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評論家気取り

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評価する(される)のは自由だが、絶対ではない。


絵を描く人というのは、一見すると社交的のようであっても、内向的な一面を持っていることが少なくない。

プラスの評価に対する喜びより、マイナスに対する落ち込みのほうが大きいことさえある。

そのため、あらかじめ自分に不利な状況を作り出してみたり、
自分の弱点を「開示」したり、「こうだから無理、大変、苦手だから…」と告白したりするなど、
とにかく自分には「何らかの不利な条件がある」ことを他者に主張する場合がある。

こうすることによって、マイナスの評価がされた場合には、
あらかじめ主張しておいた「不利な条件のせい」にすることができ、
ショックを軽減することができるのである。

もしプラスの評価がされた場合には、「不利な条件」があったにもかかわらず、
それを打開して成功したとすれば、自分自身の評価を高めることができるのだ。

これが心理学でいうところの「セルフ・ハンディキャッピング」である。


たとえば、自分で自分の絵が上手いとか、画力に自身があると主張する人はいないだろう。

少なくとも私の知る限り、自分で絵を描く人でそのようなタイプは見たことも聞いたこともない。

あらゆる人が、「まだまだです」「もっと上達したいですね」「へたくそですよ」と、
自分に対する評価を決して好ましいとはいえないものにしているのである。

これは絵を描く人たちにとっては、共通しているものといえるかもしれない。


絵描きを踏みにじる「評論家」


どんな世界でも、どんな分野でも、評論家と呼ばれる人が存在している。

合理的な評価をする人もいるが、そうでない人もおり、後者のほうが目立っていることが多い。


「描くことよりも、見ることのほうが難しい」

ということを今までも説明した。

評論家に問題のある人が多いのや、そうすることが利益をもたらさない場合が多いのは、
まさに「見ることのほうが難しいから」なのだ。

それとわかっているのなら、評価の仕方を変えたり、調整を加えたりできるのでは、と思われるだろうが、
わかっていない人にとっては不可能なことなのである。


評論家を気取ることで、「自分の見る目に間違いはない」とか
「この絵描きは将来、自分の目に好ましい絵を描けるようになる」
と考え、相手の気持ちを踏みにじってでも自分を高めようとしているのだ。

もちろん、本人にはそんなことはわからないし、理解する余地もない。



だから、他者の評価を真に受ける必要はないのである。




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