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【Kの人 2014.04/11】



 ――禁書。
 一般に宗教的、文化的、社会的な意味合いで公にされることを忌避すべき内容の書物を指す。
 以前は各界毎に指定されていたが、五界統合騒乱の後には統一化という思想の元、各界から司書達が集まり、厳粛な協議の結果、新約禁書目録という鈍器が生み出された。
 鈍器というだけあって、非常に分厚い。もう少し絞れなかったのかと思うが、反りの合わない天界人と魔界人と同席している時点でお察しだ。
 厳粛な協議と言いつつも、その実体は司書による代理戦争だったとされている。弾丸状に具現化された言霊《ことだま》や、刃物状に具現化された言葉《ことのは》による物理的な論破合戦が繰り広げられ、三日三晩の協議という名の死闘が繰り広げられたのだ。
 結果、飽きっぽい霊界人司書は一日目の夕方に脱走。人間界人司書と機界人の手によって原型が編纂され、それに物理的論破合戦で友情が芽生えた司書達が禁書指定すべきだとした大量の書物を加えたものが、新約禁書目録である。
 実に混沌とした誕生経緯だが、誰もそれを口にして場の雰囲気を和らげようとはしない。
 それほどまでに、禁書が失われたというのは重大な事態であったからだ。
「……大方、ロクでもねぇ奴だろうな」
 各自に配られた、盗まれた禁書が書かれた用紙を眺めながら、ダミアンはぼそりと呟いた。
 盗まれた禁書は三点。機界の書物である『異界連結理論』、魔界の書物である『生命変換法』、同じく魔界の書物である『黒キ聖女ノ物語』の三冊だ。
 一番最後はどうでもいい。用紙に各禁書の概要が書かれているが、唯の官能小説だ。ただし禁書指定されている時点で内容は極めて危険である事は言うまでもない。
 問題は前者二冊であり、個々であれば唯の理論書と方法を綴っただけであるが、組み合わせて使えば、五界統合騒乱並みの死傷者が出る可能性がある。
「生命変換法で捻出した魔力で、異界を連結する……と言ったところかな」
「大方、その通りだと思います。しかし――これほどの危険ならば、私共の様な末端ではなく、風紀委員会として事にあたる方が適切かと申し上げます。ミス・アシュリー」
 それぞれルカ、クロガネと続けて放たれた台詞に関しては、ある一点を除いて肯定出来る。
 生命変換法。倫理なんてクソ食らえという魔界人達でさえ忌避する禁断の呪法の綴られた禁書。文字通り、生命を魔力へと変換する古代の呪法であり、現代的には呪詛魔法へ区分される。
 異界連結理論。移動距離短縮の為にと機界人達が生み出し、事故により多数の死者《スクラップ》を出した為封じられた禁書。膨大なエネルギーを消費して異なる空間を連結する為の理屈が綴られており、魔法構築の為に使えるだろう。なお、生み出された経緯は超長距離を一瞬で行き来する為の装置を作る為だったらしいが、此処は事件には関係ない。
 二つを合わせて使用すれば、ルカの言う通りに世界を連結することは可能だろう。
 その際に膨大な量の命が失われる。書物には綺麗な繋げ方が書かれているらしいが、もしも歪に繋げようものなら、統合騒乱の再発となろう。
 極めて重大な事態であり、それこそ、場所が場所でなければ各界の特務機関の様な専門家が事にあたるべきだろうが、各界が政治的な理由で介入出来ない五界統合学院においてはそれが出来ない。
 ……だからこそ、禁書が此処へ集められているという理由もあるが、今回はそれを完全に逆手に取られた形である。
 故に風紀委員会――学院内においての特務機関が事にあたるべきだと、クロガネは言ったのだ。
「……いや、寧ろ末端だからこそ召集したんだろ。なぁ、アシュリー?」
 そんなクロガネの意見を否定する言葉を発すると、アシュリーがくつくつと、これぞ悪魔と呼べるような不気味な笑いを浮かべる。
 馬鹿にするような、とも取れる笑いに対して、一瞥する限りはルカ以外がむっとした表情浮かべている。ルカが表情を変えていないということは、その笑いは肯定だ。
「いやぁ、やっぱり死にたがりを呼んでて正解だね。流石安心と信頼の死にたがりだ」
 こほんと咳払いをしたアシュリーは笑いの表情から一転、無表情を浮かべて言い放った。
「――私はね、風紀委員の上層部辺りが犯人じゃないかと疑ってるんだ」

 ◇

 状況確認の話し合いが終わった為、解散となった。ダミアンとアシュリーは引き続き図書本館に残り、ルカとクロガネは、アシュリーの投下した爆弾発言に苦虫を噛み潰した表情のまま、共に図書本館を後にした。
 クロガネとは先程別れ、ルカと二人きりで歩き始めて数分が経った時であった。
「……なぁ、兄ちゃん」
 不機嫌そうに眉間に皺を寄せたままのルカが何かを言いたげに呼んでくるが、返事はしない。
 返事の代わりに、ルカが聞きたがっている事を先に答えてやる。
「乱層区画の証明は出来るだろうな」
 直後、世界が横へ流れる。ルカに投げ飛ばされた……もとい、ルカに捕まれたまま、近辺の樹木の幹に叩き付けられたのだと察したのは、犬歯を剥き出しに睨み上げてくるルカの表情を眺めると同時であった。
 狼の低い唸り声を浴びつつ、一先ず脳内で思考を整理する。
 ――そもそも、概要に記されている事を鵜呑みにするのであれば、生命変換法を使用出来る者が限られているのだ。
 最低でも実技上位、余裕を持って行うならエクリエル程度の魔力は要する。
 生命変換法が使えれば、後は適当に人を集めてくればそれで良い。集めた人達を片っ端から魔力へ変換し、それで異界連結理論に基づいた魔法を発動させれば、異界を繋げることが出来る。
 綺麗に繋げれば異界との門となり、歪に繋げれば五界統合時の様な他界を侵食するような連結も出来る。推測だが、繋げ方次第では、乱層区画の様な混沌領域を作り上げる事も可能だろう。
 そうして乱層区画の再現が出来れば、それが証明となる。乱層区画の発生原因は様々な世界が折り重なる様に連結した結果だということになるからだ。
 そうなれば直そうと思えば一旦異界連結理論の逆を行って分割した後に、綺麗に繋げなおせば、恐らく普通の空間に戻るだろう。
 乱層区画は世界の各所に存在しており、其処が正常な領域になれば、面積不足も大分解決される。他にも其処の資源が使えるようになったりと、良い事尽くしだ。
「……委員長を、疑っているのか?」
 胸倉を掴み上げるルカの細腕に一層の力が籠められる。
 人狼の系譜であるルカにとって、人間の身体は脆弱極まりない。彼が全力を籠めれば、忽ち死んでしまうだろう。
 きっとエクリエルが犯人だという可能性を口にすれば、激昂した彼の手で酷い目に遭うだろう。流石に死にはしないだろうが、病院送りは確実である。
 確かに、現状エクリエルには乱層区画の証明に使用できるという十分過ぎる動機があり、盗んだ禁書から得た魔法を使用出来るだけの能力もあるし、理論から魔法を構築する知識もある。
 更にルカどころか大半の者は知らないだろうが、乱層区画の証明以外にも、彼女には動機が存在するのだ。
 しかし彼女が犯人ではないだろう。彼女が犯人であるならば、態々官能小説を盗む理由が無い。
 ――官能小説を盗んだ犯人が別にいるのなら、その限りではないのだが。
「答えろ、兄ちゃん。黙ってると……認めてるって」
「騒がしいと思ってきてみれば、聡治とルカか」
 ルカの怒声が響く前に、凛とした声が響く。
 ルカ共々、恐る恐る其方を見やれば、其処には現状に置ける騒動の原因を作った張本人が立っていた。
 普段の傲岸不遜な立ち姿も、今は虚勢にしか見えない。各所に包帯を巻かれた姿は痛々しく、元々線の細い身体つきである為、酷く病弱な姿に見える。
「……本人不在で議論を進めるのは気に食わないな。どちらか、詳細を語れ」
 其処に立っていたのは、生きる天動説とも呼べる気質を携えた、エクリエル本人であった。
 怪我人に立ち話を強要するのは良くないとルカ共々考え、エクリエルを最寄のベンチに腰掛けさせたのだ。普段ならば不要だと切り捨てられるが、流石に昨日の今日でまだ辛いのだろう、呼びかけには素直に従ってくれた。
 珍しい、普段からこれくらい素直なら可愛いのにと思っていると、何処からか取り出した札《カード》に書かれていた書記魔法が発動。咄嗟に懐から解呪用の札を取り出して打ち消したが、心臓に悪いことこの上ない。
 書記魔法の困った点は、媒介や周囲から魔力を出力する為、魔力が事実上封じられているエクリエルでも使える事である。
 本来ならば長所としてあげられるそれを脳裏に過ぎらせつつ、溜息交じりに、図書本館で配られた用紙をエクリエルに差し出す。ちなみにこの用紙、所有者が許可しない限りは文字が見えないようになる呪詛魔法が掛けられている為、所謂機密保持の為に用紙を持ち出すな、という事にはならなかった。
 ただ禁書の名前と概要が記されただけの用紙である為、補足を入れようとした時であった。
「――なる程、私が疑われるのも無理は無い」
「委員長は、どう思う?」
 用紙から全てを察したらしいエクリエルがぼそりと呟いたのは聞き逃しはしない。
 返された用紙を鞄に仕舞いつつ、エクリエルの見解を聞こうとするルカの姿を見る。先程彼女に醜態を晒したせいか、狼ではなく可愛らしい子犬の様な雰囲気を帯びていた。
 視線をエクリエルに戻す。彼女は考え込むように目を細めており、その姿からは弱々しさが何処にも存在しなかった。
「分からん。ただ、一概に生命変換法を扱える者が犯人だとするのは愚か極まりない」
 しかしその者が関与しているのは間違いないと、彼女なりの意見を語ってくれた。
 エクリエルとしては、生命変換法を使える人間が直接盗んだのではなく、誰かに指示をして盗ませたのだろうとしていた。
 曰く生命変換法を使える者は、広大な学院内においても稀有な存在と言える。そのような者が直接行動したら、容疑者が確実に絞られる。
 一方で扱えない者に盗ませたという事になれば容疑者は図書本館に入れる人物と言う事になり、容疑者の量が膨大な量になる為、調査が困難になる。
「……その、委員長は犯人じゃないのか?」
 恐る恐るといった様子で切り出したのは、ルカであった。
 彼が先程あれだけ怒ったのは、決して彼がエクリエルが犯人ではないと信じていたからではない。むしろ疑ってしまい、それを否定して欲しかった所を、むしろ肯定とも取れる発言をされたので怒ったのだろう。
 ルカの発言を鼻で笑いながら、エクリエルは彼女らしからぬ柔和な微笑みを浮かべた。
「私を疑うのは当然だ。むしろこの状況で私を疑わないなら、ルカ、私はお前を軽蔑する」
 成長したなと言わんばかりにルカの頭を撫でたエクリエルは、肯定も否定もしなかった。
 何故、とは思わない。証拠がない以上否定はルカを安心させるだけの意味しか持たず、肯定はそれこそ冗談でしかないからだ。
 ゆっくりとベンチから腰を持ち上げ、エクリエルは踵を返す。
「暫く乱層区画は放置だな。久しぶりに風紀委員長として振舞うのも悪くはない。ルカ、病室まで付き添え」
「……! は、はい!」
 慌てた素振りでエクリエルの元へと駆け寄ったルカは、まるで忠犬の様でもある。
 そんな考えを察したのか、ルカが振り返る。ぶん殴られるのを覚悟していたが、どうやら予想は外れたらしい。
「兄ちゃん、さっきはごめんなさい」
「ああ、構わんよ」
 ぺこりと頭を下げたルカに対して、元より感じてなかった憤りが発露する道理は、何処にも存在しなかった。

 ◇

 一人になった帰り道で、現状までの情報を脳内に廻らせる。
 まず盗まれた禁書は三冊。内一冊は内容が破滅的なだけの官能小説であり、残り二冊がある意味適切に組み合わさると、膨大な命が失われる惨劇が起こり得る。
 続いてアシュリーの発言。彼女が風紀委員の上層部が怪しいと言ったのは、学院の特務機関として荒事にも対応する事が多い風紀委員には優秀な人材が揃っており、特に上層部においては生命変換法を扱える程度の魔力を有する者が多いからだ。更に言えば、其処の長であるエクリエルが学院からの指示で乱層区画を研究しているからである。多くには秘匿されているが、アシュリーも関係者と言える為、彼女はそれを知っているのだ。
 二冊を組み合わせれば、乱層区画の証明どころか正常な領域に戻すことも不可能ではない。エクリエルに会うまでは推測であったが、彼女の反応からすれば間違いないだろう。
 そしてエクリエルの発言。生命変換法を扱える者が確実に関与しているが、窃盗の実行犯は別かもしれないという意見だ。
 それらを多方面から精査し、導き出される結論は一つしか存在しない。
「分かるか、アホくせー」
 頭髪を乱雑に掻きながら、溜息を吐き出す。犯人に結び付く証拠がない以上、誰が犯人かは不明なのだ。
 そもそも今日は事実上の顔合わせと問題の共有化に過ぎず、現段階で犯人が分かるというのなら、探偵として食い扶持には困らないに違いない。
 明日から本気を出そうともう一度溜息を吐き出そうとする寸前、視線を感じてふと振り返る。
 背後には人影が存在しない。先程まで歩いていた景色のままであった。
 気のせいだろうと結論づけ、再び前を向いて歩き出そうとして――視界が真赤に染まる。
 何だ、とも思わない。突拍子のない出来事に思考だけが真白に染まり、そして経験したことはあるが、経験した記憶のないという矛盾した違和感に戸惑う最中。
『――やぁ、久しぶりだねお兄さん。誰だと思う? ボクね、赤龍《アドライグ》。今日は出力控えめ、音声のみでの登場です!』
 脳内に直接語り掛けて来るような少年の声は、秘められていた記憶を呼び覚ますには十分過ぎた。
 歓迎されるべき存在を欠いた歓迎会。剛機ホオノキ・ダン十二式と行く事になった買出しの最中での邂逅。
 想起に伴い喉から出かけた悲鳴をぐっと嚥下し、脳内に響いた龍の声への返事をする。
『……何の、用だ』
『んー、ボクね今とぉーっても焦ってるんだ。うん? 焦ってるというより怒ってるのかな? まぁどちらでも良いや』
 決して焦ってるとも、怒ってるとも取れない声色の龍の台詞を聞きながら、思い出す。
 確か赤龍は、窮地に瀕した時に一度だけ助け舟を出してくれるという話であった。
 その言葉を鵜呑みにする訳ではない。しかし、赤龍が干渉してくるという事はそれなりの事態なのかもしれない。
『何言ってるのかは知らんが、俺はまだピンチでも何でもないぞ』
『ううん、ピンチだよ? もう補習だと言われてプレス機送りにされる探偵さんと同じ位ピンチだよ? もう絶体絶命というか何というかね、ボクが干渉しないと、お兄さん確実に死んじゃうくらいピンチだよ? ボクが焦ったり、怒ったりしてるのもそれが原因な訳だしね』
『単刀直入に言え、馬鹿ドラゴン』
『あ、酷ーい! 折角ボクが助けてあげようと思ったのに! 怒ったから介入三割減だよ、厳罰だよ!』
 三割減という事は七割は介入してくる心算らしい。
 その事を指摘してやろうと返事を紡ごうとして、不意に赤龍が真面目な声色になって告げた。
『……さて、此処からは本当に真面目な話。今日中に、ボクが言ったことをして欲しいんだ。……信じるも信じないもお兄さん次第。ただ、やらないと沢山死ぬ。キミも、キミのお友達も、みーんな死んじゃう』
 赤龍がして欲しいと告げたのは、二つであった。
 一つ目はエクリエル、クロガネ、ルカの誰かに会って真川《さながわ》敦《あつし》という人物についての詳細を聞いてくる事。
 二つ目は誰にも見つからない広い場所で、此れから渡す札に書かれた書記魔法を発動する事。此方に関しては、絶対に人に見つかってはいけないらしい。
 順番に関して指定があり、まずは真川敦についての詳細を聞いた後で、書記魔法を発動させに行かないといけないらしい。
 曰くフラグを立たせないとイベントが進まないんだとの事だが、何を言っているのか全くもって不明である。
『それじゃ、頼んだよ。……ああ、今回は記憶は消さないからね。忘れられると困るから』
 徐々に遠のいていく声と共に、視界から赤が消えていく。
 数度瞬きする頃にはすっかり元の景色へと戻り、気づけば一枚の札を手にしていた。
 鮮血で染めたかのような鮮烈な紅色の札には、見たことのない言語で金色の一文が書かれている。
 しかし不思議な事に読めなくはない。何故かは不明だが、此れが赤龍の言っていた介入なのだろう。
 ――拝啓、まだ見ぬ六番目のボクへ。見る前にボクはキミを殺します。だって嫌いなんだもん。赤龍より。
 見るからに物騒な内容の書かれた札を懐に仕舞う。
 ……赤龍の言葉を鵜呑みにする訳ではない。しかし、このタイミングで干渉してくるという事は禁書関連なのだろう。
 そして以前に会った時、赤龍は自分と同じ存在が奴を含めて五人いると宣言し、それぞれが同一存在であるように言っていた。
 五という数字は統合した世界の数と同じであり、全くの無関係ではないだろう。
 それらを考慮した上で、まだ見ぬ六人目のボクへという言い回しを見る限り、一つの仮説が成り立つ。
 赤龍とその同一存在は各世界に一人ずつ存在しており、五界が統合した結果同一世界に五人も出現出来る様になった。それが、六人に増えようとしているという事は、また新たな世界が統合される事を暗に示唆している。
 あくまで仮説であるが、地味に数字が合っているので一概にも妄想だとは切り捨てられない。
「……真川、敦か」
 記憶が間違ってなければ、確か風紀委員の書記か副委員長かどちらかがその様な名前だった様な気がする。
 だから風紀委員の知り合いに会いに行けという事なのだろう。
 そこまで考えて踵を返す。まずは、確実にルカやエクリエルがいるであろう病室へ向かうのだった。



