蓋内の闇たる五蘊場に明滅する表象群で埋め尽くすべく《存在》させられてゐると? 

――さうさ。ちぇっ、創造の為にね――。

――創造? それは何の創造かね? 

――へっ、これまでに此の世に《存在》した事が無い《もの》の創造に決まってをらうが! 

――つまり、此の宇宙、それを例へば神と名付ければ、神は絶えず《主体》に創造を課してゐるのさ。

―― 絶えず頭蓋内の闇、即ち五蘊場に明滅することを已めない儚き表象群の如く、此の宇宙を神の五蘊場だと仮定すれば、その神の五蘊場にも絶えず《もの》の表象群が生滅し、これまで此の世に《存在》しなかった《もの》を創造するべく新たな《もの》が絶えず此の世に生成してゐるなら、ふっ、つまり、《主体》はそれが何であれ創造の為に神の五蘊場に《存在》させられ、その上、永劫に未完成な《もの》しか創れない神にとって、へっ、つまり、神は未完成品とはいへ新たな《もの》を次々と創り最後には完成品たる《もの》が創れる可能性が在ると信ずる以外に最早永劫に満たされぬのではないかね? 

――神が満たされる? ぶはっはっはっはっ。例へば時間一つをとってもそれは火を見るより明らかなのだが、神程貪婪な《存在》は無いんぢゃないかね? 

――その神の貪婪さ故に創られたのが此の宇宙の今の有様だと? 

――所詮、《存在》しちまった《主体》は、それが何であれ、神の五蘊場で思考実験されるべく此の世に《存在》させられた実験体の一つに過ぎぬのさ。

――そして、《主体》自体も絶えず何《もの》かへの変容を課されてゐる。それは何故かね? 

――へっ、それは多分、神のほんの些細な罪滅ぼしだらう。

――神の罪滅ぼし? 

――ああ。未完成品としてしか《存在》させることが出来なかった《主体》が、それでも尚、自ら《完成》するべく変容する余地を残して神が《主体》を《存在》させるに違ひない。

――それは、つまり、神が《主体》たる《もの》を《存在》させることに対しては常に後ろめたいと感じてゐる為かね? 

―― 或るひはさうかもしれぬが、《主体》は《主体》で神、つまり、此の宇宙若しくは《世界》から自立するべく、《主体》の五蘊場に明滅する表象群を外在化して《主体》の内外をその表象群で自閉し、完結させるといふ如何しようもない欲求を満たすべく、《世界》を作り変へ、そして《主体》もその《世界》に順応するべく変容する。

――へっ、さうしてこれまで此の世に《存在》した事がなかった《もの》を創造するってか――。ちぇっ、さうまでして此の宇宙若しくは《世界》若しくは神若しくは《主体》は、何か新しい《もの》を創造したいのか? 

――さうさ。それ故、最早時は移ろふことを已めない。

――何故に時は移ろふ? 

――此の宇宙若しくは《世界》若しくは神が死滅するまでに完成品を何としても誕生させたいが為さ。

――ちぇっ、時の前では全てが奴隷か――。

――さうさ。時の前では最早神さへも奴隷に過ぎない。

(四十二の篇終はり)

自著「夢幻空花なる思索の螺旋階段」(文芸社刊)も宜しくお願いします。詳細は下記URLを参照ください。
http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-05367-7.jsp












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