速めのペースで歩く空に、涼治が訪ねる。
「おい、空。櫻子さんに何かあったのか?」
「そうだったらこんなに落ち着いてはいない」
「なら、なんだってんだよ」
「頼まれた」
「何をだよ」
「シャトーのシュークリームをだ」
「あー、はいはい」
それで理解した。彼の姉は昔からそこのシュークリームがお気に入りだった。
食事制限はあるのだが、医師のほうでもそのあたりはある程度容認していた。
担当医師曰く「ある程度の楽しみはあったほうがいい」とのことだった。
「お、ありゃ空ちゃんじゃねえか?」
涼治が指差す。その少女と同じ名前の少年が「そうだな」と返すより早く、彼は彼女に駆け寄っていた。
「空ちゃんてこっち方面なんだ」
「うん。成川君もこっちだとは思わなかったよー」
「いやいや、こっちにちょっと用事があってね」
「もしかして、私についてきてこのまま家に上がりこもうとか?」
悪戯っぽくそういう。何となく冗談のセンスが櫻子みたいだ、と涼治も、追いついてきた「緒川空」も思っていた。
「そうだといいんだけどねー」
涼治が残念そうに冗談に返す。それに対して無愛想なほうの空は、冗談を気にも留めず、「油を売っている場合じゃないぞ」と涼治にいった。
「そんな急がなくても大丈夫だろーよー。このシスコン」
シスコン、という単語に活発な空が反応する。自分の兄も若干それ気味なのを思い出した。
「あれ?シスコンて、妹でもいるのー?」
「いや、姉だよ。姉」
「へー、お姉さん思いなんだー」
好意的に解釈する。このあたりは彼女の美点の一つであろう。友人を作りやすい解釈のしかたである。
「んで、何かこっちに用があるの?」
「シャトーでシュークリームを買ってきてくれといわれた。『見舞いに来る前だもの、そのくらいなんともないでしょ』といわれてな」
「それなら断っても・・・って、シャトーっていった?」
「ああ」
「そこのシュークリーム私も好きだよ!」
思わぬところにこういう人はいるものだ、無愛想な空はそう思わざるを得なかった。
「緒川君は好きなの?」
こういう質問には、涼治が答える。無論、無愛想な友人がしゃべらない情報つきで。
「いや、こいつね、甘い物嫌いなんだよ」
「ふーん。じゃ、嫌いなんだー」
「と・こ・ろ・が。シャトーのシュークリームに限っては食べるんだよ」
隣で無愛想な顔が余計なことを、と呟いたのも無視して話し続ける。
「なんで?」
「最初シュークリームも嫌いだったんだけど、姉の前で食べないわけにもいかない」
合点がいった様子で今度は活発な少女が続ける。
「それで食べ続けるうちに自分も好きになった、ってこと?」
「そうそう」
いつまでも話が終わらなさそうなのを見て、無愛想に男の空は涼治に「いくぞ」と急かした。
その様子を見て、活発な空が思いついたように彼らに聞く。
「私も緒川君のお姉さんとあっていいかな?」
提案者と同じ名前の少年は、簡単に許可した。
これには涼治も驚く。彼女も意外だったらしい。
「おいおい、やっぱり一目ぼれか?」
「姉さんと好みが同じらしいからな。話も合いそうだ。それなら姉さんもいくらか楽しい気分になるはずだ」
結局そういうことらしい。彼が一目ぼれするなどありえない。涼治もそれはよく知っている。
見た目はほとんど考慮しないのだ。まして、今まで何かに惚れたそぶりすら見せたことがない。
さらに続ける。
「だから一目ぼれとはどういう意味の言葉だ」
「あー、もう。そういうことでもいっか」
ともかくいつもの人数より一人増えた状態で、シャトーへと向かう。
「ねえねえ、成川君。緒川君て優しい?」
「なぜ俺に聞かない」
そういうことは本人に聞け、とばかりに割ってはいる。
「ねえ、緒川君。自分で『俺は優しい』て言っている人信用できる?」
そう聞かれると、腕組みをして少し考え、「できんな」と口にした。
「でしょ?ってことで成川君、どうでしょう?」
「ああ、結局俺のことは聞かんのね、とそれは置いておいて、んー、優しいといえば、優しいのかねえ」
どことなく曖昧な返事だった。
「でも、見た感じとっても仲よさそうだから、一番よく知っていると思ったんだけど」