【クロ 2014.05/18】



「真川敦……か」

一体何者なのであろう。
赤龍にとって興味深い人間ということか、はたまた邪魔な存在であるのか。
そもそも赤龍の狙いとは何か。具体的な話をせずに不安を煽るやり方の意図は。試しているのか。騙しているのか。
赤龍の目的がわからぬ今、迂闊に動くのは避けたほうがいいのかもしれない。
しかし、禁書についての手がかりがない以上、“真川敦”から探っていくのも手ではある。
もっとも、赤龍の件と禁書の件が無関係という可能性も考えられるのだが。

と、そんなことを考えているうちに病室に到着した。扉が開いている。
その隙間から伸びる人影を見て、嫌な予感がした。
慌てて病室に入ると目に飛び込んできたのは赤く染まったベッド。床には今も血が滴っている。むせ返るようなその臭いに卒倒しそうになる。
たまらず後ずさりした直後、人影の主を視界の端に捉えた。その男はしゃがみこみ、床の血溜まりを覗き込んでいる。

「こ、これは……っ!お前はっ!?」

男は此方のほうを向き、ゆっくりと立ち上がった。立ってみると男は背が高く、深い色の瞳をしていた。

「僕じゃあない。誤解されやすいタイプの人間だから先に名乗っておくけど、僕の名は真川敦。探偵さ」

驚きを隠せない此方を置いたまま、“真川敦”と名乗る男は話を続ける。
そんな、まさか、何がどうなっている。

「僕がこの病室に来たのは2分前ほど。現場は見たとおりの有様、当然このおびただしい量の血液を流した張本人を探したが、部屋には誰もいなかった」
「そんな!じゃあエクリエルは!?ルカはどうしたってんだ!!?」
「知り合いなのかい?だったら誰よりも早く冷静になるべきだね。血はほとんど乾いていない。死に至るほどの出血量だが、まだ間に合うかもしれない」

これは何だ?赤龍の言っていた通りになってしまうのか?禁書の件と関係があるのか?
だがそんなことはどうでもいい。エクリエルとルカを助けなければ。病室を飛び出そうとしたそのとき、出会い頭に誰かとぶつかった。
頭部を押さえて苦悶の表情を浮かべるその男はダミアン。ルシフェリオ=ダミアン=グラストフだった。

「ちっ、ソウジか。そして、どうやら間に合わなかったようだな」
「ダミアン!エクリエルが!ルカが!」

ダミアンは此方の横を通り抜け、血溜まりの血を指で取った。

「まだ遠くまでは行ってないはず!急ごう!」
「待ちなって。これだけの出血がありながら廊下には血痕すらない。単純な移動ではなく、何かトリックがあると見たね僕は。例えばワープのような……」

「違うな」

混迷極まる状況にダミアンの声が何より重くそして静かに響いた。その一言にすがりつく。

「ダミアン……何かわかったのか?」

振り返りダミアンを見やると血を掬い舐める彼がいた。身の毛がよだつ。

「これは血ではない。色、粘度、臭いを血に模した液体だ。それらは見事な域だが……味はまるで異なる。詰めが甘かったな」
「血ではないって?ふーむ、舐めてみるなんてことは思いつきもしなかったな。思いついても僕はごめんだけど」
「血反吐啜って生きてきたんでな……」

ダミアンは血塗れの手を拭いながら不敵に笑った。

「血の臭いなら追える。例え血を模した液体であっても、ここまでの完成度なら血と同様に俺の嗅覚が逃さない」
「ありがとう……ダミアン。お前が来てくれて本当に助かった」
「勘違いするな。お前のためじゃない。禁書のためだ。行くぞ、ついて来い」

走り出すダミアンを追い、廊下に躍り出る。“真川敦”と名乗った男は、ついて来なかった。
ダミアンが語る。

「俺はあの後図書本館に残りアシュリーを尋問した。
奴が最も疑わしいと感じたからだ。奴なら容易に禁書を持ち出せるのではないか?とな。
しかし話を訊くうちにある可能性が脳裏を過ぎった。
もし、禁書を盗んだ奴が、風紀委員上層部が疑われていることに感付いたとしたら、
罪を着せて始末しようとすることも十分に考えられるのではないか?
偶然にも今、風紀委員長エクリエルは重傷を負っている。消すにはうってつけだ」

「ダミアン……お前……」

「そして、エクリエルが始末されるとしたら、もしかしたらそいつは内部犯かもしれない。
外部犯なら濡れ衣を着せるリスクを負うよりもさっさと遠くに逃げるほうが理にかなっているからな。
ソウジ、気をつけろ。犯人は何食わぬ顔でここで生活するつもりかもしれん。下手に抜けると疑われるからだ。
急ぐぞ。犯人の判断は恐ろしく早い。」

不気味な男だと思っていたが、ダミアン、なんと頼もしい男だろう。
正直、以前魔術書に興味を示していたこともあって、少し疑っていたが、なんとも申し訳ないことを考えてしまったものだ。
必ずやエクリエルとルカを助けよう。この頼もしい男に報いるためにも。

「ところでソウジ。さっきの男は誰だ?」
「わからない。探偵の真川敦と名乗っていた」

ふと赤龍のことを思い出し、懐の札に手を当てる。
何を信じるべきか、何を疑うべきか。わからない。

「探偵か。なるほど胡散臭い奴だ。ドブ色の目をしていた」
「ちょっと待ってくれ。もしかしてあいつ、最も疑うべき人物なんじゃないか?」

引き返そうとする此方をダミアンは腕を掴んで制止した。

「問題ない。奴は既に、マークされている」



【タタリ 2014.06/05】



 真川敦との邂逅を経て現在、俺はダミアンと共に踵を返し、五界統合学院へ逆走していた。ダミアンによって、肉体の強度などを再設定させる操作魔法を施された今、俺達は百mを十秒足らずで走る事ができている。しかもこれが全く疲れないし、高速移動でバランスを崩しそうになっても体が自然に体勢を整えてくれるバランサー付きときたもんだ。
 これだけ高度な操作を重複させて発動し、しかも俺にまで同じ魔法を持続してかけている。操作魔法だけでは説明がつかない。これほど高難度な魔法を扱えるのはエクリエルくらいだと思っていたが、こいつ、こと魔法の実戦使用にかけてはエクリエルすら上回るのかも知れない。
「真川はどうしてるんだ?」
「さてな。既にアシュリーが動向を探ってる。奴からは造血の匂いはしなかったが、何らかの形で事件に関わっている事は間違いないからな」
 でなければ、先の先まで何事もなく話し合っていたエクリエルやルカを短時間で無力化して連れ去るなどという現実味に欠ける事件を、早急に発見できる筈もない。直接的にしろ間接的にしろ、真川は今回の一連の事件に関してはグレーだ。
 それとは別に、赤龍(アドライグ)の一件もある。真川の目的が何なのかを類推するには情報が少なすぎるが、少なからずあの超存在が気にかける程度に優先度は高いのだろう。
「クロガネはどうしてる?」
「さあな。あの会合のあと、別れてからは知らねぇ。俺はアシュリーと一緒にいたし、お前はエクリエルやルカとだったろ?」
 赤龍(アドライグ)の言っていた、真川敦の情報を聞く人物の一人に指定されたのがクロガネだった。真川が風紀委員だと言うのなら、確かに内部に聞く方が早いのだろうが……いないものはしょうがない。
 そうこうしている内に、再び五界統合学院へ戻ってきた。現在時刻は午後八時。闇夜に包まれた見慣れぬ校舎は、不気味に佇む魔界の城を彷彿とさせる。
「これからの予定は?」
「風紀委員会室にカチコミだ。事情を知ってそうな下っ端に丁重に聞き出す。ところでお前、何ができるんだ?」
「お前の弾除け程度にはなれる」
「上等だ、行く──

