「「既出」はいけないのか」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

「既出」はいけないのか」(2009/08/27 (木) 02:26:18) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

**まったく問題はない。 **もし「既出」を完全にタブー視するのならば、人間は生きていけなくなる。 人間というのは「有限」の存在である。 「無」から何かを作り出すことは誰にもできないため、 人間の業は、すべて既存の事象の応用なのである。 ***100%、完全な「オリジナル」など存在しない ということは以前にも説明した。 人の姿を絵に描くのなら、それは 「すでに形を成した状態の人間」の「複製」や「模写」をしているにすぎないからだ。 また、ある人がある事象について「知っている」としても、 別の人は「知らない」場合がある。 自分が「知っている」立場の人間だからといって、 誰かが同じことを話しているところに向かって 「それは既出」 と言うのは、愚かな行為である。 その人自身が状況をまったく「知らない」でいるではないか。 絵についても同じことがいえるのだ。 どんなに自分で「オリジナルな絵」を主張しても、 見る人が見れば、「何かに似ている」部分がたくさんある。 ところが「似ていてはいけない」というルールや規則などは一切ない。 そんなものに縛られていては、何も描くことができなくなる。 楽しさ、やりがい、面白み、 他者との交流、 まったく話にならないものになってしまう。 「既出」ということは、それだけその概念が何度も何度も、 繰り返し繰り返し現れているのであるから、 タブー視するなど論外であり、素直に受け入れるようにすべきである。 どんなに想像力豊かな人間でも、「常に新規なことを行う」のは不可能である。 むしろ、彼らの発想のほとんどは、「既出の事象の応用」だということを 理解するようにしたい。 もし、そこに感動や喜びをまったく見出せないのであれば、 その人は本当の意味で「不相応」であり、絵を描くことに向いていないといえる。 ----

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示:
目安箱バナー