「いつもは冷たいんだよ。無愛想なツラで『自分でやれ』とかな。それでも、本当に助けがほしいときはいつも言わなくても助けに来てくれるんだなあ」
つまりは、信頼できる友人なのである。普段はそっけなくても、イザという時頼りになる。
ある意味、部外者からは最も誤解されやすい。
「それでも、重いもの持ってる人には『俺が手伝おう』とかいうし」
つまり、彼のやさしさを理解できるのは、なにかしらで彼と接触した人だけだった。
もう一つは、その人が誰かに話すことだが、これは中々信じられづらいものだったのだ。
「じゃあ、もっと明るくすればいいのに」
「そんな器用だったら苦労しねえよ」
ま、それだから俺も一緒に居てやりたくなるんだがな、と付け加えた。
その間、話題の中心人物は一言も発していなかったが、ここにきて唐突に口を開いた。
「店の前まで来たんだが、通り過ぎるつもりなのか?」
二人は彼の後を追って慌てて店に入った。
そこでシュークリームを買う。顔なじみの店員からは、「あら、貴方達常連だけど私たちの知らないところで付き合い始めたの?」といわれた。
店を出て、病院に向かう。先に新しいメンバーの上谷空には事情を説明しておいた。
受付からも、「あら、空君、まさか初めての彼女作っちゃったの?高校に入ってすぐじゃない、この色男」などといわれ、なぜこういうことばかり言わ
れるのだろう、と二人の空は頭を抱えた。
「姉さん、買ってきたぞ」
個室にはいるなり、患者の弟はそういった。手にはしっかりとシャトーのシュークリームの入った箱がある。
「ご苦労様、とあら?」
いつもより一人多い客を見て興味を持つ。そしてある種の確信をもってこう聞いた。
「貴女が上谷空ちゃん?」
自分のことは紹介してあったのか、と理解した空は自分の名前が出たことにも驚かずに、快活に「はい」と返した。
「ふぅーん。可愛い子ねー。これはやっぱり空が一目ぼれしたのかしら?なにしろこんなところにつれてくるなんて」
なんでこういう話にしたがるんだろう、とその弟は疑問符を浮かべていた。
「それより、食べるんだろう?これ」
シュークリームを差し出す。「そうよそうよ、ありがとう」と言って笑顔になる無愛想な同級生の姉を見て、「私もシャトーのシュークリーム好きなんです」と、少年と同じ名前の少女が言った。
シュークリームをほお張りながら、楽しそうに櫻子は笑う。
「いやしかし、同じ名前でも性格は逆ね。こんなに明るい子なんて。オマケに容姿も魅力的」
「余計なお世話だ」
「それより、緒川君のお姉さんて聞いたから、もっと難しい顔をしているのかと思いました」
「あら、私の家族は皆陽気なのよ?この子だけよー、こんな陰気くさいのは」
「そうそう」
涼治も相槌を打つ。
「ご両親もそうなんですか?」
「そうそう。苦しい状況でもめげない、ポジティブな両親。尊敬してる」
「いいご両親なんですね」
「ま、苦しくてもめげないのは弟も同じだけどね」
その口調に何かしらの過去が合ったことを察したが、彼女はあえて深く聞かなかった。
まだ知り合って時間もたっていないのにそこまで介入すべきではないと知っていた。
「んで、空ちゃん空ちゃん。イチゴ味が好きなの?」
彼女が捨てたシュークリームの袋を見ながら聞く。笑顔で「はい」とかえってきた。
「私もイチゴ味は好きだけど、今回は買ってきてくれなかったみたい」
弟を軽く責めるような口調でいう。上谷空は今しがた最後のイチゴシューを食べ終えたところだった。
「食べたかったんですか?」
「これ以上食べると太るわね」
それからはほとんど女同士の会話で、男二人はその様子を眺めているだけだった。
あそこの店のケーキがおいしいだの、あのアイドルの歌が下手すぎてきけないだの、あの俳優がかっこいいだの。
それはそれはとても長い会話で、気が付いたら男は二人とも寝ていた。
後は日が落ちたのを見て会話を終りにした二人が彼らを起こす。そして個室の主が二人に言う。
「もう夜も遅いから、変なのに絡まれないように空ちゃんを家まで送ってあげなさい」
それもそうだ、と二人は了承した。
最終更新:2009年10月26日 22:14