 ああ、この現象は、前にも記憶にある。
 あの時は赤龍(アドライグ)が辺り一面を溶岩にしやがったっけか。

 時が停まる。ダミアンは両拳を打ち合わせたポーズで固まっている。俺も動けない。意識だけが浮上して、肉体が影に飲み込まれるイメージ。
 反して周囲には緑が芽吹く。……芽吹く? いやいや、そんな生易しい表現では追い付かない、状況を説明しきれない。
 だだっ広い校庭には、あっという間に全長一キロメートルはあろう巨大な世界樹が乱立し、空を侵す。大地を引き裂き、喰らい尽くす木々の根が、機界の建造物よりなお高く、立ち塞がる。校舎はあらゆる場所に蔦が絡みつき、もはや原型を留めぬ程に瓦解する。
 辺り一面を溶岩にした赤龍(アドライグ)や、空間全てを闇に飲み込んだ黒龍(ファブニル)と相対した記憶がフラッシュバックする。この異常な変貌にはすっかり慣れた物だが、手慣れぬし見慣れない。そこに在るだけで、こちらの精神を根底から塵芥に変えてしまう存在。
 それは、突如現れた万年単位の樹海のただ中で、優雅に悠然と、人の数倍はある葉に座ってこちらを見下ろしていた。
「やっほー、お兄さん。ほっそいなぁ、ちゃんと食べてる?」
 シャクシャクと小さな口で謎の果実を齧りながらぴょんと足場を跳び、数十メートルも落下し、音もなく緩やかに降り立った。
 いやいやいや、待て待て待て。何なんだコレ。もう俺が何を目的として、どこにやってきたのか分からないレベル。ヘルプミー。切に。
「赤龍(アドライグ)が何を吹き込んだか、だいたい見当は付くけど、それはちょっとやめて欲しいなってお願いしに来たの」
 声の主は改めて俺の前に立つ。フリルの目立つ緑のドレスに身を包む、短めの緑髪の少女だった。いや、背丈は小柄な赤龍(アドライグ)より更に低く、俺の腰くらいしかない。人によっては美幼女に認定して興奮するかも知れないが俺にそんな趣味はないので何も感じない。……ホントダヨ?
 あとシャクシャクシャクシャクうるせぇ。人と話す時は食うのやめろ。俺、物を噛みながら喋る人が許せないタチなの。
「どうせ、赤龍(アドライグ)は六柱目を産まれる前に消滅させようとしてるんでしょ? あれは何でもかんでも焼き尽くさないと気が済まないからね。でも私は全く逆の立場で、芽吹く命はどんな物であれ祝福したいの。分かる?」
「お前らの目的なんざ知った事か、さっさと失せろ。俺は学校に用があんだよ」
「六柱目が産まれれば、どれだけ影響があるか分からない。でも、産まれる命が産まれた後で起こした罪は、産まれた後に決まるのよ。産まれる前から決め付けるなんておかしくない?」
「知らん知らん。話通じないタイプだな、どっか行けクソガキ」
「ねね、お兄さん。赤龍(アドライグ)なんかほっぽって、私に協力しない? そうしたら、そうだね……白龍(ヴェイパー)を起こしてあげてもいいよ」
 空白が喉から溢れた。
 白龍(ヴェイパー)、またその名前か。俺と何の関係があるのか知らないが、赤龍(アドライグ)も黒龍(ファブニル)も同じ名を口にしていた。
「……いいから、さっさと、どっか行けって言ってんのが、聞こえねぇのか」
「聞く気がないのよ。だって私がこのまま、こうしてお兄さんに知覚させ続ければ、いずれ精神が死ぬもの。そうすればどのみち赤龍(アドライグ)の思惑は潰れる。私は損をしないわ」
 めちゃくちゃ言ってんなコイツ! 冗談じゃないんですけど!
 幼女が食べきった果実をその場に捨てると、種が急激に成長し、地面から頑丈な葉を生やす。そこに腰掛けながら「少しお話しましょう」と断った。
「いま、お兄さんの周りじゃ色々な事が起きてるみたいね。禁書の盗難に優秀な学生の誘拐。何より漠然と少しずつ広がり続けてる乱層区画。どうしてこんなに、次々と問題が起きると思う?」
「知るか」
「お兄さんのせいよ。お兄さんが白龍(ヴェイパー)を食べちゃったから、五界のバランスが崩れちゃった」
 指パッチンと共に幼女の手のひらに新しい果実現る。何それ自給自足? カロリー的にプラマイゼロか、滓を捨てる分マイナスじゃない?
 いや、それよりこのクソ幼女、なんかとんでもない事を言い出さなかったか。
「白龍(ヴェイパー)は『形作る者』として、無から有を生み出す。緑龍(ウロボロス)は『芽吹く者』として形に意味を与える。黄龍(ボヮンロン)は『育む者』として発展を、赤龍(アドライグ)は『壊す者』として崩壊を、黒龍(ファブニル)は『忘れる者』として有を無にする。
 でも、今この世界には原初の創造がない。五界の統合という新しい世界は完成し、白龍(ヴェイパー)なくとも私は世界に意味を作ってあげた。現在は黄龍(ボヮンロン)が五界の技術を結集して発展している。さあ、後は赤龍(アドライグ)と黒龍(ファブニル)の仕事、そして白龍(ヴェイパー)に循環する必要がある」
 幼女──緑龍(ウロボロス)はニヤリと嗤いながら、新たな謎果実に口付けする。全てを惑わし狂わせる、淫美で妖艷な甘い口付け。
「だけど、白龍(ヴェイパー)はもういない。お兄さんが食べちゃった。あら大変、もう新しい概念は発生しないわ──と思っていたら、ぽっかり空いた白龍(ヴェイパー)の歪みに、六柱目の私達が産まれようとしている。……私はね、お兄さん。それがどんな形であれ、どんな役であれ、産まれようとしている命があるのなら祝福してあげたいの。だって、産まれる命に貴賎はなく、同じく原罪はないもの」
「……赤龍(アドライグ)の話だと、六人目のお前らが産まれたら、多くが犠牲になると言っていたぞ。それは『芽吹く者』のお前的にはどうなんだ?」
「死に興味はないわね。芽吹いた後は黄龍(ボヮンロン)の仕事よ、私に何か関係あるのかしら?」
 産まれた事で罪を負うのだとしても、産まれる事は罪ではない。生かす緑龍(ウロボロス)と滅ぼす赤龍(アドライグ)は真逆の性質だ。相いれる存在ではない。
 だが、繰り返しになるが、そんな事は俺に何の関係もない。俺は一刻も早く、エクリエル達を助け、禁書盗難事件を解決しなければならないのだ。こんな乳臭いガキにかまけてる余裕はないのだ。
「頭の回転が鈍いわね。だから、その一連の事件は、お兄さんが原因だって言ってるのよ」
「何だって?」
「盗難された禁書を使って、私達の存在に干渉しようとしている……つまり白龍(ヴェイパー)不在の綻びに気付いた者がいる。何をするつもりかは知らないけど、私は誕生(それ)を祝福(かんさつ)したい。その結果、」
 ──私が喰われても構わない。
 正気の沙汰でない論調を平然と宣う緑龍(ウロボロス)は嬉々として、口角を吊り上げた。
 赤龍(アドライグ)も黒龍(ファブニル)も緑龍(ウロボロス)も、コイツらはどいつもこいつも狂ってる。狂人だ、いや狂龍だ。文字通り、色んな意味での人でなしだ。
「ね、だからお兄さん、私に協力して? 『壊す者』の目的は、自分の手でいずれ世界を滅ぼす事よ。どうせなら、六柱目の私達が持つ可能性に賭けてみる方が、よっぽど建設的じゃない? 上手く噛み合えば世界は再び踊(まわ)るわ」
 幼女の短い腕が伸ばされる。俺の体がくの字に曲がる。断じて俺の意思ではない。彼女の手が、俺の体を屈服させているに過ぎない。逆らう事など出来ようものもない。
 整った緑龍(ウロボロス)の顔がゆっくりと近付く。細やかな腕で俺の頭を寄せ、胸元に抱きかかえる。そのまま、ふっくらとした柔らかな唇を、俺の──
「そこまでにしなよ、緑龍(ウロボロス)。ボクのソウジに何しようとしてんのさ」
 唇に押し付ける寸前で、更に世界が改変された。太陽さえ遮る樹海が一瞬にして燃え尽きる。吹き荒れる溶岩、炎上する木々のざわめきはけたたましい悲鳴の如し。
 薄暗かった世界は、突如として煌々とした獄炎の光に彩られる。動けない俺の背後から、緑龍(ウロボロス)とはまた異質な、しかし同じくらい凶暴な情報量(けはい)を感じた。
 半裸ロングコートの変態もとい少年、赤龍(アドライグ)である。
 赤と緑の、物理的な色彩としてではなく、形而上の概念としての相反する色彩が、世界を変えていく。建造物を薙ぎ倒して芽吹いた樹海は、半分が炎に撒かれて蒸発している。街並みなんて最初からなかった、いいね?
「ちぇっ。今からお兄さんとイイ事しようと思ってたのに」
「それはボクの役目だから! お前なんかに渡してたまるか! ねっ、ソウジ! ボクの方が適役だよね!」
「いや、俺どっちの趣味もないんで」
 地形を書き換える程の怪獣大戦争の真っ只中、冷静なツッコミをしてる己を褒めてやりたいところである。もう何か、何だろう、色々と諦めた。
「とにかく、緑龍(ウロボロス)。お兄さんを誘惑するのはやめてくれないか? 燃やされたいなら話は別だけどね」
「新たな命は祝福される権利があり、周りには祝福する義務がある。あなたこそ、萌やされたくなかったらすっこんでなさい」
「ふぅん、引く気はないみたいだね。どうなっても知らないよ?」
「美味しく喰らって差し上げますわよ?」
 あー、取り込み中すまないんだけど、お前らがここでおっぱじめた場合、どうにかなっちゃうのって確実に俺じゃね?
「予定が狂いっぱなしだよ、もう! お兄さんはエクリエルさんってのを優先して! 真川敦の件は余裕があれば順次優先! あ、でも、書記魔法は今日中になんとかしてね? これは絶対!」
「発動しちゃダメだよ? それをしたら未来は閉ざされる。可能性が潰える事になるんだからね!」
 赤龍(アドライグ)は一跳びで俺の頭上を掠め、同時に密着していた緑龍(ウロボロス)へ打ち下ろす蹴りを見舞う。隕石の様なエネルギーを持つ蹴足を片手でガードしながら飛び退る緑龍(ウロボロス)。インパクトした空間に、極めて高熱の火炎と、謎果実の触手じみた枝葉が爆発的に膨れ上がる。おおっと、これまで無事だった隣のダミアン、熱量と物量にかき消されて完全消滅だー! 欠片すら残らないー!
 二人、もとい二柱が離れた場所で着地した瞬間、世界は元の風景に戻っていた。世界を喰らい尽くす樹海も、世界を燃やし尽くす溶岩も、何もない。
 世界は滞りなく、再び循環を始めた。

 ──ぞ」
 両の拳を打ち合わせ、ダミアンが歩き出す。俺は後ろからそれに着いて行きながら、懐に入れていた赤龍(アドライグ)の紅色の札を取り出し、似たような緑色の札が重なってる事に気付いた。
 同じく金色の未知の文字で「まだ見ぬあなたへ。私は産まれゆくあなたの命を尊重します」と書かれている。
 はて、何だこれは? 赤龍(アドライグ)からの追加の指令か?



【どあにん 2014.06/17】



「ウロボロスはいっつもそうだよ!ぼくのお気に入りをすぐに横取りしてさぁ!」
「あーら、アドライグはそのお気に入りを大切にしないのが悪いのよ? だーかーら、私が代わりに大事にしてるのよ!」

両龍が舌戦を交えながら繰り広げるそれはもはや喧嘩と呼ぶにはあまりにも大規模過ぎた。
巨大なマグマがウロボロスを襲えば、それを超える超巨大樹木が幾重にもマグマを覆い尽くす、
大気を切り裂く無数の鋭利な葉がアドライグを襲えば、息を吸ってから吐き出した猛火が空を真っ赤に染め上げる。
旗から見れば子供の喧嘩だが規模は天変地異と言っても差し支えない、地が割れ空を裂き海が燃える。

「やれやれ、またアドライグとウロボロスか」

両龍の喧嘩を眺めているのは黒龍ファブニル、
そして金色スーツ風の鱗で全身を覆う非常に体格の良い男性型の龍は、苛立たしげに立派な顎鬚を弄くり回した後指の関節を鳴らす。

「あやつら……世界を破壊し尽くすつもりか、止めるのを手伝ってくれるよな、ファブニルゥ……」
「無論だ、我はウロボロスをやるからアドライグを頼む」

アドライグの龍化した腕に集うのは極熱を帯びた巨大な岩、否、太陽にも似たそれは空気すらも爆ぜる熱量を帯び、どんどん質量を増していく。
対するウロボロスも天を割く高さを樹木を成長させる、その数は一本は勿論数千数万は下らず兆かそれ以上の数を驚異的な速度で生やし続ける。
両龍がそれを放ち、圧倒的質量を誇るエネルギーが辺りに飛び散る余波だけで空間がねじ曲がる。
空間の捻れがどんどん大きくなりながらガラスにヒビが入る音が鳴り響き始めた時、その音量すらも上回る圧倒的な声。

「いい加減にせんかバカ者ォッッ!!」

刹那、アドライグの放った擬似太陽の中心に穴が開く。
その穴の中心から何かに喰われるように穴が広がり続け、アドライグの擬似太陽を完全に"喰らい尽くして"から消えてしまった。
男性型の龍の掌ではアドライグの擬似太陽を喰らい尽くした黒いエネルギー……ブラックホールが渦巻いている、舞い散るウロボロスの葉も光も飲み込むそれを握り潰し、力を使いすぎて動けなくなったアドライグの元に歩み寄る。
ウロボロスも同様にファブニルがウロボロスの巨木に手を触れた瞬間、兆を超すそれらが瞬きする間も無く枯れ朽ち果てる。
グッタリするウロボロスの首根っこをファブニルの腕が締め上げるようにつかみ、男性型の龍の元へと引きずっていく。

「随分と下界の少年にお熱では無いか、アドライグにウロボロスよぉ……」
「や、やだなぁ……そんなに怒らないでよボヮンロン……」

ボヮンロンと呼ばれたそれは顔こそは金色に輝く牙をチラつかせながら笑みを浮かべている。
動物にとって笑みとは己の牙を見せつける明確な敵意の表現でもある、その証拠にボヮンロンの低い声はより低く重い。

「我々の役割は不安定な世界を繋ぎ止めておく事だ……それをくだらぬ所有物争いで世界を破壊する気か?」
「くだらないって何よもう!私達にとっては大事な事なの!」

ファブニルはボヮンロンとは対照的に冷たい眼でウロボロスを見つめるが、ウロボロスは自分は悪く無いと言わんばかりに睨み返している。
まぁいい、と言葉を漏らしたファブニルはウロボロスが生み出した樹の残骸に腰掛ける。

「世界に干渉し過ぎるな、アドライグにウロボロス……我々は自らの意思で五界から去ったのだ」

ファブニルに諭されたアドライグとウロボロスはまだ納得していない拗ねた口調で短く答えるとボヮンロンは大きなため息を吐き、
髭を何度も弄りながら両龍の喧嘩の爪痕が残る地へと向かっていった。



柳瀬川朝霞は踊り場で座り込んでいた。
体調が悪い訳では無く、嫌な教師が教鞭を取る嫌な授業が待ち構えている事を知ったので適当に理由を付けて教室を抜け出していた、つまりサボリである。
氷の器に盛られた雪にマイかき氷シロップをこれでもかと掛けてから飲み下すように食べる、雪女だけが許された贅沢だ。

さて、腹も多少は膨れたから次は昼寝でもしてしまおう。
滅多に人が来ない所なので下着が見えるのも気にせずに四肢を投げ出してウトウトし始めた頃、
屋上入り口脇にある倉庫から人の声がするのを朝霞の耳が捉えたので、面倒臭そうにスカートを直しながら立ち上がってからゆっくりと階段を上がる。
適当に放り出されたと思われる壊れた机と椅子に埃まみれの本、鍵が差し込まれたままの倉庫の中央で男子生徒三人が光源魔法の頼りない明かりを囲むようにしゃがみ込んでいる。

「お、おい……早くしろよ……」
「待て待て……一番エロそうな言葉が書いてあるページ探してっから……」
「見つかったら大変なんだからよ……早くしろよ……」

パラパラと何かをめくり続ける音が倉庫内から響く事から、何かを読んでいるのかなと朝霞は思う。
それだけならばまだいいが三人目の男子生徒が発した見つかったら大変、と言う言葉が妙に引っかかった。
いつもならば欠伸一つ浮かべながらそのまま夢の世界へ逃避する所だが、朝霞は何故かその気にはなれなかった。
踏み込んではいけないと本能が警鐘を打ち鳴らしながらも踵を返す事が出来ない、この倉庫内で三人が読んでいる何かに引き寄せられるような……そんな気がしてならなかった。

「おっ、このページはエロそうな単語が沢山書いてある!おい、やるぞ!」

一人の男子生徒の声を皮切りに一斉に詠唱を開始するが、それは本に書いてある内容では無く朝霧も良く知った詠唱であった。

(書記魔法の言霊視……?)

