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第2章 不思議な夢」の最新版変更点

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 夢の中で父は「あけみちゃんおきなさぁーい」と起こしにくる。
 ある時こんな夢を見た。電車に乗って旅に行こうと父が言うのだ。
 私は父の後について行った。
 駅の改札を父が抜けると後について行こうとする私のところで改札が閉まって、どうしてもホームにいけないのだ。
 「電車が来たから先に行くね」と言って父は電車に乗って行ってしまった。
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 ある時はガラスの向こうで「あけみちゃんこっちへおいで」と父が手招きした。
 私はドアを探すがどこにもない。母が一緒に探してくれるがみつからない。
 私が「お父さんそっちへ行けないよ」と言うと父はにっこり笑って消えてしまった。
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 父がそばにいて欲しくて私を呼んでいる・・・そう思った。父のそばに行きたい・・・
 毎日父を想って泣いた。
 幼い頃、父は私のことを≪黒い宝物≫と呼んだ。
 夏休みに真っ黒に日焼けした私をそうよんだのだ。
 この上ない愛情表現だった。もちろん幼い私には意味が解かるはずもない。
 「なぁにそれー」と言ってケラケラ笑ったのを覚えている。
 ひとつひとつ父の言葉や仕草が浮かんでくる。
 どれだけ涙を流したら、悲しみが消えるんだろう・・・涙が止まらない。
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 あまりにも若くしてこの世から去ってしまった父と30代という若さで未亡人になってしまった母への同情で近所の定年後の方々が父の会社の仕事を引き受けてくれて父の会社はそのまま継続された。
 生前から近所の人たちは父を慕っていた。
 父は時々マイクロバスを借りて近所の人たちを乗せて小旅行などに連れていったり、定年後の職を失った近所のおじさんたちを雇ったり、又学校のPTAの会長をするなどして、周りから信望が厚かった。そのお陰で残された私たち家族はいつまでも父に見守られているようだった。
 「人にはいつもやさしく」を父は身をもって教えてくれたのだと思う。
 私は大学受験を断念し、市内の商社に就職した。そこでも父の存在は大きかった。
 父の娘である私はどこへ行っても歓迎されるのだ。
-いつまでも父の守られていた。
+いつまでも父に守られていた。
 それから父にお世話になったという人にたくさん会った。
 亡くなって初めて父を尊敬した。
 父は心優しい人だったと実感した。
 私も一生を終えたとき周りの人々から父のように良い人だったと言われる人生を送りたい。そう思った。
 お父さんありがとう・・・
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 ある日私は父の夢をしばらく見ていないのに気付いた。
 父の死から1年後だった。
 私は恋をしていた。
 高校の時のひとつ先輩で、東京の大学に行っている彼が春休みで帰郷しているときに出会った。私は毎日彼からの手紙を楽しみにするようになった。
 父が私に傍にいて欲しいと思っているということは、私自身の悲しみだったのではないか・・・いつまでも父の傍にいたいという思いが、私自身の心の中で勝手に夢を作ってしまったんだ・・・
 そう思ったとたんに私は明るい自分の将来を見つめることが出来るようになった。
 
       世の中の色は全て心のメガネの色によって変わる。
       自分の心の変化で周りも変わる。
 
 一年前に流したとても辛くて悲しい涙は大切な宝石と変わっていた。
 
 
 
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