光が黒い革表紙の本を包み込んだ時、開かれた本に書いてあるであろう文章が空間に浮かび上がり、
それらが複雑に渦巻きながら少しずつ形を成して一つのイメージを作り上げて行く。
書記魔法の言霊視、それは本に書かれている文章を触れる事が出来るイメージとして具現化する魔法。
元々は本や勉強が嫌いな子供が漫画や映画を見るかのように楽しめるように開発された魔法である、
この五界統合学園内に置いても勉強が嫌いな生徒が使っているのを朝霞は見た事があった。

(男って本当にバカ、エロ本にくっだらない魔法使ってんじゃないわよ……)

大きくため息を吐いて帰ろうとした時だった。

「うわっ……うわぁああああっ!」
「ひっ……ぎゃあああああっ!」
「アイエエエエエ!?」

件の男子生徒三人組が叫び声を上げたのを聞いてしまった朝霞は振り返ると、真っ黒なローブを身に纏っている女性が粘着質な音を発しながら本の上に浮かんでいる。
ときおり本から発せられるだろう風でローブがめくれ上がるとネックレス以外何も着用していない裸体を惜しげも無く見せつける、遠目から見ている朝霞の眼にまず留まったのは鍛えられた腹筋である。
週に一度購入する雑誌の巻末に小さく載っているフィットネス器具の広告を使っている男性が持っているような鍛えぬかれた肉体、そして股間から真っ黒な液体を大量に分泌している。
件の女性が腕を差し出しただけで男子生徒が絶叫を上げ、そして三人共失禁しながら泡を噴いて気絶してしまった。
つまらなそうに辺りを見渡す女が朝霞を捉えてゆっくりと手招きをしているのを見てしまった朝霞は、炎の光に引き寄せられる羽虫の如く何かを考える事すら出来ずに倉庫内に足を踏み入れた。

「あら、アナタ人間じゃないのね?」
「……アンタ、何よ」

女が手招きをやめ、思考力を取り戻した朝霞は魔法の詠唱を準備しながら話し始める。
手招きしただけで何も考える事が出来なくなり、一瞥すらせずに人間でないと見抜いた未知の存在に警戒心を強めるが女は肩を大きく竦めるだけだった。

「あぁん、そんなにガッチガチにならないで。別にあなたを取って喰おうとかそういう事は考えて無いから」

どこか信用ならない物言いで嘘か真実かは分からないが、上辺だけでも敵意は無い事を確認出来ただけでも重畳であった。
朝霞は背もたれが壊れた椅子に腰掛けて女性と向かい合うように座った。

「で、改めて聞くけどアンタは一体何よ?」
「私は黒き聖女、魔族に身も魂もアソコも捧げた薄汚れた売女。
 私と言う便利な裏切り者を使って官能小説風に禁呪の触りだけを綴った本、それが私……魔界の書物、黒キ聖女ノ物語よ」

「自己紹介にそれってアリかよ……」

朝霞は頭を抱えながら呟き、そして一つ解せぬ事が頭をもたげる。
何故男子生徒三人は黒き聖女が形を成した途端に気絶してしまったのか、嫌な予感はするが黒き聖女に疑問をぶつけてみるとすんなり答えが返ってきた。

「私の姿、人間にはおぞましい化け物に見えるっぽいのよね」
「具体的には?」

「そうね……顔はグズグズに蕩けてて、オッパイが沢山付いてて先っちょから黒い粘液がダダ漏れってのは聞いたわ」

想像しただけで吐き気がこみ上げる、それを至近距離かつ生で見てしまったのか。
未だに股間と床を黄色く染めている男子生徒三人には哀れみこそすれ同情は一切しなかった。

「あー……だから雪女のアタシがアンタを見ても只の痴女にしか見えないって事なのね」
「あら、只の痴女だなんて褒めないでよ 卑しい悪魔用肉便器聖<性>女とでも呼んで頂戴」

「それアンタにとっちゃ最上級の褒め言葉じゃねぇかよ……」

冒涜的な程色に狂った聖女と話をしていたら頭がおかしくなってしまいそうだ。
いや、人間からしてみればおぞましい化け物そのものだろうが、生憎雪女である朝霞にはそれが分からない。
しかし魔界の連中は何を考えながらこのおぞましい化け物がまぐわい狂う官能小説風に禁呪文書を書き上げたのか。
ゴチャゴチャ考えても分からないし、聞ける事は聞いたし帰ろうかと思った朝霞は黒き聖女が足元から無数の文字に分解されている事に気付いた。
だが、当の本人(?)は慌てる様子は微塵も見せない。

「あら残念時間切れ、短い間だったけど外に連れ出されて楽しかったわ、雪女ちゃん……私を在るべき所に戻しておいて……信用出来る人にだけ、渡して……」
「ちょ……待ちなさいよ!在るべき所ってどこよ!?」

「時が来れば、わか る  わ」

その言葉を最後に黒き聖女は完全に消え去り、魔力を失った一冊の本が埃だらけの床に落ちた。
朝霞は何かマズい事に巻き込まれてしまったと思いながら本を拾い、そっと自分の鞄の中へ滑りこませた……。



【西口 2014.06/19】



午後八時の第三校舎には、当然ながら人影は殆どない。静寂が包む白亜の建物の中に、けたたましく鳴り響いた轟音があった。
原因は言わずもがな、ルシフェリオ=ダミアン=グラストフである。
風紀委員会室に到着するや否や、こいつは何の躊躇いもなく、強化された脚力で以ってその大扉を蹴り破ったのである。
文字で表すとすれば、バギャオン、といった所か。
そうそう聞く事もないであろう特大の破壊音が、衝撃を伴って俺の耳朶を打った。

「図書文化委員長アシュリーの命令で来た。苦情及び賠償請求はそいつにしろ」

暴力的に開かれた委員会室に躊躇うことなく踏み込みつつ、ダミアンは機先を制さんとばかりに言い訳を並び立てる。
そのあまりにも流暢な語り口は、どう考えても予め用意していたものをただ諳んじているとしか思えない。
こいつ、アシュリーを言い訳に暴れたいだけじゃないのか……?

ダミアンの後をこそこそと付いていくと、視界に委員会室の内装が飛び込んでくる。
電力という、魔力とは違う人の手に寄らない雷のエネルギーによって発光する、白色の電灯に照らされた室内は、整然としていた。
同一の間隔をあけて、六席一組のデスクが所狭しと並べられ、壁際に屹立する書類棚には、何某かのファイルがこれでもかと詰め込まれている。
全てのデスクの上に鎮座する、四角い箱のような機材は、話に聞く「パソコン」という奴だろう。
生憎と機界の技術には明るくないが、聞くところによると携帯電話の上位版とかなんとか。
たしか流通が始まってあまり日が経っていないはずだ。それがこうも大量にあるというところが、風紀委員に回される予算の多さを物語っていた。

向かって左手の最奥には、床から3メートルほどの位置に巨大なスクリーンがあり
その前には他のデスクより一際大きな執務机がある。
ネームプレートはよく見えないが、たしか副委員長以上の役職の人間には個別の執務室が与えられていたはずだ。
恐らくは、班長クラスの人間のものだろう。

室内には未だにまばらに人がおり、何某かの作業を続けていた。
といっても、ダミアンが扉を蹴破った途端、皆弾かれたようにこちらへと視線をめぐらせたのだが。
注がれる12の視線。そのどれもが、困惑ではなく警戒の色を浮かべている。
狼狽して声を出す者はいない。激昂して踊りかかってくる者もいない。ただ一様に、突然の闖入者を凝視している。
流石は風紀委員。エクリエルの部下だ。非常時にも冷静沈着。訓練の賜物――いや、待て。

何故、誰も「アシュリー」の名に反応しない?

委員長同士が不仲な図書文化委員会と風紀生活委員会。この二つは委員同士も仲が悪い。
図書本館敷地内の警邏をさせろという風紀委員と、専門知識もない素人が土足で入り込むなと拒む図書委員。
彼らの敷地境界線上で繰り広げられる熾烈な小競り合い、嫁いびりにも似たネチネチとした罵りあいは、もはや名物の領域に達しつつある。
アシュリーは小競り合いには殆ど参加はしないが、お茶目と称して嫌がらせを度々風紀委員にしているらしい。
とはいっても、室内に踏み込んだが最後、頭にプリンが落下してくるという罠を、委員会室に仕掛けたりだとか
そんな程度の下らない嫌がらせだ。

しかし想像してみてほしい。
毎日割と荒々しい生徒達の風紀維持に神経をすり減らし、へとへとになって委員会室へ報告に戻った瞬間、顔面に生温いプリンを叩きつけられる情景

を。
ブチ切れるなという方に無理がある。
そんな類の嫌がらせを難度も受けているので、風紀委員にとって、アシュリーはまさに怨敵、大敵、不倶戴天の仇敵なのだ。
彼らの前で、その名を戯れに口に出してはいけない。それは逆さ鱗を抉り取るがごとき蛮行だ。
単なる噂ではない事は、以前雑談した折にルカに確認済み。現役風紀委員の情報だ、誤りはあるまい。

だというのに、だ。彼らは身じろぎ一つしなければ、眉を顰める事さえしない。
ただ監視するかのように、視線を注いでくるだけだ。
眼を凝らして見てみれば、見開かれたその瞳の奥には、洞の様な漆黒の虚無が広がっているように思えた。
張り付いたような無表情。重心調節の為の揺らぎすらない、完全なる停止。
異様だ。異常だ。普通じゃない。
狂気としか言いようのない謎の圧力が、静寂と共に嘗め回すような不快感を覚え、肌が粟立った。

何か質問を投げかけようとしたのか、一歩進み出たダミアンの肩を掴み、無言で以って静止を促す。
するとダミアンは、分かっているとでも言わんばかりに頷き、直後に獰猛な笑みを浮かべた。
事によっては無邪気とすら表現できるかもしれない、心からの笑み。
ああ、こいつ普通じゃないわ。そう改めて認識できた。

「お前達に連絡は行っていないだろうから教えてやる。禁書が盗難された。エロ本が一つに、クソテロ屋ども垂涎の兵器まがいが二つ。
 犯人は十中八九お前らの中にいる。ここ数日、挙動不審な奴はいたか?」

無言。気味の悪い沈黙の時間が流れる。

「この情報を話した直後、お前らの上司であるエクリエルと、そのペットのライカンスロープが失踪した。
 現場には造血がぶちまけられていた。目的は知らんがな」

またもや無言。
やはりおかしい。委員長であるエクリエルが失踪したと聞いても、誰一人反応しない。
嘲笑う者も、怒りを顕にする者も、いない。
それを予想していたように、ダミアンの笑顔がより邪悪なものに変わった。

「そして造血のすぐ近くに、一人の男がいた。ドブの様な目をした男で、探偵を自称していた。
 どうもお前らの仲間かもしれないらしいな。名前は、そう――」

――真川敦。
ダミアンが呟き終えるのと、室内で停止していた六人の風紀委員が動き出したのは、殆ど同時だった。
矢のごとき吶喊。
魔法を使用した形跡など感じ取れなかったというのに、その速度は常軌を逸していた。

「ダミアンッ!」

反射的にダミアンの前に出てしまっていた俺は、懐から五枚の「カード」を取り出し、周囲の床にたたきつけた
衝撃感知式の使い捨て安物書記魔法用カード。お値段据置5枚ワンセットで千円。グッバイ俺の三日分弱の昼食代!

衝撃によって起動したカードは、内在する魔力を記述された圧縮構築式に注ぎ込む。
術式解凍。カードが消失すると共に、床へと転写された構築式が、接触地帯以下三メートルに存在するあらゆる物質に強制的な命令を下す。
瞬間、リノリウムの敷かれた床が剣のように隆起する。その切っ先からは、鉄骨の欠片の様な物がちらと見えている。
地よりせり上がった五本の剣が六メートル以上も伸び上がり、天井に音を立てて突き刺さると
それを覆っていた少し薄汚れたリノリウムが間を置かず、まるで液体のように展開し、隙間を余す所なく覆い隠した。
錬成魔法の初歩中の初歩「変形」の、オーソドックスな使い方の一つ。簡易防壁である。
しかし――

「駄目か……!」

魔力の流れは感じ取れなかった。魔法の発動もだ。
だというのに、風紀委員らの腕力は常軌を逸していた。学校の建材を素材として作り出した防壁を物ともしない。
凄まじい衝撃と音が、壁の奥からくぐもって聞こえ、平らかであった壁の内側に、瞬く間に大量の凸部が形成される。
殴っているのか。どれだけ強度があると思っている……!?

しかし、強度補強や強化をしようにも、持ち合わせがない。
式記述済みのカードの持ち運びは、厳しく制限されている。この防壁だって、切り札とまではいかないものの、それなりの隠し武器だ。
白紙のカードは何枚か持ち合わせているが、流石に間に合いそうもない。
たとえ書記魔法にて発動しようとも、魔法の併用が一切出来ない己の非才さが、酷く恨めしかった。

俺の力じゃ止めきれない。すまないダミアン。

「よくやった肉壁。褒めてやろう」

謝罪を述べようと振り返った俺を、ダミアンは謝辞で以って出迎えた。
その背後に、二冊。いつの間にやら、ハードカバーほどの分厚さの二冊の書物が浮かび上がっていた。
二冊の本は独りでに開き、ページに刻まれた絵を曝け出す。
向かって右側の本には、山に絡まる漆黒の大蛇。左側の本には、杖に巻き付く白蛇。
黒魔術は確か、「使役」と「厄災」に特化した魔法。蛇は神話の時代より、災いの象徴とされてきた。
間違いない、これは魔導書だ。それも、所謂古代魔術の。

「苦痛の黒蛇(ヴァスケイ)! 癒縛の白蛇(アスクレピオス)!」

その言葉を引き金に、それぞれの絵から黒い蛇と白い蛇、それぞれ六匹ずつが弾丸のように射出された。
俺を器用に避けていったそれらは防壁をすり抜ける。
壁の向こうで、何が起こったのかはわからない。ただ、鳴り響いていた打撃音が一斉に止み、何かが地に落ちるかのような音だけが聞こえた。

「やはり声は上げんか」

つまらなそうに呟くと、進み出たダミアンは簡易防壁を力任せに蹴りつけた。
今しがたの六人とは比較にならない破壊音。風紀委員たちのせいで大分耐久力が下がっていたとはいえ、ただの三発程度で防壁の一部は瓦解した。
反転術式で元に戻せるよ、と言うのも忘れて、俺はただその背中を眺めていた。
穿たれた孔の向こうで、潜り抜けたダミアンが無言でこちらを見つめてくる。
ああ、来いってことか。口に出せよ分かりにくいな。

孔の向こうに広がっていた光景は、惨憺たると表現するにはあまりにも整っていった。
防壁から剥がれ落ちた建材の類が散乱しているものの、それ以外の被害は殆どないといっていい。
精々蹴倒されたデスクが一つや二つある程度だ。
後は、壁を取り囲むかのように倒れ伏す、六人の風紀委員たち。それぞれに黒白の蛇が一匹ずつ噛り付いていた。

「恐らくこいつらは人間ではないぞ、ソウジ」

ダミアンはそう呟くと同時に、手近な風紀委員の一人、少女の頭を蹴り飛ばした。
頑丈な木扉を叩き壊すほどの威力を持った蹴り、結果は言うまでもない。
ぐしゃりという硬質な音がなったかと思うと、少女の頭部が宙に浮く。
直上に蹴り上げられたそれは、電灯の一本を砕き、落下。床に叩きつけられた。
俺は言葉を失った。何を、何をやっている……?

「そう呆然とするな。ほら」

拾い上げた少女の頭部を無造作に投げつけられ、思わず受け取ってしまった。
人の死というものにはけして慣れてはいない。故に、とっさの反応が効かない。
腕の中にある、ほんのり暖かい死の象徴。それを直視しては、それを受け止めなければならない気がして、確認をどうしても躊躇ってしまう。
再び、ダミアンが無言で促しているのを感じた。
あいつは「これ」を人じゃないと断じた。その意味は図りかねるが、ダミアンは無意味な事はしない奴だ、と信じて、俺は少女の頭部に向き直り、そ

して仰天した。

「傀儡人形……!?」

明らかに人としか思えない温かみと質感を持った、木偶。蹴りの威力で拉げているので些か気色悪い。
よく見れば、というか最初に気づくべきなのだが、首の断面からは一滴の血も流れていない。
ただ幾つかのコードなりが毀れているだけだ。体のほうも同様だ。
非常に出来が良い。が、人形である事念頭に置くと、傀儡特有の無機質な不気味さというか、違和感のようなものが浮き彫りになるように思えた。
しかし、傀儡。いくら実力主義の風紀委員とはいえ、さすがに傀儡を会員に迎えるとは思えない。そもそも規定に違反している。
操者が風紀委員ということもないだろう。人形遣いは酷く希少で、その中でもこれだけ精巧な傀儡を作れるとあっては存在くらいは知られているはず

だ。
だが俺は、人形遣いの風紀委員など聞いたこともない。たまたま知らないだけ、という可能性もそうないだろう。
誰が、何ゆえ、風紀委員を装わせているのかは分からない。だが、少なくともまともな人物の仕業という事はないだろう。

「いつ、気づいたんだ? こいつらが傀儡だって」

「最初からといえば最初からだな。こいつらからは情動が感じられなかった。
 何かに乗っ取られてるか、操られてるか、最初から人間じゃないか、もしくはイカれてるかのどれかだと思って、この出来損ないどもをぶつけた
 最初から人形だと思ってたわけではない」

出来損ない。この二色の蛇の事だろう。
魔導書から出現したという事は、これらは所謂擬似生命や造魔と言われる種類の物なのだろう。
唯一つの権能のみを持ち、長くこの世に留まることの出来ない不安定な存在。出来損ないとはそういう意味なのだろうか。

「しかし、傀儡人形って事は、操者が近くにいるって事だぞ。早く探さなきゃ、何かしてこないとも限らないぞ」

「そういうものなのか?」

「ああ。傀儡人形自体、国際社会じゃあまり好かれてないんだよ。機人を馬鹿にしてる、ってな。一部地域では製造も所持も禁止されてるくらいだ。
 だから、造型や内部機構に多数の規制がかけられてる。その関係で、傀儡人形は動力を内蔵出来ないんだ」

「つまり、操者と傀儡とで魔力のパスを繋げ、常に供給しなければならない。その為にはあまり距離を空けるわけにはいかないという事か」

俺の言葉を引き継いで、ダミアンは正答を口にする。そして直後、「好都合だ」と呟いた。

「以前、復讐のみが目的だと教えただろう、実験台」

「え、ああ、初めて会ったときにな。あと、その二人称は一生認めないからな」

サラッと言われたからちょっと反応に時間をかけてしまった。ボケるならもうちょっとわかり易く言ってくれないと。
……あ、ボケてないんだな。油断も隙もありはしない。

「黒蛇(これ)は、復讐相手に地獄の苦しみを味わわせてやろうと創ったものでな、世に存在するあらゆる苦痛を内包している」

焼かれる痛み。裂かれる痛み。斬られる痛み。突かれる痛み。抉られる痛み。蝕まれる痛み。そんな物はほんの一部。
言語感覚を超越した、存在しうるあらゆる痛みが渦巻く、苦痛と怨念の権化。
呪詛魔法と降霊魔法の、高い次元での融合によって成った造魔。それが苦痛の黒蛇。
ちなみに癒縛の白蛇は貰い物(戦利品ともいう)なのでよく分からないという。
ただ、治癒と再生、憑魔祓いなどの力を持っているらしい。

黒蛇単体では、対象がすぐに壊れてしまうので使い勝手が悪すぎる。白蛇の恒常回復と合わせた、永劫に続く苦痛があってこそ初めてまともに使える

と、ダミアンはつまらなさそうに語った。

「だが、肉体的な苦痛を与えるだけではこの上なくつまらん。故にこれは失敗作だ。
 まあ、黒蛇には侵食範囲の神経を一時的に痛覚神経に作り変える力があるから、拘束には使えるがな」

「……なら、黒蛇だけでよかったんじゃないか?」

「俺だけならそれでもよかったがな。人死は嫌いだろう?」

「ダミアン……」

という事は、白蛇を放ったのはダミアンなりの気遣いという事か。お構いなしに黒蛇だけ喰らわせそうなイメージがあったが
こいつ、やっぱり意外といい奴なのかもしれない。俺の事を考えてくれるなんて……。
初めて会った時、「うわー、ゴリッゴリの厨二病じゃねえか。勘弁してくれよ」とか思って本当にすまない。

「これで貸し一つだな」

薄ら笑いと共に放たれたその言葉を、俗に死刑宣告という。
前言撤回だ。二言撤回だ。こいつは欠片もいい奴じゃない。そしてゴリッゴリの厨二病だ。不幸な目に遭え。

「んだそりゃあ!? 貸し借りで言うなら、今朝お前が俺に掛けた呪いとでプラマイゼロだろうが!
 寧ろ、お前がこんな事に巻き込みやがったんだからどっちかって言うと貸しがあるのは俺の方だぞ!」

「ハッ、馬鹿を言うな。俺が巻き込もうと巻き込むまいと、お前は借り出されていたろうさ。
 寧ろ、手間を短縮してやった俺に貸しがあるとすら言えるんじゃないか。今回のとあわせて二つだ。
 それを貸し一つと過少申告してやっているのだから、感謝こそされ文句を言われる筋合いはないと思うが」

「何だその俺様理論ッ!?」

人を勝手に巻き込まれ属性にしやがって! 謝罪と賠償を要求する!

「そうがなりたてるな。声が聞こえんかもしれんだろう」

「え、声? 何のだよ……」

俺の質問を中断したのは、左手より放たれた、室内を揺るがすほどの絶叫。喉よ潰れよとばかりに吐き出される、断末魔の叫び。
幾度目の轟音だろうか。いくら夜中の校舎の中とはいえ、風紀委員の会室でこんなに騒いでしまっては、もしかしたら人形じゃない本物の風紀委員た

ちが駆けつけてくるかもしれないな。
感じる一抹の不安。知らず浮かんでくるいくつ物言い訳の言葉。この人形見せてくれたら乗り越えなれるかな。
いや、でも蹴破られた扉にダミアンの靴跡がっつり残ってるしな。

そんなことなど知るかとばかりに、ダミアンは音の根源と思しき、左手の班長デスクに向かってずんずんと歩いていく。
悶々と言い訳を考えながら、俺もその後に続いた。

「黒蛇の侵食と、ついでに白蛇の治癒は、魔力供給路をも遡る。気絶することも出来ないからな、真人間なら叫ばないはずがないんだよ」

班長デスクの後ろ側。チェアーの据え置かれた側に回りこんだダミアンは、机の下から何かを引きずり出した。
それは人だった。人形とは違い、その顔色に明らかな生気を漲らせる人間。
魔力供給のパスを閉じたのだろう。もう悲鳴は上げていないが、その両目には大粒の涙が浮かんでいる。
どこか愛嬌のある小太りの少年。制服を見るに中等生だろう彼が、人形遣いの正体であった。

「五秒以内に名前を答えろ。一秒遅れるごとに爪を一枚剥ぐ」

「た、泰生(たいせい)。九条泰生」

ひどい尋問を見た。



【Kの人 2014.06/20】



 聡治は風紀委員会室の扉に外側から凭れ掛かり、静かに溜息を吐いた。
 室外に出たのはダミアンが彼曰くの懇切丁寧な質問時間……他称拷問に突入するという発言を受けた為である。
 単に必要以上に他人が苦しむ光景が苦手である上、好ましくない行為である以上見張りを行う必要がある為、見張りという名目で、聡治は此れから起こるであろう酸鼻な光景から逃亡したのだ。
 理由もしっかりとしている上、ある意味では適材適所である為、其れに関してダミアンが何か言うでもなかった。
 ただ……溝色の瞳の中に、僅かながらに喜悦の光が浮かんでいたのは、恐らく見間違いなのだと聡治は思い込む事に決めたのだった。
 視線を周囲へ巡らせる。
 先程盛大な騒ぎを起こした以上、少なくとも風紀委員か……あるいは宿直の先生が駆けつけてくる事は間違いないだろう。
 どの道適切な言い訳をしなければならない。最悪の場合、全部アシュリーに責任を押し付けてやろうかと思うと同時。
 懐に仕舞っていた携帯電話から無機質な電子音が鳴り響く。
 取り出して確認。背面に表示されているのは番号ではない為、術式による電話であると察すると同時、見慣れない文字の羅列に眉を顰める。
 大方間違い電話だろうと溜息を吐き、通話状態にした聡治は、携帯電話を耳元に近づけた。
「……もしもし」
 普遍的な台詞を告げるも、通話相手の声は聞こえてこない。……いや、声以外の雑音さえも聞こえてこない。
 術式通話は電話に比べて周囲の音を拾い易い性質があり、騒音の多い場所では消音の魔法を併用する事が多く、つまり相手は比較的騒がしい所にいるのだろうと、聡治は推測づける。
 暫しの静寂が訪れる。遮音性に優れているらしい風紀委員会室からも物音はせず、ただ、互いの無言が十秒ほど続いた。
 声だけ聞いて間違い電話だと判断し、通話を止めようとしているのだろうと聡治は判断し、顔も知らぬ相手に倣って通話状態を停止しようとする直前の事であった。
『まぁ待てって、伏神聡治。早起きは三文の徳だが、せっかちは損をするだけだと思わないか?』
 不意に聞こえてきた声は男の物。落ち着いた口調ではあるが、何処か絡みつくような、粘着性を感じる不快な声である。
 耳元から離し掛けた状態で一瞬だけ硬直した聡治は、反射的に周囲に警戒の視線を飛ばす。
 周囲には非常口を示す掲示が発する緑がかった朧気な光と、火災報知器のランプの赤く弱い光のみが光源となる、闇の世界が広がっている。
 当然人の気配は存在せず、ならばと視線をやった窓の外には、点々と術式灯の光が暗闇に浮かび上がっていた。無論、唯の人間である聡治が、暗闇から人影を見つけることは不可能であった。
 操作魔法で暗視能力を強化すれば何かが分かるかもしれないが、生憎それは不可能である為、小さく舌打ちをした聡治は、せめてもの抵抗としてその場にしゃがみ込む。
「お前は誰だ?」
『んー……”籠の中の鳥”と”首輪の繋がれた狼”が手元に居ると言えば分かるか? なぁ、死にたがり』
「っ……」
 一瞬何の事か分からずに言葉に詰った聡治であったが、通話相手が言った二つの存在が何を指しているのか理解し、警戒の段階を更に引き上げる。
 先の攻防……九条泰生の傀儡の攻撃を受ける際に使用した札の残りを懐から取り出し、何時でも発動出来る様に準備だけはしておく。
 同じく衝撃感知式の使い捨て安物書記魔法用の札ではあるが、先程はダミアンとの距離が近かったが故、巻き添えを危惧して使用しなかった魔法が記されている。
 審議の結果、何とか校内での携行が許可されている物であり、一枚限りの正真正銘の最終手段だ。
「俺に、何の用だ?」
『別段用事って程の事じゃないな。ただ、九時半までに一人で旧第四運動場へ来てくれってだけの話』
「……当然、この事を人に伝えたりは」
『死にたがりの大切な鳥と狼が、どうなってもいいのならばお好きにどうぞ。……ああ、扉の向こう側にいるルシフェリオ=ダミアン=グラストフに、其処を去る事さえも伝えてくれるなよ?』
 その発言が終了すると共に、通話が強制的に遮断される。
 緩慢に耳元から携帯電話を離し、懐に戻した聡治は、胸中に蓄積された諸々の感情を吐き出すように、大きく息を吐いた。
 相手が何者なのかも不明。行動の目的も不明。
 ただ分かるのは、相手は此方の行動を観察する手段を持っており、エクリエルとルカの行き先を知っている……いや、確保していると考えても良いだろう。
 時刻は八時二十分。約束の時刻までは残り一時間と十分と、長い様で僅かな時間しか残されてはいない。
 ちらりと背後の扉を一瞥して歯を食い縛った聡治は、無言のまま扉に背を向けたまま走り出した。

 ◇

 旧第四運動場。
 広大な五界統合学院において、最も人が訪れる事が少ないという事で有名な運動場だ。
 理由は極めて単純。乱層区画であるが故に、基本的には学院側から立入が禁じられている。生徒側にしても周辺に何かある訳でもなく、不良生徒が授業をサボる為の隠れ家は学院内に大量に存在しており、態々僻地である此処を訪れる理由が無いからである。
 乱層区画調査にしても、此処よりも規模が大きく様々な事象が観測される……最近エクリエルと共に赴いた乱層区画が存在しており、そう言った意味でも、訪れる者はいないのだ。
 籤運の無い風紀委員が巡回に来る程度だと言われており、故に学院内では旧第四運動場に訪れる者は総じて運が無いというレッテルを貼られるという暗黙の了解が存在している。
 立入禁止の表示に従う事も無く、聡治は手入れもされておらず荒れ放題な運動場……というよりも、ちょっとした草叢といって差し支えない其処へと踏み込んだ。
 当然照明設備は存在こそしていても全て破損しており、どうにか寮の自室から持ち出した書記魔法で光を灯し、照らした先が確認出来る程度である。
 周囲を警戒しながらゆっくりと歩を進めていき、そして中央付近へ差し掛かった頃であった。
 真昼も斯くや、という量の光が周囲から浮かび上がり、聡治は目が眩んで思わず目を閉じる。
 不意打ちかと一瞬だけ考えた聡治ではあったが、態々分かり易い光を使用する不意打ちをするのはどうだろうと考えを否定しながら、ゆっくりと瞼を持ち上げる。
 荒れ果てた運動場の地面は確かな光を湛えていた。
 丁度運動場の一面を照らし上げるように、規則的に配置されている何らかの系統の照明魔法が発動しているらしい。しかし運動場外部は一切の闇が横たわっており、外縁は結界魔法で外部との干渉を断っているのだろうと、其処まで冷静に推測した聡治は、しかし、直後に一点に視線が釘付けとなった。
 運動場の一角、塗装が剥げて酸化鉄の赤茶色を晒すフェンスに似つかわしくない白銀と金色が、中頃辺りにぽつんと浮かび上がっている。
 何だと思ったのは確実に現実逃避であり、それが何であるかを理解するよりも前に、聡治はそのフェンスの方へと駆け出していた。
 疾駆の最中で、浮かび上がる二つの点が、フェンスに磔にされたエクリエルとルカであると理解した。
 そしてその直後、二人が磔にされている地点の真下にいる人影に気付き、ゆっくりと立ち止まる。
「九時二十八分。私を待たせた時点で遅刻、というのはエクリエルの台詞だったか? まぁ俺は其処まで強制はしないな。なぁ、伏神聡治?」
 其処にいた男が発した声は、先程通話で聞いた物と同じ声色、口調であった。
 身長は百七十センチ強。体格はやや筋肉質であり、ベルトからは一振りの刀を下げている。
 学院指定の制服を僅かに着崩しているが、襟に並ぶ徽章を鵜呑みにするのならば、人間界出身の、風紀委員会の副会長を務める三年生だ。
 風紀委員副会長という肩書きからぱっと思いついたのは真川敦という生徒ではあるが、少なくともエクリエルの病室に居た彼とは外見も声色も合致しない。
 あの時の彼を線の細い優男と表現するのならば、今目の前に居る男は野生的な雰囲気を持つ男という表現となるだろう。
 無論あの時に出会った彼が真川敦という保障はないし、目の前の男が錯乱の為に不要な徽章を着けているという可能性もある。
 それを言い始めれば何も信じられず、情報が一切存在しないも同然になる為、聡治は小さく頭を振るい、眼前の男を睨み付けた。
「二人は無事なのか? お前の目的は」
「まぁ待てって、死にたがり。早起きは三文の徳かも知れないが、せっかちは損をするだけだと先程言っただろう?」
 頑なに己のリズムを崩そうとしない男に舌打ちをしつつも、聡治は引き下がる。
 直接手こそ掛けられてはいないが、二人は人質と呼称しても問題ない立場にある。それこそ、此方が下手な動きを見せれば、二人の身が危険なのは考える以前の話だ。
 二人が居なければ、寮の自室から持ち出した”学院から携行許可の下りなかった”……厳密に言えば”確実に校則違反”と言える書記魔法を即座に発動するのだが、それは出来ないのだ。
「……さて、”一番邪魔になるであろう”死にたがりはこうして釣れた訳だが、捌くまでは油断ならないな」
 そう言いながら男はそっと柄にその手を添えた。
 抜き放つのかとそれを注視するも、しかし男は其処から動かない。
 居合い抜き。そんな戦術が脳裏を過ぎると共に、聡治は静かに懐から札入れを取り出す。
「我、真川敦の名の下に、古に生まれし者の真名を解き放つ。真名を帯びてこの世に顕現せし者の名は――」

 ◇

 ルシフェリオ=ダミアン=グラストフは、風紀委員会室の上等な椅子に腰を下ろしたまま、満足気な微笑みを浮かべていた。
 鼻腔を突く血と汚物の臭いは、足元に転がる九条泰生から立ち昇っている。
 復讐時に使用しようと考案していた黒魔術の内、最近考えた物を初めて実践したのだが、想像以上の効果を齎した為、得られた情報以上に、ダミアンを喜ばせていた。
 そっと効果の程を心のメモ帳に書き込みながら得られた情報を精査し、すると自然と満足気な微笑みは陰りを帯びる。
「語られぬ者達、か」
 九条泰生の口にしたその単語は、特定個人ではなくある集団を指す物であるようだった。
 文字通りの意味で語られぬ者達。何らかの理由で注目の的になる事も無く、ただひっそりと生きる者達が、互いの寂しさを埋め合う為に生まれた、一種の同好会であった。
 同じ境遇の者同士で悩みや趣味を共有し、精神的な負担を和らげようと、数期ほど前の高等部の生徒が密かに作った纏まりであり、元々軽い人間不信で孤独になりがちであった九条泰生も其処の一員であるそうだ。
 あった、という過去形での表現なのは、現在はそういった目的での集まりではなくなった為である。
 変化したのは半年ほど前であり、”影”と呼ばれる得体の知れない生徒が語られぬ者達という集団に入ってからだそうだ。
 元々は特に上下関係もなく、友達が居ない者同士で集まって、其処で気が合う仲間と団欒するだけの集まりではあったが、”影”はそんな生徒達の弱みを握り、瞬く間に集団を掌握した。
 九条泰生自身も弱みを握られており、それ故に影からの”風紀委員会室を訪れる者を襲え”という命令に従わされ、その命令どおりにダミアンと聡治を襲ったのだという。
 影の正体に関しては本当に何も知らなかった様であり、気絶するまで正体を告げる事は無かった。
 ただ、”会う度に姿が違う為に、どれが本当の容姿なのかさえも分からない”という妙ながらも有益な情報は得られた。
 更に言えば今回禁書を盗んだのも、弱みを握られた図書文化委員の生徒である事、官能小説に関しては別件だという情報も得られたのは大きい。
 一先ず得られた情報を、室外に待っている聡治に伝える為に室外に出たダミアンは僅かに目を細めた。
「……トイレ、って訳でもないだろうな。連れ去られたにしては、抵抗の痕跡もない。かといって用事が出来たから帰ったにしても、一言位は掛けて帰るだろう」
 室外に居るはずのソウジが居ない事に関して諸々の推測を呟いては、どれもしっくり来なかった為、溜息と同時に考えを吐き捨てる。
 そうしていると、懐から術式通話用の札が飛び出し、眼前に展開。淡い光を帯びながら札上に浮かび上がったのは、小さなアシュリーと、その後ろを慌しく動き回る図書文化委員らしき生徒数人の姿であった。
『ダミアンくん、ソウジくん近くに居る?』
「はっ、あいつに用事があるなら直接通話しろよ。あいつは術式通話は出来なかったはずだが、携帯電話は持ってたはずだぞ?」
『それがあの死にたがり、電源切ってるみたいでね』
「そういう理由なら目を瞑ってやるが、生憎あいつは此処には居ないぞ」
『何処に行ったか分かるかな?』
「いや、風紀委員会室に殴りこみを掛けて……そういえば、本を盗んだ犯人が分かったぞ。図書文化委員の内、語られぬ者達という集団に所属していた奴だ」
 其処で、ダミアンはアシュリーに対して語られぬ者達という集団について補足事項を告げる。
 すると誰が禁書を盗み出したのか察しがついたらしく、大きな溜息を吐き出したアシュリーは告げた。
『ん、そういう事情なら仕方無いね。一応学院側に報告書出す時は、情状酌量の余地があるように書くわ』
「……ところで、ソウジに何の用があったんだ?」
『件の真川敦に関して色んな事が分かったからね、それを伝えようかと。ソウジくんなのは、単に出会って間もないダミアンくんと通話するよりか気が楽ってだけよ』
 なる程、それは当然だと小さく呟き、ダミアンは近くの壁に凭れ掛かり、アシュリーの調査結果を聞く。
 真川敦は高等部三年生であり、練成魔法と降霊魔法を専攻する、風紀委員会副委員長である。性格は温厚かつ真面目であり、風紀委員としての活動では本部で腰を据えて状況を見極めるよりも、積極的に現場に出て手腕を振るう、部下に慕われる存在であるようだ。
 そんな彼だが、此処最近は無断休学が続いているらしい。寮の自室に引き篭もっており、最後に彼を見たのはもう二週間近く前の事であるそうだ。
『ちなみに、此れが彼の似顔絵』
「本当に温厚かつ真面目ですって顔してやがる……って、おい? 本当にこいつが真川敦なのか?」
『そうだよ。図書本館には禁書以外にも、そういった個人情報の収められたファイルのあるから間違いないね』
 術式通話用の札に浮かぶアシュリーの見せてきた似顔絵は、確かに温厚そうな少年ではあった。
 だが、数時間ほど前に出会った真川敦と名乗っていたらしい男とは、顔立ちの方向性こそ似てはいるが、まったくの別人だ。
 奴が偽名を名乗っていたのだろうとダミアンは内心結論付けると共に、そういえばと、語られぬ者達を操っていた”影”という存在に関して伝え忘れていた事を思い出す。
「……それよりアシュリー、語られぬ者達を操っていた”影”という存在に関して伝え忘れていた事がある」
『ん、何かな?』
「”影”という奴は、聞いた限りでは会う度に姿が違うそうだ。それ以外の素性は、俺が尋問した相手は知らないようだった」
『んー……了解。とりあえずその情報を下に、もう少し調べてみるね。……という訳で、今日は寝かせないわよ? 労働的な意味で』
 背後で資料確認に勤しんでいた部下への処刑宣告と共に通話が遮断され、先程まで宙に漂っていた札は力を失って床にへと落下した。
 それを拾い上げ、懐に戻しながらダミアンは夜の学院を窓から眺めながら溜息を吐くのであった。

 ◇

 反射的に校則違反を犯した聡治は、しかしその判断が間違っていなかったと生唾を飲み込む。
 振り抜かれた一撃は、本来ならば決して届くはずのない聡治の下まで届き、書記魔法で展開した障壁が無ければ容易く両断されていただろう。
 それでも、防ぎ切れなかった一撃が右腕の表皮を浅く切り裂いていた。視線を其方にやれば衣服が断たれ、其処から除く皮膚には朱線が描かれて血が滲んでいる。
 鞘に刀が納められる小気味良い音に、はっと我に返った聡治は、最早四の五の言っていられないと、手にしていた札入れから一枚の札を取り出し、間違いなく真川敦と告げた男に向けたまま握り潰し、書かれている魔法を発動する。
 突き出した聡治の右腕を中心に術式言語が展開。綴られた意味のままに魔法を構築して行き、実体を持たない一振りの槍が形成された。
 それを全力で振り被り、聡治は真川目掛けて投擲した。禍々しい形状のそれは、聡治の膂力に加え、己の内包する魔力を消費して飛翔。真川へと到る寸前にその刃が不気味に開き、まるで握り潰すかのように、漆黒の刃が男を吞み込んだ。
 聡治が人には言えない病気を患っている際に、独自に組んだ七大罪をモチーフにした書記魔法。その内の一つである【暴食】を躊躇い無く撃ち込んだが、札自体が古い物で痛んでいたせいか、あるいは聡治自身が其処まで空腹を感じていないせいか、大した威力は出なかった。
 それでも多少は負傷を与えられたようではあったが、所詮はその程度である。
「……化物が」
「伏神の血族には言われたくはないな? とはいえ、化物という呼称は否定シナイ――」
 男の顔が一瞬、幾重にも重なって見えた。
 疲れ目かと瞼を強く閉じて頭を振るった聡治が再び目を開いた時には、先程の野生的な風貌の真川は存在しなかった。
 其処にいたのは、エクリエルの病室で出会った優男の風貌の男であった。
 幻覚魔法でも受けているのかと状況を精査するも、しかし先程から真川が使ったのは、刀に対しての降霊魔法、そして伸びる居合いを発動させる為に使った練成魔法のみであった。
「さて、色々と教えてあげようかな」
 混乱する聡治を嘲笑うかのように苦笑を浮かべた真川の顔が再び歪み、また違う顔となる。
 今度は性別さえ違う。老婆の容貌の真川は、しかし相変わらず腹の立つ苦笑を浮かべたままであった。
 そうしてそのまま年端も行かない少年となり、妙齢の美女となり、そして全校集会で何度か見た事のある真川の姿となって告げた。
「この通り、僕……いや、私ないし俺は、色んな種族性別年齢を問わず、あらゆる姿と声を再現する事が出来る」
 そんな真川の台詞を、聡治は目を細めて、その正体を考える。
 魔界にドッペルゲンガーという、誰かの姿を真似する生物が存在するという話を聞いた事はあるが、それとはまた別の存在だろう。
 あれは基本的に一つの存在しか模倣できない上、其処まで知能の高い生物ではないと、魔界出身の同級生が語っていた。
 ならば何だと考えるが、考えた所で答えはまるで思いつかない。
 ただ、真川という彼ないし彼女は一つ嘘を吐いていることは確実だ。
 あらゆる姿と声を模倣するだけでは、先程の降霊魔法の説明がつかないのだ。
 本来降霊魔法というのは、単に九十九神の力を借りるだけの魔法ではない。長くその道具と共に過ごし、確かな信頼関係が生まれてようやく発動する事が出来る。
 故に、少なくとも本当の意味での真川敦でなければ先程の一撃……灯篭流しという刀の真価を発揮する事は出来ないはずなのだ。
「……はは、そんな怖い目で見ないでくれよ。まるで俺が嘘を吐いているとでも言いたげじゃないか?」
「ああ。少なくとも声と姿だけじゃないだろ、再現しているのは」
 聡治の指摘に一瞬だけ真顔を浮かべた真川は、しかし直後にはにたりと不気味な微笑みを浮かべる。
 正解、という事なのだろう。
「そうだ。お前の言う通り、厳密に言えば声と姿と能力を扱えるのさ」
 ――俺自身が殺した相手のを、ね。
 真川の言葉に、聡治は無意識の内に身震いをしたのだった。



【クロ 2014.06/22】



 雪女、柳瀬川朝霞は困惑していた。
 失禁し、失神していた三人の男子生徒の異常な回復力よりも、彼らの放つ異様な熱気が朝霞の心胆を寒からしめる。
 取り囲まれた朝霞は無意識に鞄を抱いていた。等間隔にポジションをとる三人組が、一切の隙が無い雰囲気を醸し出している。

「おのれ何奴!我らがバイブルを盗もうなど不届き千万!」
「早く返せ!おい、早く返せよ!!」
「待て待て、この娘よく見ると可愛いぞ……」

 朝霞は心の底からこれ以上関わりたくないと思った。というか臭かった。
 間を抜けようと試みるが、重心を傾けただけで彼らは鋭敏に反応し、迅速な行動でそれを許さない。
 朝霞は激怒した。

「はあっ!?アンタら何なの!?くっだらない事に魔法使ってその様!恥ずかしくないの!?死んで近寄らないでうっとーしい消えて」

 しかしそれは逆効果。三人組は足をばたつかせて興奮する。

「久方ぶりに女子に声掛けられたな我々」
「おい、早くしろよ!すっごい綺麗な声してるぞこの女!」
「待て、よし出来た。録音魔法でしっかり保存したぞ。そして、今の台詞を活かせる良いシチュエーションも思いついた!」

 朝霞は震えた。
 三人組から押し寄せる剥き出しの情念に。際限無く溢れ出る情欲に。
 何が彼らをここまで駆り立てるのか。それを飲み込むには、朝霞は清純過ぎた。つーか引いた。

「ア、アンタらね!これヤバイやつだから!大体アンタら気絶してたじゃん!人間には化け物に見えるってあの痴女言ってたし……在るべき所に戻しておいてって直接頼まれたんだからこれはアタシが持ってく!没収よ没収!」

「そうはいかんぞ!そんなこと言ってこっそり読む気であろう!むっつりスケベめ!!」
「ちょっと待て……痴女ってどういうことだ?」
「おい!録音はどうした!?早くしろよ!」

「だーかーらー!人間には化け物に見えるけど雪女のアタシには痴女に見えたの!そんで頼まれたんだって!っつーわけでじゃっ!」

 振り切ろうとする朝霞を三人は見事なフォーメーションで阻む。

「何ということだ……人間をやめたい……」
「いいこと思いついた!おい!雪女!その痴女の見た目とか詳しく絵に描いてくれよ!おい!早くしろよ!」
「待てよ?今になって考えてみるとあの化け物おっぱいいっぱいついててエロくなかったか?」
「な……お前正気か?」
「おいおい!いっぱいあればいいってもんじゃないだろ!むしろ俺は2つという奇跡に感謝したいと思ったぞ!1つでも3つでも駄目だってことを今回理解したぜ!!」
「いやでもおっぱい畑で寝っ転がるって男のロマンだろ?」
「ふむ、一理あるな」
「おい!流されるなよ!早く戻って来い!」
「待て待て、なんか目覚めたわ……ちょうどただのおっぱいに飽きてきたところだしな」
「お前童貞の癖にそれは生意気というものだぞ」
「!?おい!いつの間にかあの女がいないぞ!早く追うぞ!おい!早くしろよ!」

 朝霞は逃げ出した。



【タタリ 2014.06/29】



 この男にとって、距離は意味をなさない。じりじりと距離を取りながら、奴の隙を窺いつつも、その懸念は拭えない。
 目測で十メートルほどの間合い。真川(仮)の刀が届くには本来は程遠いが、それでも奴は「間合いの外」へ斬撃を繰り出す事が可能である。先程は書記魔法障壁で打点をズラしながらのバックステップで、すんでの回避に成功したが、この距離なら安全である確証がない以上、ここも危険域であると考えるのが妥当だろう。
 そして、この距離が危険域であるのなら、奴の頭上に磔にされているエクリエルとルカも攻撃の圏内だ……!!
「いやはや、堕ちたとはいえ、流石は伏神の血筋。実戦での鼻は利くようで何よりだ」
「黙れ、奇形野郎(フリーク)。いきなり斬りつけてきやがって、何のつもりだ」
「何のつもりもなにも、特に意味なんてないさ。強いて言うなら、さっきの一撃であっさり死ぬ程度ならそれでよし、死ななくてもよし……そういうつもりだった」
「テメェが髪の先から爪の先まで狂ってる事は理解できたぜ」
 悠然と光の下に佇む真川(仮)はベルトに下げた刀に右手をかけたまま、いつでも抜ける体勢を崩さない。俺ごときを「油断ならない」と過大評価しているだけの事はあるという訳か。どう見てもこちらに踏み込ませる挑発じみた構えなのに、付け入る隙がない。
「殺せなくてもいいって事は、俺に話でもあんのか、テメェ?」
「そうだな。三つほど質問したい事があるが、その質問の前に一つだけ簡単なアンケートだ。──お前、今すぐ死にたいか? それとも後で死にたいか?」
 とんでもない二者択一できたもんだ、と頭の中で冷静に咀嚼できる程度には落ち着いている。昔、精神的に病んでたせいでこういう事態でも落ち着いていられる、というのは喜ぶべきかどうか迷うが。
 まずは時間を稼ぐ必要がある。向こうがその機会を作ろうとしているなら、便乗するのが得策か。
 ついでに、叶うなら昏睡しているエクリエル達から真川(仮)を離したいところでもある。
「後で、の方が助かる」
「助ける気はないがな。どの道、お前はこの場で殺す。……しかし、あの死にたがりが、自分の死を後回しにするとはね」
 くつくつと喉を震わせて嗤いながら、真川は愉快げに俺を見ている。目が笑っていない。
 ……”あの”死にたがり?
 その台詞から判断するなら、俺はこいつと面識があるのか。記憶を走査するまでもなく、他人にそっくりそのまま成りすますビックリ面白変人と知り合いではない。尤も、他人になりすませるのだから、当時に出会った誰か、あるいは複数人が真川(仮)だった可能性は高く、特定など出来よう筈もないのだが。
「さて、じゃあ後回しにしてやる代わりに、質疑応答に移させてもらうとするかな」
「待て! その前に、俺からも一つだけ聞かせてくれ!」
 右手で突き出した左手首を押さえながら、俺は待ったのポーズを取る。話の腰を折られた真川(仮)がこれみよがしに不機嫌そうな表情を浮かべるが、時間稼ぎの前にこれだけは訊いておかねばならない事がある。
「何だ、人質の心配か? それともくだらない時間稼ぎの類なら人質から殺すぞ」
「違う、そうじゃない! ……お前、虫刺されの痒み止めとか持ってない?」
「……、……」
「つーか、今何月だと思ってんだよ! このクソ暑い日に、こんな草薮に呼び出しやがって! 蚊にしてみりゃ俺達なんか格好の獲物だぞ!」
 右手で左手を掻き毟りながら、十メートル先の真川(仮)に見せつける。先程の不機嫌顔など比較にならないほどの形容し難い形相で俺を睨み付けてくる。声にならない怒りが漂ってくる。
 真川(仮)としては、この場はかなりシリアスな状況であると受け取って欲しかったらしい。でもしょうがないよね、こればっかりは必要な処置なので俺は悪くない。
「……次、話の腰を折ったら、エクリエルから殺す。妙な動きをしても殺す。いいな?」
「あっはい」
 左腕を掻きながら真川(仮)の言葉に頷く。とりあえず、痒みに関しては放置してくれるらしい。うん、全長五ミリ強の虫による凶悪な攻撃に耐えられないのは万人共通、彼(?)もそこのとこは分かってくれたらしい。ありがたい。
 興が削がれたと言わんばかりに大きなため息を吐き、改めて俺に向き直り、真川(仮)は質問とやらを語り出す。
「伏神。お前は神を信じるか?」
「……驚いた。事ここに至って、まさか出てきた言葉がカルトの布教活動だとは」
「神と言ったが、まあ、別に対象は神でなくてもいい。そもそも現在は天使や魔族なんて掃いて捨てるほどいる。だが、その類の亜人は所詮、異なる世界の法則に基づき、進化を遂げた人類であり、俺達と変わらぬ次元の存在でしかない。
 俺が聞いているのはそういう意味ではない、本当の意味での上位存在だ。世界の創造主、次元の超越者。──すなわち、神はいるかどうか。お前はどう思う?」
 目を細め、懐かしい思い出話でもする様に、真川(仮)は語り掛ける。その声音には優しさや慈しみ、何より悦びすら感じ取る事ができる。今のコイツだけを見るのなら、よもや人質を取る外道とは思えないほどだ。
 神はいるかどうか、と訊かれて真っ先に思い付いたのは赤龍(アドライグ)だ。あれは真川(仮)が訊ねている意味に該当する、神に最も近しい存在であると言えよう。
 無論、他言する気はないので、黙ったまま首を横に振るのだが。
「そうか、お前は無神論者か。俺達はけっこう気が合うと思っていたのだがね」
「薄気味悪い冗談はやめろ、鳥肌じゃ済まない」
 話を聞いてるだけで嘔吐感さえ催しかねないので勘弁してくれ。
「俺はな、神はいると思ってる。いや、思う様になったというのが正しい。五界統合後も乱層区画という別世界が世界各地で偏在していたが、それは蛇の出る薮の様な物だった。近付かなければ害はない。
 だが、世間じゃ公表されていないが、ある日を境に世界の物理法則が書き換えられた。信じられるか? 五界の統合で不安定ながらも安定していた世界のあらゆる数値が、全く異なる物に変質したんだ」
 ──魔法とは、物理法則や科学を無視した不思議で荒唐無稽の奇跡ではない。それは法則が違うだけで、科学と同じく学問に該当する。
 統合以前、五界のベースとなった人間界でも、古来より呪詛魔法や結界魔法は存在した。それは伏神の家系がそうであった様に、血統による一子相伝である事が殆どであった。現在の様に「誰でも学べる」学問として確立したのは五界統合後だが、それでも手順や法則など、大まかな技術は存在していた以上、魔法の存在が世界の物理法則下にあった事は間違いない。
 だから、真川(仮)の言う物理法則の書き換え云々は魔法の存在による物ではないという事だろう。
「神はいる。いや、神という分かりやすい姿かたちをしてるかどうかはともかく、少なくともこの世界に自在に干渉できるだろう存在はいる」
「そりゃすげぇ発想だ。とりあえず黄色い救急車でも呼ぶか? 何なら、心優しい俺が見舞いの花くらいは取り替えに行ってやるぞ?」
「その感想は正常だな。俺だって、この仮定が狂ってる事は分かる。だからこそ、試しに神の領域に干渉しようと思ったくらいだからな。どう考えても、俺はただの狂人でしかない。そこで、お前に次の質問だ。──調べたところ、お前、肉片の一つも残さずに消滅したと聞いているが、どうして生きている? お前が死にたがりになった事件の全貌を教えろ」
 ……かちり。自分の心の中で、撃鉄(ハンマー)が下ろされたのが分かる。
 ああ。コイツはよりによって、触れてはならない過去に、土足で踏み込んできた。エクリエルやアシュリーでさえかつて触れなかった話題に躊躇せず踏み締めた。少なからず保っていた理性が「使ってはならない書記魔法(カード)」の使用を躊躇っていたが、そんな瑣末な問題を吹き飛ばす。
 真川(仮)はこの場で殺す。アイツもアイツで俺を殺そうとしているのだから、喧嘩両成敗って事で、恨みっこなしの後腐れなしだ。丁度いい。
「……さぁな、忘れた」
「そうか、そりゃ残念だ。伏神聡理(ふしがみサトリ)の事は災難だったなと慰めてやろうと思ってたんだが、無駄だったか。しかし、忘れられたとなっちゃ、可哀相な妹も『いた』もんだな」
「て、っメ、ェ……!!」
 けらけら、げらげら。不快、不愉快きわまりない声で、真川(仮)は嗤う。脳が灼熱する。先程まで冷静でいられた方が、今となっては不可解だ。
 殺してやりたい。俺はどうやって、この男と冷静に対峙して、対処していられたのだろう。十数秒前の事だって思い出せない。殺したい。こちらの殺気を感じ取った真川(仮)は本格的に居合い抜きの構えを取る。殺してやる。俺は姿勢を下げて、前傾に構える。殺す。どの道、この距離では俺に攻撃の手段はない。殺す。まずは何を犠牲にしても、近づかなくては話にならない。……殺すッ!

『……お兄様。最期まで貴方を守って差し上げられなかった事だけが、後悔です。──伏神の血に呑まれぬよう、どうかご健勝で』

 今際の際に聞いた、遠い記憶の声を思い出す。鉄の臭いのする紅い大輪の中心に横たわる、出来損ないの汚名(レッテル)を貼られた我が妹の姿が脳裏を過ぎる。が、それもあっという間に憎悪の声にかき消される。殺す! 殺す! 殺す!
「最後の質問だ、伏神ソウジ! どうせ死ぬなら答えて死ね! 貴様、ドラゴンという言葉に聞き覚えはあるか!?」
「アイツの事なんざ知るか!」
「その反応、やはりそうか! 思った通り、神はいた! 俺は間違っていなかった!」
 前に一歩、踏み出す。同時、〇・一秒で真川(仮)の居合い抜きが繰り出される。他者の能力をそのまま使えるという彼の技は風紀副委員長に恥じず相応しい、達人の域である。
 だが、かつての真川が悪を裁く為に使っていたのだろう匠の技術を、ただ殺す為に使う真川(仮)の攻撃の軌道など、目に見えずとも、目を瞑っていても読む事は実に容易い。
 ──首。錬成魔法で射程を延長された一息一撃の必殺が、首を狙って襲いかかってくる。
 俺は左腕で首を守りながら、更に踏み込む。

 ……風紀委員会室でのダミアンは、相手を完全に無力化してから情報を得ようとしていた。奴の凄惨さ、非道さに比べれば、人質を取った程度で安全だと思い込んでいた貴様の甘さは反吐が出るぞ、真川(仮)!

 距離を潰す様に飛来した斬撃に左腕を差し出し、弾き飛ばす。血潮が瞬き、俺の顔や服を汚した。己の血とは言え、遠のく気を無理くり抑えつけて、更に前へ。
「──な、に?」
 一撃で殺せなかった想定外の事態に驚愕する真川(仮)。その双眸は左腕ごと吹き飛ばなかった俺の首を注視している。骨ごと斬られ、肘から先がなくなったが、分離した左腕を右手で掴みながら、構わず前へ。
 真川(仮)が慌てて抜き身の刀を鞘に納める。その速度も達人の域に達しているが、抜刀の速度に比べれば亀の歩みだ。開かれていた距離はもはや半分もない。再び飛ぶ斬撃を繰り出すとしても、残るチャンスは一度だけだろう。
 あと一撃。それさえ凌ぎきれば、肉迫する事ができる。
「何をした、伏神ソウジ? 貴様、いったい、何をした!?」
 答えない。今一度、居合い抜きを行う真川(仮)の目の前へ、取れた左腕を放り投げる。俺(ターゲット)の姿は接近する飛行物によって遮蔽(ブラインド)になり、避けながら放たれた真川(仮)の居合い抜きは狙いを過ち、俺の足元を抉るだけに留まる。
 そして同時に、飛んできた左腕に刻まれた文字を見て、犬歯を剥き出しに吼える。
「これは、書記魔法の術式記号!? いつの間に!?」
 マヌケ、マヌケ、マヌケ! お前が悠長にキモチ良く上から目線で語ってる間に、左腕に「硬化」の書記魔法を爪で刻んでいた事に、今さら気付いたのか! マヌケ、マヌケ、マヌケ!
 振り抜いた刀の柄頭を左足の踵で蹴り落としながら踏み込み、残った右拳を真川(仮)の顔面に叩き込む。後ろのフェンスを撓ませて跳ね返ってきたところで、右の回し蹴りを腹に見舞う。絶対優勢の立場から刀も失い、無様に倒れ込む真川(仮)。
「貴様、貴様、貴様ぁ! 人質がどうなってもいいのか!?」
「出来るもんならやってみろ。お前の錬成魔法──居合い抜きのタネは割れてんだよ」
 足元に転がってきた刀の身を踏み割り、術式の発動を不可能にする。ほんの一瞬だけそちらを見ると、案の定、灯篭流しの表面には複雑な紋様が刻まれていた。刀の造詣には疎いが、この紋様が切れ味や強度を損なわずに魔法の術式を起動させる、緻密な計算に基づいて刻まれたのだろう事は窺い知れる。
 つまり、真川(仮)の超射程抜刀術とは、鞘の内側に刻まれた術式記号と、刀身に刻まれた術式記号を重ね合わせる事で発動する書記魔法である。手順としては、降霊魔法で灯篭流しの性能を限界まで引き出し、刀を滑らせて書記魔法を発動し、錬成魔法で一瞬だけ切先を伸ばす複合術式を発動させるのだろう。
 それも、刀をへし折った今や、使用する事は出来ない訳だが。
 左腕の断面を押さえながら、少し距離の空いた真川(仮)に向き直る。立ち位置は既に逆転しており、俺の頭上にはエクリエル達が、コイツの周囲には伸び放題の草薮しか存在しない。
 もはや、アドバンテージはない。
 故に、温存していた七大罪【憤怒】を使用する事を躊躇う必要もない。
「お前まさか、俺がただ死にたがりってだけで、エクリエル達に乱層区画に連れて行かれてたと思ってたのか」
「……やはり、油断ならない男だな、貴様は!」
「それだよ。お前の後学の為に教えといてやるが、俺の経験上、『殺す』だの『油断しない』なんて雑念を口に出す奴は、相手をナメきって油断しきってる奴だ。勉強になったな? じゃあ死ね、奇形野郎(フリーク)」
「何を……、ッ!?」
 対峙してる奴がベラベラ喋ってるって事は、ようするに時間を稼ごうとしてるという事だ。それに気付いた真川(仮)はようやく、蹴られた脇腹を見やる。先の一撃で貼り付けていたカードの存在に気付いたみたいだが、乱層区画で死ぬほど死に目を見てきた俺に言わせれば、コイツは何もかもが遅い。エクリエルは慢心が服を着てる様な奴だからともかく、ダミアンやアシュリーなら真っ先に気付いた筈だ。
 とりあえずの戦う術を持った俺だが、俺自身は戦える系ではない。この得体の知れない男がこの程度で参るとは思えないが、後は七大罪【憤怒】を目印に感知したダミアンやアシュリー、何なら宿直の教師でも誰でもいい、助けが駆け付けるのを待てばそれで事件のカタは付く。
 効果範囲が広い七大罪【憤怒】を使う条件は整った。手を伸ばす真川(仮)より早く、術式を発動する。
 人の妹を挑発のダシにした報いを受けろ、真川(仮)。

 七大罪【憤怒】を起動する。カードに込められていた魔力は周辺の酸素を残らず根こそぎ喰らい尽くし、天を衝く炎の柱となって、真川(仮)の体を焼き滅ぼす──!



【どあにん 2014.06/30】



「燃えろ!燃え尽きろ糞野郎ッ!」

真川(仮)を轟々と燃やす極熱の火柱に向けて17歳の少年が思い浮かぶ限りの罵詈雑言を浴びせる。
エクリエルとルカを人質、もとい天使質と獣質を取った挙句に自分を殺そうとしてきたイカレ野郎を返り討ちにしただけに過ぎない。

ソウジは真川(仮)を殺す為に腕一本を犠牲にするなんて今日日ゲームか漫画の中だけの話だと思っていたが、
まさに自分がそれを体験して大量出血によってジワジワと死へと向かっているのもまた事実だ。
後で死にたいと答えて本当にこれで死んでしまったら格好が悪い、もし怪我をしたり誰かが怪我をしたら使おうと思っていた
呪詛・操作の複合魔術を記したカードを破って切断面に貼り付けると、切断面を覆うように青白い魔法陣・状態固定が展開されて出血は収まったのを確認してようやく一息付く、
応急処置程度だがひとまず失血死の恐れは無くなった。

「さて、エクリエルとルカを助けて……しまった、禁書の場所を吐かせるのを忘れたな……コイツが持ってたりするならこの事件は解決――」
「するとでも、思ったか?」

ぬめるような声がソウジの背中を撫でる。
誰かの声、ダミアン? 違う……先ほどまで聞いていたあの声。
意を決して振り返るソウジの眼に飛び込んで来たのは、髪 皮膚 臓腑 魂すらも燃やし尽くす火柱の中でギラリと光る眼光、
火柱で焼かれるヒト型のシルエットが異様な形へと、頭部や腕に脚が歪に変化しながら段々と巨大化して一つのシルエットを生み出した。

「流石に今のは驚いたぞ……お前はある意味幸運であり不幸だな、俺を怒らせてしまったのだからなぁ……」
「真川……いや、テメェは……何だ!?」

月明かりで照らされる判明する、全身を覆う白色の鱗に蒼色の眼光、その腕の形状は忌々しい記憶を呼び起こされる。
口からは紫色の吐息が溢れる目測8mの巨大なそれ、ソウジがいつぞや図鑑で見た形状。

「先ほど言ったな、神は居るかドラゴンと言う言葉に聞き覚えはあるのかとな。
 俺は不完全ながらもその神であるドラゴン、狡猾"竜"ドネルクラルだ」

不思議とソウジは絶望を抱いてはいなかった。
自分を愚かしくも神を名乗るそれにはあまりにも威圧感が足りない、忌まわしき記憶である黒"龍"ファブニルに囚われたおぞましい感触に似た何かすらも感じない。
あまりにも中途半端、あまりにも矮小、あまりにも滑稽……自分でも気付かないうちに、笑みが溢れていた。

「無理も無い、神話上の存在と思われていたドラゴンを間近で見てしまったのだからな……。
 脳が理解する事を放棄したか、現実を受け入れきれずに狂ったか……」
「やっ、失敬失敬……あまりにもおかしくてな」

何、と真川……もといドネルクラルが首をかしげる。

「図体デケェ割には人質取ったり何なりでやる事は小せぇと思ってな、なぁ不完全なカミサマとやら」
「お前の言う通り俺はまだ不完全だ、それは認めよう。
 故に俺はこの学園に眠る禁書の力を得て完全な存在に生まれ変わるのだ!」

「やる事が小せぇと思ったら野望も小せぇなぁ!このトカゲ野郎!」
「抜かせッ!」

一瞬息を吸い込んで炎を吐き出したの見てソウジは前転で躱すが炎が草薮を焼き、轟々と燃え盛る炎がソウジを囲む。
教師か誰かに見つかったら確実に停学喰らうだろうが、今のソウジにそんな事を考える余裕は無かった。
切り札<ジョーカー>はもう切ってしまった、為す術無しの万事休す……ソウジの脳裏に浮かぶのは、ずっと願ってきた"死"への渇望。
ようやく死ねる、ただのヒトがどうしようも無い存在に為す術無く捻り殺されるヴィジョン、そして。


短い時ながらも、共に過ごした友人達との思い出が鮮明に蘇った。



「まだ……死にたく……ねぇ」

呟くソウジに迫るのはドネルクラルの腕、それが触れるか否かまで肉薄した瞬間世界を、
真っ黒に、染め上げた。



水面を漂うかのような心地良い感覚に包まれながらゆっくりと眼を開くと、眩しい光を纏う少女がソウジの目の前に立っている。
顔は眩しくて見えないが、奇妙な程澄んだ声がソウジの鼓膜を刺激する。

「また会いましたね、伏神 聡治」
「誰だっけ……アンタは……?」

くすくすと少女が微笑む、忘れてしまったのねと耳元で囁く、無理も無いと呟きながら頬を撫でる。
ソウジ自身も何か大切な事を忘れてしまったかのようなモヤモヤした気持ちになってくる、一つため息を吐いた少女は屈みこんでソウジと視線を合わせてきた。

「あなた……また"死ぬ"のよ 前みたいに、ペチャンコにされて死ぬの」
「前みたい……に?」

頭が痛くなってくる。
もう少しで忘れてしまった、否、忘れさせられてしまった事を思い出せそうな気がして、しかし思い出そうとすればするほど頭痛が妨害してくる。
苦しむソウジを心配する素振りもあざ笑う素振りも見せない、無関心な少女はそのままソウジの周りを足音を立てながら歩きまわる。

「そうあなたは一度死んだの、そして私と契約……愚かにも力を寄越せと叫んで新しい生命を手に入れた、それが貴方、伏神 聡治。
 良かったわね、念願の死にたいって願いがあと0.001秒で叶うのよ、死者に人は殺せない。力無き者に望みは遂げられない……だったわね」

ソウジはその言葉を聞いて、蹲った。
あれほど望んでいた事なのに、誰かが与えてくれるのを渇望してようやく巡ってきたチャンスなのに、
いざとなったら怖くて、逃げたくて、そんな自分が情けなくて……そして、昔の自分に無くて、今の自分にある物が思い浮かぶ。

「死にたくねぇ……まだ死にたくねぇ……! ムチャクチャだったり、ヒトの話聞かないような奴らだけど……!
 エクリエル……ルカ、朝霞、ダミアン、剛機ホオノキ=ダン12式……友達を残して、死にたくねぇッ!
 頼みがある"白龍"<ヴェイパー>!俺に……力を貸してくれ!」

自分の頭の中で雁字搦めになっていた数多の鎖が弾けるような感覚に押されるがままに白龍に迫る。
ヴェイパーはあいも変わらず、くすくす微笑みながらソウジの頬を撫でる。

「力を貸す? 何を言ってるの貴方、私の力はもう貴方の物、ソウジのもの。
 自分の物を使うのに、わざわざあげた龍に許可を求めるの? いいわ、そういうのは嫌いじゃない。
 少しオマケしてあげるわ――」

輝きが強くなって目が開けられなくなる、真っ白な闇に呑まれるかのような状態。
しばらくして再び世界が黒く染まり、そしてゆっくりと色を取り戻していく、ああ、そうだ――



轟音と共に大量の砂埃が舞い上がる、握りしめ振り下ろした竜の拳は地面を抉った。
確かな手応えを拳で感じたドネルクラルは満足気な笑みを浮かべる。

「愚かな、ヒト如きがドラゴンに敵うと思うてか」

刹那、ドネルクラルは腕に違和感を覚える。
むず痒いような熱いようなと、それに見合う言葉の検索を行い始めた刹那、肉が弾けるような音がドネルクラルの耳に届いた。
まるでドーナツの穴のように空いた竜の掌、鱗と骨の欠片と血肉が辺りに降り注ぎ、遅れて発生する鈍痛に竜が吼える。
理解が出来ないと言った様子でその空いた穴の中央に真っ白なオーラを身にまとった人間が一人、自分よりも遥かに小さいそれが強靭な竜の鱗を砕いた事が未だに信ずる事が出来ない。

「まぁ、ヒトがドラゴンに敵うなんてのはゲームや漫画とか空想の世界だけだろうな、だけど俺は……」

ソウジの姿が見えなくなりドネルクラルの鱗が砕けていく、走っている、ソウジが。
走るだけで竜の鱗が砕ける、ありえないと目の前の現実を否定するドネルクラルに対し、ソウジが失われた左腕の切断面から何かが生える。
それは鞭のようにしなり、防御しようとしたドネルクラルの右腕を輪切りにした。

「その空想を現実にしてやる」

ソウジの身長には圧倒的に釣り合わぬ白銀の鱗で覆われた"龍の左腕"が生えており、困惑するドネルクラルに容赦無く龍腕で攻撃を加える。
殴り抉り引き裂き千切り撚り、血に塗れ咆哮する竜に攻撃を加え続ける、戦いと呼ぶにはあまりに一方的過ぎる、狩り。
不完全な力で神を自称する哀れな"竜"が、"龍"に狩られる、血の塊を吐き出しながら竜は吼える。

「バカな……バカな!? 何故だ!? 何故人間如きが"龍"を、"神"を宿しているのだ!? ありえん、ありえん!!」

狼狽する竜の首を掴んで宙へと放り投げる、全長8mくらいの物体がたかが172cmに投げられると言うのも中々奇妙な図だとソウジは思う。
さて……あのホモショタ赤龍の言う通りにするのはシャクだが、お誂え向きの状況だ。
真川敦かと思われた人物の詳細を聞いた所か真の姿を知り、そしてソウジと真川敦に化けていた竜の一人と一匹しか此処にはいない。
ルカとエクリエルが居るが気絶しているっぽいのでノーカンにしてくれるだろう、きっと。
アドライグに渡された紅色の札に描かれた謎言語の札を宙へと放り投げた。

刹那、一瞬空間が歪んだかと思うと四色の魔法陣が現れてドネルクラルを取り囲んだ。
鮮血のような赤い魔法陣、深い森を思わせる緑色の魔法陣、全てを吸い込む錯覚に陥る黒色の魔法陣、そして、絢爛に輝く黄金の魔法陣。
これから何が起こるのか目を離す事が出来無い、否、引き寄せられるかのように強制的に見せられるかのような強い拘束力を感じ取った。

『拝啓、まだ見ぬ六番目のボクへ。見る前にボクはキミを殺します。だって嫌いなんだもん。赤龍より』

紅色の魔法陣から紅色の鱗で覆われた巨大な龍の腕が現れドネルクラルを掴んだ。

『見知らぬ六番目の私へ。私は貴方を殺します。嫌いな臭いがするのだから。緑龍より』

緑色の魔法陣から深緑色の鱗で覆われた巨大な龍の腕が現れドネルクラルを掴んだ。

『不出来な模倣だけで飽きたらず、あわよくば我らに加わろうとした狼藉は死を持って償わせる』

黒色の魔法陣から漆黒の鱗で覆われた龍の腕が現れドネルクラルを掴んだ。

『貴様のような痴れ者をぉ……我らが快く歓迎すると思うてかぁッ!!』

聞いた事の無い声と共に金色の魔法陣から輝く黄金の鱗で覆われた龍の腕が現れドネルクラルを掴んだ。

「何故だ!俺は!俺はt」


弁明する暇する与えられず、8mの巨体が弾け飛んだ。
臓腑や骨が辺りに飛び散り血の雨が注ぐと今まで我慢してきた恐怖と疲労の限界を迎えたソウジはそのまま草薮に倒れこんでしまった。




「……ジ、……ウジ、ソウジ、起きろソウジ!」

ぼやける視界が鮮明になり、ダミアンの顔が目に入る。

「ダミ……アン?」
「エクリエルとルカを救出した上に禁書を取り戻したまでは良かったが何呑気に眠りこけている実験台、それと俺の許可無く持ち場を離れやがって」

胸ぐらを掴まれて立たされるも必要以上の力は篭っていない為、悪かったと素直に謝罪するとダミアンはすぐさま手を離した。
俺の右腕にはいつの間にか件の禁書が二冊収まっていた。

「あまり俺に心配かけさせんなソウジ、ついでに……天使サマとそのオマケは白馬の王子様をご所望だ」

腐ったドブみたいな緑色の瞳がほんの僅かに輝きを取り戻したかのように見えたが、ソウジはそれよりもエクリエルとルカの安否の確認を優先した。
草薮の中で横たわる一人と一匹だったが幸いどこも怪我はしていなかった、ホッと胸を撫で下ろしてからソウジはふと辺りを見渡した。
本来あるべき凄惨な現場は……どこにも無い。
ただ虫の鳴き声と月明かりだけがそこにある、あるべき鱗の欠片や臓腑から血の類は一切見られない、そして見える自分の左腕。
ちゃんとある、拳を握ったり解いたりを繰り返して何の異常も無い事を確認した、白龍が言っていたオマケと言うのはこれの事だろうか?何を考えても分からない。
だが……ひとまずは無事に解決したのだ、草薮の上で寝転がるとアシュリーとクロガネに、何故か朝霞の声まで聞こえてくるが……とにかく疲れた、御免被って少し眠ろう―――。

「……以上が、今回の禁書盗難事件の全容です、理事長」

そう、と短く返事をして影は学園長と刻まれたプレートが置かれた机の上に座る。
顔が映り込むほど磨かれた木製の机に深い皺が刻み込まれた老婆が映り、それを汚物でも見てしまったかのような目付きで見る理事長と呼ばれた妙齢の女性。
その手にはソウジが入学時に提出した書類が握られているがつまらなさそうに眺めている、ただ……ある一点の項目に目を留めるまでは。

「あら、ソウジくんと言ったかしら……中々面白い経歴持ってるじゃないの……逸材よ、この子」

舌なめずりする理事長に、学園長はただただ俯いて黙りこむだけだった。



ソウジが目覚めた時、学園内は多少の混乱と変化が起こっていた。
まず第一、風紀委員の真川敦の遺体が発見された事だったが、遺体の咬傷が大きく深かった為迷い込んだ大型の獣の仕業だと警察は断定した。
断定はしたが不可解なのはその遺体が殆ど人が立ち入らない科学準備室に放置されていた事についてはついに究明する事が出来なかった。
不幸な事故として本物の真川敦は処理されたが、遺族は納得がいかないとして学校と警察に再調査の依頼を行っているとソウジはダグダエル先生から聞いた。

第二、禁書盗難事件が発生してから図書委員と風紀委員の仲がより一層劣悪になり、目を合わせればすぐさまガンの飛ばし合いから殴り合い一歩寸前までになる事が多くなり、
九条 泰生は死にはしなかったが一生物のトラウマを背負った、偽真川に巧みな話術で騙され歯向かった報いだとソウジはダミアンから聞いた。

第三、勉強でもサボりでも無く四人……いや、男三人と雪女一匹が図書室の奥に頻繁に出入りするようになり、
その度に男三人が奇声を上げてから雪女が何かにグチをこぼすかのように独り言を言う事が頻繁に起こるようになったとソウジはクロガネから聞いた。


これだけ凄惨な殺人事件が起きても時が過ぎれば忘れ去られていく、世界と同じだ。
例え誰かが傷付こうとも、もしくは誰かの生命の灯火が消えてしまったとしても世界は無情に時を刻み続ける。
矮小な生命の一つや二つ消え去ろうとも意に介さず、静かに、無情に、残酷に――


第二節『The Wonderful World』
                                 ―――fin


多くの生徒にとってはこれは長い時間ハメを外したり遊ぶ為の時間だと思えるだろう。
だが、俺にとっては……。

第三節『With this horrid memory』

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